あなたが私を手に入れるまで

青猫

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第四章

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 マットの裁判が終わると、すぐにレオンの番となった。
 事件の事実確認などが丁寧に進み、すでに小一時間が経とうとしてる。そしていよいよ終盤になって、レオンは、もう何度も自分自身に問い続けた答えを絞りだそうとしていた。
「復讐? いいえ。俺がアイゼンシュタインを殺した理由が報復なら、妻の受けた苦しみを倍にしなければならない。剣を振り下ろした理由は、ただ単に……」
 軍の高官から視線が注がれる中で、レオンは臆することもなく兵士らしく直立不動で顔を上げ、淀みなく答弁をしていたが、そこで言葉が切れてしまった。
 目の前には、国防を担う中枢の人物たちが並んでいる。特に王都の一番隊、アーノルド・ベリオ・ヴェネット総隊長は、何も読み取れない冷徹な眼差しでレオンを射抜き、アイゼンシュタインの殺害動機は復讐だったのかと問いただした。
 レオンは全てに実直に答えようとするが、あの時の虚無のような感情を言い表せない。
「セリーナの悲しみ。そして愚かな自分の願いが叶ったつかの間の日々。その全ての元凶が息をして鼓動しているのが、耐えられなかった」
 普段は感情の波は見せないレオンだが、最後の言葉には憤りの余波で苦いものになった。しかし軍の上層部の面々はレオンのその様子にも眉ひとつ動かさず、審議を進めていく。
 軍検察は、レオンが適切な手順を踏まずにアイゼンシュタイン邸を襲撃した顛末を、念密に調べ上げていた。
 レオンがフランクの死に疑問を持ち、個人捜査していた事実は、マットや開拓団の証言で詳細が語られた。記録保管庫の男の調書も読み上げられ、彼がアイゼンシュタインの屋敷で拷問されているセリーナを目撃し、レオンがその情報を得て襲撃に至った経緯も、審議官に共有される。
「フランク・ブランソンが死亡した事件については再調査が進んでいる。アイゼンシュタインが首謀者としてほぼ確定しているが、彼の悪事に加担していた議員や役人にももちろん捜査が及ぶことになる。この地方都市の貴族議会はかなり腐敗が進んでいるようだ。王都中央議会としては、レオン・フェアクロフの裁きをあの地方自治に任せることはできないと判断し、ここ軍本部での軍事裁判となった。彼への処分は早急に決定すべきでしょう」
 締めくくりに、裁判をとり仕切る審議官の一人がそう言い添えた。
 全ての証言が出揃ったとして、木槌が振り下ろされ休廷となる。この後に高官たちの審議が再開され、レオンとマットへの処罰が検討されるのだろう。
 護衛官に誘導されて、レオンも別室へと移された。手錠はされていないが、一人取り残された途端にドアに錠が閉まる音が響いた。小さく簡素な個室の窓には鉄格子がはまり、簡素な腰掛けが壁際にあるだけだ。
 ドッと疲れが襲ってきて、レオンは軋む椅子に腰掛けて深くため息をついた。瞑目して、この先何が待ち構えているのかと考えを巡らせる。
 どんな事情があれ、軍の定める捜査手順などを破って私刑に及んだ罪には、罰が下されるだろう。今まで積み上げてきた階級は剥奪され、どこかの港や鉱山での苦役に送られる、といったところだろうか。
 レオンはガシガシと頭を掻いて、さらに思考を沈ませる。
 セリーナと、離縁するべきだろうか。そう自問した途端に、目の前が真っ暗になる。
 けれどレオンのこの想いとは反対に、彼女はきっと今頃この二度目の結婚自体を後悔しているだろう。殺害されたフランクのことを悼んで、せめて彼を亡くした時に修道女院に入っていれば、こんな陰謀には巻き込まれなかったのにと嘆いているかもしれない。
 レオンは必死に彼女を引き止める理由を考える。もちろん、これから罰が下される自分と一緒に暮らして欲しいなどとは願わない。けれどせめて、夫婦という形にだけでもしがみつきたかった。あの家にフェアクロフ夫人として留まってくれれば、苦役先からわずかでも給金を送金できるし、ギリアン伯父の援助も頼める。レオンが殉職すれば、残された妻として遺族年金も受けられる。
 ——ここまで来ても、なお欲深いものだ……。
 自分に呆れ、乾ききった自嘲で肩を震わせる。しかし一度手にしてしまったものを、そうあっさりと手放すこともできないのだ。彼女に恨まれても、夫婦である限りは彼女の居場所がわかるし保護下における。
 ——せめて、手紙を送るくらいは許されないだろうか。
 暗く濃い霧の先にある自分の未来に、なんとか妻の存在を織込めないかと、レオンは半ば妄想に近い思案を繰り返していた。
 しかしそれは突如断ち切られる。なんの前触れもなく個室のドアが開き、そこに今までレオンがずっと思いを巡らせていた人物が現れたのだ。
「セ、セリーナ?!」
 情けなくも声が裏返ってしまった。しかも無意識に椅子から立ち上がったのはいいものの思わず後ずさりしてしまったのは、つかつかと近寄ってくる妻の形相が今までになく怒りを滲ませていたからだった。
「この……バカ!」
