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第2章 守護霊を解放せよ

第12話 イコール

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 パトカーや事故処理の警察車両が到着すると、交通整理やらレッカー移動やらが始まり、現場は一気に騒然となった。

 三田村さんたちと満足に別れの挨拶もできぬまま、オレたちは聖子先生を無事アパートまで送り届け、桜並木駅まで戻ってきた。

 その頃になると、日が沈んだ空には歪なホールケーキ型の月が昇っている。うっすらと雲がかかっているものの、まもなく満月であるから月明かりには不自由しない。

 オレたちは家路まで連なって歩いた。

 後ろから何台かの車がオレたちを追い越していったが、ヘッドライトは言わずもがなオレの影だけを浮かび上がらせる。
 
 次の車が来たら話をしよう。次こそは。

 と、何度か決意を先伸ばしにしているうちに、いたずらに時間ばかりが過ぎてゆく。とうとう自分の意気地のなさにしびれを切らして、オレは振り返った。
 
「どうして嘘をついていたんだよ!」 
 
 カランコロンと鳴っていた軽快な下駄の音がぴたりと止む。

「え? 嘘? 嘘ってなんのこと?」

 怨霊男は外国人がするように大袈裟に肩をすくめ、飄々《ひょうひょう》と笑った。
 
 あくまでもしらを切るつもりのようだ。

 オレは最初から最後の切り札を出すつもりでいたから、いよいよ声を張り上げた。
 
崎山真之助さきやましんのすけ!」
 
 怨霊男の涼しげな目元がわずかに動いた。動揺しているのだ。
 
「それがあんたの本当の名前だろう?」
 
 崎山真之助――。

 これがばあちゃんに教えてもらった偉大なる先祖であり、オレの守護霊の名前だった。
 
「あんたは怨霊なんかじゃなかったんだ。オレの守護霊だったんだ。それなのに嘘をついて現れた」
 
 怨霊男が押し黙ったのをいいことにオレは畳みかける。
 
「なあ、そうなんだろう? 

 オレの守護霊を封印した。怨霊男は公言したが、そもそも守護霊が怨霊男に封印されるまでの数百年間、崎山家に恨みを抱き、子孫に危害を加えようとしている危険因子を、どうして野放しにしてきたのかずっと疑問だった。

 本来ならば、守護霊は怨霊男をすぐさま封印すべきであったし、怨霊男も怨霊男で、根深く底なしの恨みを抱いているのならば、手段を選ばずにさっさとオレを呪い殺すべきだったのだ。

 しかし、守護霊も怨霊男も今の今まで、お互いの存在を黙認し続けてきた。
 
 それはなぜか。
 
 彼は身分を偽り、オレの前に現れたからだ。

 オレの家族構成から三年一組のクラスメイトの事情、水恐怖症、テストの点数、加えて愛ちゃんのリコーダー事件まで、「崎山家」のというより、オレ個人の日常生活を深く知りすぎている理由もそこにある。

