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銅戈の眠る海(三)
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三
春の瀬戸内海は凪いでいる。
一行は向島を早朝に出発し、夕方になって吉備の小さな浜に上陸した。
近くに人が住んでいる気配はなく、来目が中心になって簡素な小屋を建て、火を熾した。
磐余彦と日臣の二人は森の奥に分け入り、若い鹿を仕留めた。
まず日臣が風上から鹿に近づき、注意を引き付ける。そして気配を消した磐余彦が風下から矢の届く距離まで近づき、射るのである。
矢はみごとに命中し、鹿はかん高い声を上げて倒れた。
「不思議ですね。磐余彦さまと一緒に狩りをすると必ず獲物が取れます」
興奮覚めやらぬ顔で日臣が言った。
それはあながち嘘ではない。
磐余彦と日臣は幼い頃から子犬がじゃれ合うように共に遊び、狩りの腕を磨いてきた仲だ。息がぴったり合っている。
「いや、そなたの囮がうまいのだ」
磐余彦が日臣を誉めた。
囮の役目は鹿に自分の存在を知らせて気を惹くことだ。しかし、危険を察知されて弓を射る前に逃げられてしまっては元も子もない。
むろん、日臣が本気になれば完全に気を消すこともできた。
剣の達人である日臣にして初めて可能な境地だが、集団での狩りの場合は、むしろわざと微小な気配を漂わせて注意を惹き付ける技が求められる。
獲物がその「何か」に気を取られているうちに、射程距離に入った射手がただの一射で仕留めるのである。
磐余彦と日臣、ふたりの連携の巧みさは、日向では並ぶ者なしと賞されたほどである。
大きく切り分けられた鹿の赤い肉が火に掛けられ、目の前で炙られている。溶けた脂がじゅうと垂れて焚火に落ち、そのたびに煙が立ち昇る。
味付けは山椒の実と塩だけだが、口の中に肉汁が広がってすこぶる旨い。
みな夢中でほおばった。
ぶつ切りにした魚と貝、海藻を入れた汁から磯の香りが漂った。
魚は隼手が釣り、貝は稲飯命が両手にいっぱい採ってきたものである。
「記紀」神話の海幸彦を祖とする隼人の男らしく、隼手は釣りや素潜りが得意だ。
「この国は実に豊かです。森に行けば獣が獲れ、海に行けば魚や貝が取れるのですから」
食事のあと、椎根津彦がしみじみと言った。
「私の国では生まれた時からずっと戦いが続き、村人の多くが飢えて死にました。食べるものがなく、ネズミですらご馳走でした」
劉備玄徳や諸葛孔明、関羽、張飛、曹操など英雄たちが活躍した三国志の時代は、庶民にとっては地獄だった。
一説にはこの時代の大陸の人口は五千万人から五百万人に激減したという。実に十人のうち九人までが命を落としたのである。
そうした悲惨な経験をしているからか、椎根津彦の平和な国づくりに賭ける思いは人一倍強かった。
「そういえば塩土老翁も言っていたな。倭国は四方を海に守られた平和な国だと」
磐余彦がうなずく。
塩土老翁の故国、蜀は唐土の内陸国である。しかし良質の岩塩が採れることで知られ、中国四川省の山菱岩塩は今なお名高い。
「でもよ、岩の塩なんて不味そうだな」五瀬命が顔をしかめる。
「いえ、吾は塩土翁から岩塩を舐めさせてもらいましたが、旨みの深いものでしたよ」
磐余彦の次兄、稲飯命が諭すように言った。稲飯命は塩土老翁から米作りや塩作りの技術を学び、心から崇敬している。
「それにしても瀬戸内の海は干満の差が激しいから、塩作りにはもってこいだな」
稲飯命は塩作りがしたくてうずうずしているようだ。
日本人は太古の昔から海水から塩を採ってきた。
縄文時代には、塩の付いた海藻を燃やして灰(灰塩)を採っていた。やがてその灰に海水を混ぜて塩分濃度の濃い塩水を作り、さらに煮詰めて塩を作ったと考えられている。
磐余彦の時代になると、塩分の濃い水を土器で煮詰めて作る「藻塩焼き」と呼ばれる方法が発達した。
とくに瀬戸内海沿岸では弥生・古墳時代の製塩土器が数多く出土しており、製塩が盛んだったことがうかがえる。
