37 / 90
第十八話『望み』
しおりを挟む紅茶巡りが終わってから初めて迎える月曜日、特に大きな変化はなかった。
告白をされたものの率直にお断りした久々原からは特に嫌な目線を向けられることも気まずそうに避けられることもなく、ただ目が合うと挨拶だけしてくれるそんな関係で収まっていた。
みる香は潔く諦めてくれた様子の久々原に多少の罪悪感はまだあれど、それ以上深く思い詰めることは無くなっていた。これはきっと桃田とバッド君のおかげだろう。
「テスト最終日はアイスでも食べに行こうよ~」
休み時間になると檸檬は楽しそうな顔でみる香に誘いの言葉をかける。
みる香はそんな檸檬からの誘いに嬉しさを感じながら二つ返事で頷いてみせた。
テスト明けの楽しみが増え、テストのやる気も上がるものである。
どこのお店で食べようか檸檬と会話をしていると「みる香ちゃん」と呼ぶ声が少し遠くの方から聞こえてきた。声の主は桃田である。
「桃ちゃん!」
檸檬に元気よく送り出され、みる香は桃田の元へ駆け寄った。桃田はおはようといつものように凛々しくも優しい笑みを向けてくると早速みる香へ用件を伝えてきた。
「みる香ちゃん紅茶好きって聞いたからこれ、あげるわ」
そう言って差し出してきたのはみる香がいつも飲んでいる紅茶よりも少しお高めの紅茶だった。みる香は目を輝かせる。
「ええ!? いいの!? ありがとう~」
みる香は心の底から舞い上がる嬉しさを素直に桃田へ向けるとそのまま彼女から紅茶を受け取った。
「次移動教室だからもう行くわ。またね」
桃田はそれだけ言うとそのままC組の教室を後にする。
みる香はそんな桃田の背中に「ありがとね!」ともう一度声を掛けてから自席へと戻った。
席へ戻るとそこには何故かバッド君が檸檬と会話をしていた。
「あ、みる香ちゃんおかえり」
「森村ちゃん、それ何?」
なぜバッド君がここにいるのかを尋ねる前に檸檬に質問されたみる香は彼女に指摘された紅茶を目の前に差し出してから口を開く。
「桃ちゃんがくれたちょっと高い紅茶、これいつか飲んでみようって思ってまだ飲めてなかったものなんだ」
「へえ~! やったね森村ちゃん!」
檸檬はそう言ってみる香から紅茶を受け取りパッケージを確認すると「なんか見た目が本当に高そ~」と口に出し隣に立つバッド君にも見せ始めた。
バッド君は檸檬から紅茶を受け取りチラリと紅茶に目を落とすと、爽やかな顔で「みる香ちゃんてほんと紅茶が好きなんだねえ」と言いながら紅茶を返却してくる。
みる香は正面に立つバッド君からそれを受け取るとそりゃあそうだよと言葉を返した。
そしてそこでみる香は思い出す。紅茶巡りの際に、みんなへのお土産を買い忘れてしまっていたことを。
前回、檸檬やバッド君たちに紅茶のお土産を買ってこようと考えていたみる香だったが、紅茶巡りの時間があまりにも楽しすぎてお土産の存在をすっかり忘れていたのだ。
残念ではあるが、そこでみる香は良案を思いついていた。
(次は檸檬ちゃん達を誘って紅茶巡りしたいな……確かみんな紅茶が嫌いな子はいなかったはず)
頭の中で想像をしてみる。
檸檬や桃田、星蘭子や莉唯のみんなで紅茶巡りを楽しみ、和気藹々とランチタイムを過ごす。なんて青春的な情景なのだろうか。
そんな事を考えていると三時間目の授業の予鈴が鳴り始め、自席から離れていた生徒達はバタバタと忙しなく自身の座席へと戻っていく。
そんな中、みる香も椅子に腰掛けるとふとある事を思い出していた。
(そういえば私……)
そう、これまでみる香はバッド君を友達として認識していなかった。
だからこそ初めて会話をした時もコミュ障の弊害は起きなかった。しかし最近のバッド君とは、ただの契約関係に思えない自分がいるのは紛れもない事実だった。
深いことまでは自分のことながらも理解できていなかったが、彼とは友達に近しい関係になっている。
それはみる香は勿論、周りにいる檸檬や桃田が見てもそう思うはずだ。