 彼は怨霊ではない。
 
 ようやくそこに思い至った。
 
 オレには真実を見抜く能力も優れた第六感もないが、彼が適当な嘘をついて、オレに襲いかかる危険から身を挺して守ってくれたのだと考える方がどうもしっくりくるのだ。

 決定的だったのはスマートフォンのアプリゲームだ。
 
 ゲームのプレイ中、隣でスマートフォンをのぞき込むようにしなければ、物語に精通できやしない。
 
「あんたの台詞、全部ゲームからの引用だったんだ。オレとしたことが見落としていたよ」
 
 積年の恨みをようやく晴らせるこのときをどんなに待ちわびていたか。誰にも邪魔はさせない――。
 
 怨霊男の言葉と魔王の台詞がぴったりと重なり、等号イコールで結び付いた。

「チェッ、バレちゃったか。嘘はつけないものだなあ」

 男は足元に転がる石ころを蹴り飛ばしてからオレへと視線を戻し、ちっとも残念そうではなく言った。
 
「そうだよ。私は貴方の守護霊で、崎山家の偉大なる先祖と呼ばれている崎山真之助だよ」
  
「どうしてそんな嘘をついたんだよ」
 
「だって……」

 イタズラがばれた少年のように、鼻の下をこする。

「真は私のことをずっと嫌っていたじゃないか。千代に焼香するよう言われても、いつも嫌がって『守護霊なんていない』そう言っていたじゃないか」

「はあ?」 
  
 あまりにもくだらない理由に顎が外れそうになる。

「それはばあちゃんが守護霊崇拝を押しつけるから反抗しただけで、別にあんたを嫌っていたからじゃねえよ」
 
「なぁんだ。そうだったんだ」 

 オレが大袈裟にため息を吐いてみせると、怨霊男、改め崎山真之助は嬉しそうに笑った。
 
 屈託のない真之助の笑顔に彼の滲み出るような人のよさと守護霊としての頼もしさを感じずにはいられない。
 
 怨霊と名乗っていた手前、相当無理をして傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いをしていたのだろう。

 彼の労をねぎらう気持ちも込めて、これからは熱い友情を築こうじゃないかと友好の証として手を差し出したとき、
 
「まあ、それが建前で、本音は怨霊と名乗った方が面白いからだよ。出会いは衝撃的じゃなきゃつまらないじゃないか。ストーリーに深みが出るっていうの?」
 
 色男は片目をつぶって、無邪気に笑ったのだ。

「てめェ」
 
「私って案外お茶目なところがあるんだよね。ははははは」
 
「何がおかしいんだよ」 

 生身の人間であったら恐らく殴り飛ばしていただろう。

 オレは握手を求めようとした手を握りしめ、打ち震える怒りを何とか鎮めながら訊ねた。

「どうせ、オレの前に現れた理由もそのふざけた目的のためなんだろ?」
 
「それは違うよ」
 
 真之助は笑みをたたえたまま、何てことないように言った。
 
「真はもうすぐ死ぬかもしれない」
 
 それは医者が「単なる風邪ですね」と診断を下すときよりも軽やかで、コンビニの店員が事務的に「お弁当温めますか?」と訊ねるときよりも遥かに明るく陽気な口調だった。
 
「だから、そういう冗談はいい加減もう聞き飽きたんだよ」
 
 オレはシッシッと手で追い払うようにした。
 
「残念だけれど、冗談じゃないんだな、これが」
 
「どの口が言っているんだよ。冗談製造マシーンめ」
 
「私は冗談なんて言わないよ」
 
「笑わせんじゃねえぞ」
 
「ガチなんだ」
 
 砕けた口調とは相反あいはんして、真之助の整った顔から潮が引くようにすっと笑みが消えた。

「このままだと真は十八歳の誕生日を迎えられないかもしれない」
 
 その言葉と共に分厚い雲が現れて月が陰った。
 
 ここは川の中だろうか、と一瞬錯覚を覚えるほど、辺りは深い闇に包まれた。
 
 冷たい空気が首筋に絡みつき、川底の息苦しさを再現させる。
 
 上野に背中を押されて、溺れたときに見た、暗く冷たく息苦しい川底。
 
 助けて――。
 
 過去の体験に引きずり込まれそうになったとき、今までオレを縛り付けていた恐怖心が、まるで呪いが解けるかように一気に飛散した。
 
 再び姿を現した玲瓏《れいろう》たる月が、痩身そうしんのサムライを背後から照らしていたからだ。
 
 逆光でその表情は読み取れないはずなのに、幽霊にはその法則さえ通用しないようだ。
 
 月は真之助の深度のある瞳にハッとするほど美しい光を与え、彼の放つある種の神々しさにオレは猜疑心さいぎしんのすべてを手放してしまった。 
 
「私は貴方を死なせないために現れたんだ」
 
 真之助は微笑んだ。生き生きとした彼の表情は月を照らす朗らかな太陽を彷彿ほうふつさせ、不思議と心にあたたかいものともなって脳裏に過去を映し出した。
 
 桜花川で溺れたあの日、抵抗する力を残さず出しきってしまった小さなオレは、水中で意識を失う寸前、力強い腕に抱き上げられた。
 
 あなたを死なせない――。
 
 その腕と同じ、頼もしい真之助の声を今、確かに聞いた。




 十八歳の誕生日まであと五日――。
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