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第3章 守護霊界の掟
第2話 この世の仕組み
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【真視点】
昨夜、真之助の正体を見破ったあと、オレたちはすっかり人気が消えた夜の公園へと移動した。
住宅地の合間を縫って憩いの場として作られた駅前公園は、名前の通り、駅から一番近い場所に位置していることもあり、昼間は子供のはしゃぎ声や観光客の足休めといった具合に、それなりに活気に満ちている。
しかし、夜ともなると酔い醒ましのサラリーマンや生活利用者の近道として使われる程度で、だいぶもの寂しい雰囲気へと変わる。
「改めまして。私は真の守護霊、崎山真之助です」
オレがブランコに腰を下ろすと、真之助は懐からスマートフォンほどの大きさの木札を取り出して、賞状を手渡すように恭しく寄越してきた。
「守護霊之手形だって?」
オレは木札に書かれた文字を読み上げ、手を伸ばす。「わっ」と驚きの声を上げた。
「こんなの名刺の意味ねえじゃん!」
手形が、映写機が写す映像のように透過したため、触れなかったのだ。幽霊の持ち物も幽霊の体と同様に生きている人間の体をすり抜ける。そういう性質のようだ。
真之助は乾いた笑い声を上げたあと、手形を懐に戻した。
「手形は名刺のように交換するものじゃないんだよ。自分が守護霊だという証明書だから、さしずめ、免許証と同じで、試験にパスをして、※印綬を帯びた印なんだ。常に携帯義務もあるし、自己紹介をするときに相手に対して手形の提示が定められているんだよ」
※印綬を帯びる…一般的には官に就くことだが、この場合は守護霊の職に就くことをさす。
「定められている?」
「守護霊界の掟でね」
「守護霊界って?」
「守護霊の業界のことだよ。この世にテストやルールがあるように、守護霊界にも試験や決まりごとがあるんだ」
「死んでからもそんなものに縛られるって、どんだけだよ」
「どこの世界につきものさ」
大のテスト嫌いのオレには、死後も試験や決まりごとに縛られる守護霊界とやらに絶望こそすれ、興味は湧かなかったし、詳細を訊ねたところで、守護霊や死後の世界の仕組みを理解できるとも思わなかった。
むしろ、このまま聞き流す方が賢い選択だと判断して、喫緊の問題に向かい合う。
「で、さっきの話について詳しく聞きたいんだけど」
「さっきの話?」
「オレが『誕生日を迎えられないかもしれない』って話だよ。守護霊のあんたが怨霊と偽ってまで姿を現すくらいだから、何か深い事情があるのは察しているつもりだぜ。オレの命を狙っているのはあんたが生前、恨みを買った怨霊なんだろう?」
オレは取調室で刑事が容疑者を完落ちさせる意気込みで、秘密の暴露を待った。
核心をつかれたからだろうか、一瞬キョトンと目を真ん丸くした真之助だが、こぼれるような笑みを浮かべたあと、ゲームのリセットボタンを押したかのように全てを覆していった。
「ヤダなあ、誤解だよ。怨霊が真を狙っているわけないじゃん。アレは全部私の作り話だよ。怨霊は真の前に現れるためにでっち上げた言わば方便。真を狙っていたのは『元凶』の方なんだ」
「異議あり!」
今度は検察官に食ってかかる弁護士の第一声のように声高に申し立てる。
「元凶だと? ゲームじゃあるまいし、勝手に新たな敵を増やしてんじゃねえよ。だいたい、あんたはオレが上野に絡まれたときに『怨霊の気配がする』と、はっきりそう言ったんだからな。忘れたとは言わせねえぞ!」
すると、真之助はオレに非があると言わんばかりの迷惑そうな顔で耳を塞いだ。
「私は『イヤな気配がする』って言っただけで、そんなことは一言も言ってないじゃないか。真が勝手に勘違いしたんだ」
「勘違いしただと? この嘘つきサムライが」
「嘘じゃないったら、ホ・ウ・ベ・ン。もう、何ベンも言わせないでよ」
「つまらないダジャレを言ってないで謝れよ、これまでのこと全部!」
オレはブランコから立ち上がり、怒りにまかせて怒鳴りつけたが、真之助は怯むどころか一切悪びれることなく、軽い羽毛よりも軽そうな口をペラペラと動かし始めた。