それくらい最近の二人の距離感は友達と呼ぶに相応しい雰囲気だった。しかしみる香は一つ気にしていることがあった。
(バッド君に、友達だと思ってる事……まだ言ってないや)
そもそも友達という関係に正式な申し出など、必要はないだろう。気がつけば友達。これが多くの友好関係で起こる自然な流れである。
それは分かっているのだが、バッド君にはきちんと友達という認識をみる香本人から表明したいという気持ちが強かった。それが何故かは分からない。
だが、バッド君に少なからず絆のようなものを感じ始めているみる香は、彼をただの契約者だと思っているのだとは思われたくなかった。
バッド君がみる香をどう思っているかは正直気にしていない。バッド君の性格はこの数ヶ月で理解できているつもりだ。
昇格を第一とする彼が、みる香を契約者以上の関係として関わってくることは想像できなかった。だから良いのだ。
(二学期までには、友達だって伝えよう)
こんな考えは独りよがりでバッド君からしたらはた迷惑かもしれない。
それでも、みる香はバッド君を友達として認識したい。一方通行でも構わなかった。
テストまで残り一週間となると全ての生徒は部活動が一時休部となり、放課後は図書室や教室で勉強をする生徒が増えていた。みる香もその一人であった。
図書室で待ち合わせをしていた星蘭子と莉唯の元へ檸檬と二人で向かうと二人はみる香達の席を確保してくれていたようで、四人で一つのテーブルを囲うようにして勉強ができるようになっていた。
静まった図書室では大きな声で会話ができなかったが、小声でお礼を述べると二人は天真爛漫な笑みを向けて大きくブイサインを作って見せてくる。
息が入ったりなその二人に癒されながらもみる香と檸檬は席へと座り、勉強を始めた。
中間テストのような結果にはならないよう今回のテストはみる香も気合を入れている。
そして何より、夏休みに補習には出たくない。せっかくの友達ができた初めての夏休みなのだ。補習などで青春を謳歌できないのはごめんである。
小一時間ほど集中し、トイレ休憩に行こうと一人廊下へ出るとみる香はバッド君の姿を見つけた。
彼は勉強をしているわけではなく、ただ一人の女子生徒と楽しそうに談笑をしている。
(なんか、久しぶりに見たな)
ここ最近はバッド君の女の子との噂が新たに流れることはなく、こうして女子生徒と親密そうに会話をする姿も最近こそ本当に見かけることがなかったのだが、久しぶりのこのシュチュエーションにみる香は妙な懐かしさを覚える。
しかしみる香の理解できなかった近い距離感は今回の場面にはなかった。二人は一定の距離感を保ち、ただ友人同士が談笑しているだけのようにも見える。
みる香は小さく息をつくとそのまま目的のトイレへ向かうことにする。彼が他の誰かと話をしているのならみる香が首を挟むのは野暮だろう。
そのままトイレに歩いて行くとみる香は勉強の内容に頭を切り替えていった。
「お疲れ~! 明日も放課後図書室でね~!」
「まったね~!!」
ハイテンションな星蘭子と莉唯はそういって手を振ると反対方面の歩道へと足を向ける。
そのまま手を振り返し暗くなった道のりを檸檬と二人で歩いていると檸檬は疲れた~と言いながら大きく伸びをしていた。
「ねえ森村ちゃん、夏休み海行かない!?」
「うみっ!?!?」
「そうそう、水着も買いに行こうよ」
檸檬の突然の提案にみる香は驚く。友達と水着を買いにショッピングして、海にも遊びに行く。なんて最高の夏休みだろう。
みる香は「行こう! 補習ならないように復習しなきゃ!!」と言って更にやる気を向上させた。
檸檬はみる香の返答にやった! と笑いながら二人で帰り道を歩いていく。
みる香はもうすぐくる夏休みに思いを馳せながら、自宅に戻ってからも勉強を続けた。
第十八話『望み』終
next→第十九話
0
お気に入りに追加
3
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる