86 / 164
第三十三話③『家庭』
しおりを挟む瞬間嶺歌は目の前が真っ白になった。しかし子春はそんな嶺歌に気づく事なく言葉を並べ立てていく。
「実の父親は蒸発……母親はキャバクラで出会ったご客人と二年前に再婚」
「そんな不幸な家庭の元で育った者が、高円寺院家の方々と親密になれるとお思いで? 本当に身の程知らずですよ」
子春は悪びれた様子もなく淡々と言葉にしていく。彼女は、汚いものを見るかのような目つきで嶺歌を上から見下ろすと、とても丁寧な人物が放つ言葉とは思えない発言を尚も続けてきた。
「今すぐ出て行ってください。その品格も何もかもが劣っているみすぼらしい貴女が、高円寺院家に入られている事自体が不愉快でなりません。恥ずかしい家庭で育った貴女なんてこの場に不相応なのですよ。形南お嬢様にも、宇島先輩にも失礼です。貴女はあの方々に相応しくない。本当、浅ましいですよ」
そう言ってバンッとテーブルを叩いた。威嚇とも取れるこの行為は、間違いなくこちらを敵視しているのだと彼女の言動全てで物語っている。
恐怖? そんなものは感じない。悲壮感? そのような感情になれる程、嶺歌の心は弱くはない。それならば罪悪感? あるわけがない。他でもない、形南と兜悟朗が嶺歌を認めてくれているのに、そんなもの、感じる訳がないだろう。
子春に言われるがままだった今の嶺歌の心は、ただただ彼女に対する怒りだけだった。
恐ろしさでも、悲しさでも、申し訳なさでもない。そのような言葉を簡単に口に出せてしまう非常識なこのメイドに――――紛れもない大きな憤りを感じていた。
「不幸だなんて思った事一度もないんですけど」
躊躇いなく嶺歌は声に出していた。口に出した嶺歌は驚いた表情でこちらを見返す子春に視線を向ける。
「勝手に人の人生を格付けしないでもらえますか?」
そう言葉にして鋭い視線でメイドを見据えた。
嶺歌の迷いのない目つきに子春は一瞬動揺の色を見せる。構わず言葉を続けた。
「出て行った父も置いて行かれた母も複雑な感情はあれど今は家族幸せに暮らしてます。それをあなたの少しの調べくらいで決め付けられても困るし、あたしは家庭環境がどうのって言う人が一番嫌いです」
そこまで口に出すと嶺歌は席を立つ。
嶺歌のその行動に驚いたのか子春は身体を一歩、後退させた。
「あれなに釣り合わないって思うのはそりゃあありますよ。あたしだって何度も思いました。でもあれながそれを望んであたしを友達だと思ってくれていて、兜悟朗さんもあたしを邪魔者扱いしません。二人は一度もあたしを遠ざけた事がなかったんですよ」
「あれなと兜悟朗さんが出て行けと言うなら出ていきますが、あなたに言われて出て行く気はないです。二人が戻るまで待ちますから。話はそれからです」
嶺歌は淡々と言葉に出し、子春をもう一度見据える。瞬きもせず彼女を見る嶺歌の視線は、子春の心に耐えきれないのか否か、直ぐに逸らされてしまった。
しかし子春は目を逸らしながら、尚もこちらに言葉を浴びせてきた。
「宇島先輩も形南お嬢様も貴女に騙されているだけです。二言はありません。出て行って下さい」
「何て失礼な」
すると途端に聞き慣れたある執事の声がシンと静まった広い空間に響き渡る。
いつの間にか閉ざされていた出入り口の扉は開かれており、扉からは兜悟朗の姿が現れていた。
嶺歌は驚き、しかしそれは子春も同じようでそれぞれ目を見開きながら兜悟朗に視線を奪われていた。
兜悟朗はいつもの穏やかな雰囲気とは打って変わり表情は険しく、怒りを静かに露わにした様子で子春の方まで足を動かす。
そうして彼女の近くまで足を運ぶとそのまま子春を見下ろしながら言葉を放ち始めた。
「今直ぐ嶺歌さんに謝りなさい」
兜悟朗がこのような命令口調を誰かに向けている瞬間を嶺歌は初めて目にしていた。
彼の表情は勿論の事目すらも全く笑ってはおらず、憤りを感じている様子が見ただけで理解できる。それほどに今の兜悟朗は怒っている様子だった。
「大切なお客様に、他でもない嶺歌さんにそのような失礼な態度は私が許しません。他所様の家庭内事情を言及するなど言語道断。無作法にも程がありますよ。メイドともあろう者が……六つも離れた年下のお方に大人気ない。そのようなメイドは高円寺院家の従者として相応しくありません」
兜悟朗ははっきりとそう口にする。嶺歌は兜悟朗の予想外の出現に驚きを未だ隠せず、ただただ彼の姿を注視していた。
兜悟朗に言葉を向けられている子春も言葉を返せないのか、顔を青ざめさせ言葉を失っている様子で彼を見返している。すると兜悟朗は再び口を開いた。
「嶺歌さんは私にとって大切な御客人です。形南お嬢様にとってもそれは同じ。そのようなお方に君は無礼を働いたのです」
「出て行きなさい」
「二度と高円寺院家の敷居を跨ぐ事は許しません」
「君のようなメイドは必要ありません」
兜悟朗のいつもとは異なるえも言えぬその強いオーラは、嶺歌を堅守してくれているものなのだと感じ取れていた。
嶺歌は兜悟朗の言葉に胸が熱くなり、言葉にし難い感情が自身の心中を駆け巡ってくる。
このような形で、誰かに護られるとは思ってもいなかった。
感じた事のない不思議な思いが、身体全体に流れる熱と共に嶺歌の心を満たしてくる。そうしてそこで嶺歌は思い出していた。
next→第三十三話④(8月4日更新予定です)
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
私の日常
アルパカ
青春
私、玉置 優奈って言う名前です!
大阪の近くの県に住んでるから、時々方言交じるけど、そこは許してな!
さて、このお話は、私、優奈の日常生活のおはなしですっ!
ぜったい読んでな!
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる