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第1章 オカルト生活は突然に

第11話 水は飲んでも溺れるな【後編】

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「まさか、あんたがやったのか?」

 オレは真偽を確かめようとして、脱衣所のドアに寄りかかった怨霊男の背中を凝視した。柳のように静かに佇むうしろ姿から感情は読み取れない。

 ふと怨霊男に湯船に沈められ、殺される自分の姿が目に浮かんだ。

 だらしなく伸びた四肢に、真っ白に血の気のひいた表情――。

 首筋を冷たい風が撫で付けるような寒気を感じ、肌があわ立ち、産毛うぶげも逆立った。

 すると怨霊男の肩が大きく震えた。

「冗談だよ。末代まで呪うって言ったって、私にも怨霊としてのプライドがあるからね」

 陽性の声に無邪気でからかうような色が溶けていた。「貴方の考えは何でもお見通しだよ」とでも言いたげに声が弾んでいる。

 オレは気付かれないようそっと安堵の息を吐いた。

「真の守護霊には何か事情があったんじゃないのかな。守護霊には破れない鉄の掟がある、と噂で聞いたことがあるしくらいだし。今、貴方は彼のお陰で生きている。それがすべてじゃないか」

「オレの守護霊が原因で怨霊になったくせに、かばうのかよ?」

「かばうだなんて人聞きが悪いなあ。そんなつもりは毛頭ないけどさ」

 怨霊男は大袈裟おおげさに肩をすくめる素振りを見せた。

「彼はおおらかで優しいし、よく気が回るし、女性や子供には親切だ。なんて言ったって、守護霊の仕事に誇りを持って勤めているし、勤務態度は文句の付けようがないと上司のお墨付きだってある。そんな真面目な人を悪く言うなんてばちが当たるよ」

「今度は誉め殺しかよ。やけに詳しいんだな」

「敵の情報は持っていた方が有利なんだよ。それに彼の悪口を言ってもいいのは私だけなんだ」

「何だよそれ」

 怨霊男の物言いには妙なことにオレの守護霊に対するある種の敬意のようなものが込められているようだった。

 自分を殺した男に怨霊となってまで抱き続けた憎しみが、長年愛用してきた毛布に対する愛着にも近い親しみへ変化したとでもいうのだろうか。

 許すことはできなくとも、ストーカーのように憑きまとい、巡る季節を共有するうちに好敵手ライバルのような存在になったのかもしれない。

 身内の不満を自分で口にするのはいいが、他人に言われると腹が立つ。そんな心境に似ているのではないだろうか。

 怨霊男とオレの守護霊。二人は非常に近い関係にありそうだった。

「あんた、オレの守護霊を封印したことを後悔しているんじゃないのか?」

「後悔なんてするわけないじゃないか。封印したお陰で、こうして真と親睦を深めることができるんだからね」

「言っておくけどな、水を使ってオレを呪い殺すことだけは絶対にやめろよ。そんなことをしたら、今度はオレがあんたをたたるからな」

 わざと悪態をつき、勇気の導火線に火を灯してから、ようやく壁に掛けてあるシャンプーハットを引ったくって、頭にかぶった。

 再び、シャワーヘッドから流れるお湯を前にして、悲鳴が漏れそうになり、ひくつく喉元を押さえた。這い上がる塊を飲み下す。灯したばかりの火がすでに鎮火しそうだ。

「真に祟られるのは怖くてかなわないから、ひとつだけヒントをあげるよ」

 シャワーの音が流れる中で怨霊男が言った。

「真の守護霊を解放する方法は、貴方の生きたいと願う強い思いが奇跡を起こすんだ」

「奇跡って、望み薄いじゃねえか」

 これはまたとてつもなく確率の低いワードが飛び出したもんだと、オレは呆れ果てて、閉口した。

 精神論で命が繋がれば、医者も神様も守護霊もいらない。ましてや、オレを殺そうとしているのは怨霊のお前ではないか。

 ひとつ揺るぎない確信が胸の中で根を張った。

 恐らく、この男はよくも悪くも純粋にオレをもてあそんで楽しんでいるだけなのだ。

 今すぐオレの命をどうこう・・・・するつもりはないようだから、その点に関してはひとまず安心してもよさそうだが、いつ気が変わるともしれないし、こうも弄ばれ続けてはこちらの身が持たない。一刻も早く守護霊の封印を解いて、怨霊男に消えてもらわなければ。「助けてやるからな、守護霊」と小さな決意をする。

「ねえ、もしかして私嫌われてるの?」

 オレの沈黙を受けて、男が再び肩を揺らした。

「当然だろう。それに、どうせ憑きまとわれるんなら、キレイなお姉さんの方が断然いいぜ」

「悪かったね、おじいさんで」

「おじいさん?」

「生まれが江戸時代だからね。真よりだいぶ年寄りなんだ」

「あんた、いちいち面倒くせえな」

「よく言われる」

「なんで嬉しそうなんだよ」

 オレの言葉にますます気をよくしたのか、浴室にまでアクのない笑い声が響いた。

 その声に後押しされるようにして、ついにシャワーに頭を突き出した。温かいお湯が髪を濡らしてゆく。シャンプーハットから滝のようにお湯が流れる。

「こんなこと私が伝えるべきではないのかもしれないけれど、貴方の守護霊はあのとき、助けるのが遅くなったことを反省していたよ」

 あのときは川で溺れたことを指すのだろう。怨霊男が改まった声で言った。

「べ、別に、オレは水が嫌いなだけで、全然、水なんか怖くねえし」

 強がりで返したが、半分は嘘ではなかった。怨霊男と言い合いをしているうちにいつの間にか水に対する恐怖心が薄れていたのだ。シャンプーハットから流れる、いつもは針の雨が降るように感じるシャワーの水圧が、地面を跳ね上げる程度の土砂降りに思えるくらい、心にくつろげる隙間が生まれていた。

「あんた、名前は?」

 オレが訊ねると、怨霊男は日本人とは到底かけ離れた名前を口にした。オウム返しに呟いてみて、すぐに思い当たった。夜を徹して今朝までプレイしていたゲームの主人公の名前だった。

「嘘をつけ。あんた、サムライのうえ純日本人だろうが」

 すると、すぐに別の金髪碧眼を匂わせる名前が怨霊男の口から飛び出した。

「それは半年前にプレイしていたゲームのラスボスの名前だよな。どうせ、ダサイ名前だから言えねえんじゃねえの?」

「ねえ、背中流してあげようか」

 怨霊男は質問に応えず、いたずらを思いついたような脳天気な声を上げた。

「必要ねえし。一昨日おととい来やがれっての」

 憎まれ口を叩きつつ、シャワーを止め、シャンプーを泡立てる。

「チェッ、つまんないの」

「サムライだったらな、古き良き時代を大切にしろよ。何なんだよ、そのヘラヘラした口調」

「『拙者』とか『ござる』を使えってこと? やだよ、古くさい。新しい文化を取り込んでいかないと時代遅れになっちゃうじゃないか」

「もうすでに時代遅れだって」

 流行を気にするサムライに苦笑した。

 奇しくも、老人と孫が日の当たる縁側でお茶を飲むような居心地のいい穏やかな空気に包まれる中、オレは奥歯を噛みしめて、再びシャワーを浴びた。

 シャンプーの泡が渦を巻きながら排水口に吸い込まれていく。

 こんな風にトラウマもたやすく流れていけばいいのに。

 冷たい水の底に沈んでいったあの日が、日向ひなたのにおいのする優しい記憶に変わりますようにと、まだかすかに震える足に力を込めて、封印されたままの守護霊に願った。



 十八歳の誕生日まであと六日――。
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