「だいたい、真が私の正体に気付いてしまったのがいけないんじゃないか。あのね、真がぼんやり一日を過ごしているうちに、こっちは守護霊の職務をこなしているんだよ。二十四時間、三百六十五日、気を抜くことなど許されず、常に見えないボディーガードとしてね。しかし、生者はどうかな。私たちの存在を感知できない。つまり、存在しないと同じだから、感謝すらされない。ブラック企業と同じだよ。そんな気が滅入る毎日に潤いを与えるための『怨霊なりすまし大作戦』だったんだから、真には私を責める権利はこれっぽっちも無いんだ。むしろ、作戦を台無しにした真の方に問題があるんだよ」
「問題があるのはお前の性格だよな!」
「フフンフンフー♪」
最早、見事なまでに開き直り、下手くそな歌を口ずさみながら遊具を満喫する大人げない守護霊の姿には、感謝の気持ちどころか、苛立ちしか湧いてこない。
真之助の姿が周囲にも見えていたら、オレは確実に縁もゆかりもない他人のふりをするだろうし、DNAに含まれているであろう軽口ペラ男の遺伝子を呪いたくもなる。
「ねえ、いい加減もう怒るのは気がすんだ? そろそろ話の続きをしたいんだけれど」
「こっちはまだまだ怒りで満ちてるっつうの。誰かさんのお陰でな!」
「誰かさんって?」
こいつと真剣に取り合うだけ無駄だ。
そう悟ったオレは、この図太い神経を持った守護霊が、高校生のオレよりも精神的に未成熟で可哀想な大人なのだと自分自身に言い聞かせた。今後、何が起ころうとも、こいつにだけは感謝してなるものか。
「まずは『オツキビト』について話そうかな」
一方的に話を進める真之助に、オレは遠慮なく苛立ちを言葉の端々に散りばめた。
「何だよ、そのお憑き人ってのは?」
真之助はできの悪い生徒に呆れ果てる教師のように首を左右に振る。
「お憑き人じゃないよ、お付き人。私たち守護霊が守るべき対象者のことだよ」
「どっちも同じだろうが」
「似ても似つかないよ。守護霊は憑くんじゃない、生者に付くんだ。憑依とは訳が違う。だから、お付き人なの。私たち守護霊はお付き人が人生を生き抜くために傍で寄り添い、元凶から守っているんだよ」
「じゃあ、元凶ってのは何なんだよ?」
「元凶は生者が生み出す陰のエネルギー体さ」
そこで矛盾に気がついた。守護霊は元凶からお付き人を守っているのに、生者が元凶を生み出すとはどういうことなのか。
オレは大人の意見を全て否定しなければ気がすまない絶賛反抗期の中学生のように食ってかかった。
「どうせ、それもお前の嘘なんだろ? オレは生来、そんな正体不明のエネルギーなんて見たことも聞いたことも、生み出したこともないんだからな!」
しかし、真之助は相変わらず涼しい顔だ。
「元凶は私たちには見えるけれど、生者には見えないんだよ。私たち幽霊と同じく霊体だから、自由自在に姿を変えられるんだ、物体として存在しないからね」
「じゃあ、百歩譲って元凶が存在するとするぜ。上野のときは? 聖子先生のチョークが飛んできたことはどう説明するんだよ?」
「それは元凶が憑依する性質を持っているからだよ。チョークも野球ボールも街路樹も同じ。もちろん、憑依対象はモノだけじゃなく、生者も含まれている。上野君がそうだったようにね」
「まさか!」
そうは言いつつも、オレは押し黙るしかなかった。
聖子先生の細腕から放たれる弾丸チョークがいくら最強と言われていても、壁にめり込むはずがないし、野球ボールや街路樹はまるで意志を持っているかのようにオレを狙ってきた。まあ、上野は普段からイカれているから、区別がつけにくいが。
「例え話をしよう。AさんがBさんに意地悪をしたとする。するとAさん本人は気付かないけれど、心に小さな傷ができるんだ。その無自覚の傷口から生み出された陰のエネルギーは、別の誰かが作り出した陰のエネルギーと引き合い、結合し、増殖する。その増殖したものが『元凶』になるんだ。また逆もしかりで、Bさんの『Aさんに罰が当たればいい』、そんな無意識の願いからも元凶は生まれてしまうんだよ」
「悪いやつが元凶を生み出すのはまだわかるけど、被害者も生み出すってのは納得いかねえよ」
「これは善悪の問題じゃなく、この世の仕組みなんだよ」
