92 / 96
床入り問答
しおりを挟む
「あの……ちょっと変ですよ。これでは病人の看病ではありませんか」
横たわる光留は、枕元に座る晃子を困惑色濃く出た瞳で見上げた。差しのべた手に、指先が重ねられたことで、そのまま誘った寝床は現在、独り寝状態だ。
「可笑しいのは光留様です。大事な話をしようと言うのに、寝ながら聞くなどど……それは、遊郭の女の方となさることでしょう」
「何処で、そのようなことをお知りになったのでしょう。泰臣君から、吹き込まれましたか?」
「泰臣さん?何のことです?」
「いえ、忘れてください。本当に何もしませんって、僕の辛抱強さは立証済みでしょう?」
「私は、そのような心配をしている訳ではありません。もう……埒があきません、光留様」
「何です」
「先月、近衛様とお話ししたのですが……」
「近衛?」
予想もしていなかった名が飛び出した。泰臣ではなく、近衛となると話は違う。肩まで、すっぽり覆っていた二重の掛け布団を蹴り上げると、向き直る。
「私達は、もっと話した方が良いと。お互いどう思っているのか……など」
「どうって? 僕は、十分思いの丈を伝えていると思うのですが」
「近衛様は、足りないと。確かに、そのように感じました。いえ、私の言葉足らずでしょう。今まで、お気持ちだけを受けているような……何やら流されているように見えたのかも知れません」
言葉尻が、ゴニョゴニョと小さくなるのが、晃子らしくないと黙り聞き入るが、白雪のような頬がほんのり染まりだしたことで、光留は眉を寄せた。
「……で?」
「見初めたのは、どちらが先か……ひっ!何をなさるのです!?」
小さな悲鳴を上げた晃子は、自身に伸ばされた手首を押さえつけた。しかし、その先にある五指は、しなやかな細腰にあてられ、幅広く巻かれた絹紐を掴みとるように指が、からめられている。
驚愕する瞳をよそに「少々、失礼」と、覗き込む光留の目は、至って真剣で悪ふざけしているように見えなかった。可笑しな行動には、それなりの理由があるのかと思い、訝しがりつつも頷きかけた時、今度は細く甲高い悲鳴が、寝室を突き抜けた。
ここまでの声量を出したことは、産まれて初めてだろう。
「絹を引き裂くとは、このような声なのですね」
のんびりとした声音を漏らす光留の指先は、ワシャワシャと腰を引っ掻き回す。脇腹を攻められて平気な者などいないだろう。悲鳴と共に逃れようと、身をよじらせた身体は、簡単に寝床へ引きずり込まれた。
「光留様!」
「さぁ、お聞かせ下さい。近衛さんは、何と囁いて貴女の頬を染めさせたのでしょうか?」
口調は穏やかだが、やっていることは乱暴で子供っぽい。蹴りやった布団を晃子に被せると、自らは重石のつもりか、その上に覆い被さった。
「簀巻きにでもなさる気ですか!」
「可愛い貴女が風邪をひくと困るのです。確かに、あの日僕も言われました。お互い話し合えと……ただ、あれは、晃子さんを離れに呼ぶのが目的だったと思われます。一体何を考えていたのか知りませんが」
「それは、私のせいなのです」
「近衛さんが晃子さんの為に、僕に進言したと言うのですか? 聞き捨てなりませんね」
「光留様は、意外とヤキモチ焼きなのですね」
「意外? 尋常じゃないですよ。貴女の興味を得る男がいたならば、Deringerのトリガーを引くことも厭わないでしょう」
そう言うと、一つだけ置かれた書棚に視線を向けた。黒漆に金の蒔絵が鮮やかで由緒ある物のようにも見えるが、晃子からは銃の影も見えない。
「見えないですか?あとで見せて差し上げます。小型の銃でして、何でも紀尾井町で殺された大久保卿は、当時携帯していなかったとか。その話を聞いて僕は、必ず懐に入れています」
そう言って笑う光留を晃子は、まじまじと見上げた。
「私は、言わなければならないことがあります」
「何でしょう」
「鹿鳴館で初めてお逢いした時に、どちらが先に恋を知ったのか……きっと貴方は、当然のようにご自分と思われているでしょう」
「……え???」
「お察しください。近衛様が私に言葉が足りないと窘められた所以です」
組敷く晃子を前に、大きく動揺した。今、先に恋を知ったのは、自分だと言ったのだ。
―― 先? 何をどうしたら、あんな情けない男を好きになるのだろう? 恋したから助けたのか?