 そのセリフとともに、頬に鋭い熱が走った。彼女に平手で打たれたのだと気がつくのに一拍遅れる。
「今までもうっすらそう思ってて、でも言葉にはしませんでした。けど、レオン、あなたは本当に大バカ者です! 病院で、あんな、愛してるなんて言葉、一体どういうつもりですか。しかも一方的に言うことだけ言った後に、今度はあんな手紙まで!」
 セリーナは怒りに任せるように捲し立てて、小さな拳でレオンの胸を何度も打ってくる。ちっとも痛くはないが、彼女の声に涙が混じっていて、レオンをさらに困惑させた。
「セリーナ、待ってください。あの、どうしてここに……」
「どうして? どうしてですって? そんなこともわからないの? 一体どこまでバカなの!」
 そう言ってさらに拳を振り上げた途端、セリーナは表情を歪めてわずかに身を折った。レオンは慌てて彼女の肩に手を置いて、そっと背中を確認する。もちろんマントで隠れて見えないが、彼女の背中の傷はまだ癒えていないはずだ。
「貴女が、なぜ王都に?」
 バカと罵られようが、その疑問を繰り返してしまう。戸惑うレオンの胸に、セリーナに対する初めての怒りが遅れて滲んできた。
「貴女はひどい怪我を負ったのに! 温かいベッドで休んでいるべき人が、どうして遠い王都なんかに来てるんです? 病院でも、手紙でも、貴女の回復を一番に願っていると言ったのに」
 しかしそこに、レオンの怒りなどとは比べものにならないセリーナの激昂が被せられた。
「本当にバカね! こんな事態の時に、私がのんびりベッドで寝てられるとでも? あんなトンチンカンな手紙一通を送りつけておいて! 馬車でここに向かっている間も安穏としていられなかったのに」
 そんな言葉を浴びせられながらも、レオンは素早く部屋の入り口を見遣って、そこにアーノルド・ベリオ・ヴェネット総隊長だけが立っているのを確認する。
 どうして妻が王都にいるのか。しかも軍事裁判での判決を言い渡される直前に、なぜ接見が許されているのか、まるでわからない。しかもこのやり取りを距離をとって見ている総隊長はなんだか苦笑してる。
 レオンはもう一度セリーナに向き直った。
「怪我が治りきってないのに、馬車に何時間も揺られて来るなんて。リサやジャンは? まさか、一人で来たなんて言わないでください」
「ええ、一人であなたを追いかけて来ましたとも! だってそうでもしなきゃ、私のバカで優しい兵隊さんはまた私の知らないところで……」
 ついにセリーナは声を詰まらせて、ボロボロと涙をこぼし始めた。今まで怒り一色だった彼女の急変にレオンはぎょっとするしかない。
「あなたは、恋をしているのは自分だけだと思ってるんだわ。私たちの結婚で、自分が全て背負い込めるなんて思い上がって。初めは戸惑いが大きかったけど、私だってあなたに恋をしてることを、知ろうともしないで」
「……セリーナ」
 妻の涙を見ていられなくて、レオンは彼女を引き寄せた。すると彼女からすっぽりと腕の中に入ってきて、顔をレオンの胸に押し付けてくる。
「あの手紙で、」
 セリーナは一度涙を飲むように言葉を切って、もう一度言い直した。
「あなたは私の心配をするだけじゃなくて、自分を責めてこの結婚を後悔しているようなことを書いていたわ。馬車に乗ってる間そのことで頭の中がいっぱいになってきて、だんだん苛々してきてつい……」
 セリーナは今さら羞恥に襲われたのか、狼狽えてレオンから身を離した。うつむいて、声を潜めて先を続ける。
「バカバカ言ってごめんなさい。こんな、取り乱すつもりじゃなかったの。ただ私、言いたくて……私もあなたを愛してるのよ。だからあなたの自己犠牲はもうまっぴら」
 彼女の言葉がレオンの心臓を直接握りしめる。頭で理解するより先に、目頭が熱くなった。
 レオンはまた妻を引き寄せ、彼女の肩口に頭を垂れた。きっと自分は今までになく情けない顔をしてる。見られたくなかった。
「……俺を、愛している? 貴女が?」
「そうよ」
 レオンはこみ上げる感情をなんとか抑え込んだ。いつの間にか、俯いたままのうなじにセリーナの手の温もりがある。それに甘えるように、レオンは彼女の首筋に唇を押し当てる。
 痛いほどの幸福感に胸を貫かれたその瞬間、レオンの心にある願いは一つだけだった。
「では、一つ、貴女に請うていいですか?」
 レオンの声は震えていた。セリーナが頷くのを待って、彼女の耳に囁く。
「どうか、俺を待っていてください。どんな罰が下されようと、最後には貴女のもとに帰りたいのです」
 セリーナはまた涙を溢れさせながら、何度も頷いた。それだけでレオンには十分だった。
 しばらく二人は無言で抱き合っていた。先の見えない大きな岐路に立ちながら、つかの間与えられた時間に、交わす言葉はこれ以上見つからない。ただお互いの息遣いと鼓動に耳をすます。
 そして、その時は終りを告げる。戸口に立って今まで背を向けていたヴェネット総隊長が、気遣いのような咳払いを一つしてレオンに小さく頷いた。
 二人は最後にキスを交わし、繋いでいた手を名残惜しく解く。セリーナは目を真っ赤にした顔で何度も振り返り、総隊長に促されて部屋を出て行った。
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