「その仕組みが本当なら、あちこち元凶まみれになるだろ。神や仏じゃあるまいし、ネガティブな願いを抱かないやつがこの地球上に存在するとは思えないね」
「そ。だから、いつの時代も現世は元凶の住み処なんだよ。この世で元凶の影響を受けないものは何ひとつとして存在しない。いじめ、殺人、自殺、戦争といった不幸な出来事のすべてが心の弱さから生じているように、元凶は心の闇から生まれ、人間が生き続ける限り、無限ループで増殖を繰り返すんだ。しかも、真は誕生日までの七日間、元凶を引き寄せる『運命期』と呼ばれる時期にある」
「……お先真っ暗じゃねえか」
生者は日常生活を営んでいるだけで元凶を生み出してしまう。
その事実だけでも愕然とするところなのに、まるで、バッドエンドの映画みたいな笑えない話にオレは怯えていた。
恐怖の塊を唾と一緒に飲み込んだとき、真之助は天に届きそうな位置からサーカスの空中ブランコのようにブランコを飛び降りた。一度くるりと宙返りをして、いとも簡単に着地を決める。
「真が死なずにすむ方法がひとつだけある」
「何だよ?」
「生きる望みを捨てないこと。言っている意味、わかるよね」
怨霊と名乗っていたときの浴室での答えが返ってきた。
「さっき、約束したじゃないか。負けた人は何でも言うことを聞くって」
オレを試しているのか、心の隅々まで見透かすような真之助の瞳がオレを映し出したとき、
「お助けくださいませ!」
女性の悲鳴が横入りした。
「誰その女性?」
「え?」
呆然としたオレの指が指す方を辿った真之助が幽霊でも見たかのような驚きの表情に変わる。
見知らぬ女性がいつの間にか真之助に抱きついていたからだ。
「カノジョさん?」
「まさか!」
真之助の胸から顔を上げた女性は涙で頬を濡らしている。
「後生ですから、お助けくださいませ」
時代劇でよく見る女髷。日本人形のようなすっきりした顔立ち。釣り合いの取れないセーラー服。
「でも、顔見知り。彼女は成瀬美月さんの守護霊だよ」
その名前を聞いたとき、さっきまでオレを震えさせていた「元凶」や「運命期」などの忌ま忌ましいワードが全て消し飛んだ。
成瀬さんはオレが気になっているクラスメイトの名前だ。
昨夜、真之助の正体を見破ったあと、オレたちはすっかり人気が消えた夜の公園へと移動した。
住宅地の合間を縫って憩いの場として作られた駅前公園は、名前の通り、駅から一番近い場所に位置していることもあり、昼間は子供のはしゃぎ声や観光客の足休めといった具合に、それなりに活気に満ちている。
しかし、夜ともなると酔い醒ましのサラリーマンや生活利用者の近道として使われる程度で、だいぶもの寂しい雰囲気へと変わる。
「改めまして。私は真の守護霊、崎山真之助です」
オレがブランコに腰を下ろすと、真之助は懐からスマートフォンほどの大きさの木札を取り出して、賞状を手渡すように恭しく寄越してきた。
「守護霊之手形だって?」
オレは木札に書かれた文字を読み上げ、手を伸ばす。「わっ」と驚きの声を上げた。
「こんなの名刺の意味ねえじゃん!」
手形が、映写機が写す映像のように透過したため、触れなかったのだ。幽霊の持ち物も幽霊の体と同様に生きている人間の体をすり抜ける。そういう性質のようだ。
真之助は乾いた笑い声を上げたあと、手形を懐に戻した。
「手形は名刺のように交換するものじゃないんだよ。自分が守護霊だという証明書だから、さしずめ、免許証と同じで、試験にパスをして、※印綬を帯びた印なんだ。常に携帯義務もあるし、自己紹介をするときに相手に対して手形の提示が定められているんだよ」
※印綬を帯びる…一般的には官に就くことだが、この場合は守護霊の職に就くことをさす。
「定められている?」
「守護霊界の掟でね」
「守護霊界って?」
「守護霊の業界のことだよ。この世にテストやルールがあるように、守護霊界にも試験や決まりごとがあるんだ」
「死んでからもそんなものに縛られるって、どんだけだよ」
「どこの世界につきものさ」
大のテスト嫌いのオレには、死後も試験や決まりごとに縛られる守護霊界とやらに絶望こそすれ、興味は湧かなかったし、詳細を訊ねたところで、守護霊や死後の世界の仕組みを理解できるとも思わなかった。