理解不能な考えに辿り着くが、光留の戸惑いなど知りはしないのだろう。
上質な絹布団から伸ばされた白い腕は、流れるブロンドをゆっくり撫でると、そのまま頬に指先を這わせた。抱擁ともとれるそれは、何度も愛おしいと云わんばかりに。
「貴方を想う気持ちは、流れて消えることがないのです。これ程、素敵な感情はないと思います。ねぇ、光留様。もうおわかりでしょう?私は……」
最後まで聞く気はなかった。
これは、鹿鳴館で晃子へ伝えた恋情の告白だからだ。
「ええ、十分」
そのまま倒れ込む光留は、声を大にして自分を誉めたいと思う。甲高い悲鳴を聞き付けた宵は、案の定 起床を促しに来ない。
いや、おそらく何事かと来るには来ただろうが、脱ぎ散らかした衣服と晃子の物まであるとなれば、察するというものだ。
石鹸の香り漂う、か細い首筋に這わせる唇から、覚悟を促そうと囁く言葉は
「貴女を食べていいですか?」
大名華族の若様から、飛び出た床入り問答に晃子は、コロコロと笑う。
「その前に、尋ねたいことがあるのです」
「そうでしたね、何でも仰ってください」
晃子の尋ねを、重要な話ではないか?と考えていたことなど、すっかり脳裏から消え去っていた光留は、数秒後美しく微笑む新妻の口から出た言葉に、地獄を見た。
横たわる光留は、枕元に座る晃子を困惑色濃く出た瞳で見上げた。差しのべた手に、指先が重ねられたことで、そのまま誘った寝床は現在、独り寝状態だ。
「可笑しいのは光留様です。大事な話をしようと言うのに、寝ながら聞くなどど……それは、遊郭の女の方となさることでしょう」
「何処で、そのようなことをお知りになったのでしょう。泰臣君から、吹き込まれましたか?」
「泰臣さん?何のことです?」
「いえ、忘れてください。本当に何もしませんって、僕の辛抱強さは立証済みでしょう?」
「私は、そのような心配をしている訳ではありません。もう……埒があきません、光留様」
「何です」
「先月、近衛様とお話ししたのですが……」
「近衛?」
予想もしていなかった名が飛び出した。泰臣ではなく、近衛となると話は違う。肩まで、すっぽり覆っていた二重の掛け布団を蹴り上げると、向き直る。
「私達は、もっと話した方が良いと。お互いどう思っているのか……など」
「どうって? 僕は、十分思いの丈を伝えていると思うのですが」
「近衛様は、足りないと。確かに、そのように感じました。いえ、私の言葉足らずでしょう。今まで、お気持ちだけを受けているような……何やら流されているように見えたのかも知れません」
言葉尻が、ゴニョゴニョと小さくなるのが、晃子らしくないと黙り聞き入るが、白雪のような頬がほんのり染まりだしたことで、光留は眉を寄せた。
「……で?」
「見初めたのは、どちらが先か……ひっ!何をなさるのです!?」
小さな悲鳴を上げた晃子は、自身に伸ばされた手首を押さえつけた。しかし、その先にある五指は、しなやかな細腰にあてられ、幅広く巻かれた絹紐を掴みとるように指が、からめられている。
驚愕する瞳をよそに「少々、失礼」と、覗き込む光留の目は、至って真剣で悪ふざけしているように見えなかった。可笑しな行動には、それなりの理由があるのかと思い、訝しがりつつも頷きかけた時、今度は細く甲高い悲鳴が、寝室を突き抜けた。
ここまでの声量を出したことは、産まれて初めてだろう。
「絹を引き裂くとは、このような声なのですね」
のんびりとした声音を漏らす光留の指先は、ワシャワシャと腰を引っ掻き回す。脇腹を攻められて平気な者などいないだろう。悲鳴と共に逃れようと、身をよじらせた身体は、簡単に寝床へ引きずり込まれた。
「光留様!」
「さぁ、お聞かせ下さい。近衛さんは、何と囁いて貴女の頬を染めさせたのでしょうか?」
口調は穏やかだが、やっていることは乱暴で子供っぽい。蹴りやった布団を晃子に被せると、自らは重石のつもりか、その上に覆い被さった。
「簀巻きにでもなさる気ですか!」
「可愛い貴女が風邪をひくと困るのです。確かに、あの日僕も言われました。お互い話し合えと……ただ、あれは、晃子さんを離れに呼ぶのが目的だったと思われます。一体何を考えていたのか知りませんが」
「それは、私のせいなのです」
「近衛さんが晃子さんの為に、僕に進言したと言うのですか? 聞き捨てなりませんね」
「光留様は、意外とヤキモチ焼きなのですね」
「意外? 尋常じゃないですよ。貴女の興味を得る男がいたならば、Deringerのトリガーを引くことも厭わないでしょう」
そう言うと、一つだけ置かれた書棚に視線を向けた。黒漆に金の蒔絵が鮮やかで由緒ある物のようにも見えるが、晃子からは銃の影も見えない。
