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いち

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 彼女が彼を拾ったのは、買い物帰りの雨の中だった。


「……ひどい怪我」


 驚きすぎて、叫ぶタイミングを失い溜息しか出なかった。

 石畳に作られる血溜まりに目をやり、視線をあげる。抱えている紙袋の中身が濡れそうで、傘をたたまずに一度玄関を開けたいのだが、扉の前に大きな障害物がある。片手では移動させられない。

 買ったばかりの毛糸は、調子に乗って買いすぎた自覚はあるので、他の店には寄らずに真っ直ぐ帰ってきたのだが。まさか家の前に人が倒れてるとは思いもしなかった。

 誰か、彼を移動させるのを手伝ってくれないだろうかと周りに目をやるも、表通りから一本外れた裏通りには、今日の天気に関わらず普段から人はあまり通らない。

 仕方ないか、とまた溜息をついて、彼を足で押し扉前から移動させた。多少お行儀は悪いが、人の目もないことだし、いいだろう。

 自身の行動に少し甘い評価を下している彼女の名前はミシュリーヌ。

 モノ好きな客しか訪れない宿屋兼食堂をひとりでひっそりと切り盛りしている。宿泊客が居なければ、開店休業状態が続くため食堂も不定休。人気メニューの気まぐれスープは、常連客からはわりと好評だったりする。不定休な食堂につく常連客とはこれいかに。

 ミシュリーヌ自身は開店休業上等の精神で、せっせと編物に勤しんでは、教会のバザーに参加しているのが常。どちらが本業かわかったものではない。

 彼女は紙袋を室内へ置き、両手を空けて外へ出る。

 どうにか彼の両脇に背後から腕を差込み、ずるずると家の中へ引きずりながら運ぶ。意識のない人間のなんと重いことか。

 おそらく彼の持ち物であろう、転がっていた剣もいっしょに室内へ入れておいた。

 表の扉は準備中の札のまま、なんとか近くのソファまで運ぶ。お湯を沸かしている間にタオルを用意し、雨ではあるが一応、表にも水を撒いておく。血溜まりもすぐに流されて消えるだろう。

 改めて、タオルを片手に運んだ怪我人の様子を伺う。本当は、お医者様か治癒師を呼ぶ方がいいのだろうけども、状況の説明のしようがないので、とりあえず。

 額からの流血に左眼はおそらく今開けられないだろう。左太腿と右肩の刺傷は、正面からきれいに突かれたようで骨には達していない。脇腹の切傷は服に吸われているが一番出血がひどい。血溜まりの要因はここか。

 彼の意識もないままなので、彼女は問答無用で衣服を剥ぎにかかる。応急処置にしかならないが、まずは脇腹の止血から。ガーゼの上から厚めにタオルを押し当てて、多少きつめに包帯で固定する。着痩せする腹筋だな、なんて感想はまたあとで。

 太腿と肩も同様に包帯を巻きつける。固まりつつある血を拭い、冷めたお湯を入れ替えた。顔色が悪いがこれだけ失血していれば当然か、と思いながら濡れてた髪もタオルで拭う。

 くすんだ色合いに見えたが、実は綺麗な銀髪なのかもしれない。前髪を押し上げつつ、額、目元、喉元にもタオルを這わせる。頭にも包帯を巻いて
 とりあえずシーツを被せておく。暖炉もあるし、寒くはないと思いたいが、毛布も追加しておこうと、二階から持っておろしてきた。

 眉間のシワは取れないけども、痛みに魘されてる様子はないようなので、玄関からソファにかけての掃除をしておこう。あまり時間をかけると、血が落ちなくなりそう。カーテンの隙間から外を伺うと、陽も落ちて暗くなってきているが、石畳の血溜まりはすっかり認識できなくなっている。

 室内も一通り綺麗になり、テーブルを寄せて簡易ベッドも用意して、夕飯用にスープを煮込む。準備中から閉店の札に掛け替えて、今夜は臨時休業のままにしているので、量はぐっと少ないが、それでも鼻孔をくすぐる匂いに気分を上げながら、彼と一緒に回収した剣に手を伸ばす。勝手に触るのは申し訳ないが、まだ起きてこないので許可の取りようがない。汚れているものをそのままにするのも、刃が傷みそう気分が悪い。

 鞘からするりと引き抜けば、案の定べっとりと血が付着していた。

 丁寧に血脂を拭えば、柄の意匠に見覚えがある紋様を見つけてしまい、それが近くの領主のものであることを思い出して、面倒な人を拾ったのかもと少し後悔した。

 行き倒れで偶然、家の前にいただけだと思ったけど、違ったのかもしれない。彼の意識が戻れば早々に出て行ってもらう方がいいだろうか。ちなみに、今の状態で外に放り出すほど、非情ではないつもりだ。

 熱はあるようで、気休め程度にしかならないが濡れタオルを取り替えつつ、一晩くらいなら起きていてもなんとかなるかな、と考える。

 彼の身分がわかるようなものは、剣の他には見当たらなかった。剥いだ服も、汚れがひどすぎて洗ったところで着られたものではなさそうだ。

 そうだ、一応、着替えも用意しておくべきか。脱がせるのは、まぁ、どうにかなったけど…着せるのは無理だし無駄だろう。余分にシーツの替えも取ってこよう。

 その晩はぱたぱたと控えめな足音を立てながら看病をし、明け方にはソファ横で寝入ってしまっていた。
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