むしろ、このまま聞き流す方が賢い選択だと判断して、喫緊の問題に向かい合う。
「で、さっきの話について詳しく聞きたいんだけど」
「さっきの話?」
「オレが『誕生日を迎えられないかもしれない』って話だよ。守護霊のあんたが怨霊と偽ってまで姿を現すくらいだから、何か深い事情があるのは察しているつもりだぜ。オレの命を狙っているのはあんたが生前、恨みを買った怨霊なんだろう?」
オレは取調室で刑事が容疑者を完落ちさせる意気込みで、秘密の暴露を待った。
核心をつかれたからだろうか、一瞬キョトンと目を真ん丸くした真之助だが、こぼれるような笑みを浮かべたあと、ゲームのリセットボタンを押したかのように全てを覆していった。
「ヤダなあ、誤解だよ。怨霊が真を狙っているわけないじゃん。アレは全部私の作り話だよ。怨霊は真の前に現れるためにでっち上げた言わば方便。真を狙っていたのは『元凶』の方なんだ」
「異議あり!」
今度は検察官に食ってかかる弁護士の第一声のように声高に申し立てる。
「元凶だと? ゲームじゃあるまいし、勝手に新たな敵を増やしてんじゃねえよ。だいたい、あんたはオレが上野に絡まれたときに『怨霊の気配がする』と、はっきりそう言ったんだからな。忘れたとは言わせねえぞ!」
すると、真之助はオレに非があると言わんばかりの迷惑そうな顔で耳を塞いだ。
「私は『イヤな気配がする』って言っただけで、そんなことは一言も言ってないじゃないか。真が勝手に勘違いしたんだ」
「勘違いしただと? この嘘つきサムライが」
「嘘じゃないったら、ホ・ウ・ベ・ン。もう、何ベンも言わせないでよ」
「つまらないダジャレを言ってないで謝れよ、これまでのこと全部!」
オレはブランコから立ち上がり、怒りにまかせて怒鳴りつけたが、真之助は怯むどころか一切悪びれることなく、軽い羽毛よりも軽そうな口をペラペラと動かし始めた。
「だいたい、真が私の正体に気付いてしまったのがいけないんじゃないか。あのね、真がぼんやり一日を過ごしているうちに、こっちは守護霊の職務をこなしているんだよ。二十四時間、三百六十五日、気を抜くことなど許されず、常に見えないボディーガードとしてね。しかし、生者はどうかな。私たちの存在を感知できない。つまり、存在しないと同じだから、感謝すらされない。ブラック企業と同じだよ。そんな気が滅入る毎日に潤いを与えるための『怨霊なりすまし大作戦』だったんだから、真には私を責める権利はこれっぽっちも無いんだ。むしろ、作戦を台無しにした真の方に問題があるんだよ」
「問題があるのはお前の性格だよな!」
「フフンフンフー♪」
最早、見事なまでに開き直り、下手くそな歌を口ずさみながら遊具を満喫する大人げない守護霊の姿には、感謝の気持ちどころか、苛立ちしか湧いてこない。
真之助の姿が周囲にも見えていたら、オレは確実に縁もゆかりもない他人のふりをするだろうし、DNAに含まれているであろう軽口ペラ男の遺伝子を呪いたくもなる。
「ねえ、いい加減もう怒るのは気がすんだ? そろそろ話の続きをしたいんだけれど」
「こっちはまだまだ怒りで満ちてるっつうの。誰かさんのお陰でな!」
「誰かさんって?」
こいつと真剣に取り合うだけ無駄だ。
そう悟ったオレは、この図太い神経を持った守護霊が、高校生のオレよりも精神的に未成熟で可哀想な大人なのだと自分自身に言い聞かせた。今後、何が起ころうとも、こいつにだけは感謝してなるものか。
「まずは『オツキビト』について話そうかな」
一方的に話を進める真之助に、オレは遠慮なく苛立ちを言葉の端々に散りばめた。
「何だよ、そのお憑き人ってのは?」
真之助はできの悪い生徒に呆れ果てる教師のように首を左右に振る。
「お憑き人じゃないよ、お付き人。私たち守護霊が守るべき対象者のことだよ」
「どっちも同じだろうが」
「似ても似つかないよ。守護霊は憑くんじゃない、生者に付くんだ。憑依とは訳が違う。だから、お付き人なの。私たち守護霊はお付き人が人生を生き抜くために傍で寄り添い、元凶から守っているんだよ」
「じゃあ、元凶ってのは何なんだよ?」
「元凶は生者が生み出す陰のエネルギー体さ」
