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第九話②『お世辞だとしても』
しおりを挟むしばらくして自身に落ち着きを取り戻すと俯いていたままの顔をようやく上げ「もう大丈夫です」と声を返す。
すると静かに見守ってくれていた内の一人である形南が両手を合わせて「ねえ嶺歌」と声を発し、彼女は先程のような温度感を保ちながら喜ばしそうにこんな言葉を告げてきた。
「宜しければ貴女とのツーショットを絵に残したいの。どうかしら?」
「絵に?」
「そうですの! お写真も良いですけれど、絵画の方が私は好きですの」
形南は満面の笑みを一切崩す事なくそのような言葉を口にする。照れ臭いのは否定できないが、絵画に残す事自体は構わない。
しかし嶺歌はそこである問題点に思考が働いた。
(あれなと執事さん以外にこの姿を見られるのは……)
重大な問題である。この二人以外に魔法少女の存在を知られる訳にはいかないからだ。記憶が自動的に削除されるにしても、リスクが大きすぎるだろう。しかしそれは彼女たちも理解している筈だ。
嶺歌はすぐにその事を指摘すると形南はそれでも表情を崩す事はなく、こちらの意見に予想外な回答を返してきた。
「その点は全く問題ありませんの。ねえ兜悟朗?」
形南はそう言っていつものように自身の執事の名を呼ぶと彼はすぐに「はいお嬢様。準備は出来ております」と返事をする。そうしていつの間にか、彼が絵筆を持っている事に気が付いた。
嶺歌は頭が回らずどういうことかと眉根を寄せると形南はすぐに補足の言葉を口にした。
「絵を描くのは兜悟朗ですの。何も心配は要らないのですのよ」
「うそ……」
兜悟朗が万能な執事である事はこの短い間で十分に分かっていた。だがまさか絵画の嗜みまであるとは思いもよるまい。この執事は一体何者なのだろう。
そんな疑問を抱きながらも形南に促され、しばらく彼の絵画のモデルとして形南と共にソファに腰掛け、初の絵画のモデルを体験するのであった。
「今日はとっても楽しかったですの。嶺歌、また遊びにいらしてね」
夕方になり、この後稽古があるという形南は嶺歌をリムジンに乗せて嶺歌の住むマンションまで見送りに来てくれていた。こちらを降ろした後にそのまま稽古に出向くようだった。
嶺歌は自分の隣に腰掛け満足げに話しかけてくる形南に笑みを返しながら「こちらこそありがと」と返事をする。
色々と濃い一日であったが、どれも充実としていてとても楽しい一日だった。それだけは悩む事なく断言する事が出来る。
「兜悟朗が描画した絵画には満足していただけたかしら」
途中、形南が嬉しそうにそう尋ねてきた。その言葉で嶺歌は先ほど目にした彼の絵画を思い浮かべる。率直に言って、彼の腕はプロそのものであった。凄いという言葉以外に感想が思いつかない。
いや、それだけでは表現しきれない程の繊細なタッチだった。芸術には詳しくない嶺歌だが、あの絵がどれ程の価値のものであるのかは理解できる。嶺歌は今回の件で改めて兜悟朗のスペックの高さを再認識していた。
「うん、感動したよ。執事さんの絵の腕前はレベルが高すぎだよ」
そう言って形南に笑みを向けると形南は「まあ」と声を出し、嬉しそうに口を緩めて小さく笑う。そしてすぐに彼女は別の言葉を続けて口にした。
「ねえ嶺歌、兜悟朗の事をそのように堅苦しく呼ぶ必要はありませんの」
「左様でございます。私の事はどうか、呼び捨てで」
「え!? いやでも……」
突然の話題に嶺歌は言葉を詰まらせる。それは流石にどうなのだろうか。そう思い悩んでいるとドンッと何かが当たる音が後ろの方から聞こえてきた。
「何事ですの?」
「自転車のようで御座います。お嬢様と和泉様はこちらでお待ち下さい」
そう言うと兜悟朗は素早く運転席を後にし車から降りていった。どうやら赤信号で一時停車していたリムジンに向かって自転車が突進してきたようだ。
窓から顔を覗き込み、党悟朗と話している人物を見ると顔色の悪い男性が何度も頭を下げ彼に謝罪をしている。この様子だと、不注意でリムジンにぶつかってしまったという所だろう。
嶺歌は小さく安堵の息を漏らすと形南が「良かったですわ」と息を吐いている事に気がつく。怪我人はいないこの状況に彼女も嶺歌と同じく安心した様子だった。
それから数分が経ち、兜悟朗が戻ってくる。男性とは和解したようでそのまま事なきを得たようだ。
嶺歌の予想であれば財閥の車に傷を付けたのだから、何かしらのお咎めをするのではないかと内心考えていた。
だが、兜悟朗からはそのような話が出ることもなく、主導権を握る形南も「よくやったわ兜悟朗」と口にするだけで、自転車で衝突してきた中年男性のお咎めに関しては一切触れることがなかった。
そんな状況を第三者である嶺歌はこの目で見て確かに感じ取っていた。
(優しいんだな……)
ただ純粋に、そう思ったのだ。
それから数十分が経ち、嶺歌の暮らすマンションへと到着する。
嶺歌はいつものように降車の際にエスコートしてくれる兜悟朗に対して「ありがとうございます」と言葉を告げると一拍置いてから「兜悟朗さん」と付け加えた。先程の話を覚えていたからだ。
躊躇いはあったものの、本人にそう言われたからにはこう呼ぶのが最善だろう。そう思ったのだ。
嶺歌のその言葉に彼は微笑ましそうに表情を和らげるとそのまま「とんでも御座いません和泉様」と声を返してくる。
彼の反応を目にして、嶺歌は己も感じたことを彼に告げてみる事にした。
「あのー、あたしも出来れば堅苦しい敬称はなしで大丈夫です。普通に嶺歌と呼んで下さい」
「あら! 兜悟朗、否定は許しませんのよ」
嶺歌の発言にいの一番に反応した形南はすかさず兜悟朗を制する。彼女らしいと思いつつも彼の反応が気になる嶺歌はそのまま返事を待った。
すると兜悟朗は和やかな笑みを維持したまま「はいお嬢様。それでは嶺歌さんと」と言葉を発した。
彼の性格上、流石に呼び捨てで呼称されるとは思っていなかったものの改めてさん付けで呼ばれるこの状況に嶺歌は不思議な思いを抱く。
そしてそう呼ばれる事がまた不思議と嬉しかった。理由は定かではないが、自然と温かな気持ちになってくるのを実感する。
「分かりました。えっとあれな、今日もありがとうね! じゃあまた」
そう言い逃げをするように早口に言葉を並べたて、嶺歌は形南に向かって手を振った。
形南も嬉しそうに手を振るとそのままリムジンは発車し、あっという間に目の前から消えていく。何だか今日はいつも以上に濃厚な一日であった。
嶺歌はそう思いながらも楽しかった時間に気分を上げ、その高揚した熱は夜になるまで続いていた。
第九話『お世辞だとしても』終
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