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第十二話②『過去の存在』
しおりを挟む「あれな、大丈夫?」
「ええ、問題ありませんの」
すると予想外に形南はすぐに返事を返してきた。言葉を失ってしまったのかと思っていた嶺歌は意表をつかれたものの、彼女の言葉に安堵する。
形南は兜悟朗にも大丈夫だと手で制し、安心した様子の彼も丁寧な一礼を返していた。
「それよりも嶺歌、有り難うですの。貴女、とっても逞しかったわ」
途端に形南はパアッと柔らかな顔を見せると嶺歌に向き合い、両手でこちらの手を握りしめてくる。嶺歌は驚きながら苦笑いをこぼした。
「嶺歌さん、お嬢様をお守り下さった事深く感謝申し上げます」
そして横からも兜悟朗が深々と頭を下げ、そんな言葉を繰り出してくる。
嶺歌はこそばゆい思いを抱きながらも「友達だし大した事はしてないです」と二人に向けて声を返した。
形南があのまま酷い言葉で罵倒され続けるのは嫌だったのだ。当然の事をしたまでである。
そう思っていると形南は満面の笑みをこちらに向けながらこんな言葉を口にした。
「本当に貴女様は、私のかけがえのないお友達ですわ」
真っ直ぐな彼女の一言に嶺歌は気恥ずかしさを覚えながらも、その言葉を有り難く受け取りたいと思った。自分だけではなく、形南もそう思ってくれている事が嬉しかったのだ。
嶺歌はありがとうと声を返し、気になっていた事を尋ねてみる。
「さっきの人たち、どういう関係なの? 親しくはないよね」
嶺歌は形南の事を少しずつ知る事ができてはいるものの、彼女の交友関係については一切知らない。他の友人の話を聞いた事は今までなかったからだ。
先程の形南の様子や三人のやり取りを見るに、仲違いした友人なのだろうか。そう考えていると形南は予想もしない言葉を口にした。
「ええ全くですの。アレは元婚約者……随分前に婚約は破棄しましたけれど」
「えっ……!!?」
(婚約者……!!?)
思わず声が出た。嶺歌が形南の顔に目を向けると彼女は落ち着いた様子で目を伏せながら言葉を続ける。
「アレとはもう一切の関係もありませんのに、お宅が近辺にあるからとよくあのように通りがかりますの。とても迷惑なお話ですわ」
「お嬢様、やはり今一度お考え直しいただけませんか」
すると兜悟朗が眉根を下げて心配そうに形南を見つめながらそんな言葉を口にしてきた。しかし形南は彼の表情とは反対に気に留めない様子でこんな言葉を返す。
「兜悟朗。以前にも申しましたでしょう? そのような羞恥、認める訳にはいきませんの。我慢なさいな」
嶺歌は執事に対しいつにも増して強い言葉を向ける形南に気を取られていると、兜悟朗はすぐに腰を曲げ、彼女に謝罪した。
「出過ぎた真似を、大変申し訳御座いません。この兜悟朗、形南お嬢様のご意志に従います」
「宜しくてよ」
(???)
二人の会話の意味に理解が追いつかない嶺歌は頭に疑問符を浮かべながら二人を交互に見ていた。一体二人は何を話していたのだろう。
間違いなく先程の非常識な二人に関する事柄である事だけは分かるのだが、それ以外に関してはさっぱりであった。
それに形南に破談した元婚約者が存在していた事にも驚きを隠せない。だがこれ以上デリケートな問題に踏み込んでいいものだろうか。
友達とはいえ安易に質問を重ねるのはあまりにも図々しいだろう。親しき仲にも礼儀ありである。
嶺歌は気になったものの、これ以上この件に関しての質問を彼女に向ける事は控えた。形南の方から話してくれるまでは、自分が知る権利はないと自重する事を選んだ。
「嶺歌、先程は巻き込んでしまってごめんなさいね。一年も前の事ですの。だから気に病まないで欲しいのだけれどアレは私との婚約中に、先程の女性と肉体関係をお持ちになられたのですの」
「ええ……」
時間も時間であった事から嶺歌は形南と兜悟朗にリムジンに乗せられ、自宅まで送迎されている時の事だった。
何の突拍子もなく、何も聞いていないのに唐突に横に座る形南が理由を話してくれた事にまず驚く。
そしてあまりの内容のエグさに嶺歌は顔を顰めた。一体何が間違えばそのような状況が起こってしまうのだろうか。
今の時代は婚約中に他の相手と関係を持つ事を容認されるような世の中ではない。
嶺歌はあまりにも残酷な内容に絶句していると、形南は特に表情を変えずに話を続ける。
形南が先程の男と婚約していたのは形南が中等部に入った日――五年前の事だそうだ。
男の名は竜脳寺外理。高円寺院家ほど名の知れた財閥ではないが、財閥界の間では有名な家系であるようだ。
両家の両親が共に好印象を持っていた事から二人の婚約が決められたらしい。
形南と竜脳寺の仲は良くも悪くもなかったが、しかし特に大きな問題もなく婚約関係は順調に進んでいた。二人が大学を卒業した際に結婚させる予定であったようだ。
形南は婚約自体に抵抗はなかったようで彼と過ごす日々も悪くはなかったのだという。
「決して仲が悪かったわけではありませんの。胸を躍らせる瞬間もありましたわ」
竜脳寺に対しての恋愛感情があった事はないと言うが、それでも形南は未来の伴侶として彼との結婚を常に意識していた。
婚約者の存在を意識していた事から婚約破棄をする瞬間まで誰かに目移りする事も一度もなかったという。
「アレを一生殿方として好きになる事はないと分かっていましたの。けれどアレへの不満もあの時までありませんでした。初恋は私には無縁なのだと覚悟もしていましたわ」
竜脳寺に対する愛情はなかったものの、婚約者として敬意は持っていたようだ。彼は学園での成績も常に優秀でどの分野でも常にトップに君臨していたからだ。
彼のそんな姿勢を形南は心から尊敬し、努力を惜しまない彼であれば未来の伴侶としても安心であるとそう信じて疑わなかったらしい。
性格もあのような刺々しい態度ではなかったと言う。だが、そんな彼への絶大な信頼は、ある日の出来事で一瞬にして覆る。
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