そこで矛盾に気がついた。守護霊は元凶からお付き人を守っているのに、生者が元凶を生み出すとはどういうことなのか。
オレは大人の意見を全て否定しなければ気がすまない絶賛反抗期の中学生のように食ってかかった。
「どうせ、それもお前の嘘なんだろ? オレは生来、そんな正体不明のエネルギーなんて見たことも聞いたことも、生み出したこともないんだからな!」
しかし、真之助は相変わらず涼しい顔だ。
「元凶は私たちには見えるけれど、生者には見えないんだよ。私たち幽霊と同じく霊体だから、自由自在に姿を変えられるんだ、物体として存在しないからね」
「じゃあ、百歩譲って元凶が存在するとするぜ。上野のときは? 聖子先生のチョークが飛んできたことはどう説明するんだよ?」
「それは元凶が憑依する性質を持っているからだよ。チョークも野球ボールも街路樹も同じ。もちろん、憑依対象はモノだけじゃなく、生者も含まれている。上野君がそうだったようにね」
「まさか!」
そうは言いつつも、オレは押し黙るしかなかった。
聖子先生の細腕から放たれる弾丸チョークがいくら最強と言われていても、壁にめり込むはずがないし、野球ボールや街路樹はまるで意志を持っているかのようにオレを狙ってきた。まあ、上野は普段からイカれているから、区別がつけにくいが。
「例え話をしよう。AさんがBさんに意地悪をしたとする。するとAさん本人は気付かないけれど、心に小さな傷ができるんだ。その無自覚の傷口から生み出された陰のエネルギーは、別の誰かが作り出した陰のエネルギーと引き合い、結合し、増殖する。その増殖したものが『元凶』になるんだ。また逆もしかりで、Bさんの『Aさんに罰が当たればいい』、そんな無意識の願いからも元凶は生まれてしまうんだよ」
「悪いやつが元凶を生み出すのはまだわかるけど、被害者も生み出すってのは納得いかねえよ」
「これは善悪の問題じゃなく、この世の仕組みなんだよ」
「その仕組みが本当なら、あちこち元凶まみれになるだろ。神や仏じゃあるまいし、ネガティブな願いを抱かないやつがこの地球上に存在するとは思えないね」
「そ。だから、いつの時代も現世は元凶の住み処なんだよ。この世で元凶の影響を受けないものは何ひとつとして存在しない。いじめ、殺人、自殺、戦争といった不幸な出来事のすべてが心の弱さから生じているように、元凶は心の闇から生まれ、人間が生き続ける限り、無限ループで増殖を繰り返すんだ。しかも、真は誕生日までの七日間、元凶を引き寄せる『運命期』と呼ばれる時期にある」
「……お先真っ暗じゃねえか」
生者は日常生活を営んでいるだけで元凶を生み出してしまう。
その事実だけでも愕然とするところなのに、まるで、バッドエンドの映画みたいな笑えない話にオレは怯えていた。
恐怖の塊を唾と一緒に飲み込んだとき、真之助は天に届きそうな位置からサーカスの空中ブランコのようにブランコを飛び降りた。一度くるりと宙返りをして、いとも簡単に着地を決める。
「真が死なずにすむ方法がひとつだけある」
「何だよ?」
「生きる望みを捨てないこと。言っている意味、わかるよね」
怨霊と名乗っていたときの浴室での答えが返ってきた。
「さっき、約束したじゃないか。負けた人は何でも言うことを聞くって」
オレを試しているのか、心の隅々まで見透かすような真之助の瞳がオレを映し出したとき、
「お助けくださいませ!」
女性の悲鳴が横入りした。
「誰その女性?」
「え?」
呆然としたオレの指が指す方を辿った真之助が幽霊でも見たかのような驚きの表情に変わる。
見知らぬ女性がいつの間にか真之助に抱きついていたからだ。
「カノジョさん?」
「まさか!」
真之助の胸から顔を上げた女性は涙で頬を濡らしている。
「後生ですから、お助けくださいませ」
時代劇でよく見る女髷。日本人形のようなすっきりした顔立ち。釣り合いの取れないセーラー服。
「でも、顔見知り。彼女は成瀬美月さんの守護霊だよ」
その名前を聞いたとき、さっきまでオレを震えさせていた「元凶」や「運命期」などの忌ま忌ましいワードが全て消し飛んだ。
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