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床入り問答

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「あの……ちょっと変ですよ。これでは病人の看病ではありませんか」

 横たわる光留は、枕元に座る晃子を困惑色濃く出た瞳で見上げた。差しのべた手に、指先が重ねられたことで、そのままいざなった寝床は現在、独り寝状態だ。

「可笑しいのは光留様です。大事な話をしようと言うのに、寝ながら聞くなどど……それは、遊郭の女の方となさることでしょう」
「何処で、そのようなことをお知りになったのでしょう。泰臣君から、吹き込まれましたか?」

「泰臣さん?何のことです?」
「いえ、忘れてください。本当に何もしませんって、僕の辛抱強さは立証済みでしょう?」

「私は、そのような心配をしている訳ではありません。もう……埒があきません、光留様」
「何です」

「先月、近衛様とお話ししたのですが……」
「近衛?」

 予想もしていなかった名が飛び出した。泰臣ではなく、近衛となると話は違う。肩まで、すっぽり覆っていた二重の掛け布団を蹴り上げると、向き直る。
 
「私達は、もっと話した方が良いと。お互いどう思っているのか……など」
「どうって? 僕は、十分思いの丈を伝えていると思うのですが」

「近衛様は、足りないと。確かに、そのように感じました。いえ、私の言葉足らずでしょう。今まで、お気持ちだけを受けているような……何やら流されているように見えたのかも知れません」

 言葉尻が、ゴニョゴニョと小さくなるのが、晃子らしくないと黙り聞き入るが、白雪のような頬がほんのり染まりだしたことで、光留は眉を寄せた。

「……で?」
「見初めたのは、どちらが先か……ひっ!何をなさるのです!?」

 小さな悲鳴を上げた晃子は、自身に伸ばされた手首を押さえつけた。しかし、その先にある五指は、しなやかな細腰さいようにあてられ、幅広く巻かれた絹紐を掴みとるように指が、からめられている。
 驚愕する瞳をよそに「少々、失礼」と、覗き込む光留の目は、至って真剣で悪ふざけしているように見えなかった。可笑しな行動には、それなりの理由があるのかと思い、いぶしがりつつも頷きかけた時、今度は細く甲高い悲鳴が、寝室を突き抜けた。
 ここまでの声量を出したことは、産まれて初めてだろう。

「絹を引き裂くとは、このような声なのですね」

 のんびりとした声音を漏らす光留の指先は、ワシャワシャと腰を引っ掻き回す。脇腹を攻められて平気な者などいないだろう。悲鳴と共に逃れようと、身をよじらせた身体は、簡単に寝床へ引きずり込まれた。

「光留様!」
「さぁ、お聞かせ下さい。近衛さんは、何と囁いて貴女の頬を染めさせたのでしょうか?」

 口調は穏やかだが、やっていることは乱暴で子供っぽい。蹴りやった布団を晃子に被せると、自らは重石のつもりか、その上に覆い被さった。

「簀巻きにでもなさる気ですか!」
「可愛い貴女が風邪をひくと困るのです。確かに、あの日僕も言われました。お互い話し合えと……ただ、あれは、晃子さんを離れに呼ぶのが目的だったと思われます。一体何を考えていたのか知りませんが」

「それは、私のせいなのです」
「近衛さんが晃子さんの為に、僕に進言したと言うのですか? 聞き捨てなりませんね」

「光留様は、意外とヤキモチ焼きなのですね」
「意外? 尋常じゃないですよ。貴女の興味を得る男がいたならば、Deringerデリンジャーのトリガーを引くことも厭わないでしょう」

 そう言うと、一つだけ置かれた書棚に視線を向けた。黒漆に金の蒔絵が鮮やかで由緒ある物のようにも見えるが、晃子からは銃の影も見えない。

「見えないですか?あとで見せて差し上げます。小型の銃でして、何でも紀尾井町で殺された大久保卿は、当時携帯していなかったとか。その話を聞いて僕は、必ず懐に入れています」

 そう言って笑う光留を晃子は、まじまじと見上げた。

「私は、言わなければならないことがあります」
「何でしょう」

「鹿鳴館で初めてお逢いした時に、どちらが先に恋を知ったのか……きっと貴方は、当然のようにご自分と思われているでしょう」
「……え???」

「お察しください。近衛様が私にと窘められた所以です」

 組敷く晃子を前に、大きく動揺した。今、先に恋を知ったのは、自分だと言ったのだ。

 ――  先? 何をどうしたら、あんな情けない男を好きになるのだろう? 恋したから助けたのか?

 理解不能な考えに辿り着くが、光留の戸惑いなど知りはしないのだろう。
 上質な絹布団から伸ばされた白い腕は、流れるブロンドをゆっくり撫でると、そのまま頬に指先を這わせた。抱擁ともとれるそれは、何度も愛おしいと云わんばかりに。

「貴を想う気持ちは、流れて消えることがないのです。これ程、感情はないと思います。ねぇ、光留様。もうおわかりでしょう?私は……」

 最後まで聞く気はなかった。
 これは、鹿鳴館で晃子へ伝えた恋情の告白だからだ。
 
「ええ、十分」

 そのまま倒れ込む光留は、声を大にして自分を誉めたいと思う。甲高い悲鳴を聞き付けた宵は、案の定 起床を促しに来ない。
 いや、おそらく何事かと来るには来ただろうが、脱ぎ散らかした衣服と晃子の物まであるとなれば、察するというものだ。
 石鹸の香り漂う、か細い首筋に這わせる唇から、覚悟を促そうと囁く言葉は
?」
 大名華族の若様から、飛び出た床入り問答に晃子は、コロコロと笑う。

「その前に、尋ねたいことがあるのです」
「そうでしたね、何でも仰ってください」

 晃子の尋ねを、重要な話ではないか?と考えていたことなど、すっかり脳裏から消え去っていた光留は、数秒後美しく微笑む新妻の口から出た言葉に、地獄を見た。

 
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