「今日もいい桑の葉があったから、カイコも死なせずに済んだよ。良かった」
ほっと胸をなで下したのは三兄の三毛入野命である。
三毛入野命はこの旅に数十匹のカイコと一匹の猫を連れて来ている。
三毛入野命はさまざまな薬草を作って病人に与える薬剤師であり、医者の役割も果たしている。
さらに養蚕も担当しているが、カイコを育てるためにはその餌となる桑の葉の採取が欠かせない。
中国の史書『魏志倭人伝』にも、邪馬台国では「養蚕を行い絹を紡ぐ」とあり、女王卑弥呼が魏の皇帝に「倭錦」(絹)を献上したと記されている。三世紀の倭国では養蚕と絹織物がすでに行われていたのである。
そして猫は、カイコを食い荒らすネズミを捕るために大切にされている。
猫の名は「ミケ」。オスである。三毛猫のオスはごく稀にしか生まれないため、神猫として珍重されている。
「ミケも長旅で疲れていないといいんですが」
磐余彦が労わるように言って、丸くなって寝ているミケの頭を優しくなでた。
「大丈夫だ。こいつも毎日新鮮な魚が食えて嬉しいだろう」
近くにはミケが食べ終えた小魚の骨が散らかっていた。猫を飼い養うことも、三毛入野命の大事な役目なのである。
太古の昔から、猫は収穫した穀物や野菜をネズミの害から守ってきたことが知られている。
そして実は養蚕においても猫が重要な役割を果たしてきた。ネズミはカイコの大敵で、貴重なカイコをネズミの食害から守るためにも猫が不可欠だったのである。
ただし猫は日本列島には元々おらず、米作りが本格的に始まった弥生時代に大陸から連れて来られたと考えられている。
二〇一四年、長崎県壱岐市のカラカミ遺跡(弥生後期)で日本最古のイエネコの骨が発掘され、大きな話題となった。
「今は苦労を掛けますが、吾はヤマトで必ず良い国をつくります。それまでの辛抱です」
三人の兄、五瀬命も稲飯命も三毛入野命も、そして仲間たちも一斉にうなずいた。
磐余彦とは、不思議な魅力の男である。
磐余彦が言うと、根拠はないのに何故か皆がその気になる。
これまで厳しい旅を続けながら、一人も脱落せずに付いて来た理由がそこにあった。
(つづく)
春の瀬戸内海は凪いでいる。
一行は向島を早朝に出発し、夕方になって吉備の小さな浜に上陸した。
近くに人が住んでいる気配はなく、来目が中心になって簡素な小屋を建て、火を熾した。
磐余彦と日臣の二人は森の奥に分け入り、若い鹿を仕留めた。
まず日臣が風上から鹿に近づき、注意を引き付ける。そして気配を消した磐余彦が風下から矢の届く距離まで近づき、射るのである。
矢はみごとに命中し、鹿はかん高い声を上げて倒れた。
「不思議ですね。磐余彦さまと一緒に狩りをすると必ず獲物が取れます」
興奮覚めやらぬ顔で日臣が言った。
それはあながち嘘ではない。
磐余彦と日臣は幼い頃から子犬がじゃれ合うように共に遊び、狩りの腕を磨いてきた仲だ。息がぴったり合っている。
「いや、そなたの囮がうまいのだ」
磐余彦が日臣を誉めた。
囮の役目は鹿に自分の存在を知らせて気を惹くことだ。しかし、危険を察知されて弓を射る前に逃げられてしまっては元も子もない。
むろん、日臣が本気になれば完全に気を消すこともできた。
剣の達人である日臣にして初めて可能な境地だが、集団での狩りの場合は、むしろわざと微小な気配を漂わせて注意を惹き付ける技が求められる。
獲物がその「何か」に気を取られているうちに、射程距離に入った射手がただの一射で仕留めるのである。
磐余彦と日臣、ふたりの連携の巧みさは、日向では並ぶ者なしと賞されたほどである。
大きく切り分けられた鹿の赤い肉が火に掛けられ、目の前で炙られている。溶けた脂がじゅうと垂れて焚火に落ち、そのたびに煙が立ち昇る。
味付けは山椒の実と塩だけだが、口の中に肉汁が広がってすこぶる旨い。
みな夢中でほおばった。
ぶつ切りにした魚と貝、海藻を入れた汁から磯の香りが漂った。
魚は隼手が釣り、貝は稲飯命が両手にいっぱい採ってきたものである。
「記紀」神話の海幸彦を祖とする隼人の男らしく、隼手は釣りや素潜りが得意だ。
「この国は実に豊かです。森に行けば獣が獲れ、海に行けば魚や貝が取れるのですから」
食事のあと、椎根津彦がしみじみと言った。
「私の国では生まれた時からずっと戦いが続き、村人の多くが飢えて死にました。食べるものがなく、ネズミですらご馳走でした」
劉備玄徳や諸葛孔明、関羽、張飛、曹操など英雄たちが活躍した三国志の時代は、庶民にとっては地獄だった。
一説にはこの時代の大陸の人口は五千万人から五百万人に激減したという。実に十人のうち九人までが命を落としたのである。
そうした悲惨な経験をしているからか、椎根津彦の平和な国づくりに賭ける思いは人一倍強かった。
「そういえば塩土老翁も言っていたな。倭国は四方を海に守られた平和な国だと」
磐余彦がうなずく。
塩土老翁の故国、蜀は唐土の内陸国である。しかし良質の岩塩が採れることで知られ、中国四川省の山菱岩塩は今なお名高い。
「でもよ、岩の塩なんて不味そうだな」五瀬命が顔をしかめる。
「いえ、吾は塩土翁から岩塩を舐めさせてもらいましたが、旨みの深いものでしたよ」
磐余彦の次兄、稲飯命が諭すように言った。稲飯命は塩土老翁から米作りや塩作りの技術を学び、心から崇敬している。
「それにしても瀬戸内の海は干満の差が激しいから、塩作りにはもってこいだな」
稲飯命は塩作りがしたくてうずうずしているようだ。
日本人は太古の昔から海水から塩を採ってきた。
縄文時代には、塩の付いた海藻を燃やして灰(灰塩)を採っていた。やがてその灰に海水を混ぜて塩分濃度の濃い塩水を作り、さらに煮詰めて塩を作ったと考えられている。
磐余彦の時代になると、塩分の濃い水を土器で煮詰めて作る「藻塩焼き」と呼ばれる方法が発達した。
とくに瀬戸内海沿岸では弥生・古墳時代の製塩土器が数多く出土しており、製塩が盛んだったことがうかがえる。
「今日もいい桑の葉があったから、カイコも死なせずに済んだよ。良かった」
ほっと胸をなで下したのは三兄の三毛入野命である。
三毛入野命はこの旅に数十匹のカイコと一匹の猫を連れて来ている。
三毛入野命はさまざまな薬草を作って病人に与える薬剤師であり、医者の役割も果たしている。
さらに養蚕も担当しているが、カイコを育てるためにはその餌となる桑の葉の採取が欠かせない。
中国の史書『魏志倭人伝』にも、邪馬台国では「養蚕を行い絹を紡ぐ」とあり、女王卑弥呼が魏の皇帝に「倭錦」(絹)を献上したと記されている。三世紀の倭国では養蚕と絹織物がすでに行われていたのである。
そして猫は、カイコを食い荒らすネズミを捕るために大切にされている。
猫の名は「ミケ」。オスである。三毛猫のオスはごく稀にしか生まれないため、神猫として珍重されている。
「ミケも長旅で疲れていないといいんですが」
磐余彦が労わるように言って、丸くなって寝ているミケの頭を優しくなでた。
「大丈夫だ。こいつも毎日新鮮な魚が食えて嬉しいだろう」
近くにはミケが食べ終えた小魚の骨が散らかっていた。猫を飼い養うことも、三毛入野命の大事な役目なのである。
太古の昔から、猫は収穫した穀物や野菜をネズミの害から守ってきたことが知られている。
そして実は養蚕においても猫が重要な役割を果たしてきた。ネズミはカイコの大敵で、貴重なカイコをネズミの食害から守るためにも猫が不可欠だったのである。
ただし猫は日本列島には元々おらず、米作りが本格的に始まった弥生時代に大陸から連れて来られたと考えられている。
二〇一四年、長崎県壱岐市のカラカミ遺跡(弥生後期)で日本最古のイエネコの骨が発掘され、大きな話題となった。
「今は苦労を掛けますが、吾はヤマトで必ず良い国をつくります。それまでの辛抱です」
三人の兄、五瀬命も稲飯命も三毛入野命も、そして仲間たちも一斉にうなずいた。
磐余彦とは、不思議な魅力の男である。
磐余彦が言うと、根拠はないのに何故か皆がその気になる。
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