「見えないですか?あとで見せて差し上げます。小型の銃でして、何でも紀尾井町で殺された大久保卿は、当時携帯していなかったとか。その話を聞いて僕は、必ず懐に入れています」
そう言って笑う光留を晃子は、まじまじと見上げた。
「私は、言わなければならないことがあります」
「何でしょう」
「鹿鳴館で初めてお逢いした時に、どちらが先に恋を知ったのか……きっと貴方は、当然のようにご自分と思われているでしょう」
「……え???」
「お察しください。近衛様が私に言葉が足りないと窘められた所以です」
組敷く晃子を前に、大きく動揺した。今、先に恋を知ったのは、自分だと言ったのだ。
―― 先? 何をどうしたら、あんな情けない男を好きになるのだろう? 恋したから助けたのか?
理解不能な考えに辿り着くが、光留の戸惑いなど知りはしないのだろう。
上質な絹布団から伸ばされた白い腕は、流れるブロンドをゆっくり撫でると、そのまま頬に指先を這わせた。抱擁ともとれるそれは、何度も愛おしいと云わんばかりに。
「貴方を想う気持ちは、流れて消えることがないのです。これ程、素敵な感情はないと思います。ねぇ、光留様。もうおわかりでしょう?私は……」
最後まで聞く気はなかった。
これは、鹿鳴館で晃子へ伝えた恋情の告白だからだ。
「ええ、十分」
そのまま倒れ込む光留は、声を大にして自分を誉めたいと思う。甲高い悲鳴を聞き付けた宵は、案の定 起床を促しに来ない。
いや、おそらく何事かと来るには来ただろうが、脱ぎ散らかした衣服と晃子の物まであるとなれば、察するというものだ。
石鹸の香り漂う、か細い首筋に這わせる唇から、覚悟を促そうと囁く言葉は
「貴女を食べていいですか?」
大名華族の若様から、飛び出た床入り問答に晃子は、コロコロと笑う。
「その前に、尋ねたいことがあるのです」
「そうでしたね、何でも仰ってください」
晃子の尋ねを、重要な話ではないか?と考えていたことなど、すっかり脳裏から消え去っていた光留は、数秒後美しく微笑む新妻の口から出た言葉に、地獄を見た。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。
曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」
「分かったわ」
「えっ……」
男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。
毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。
裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。
何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……?
★小説家になろう様で先行更新中
婚約者を想うのをやめました
かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。
「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」
最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。
*書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。
【完結】側妃は愛されるのをやめました
なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」
私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。
なのに……彼は。
「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」
私のため。
そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。
このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?
否。
そのような恥を晒す気は無い。
「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」
側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。
今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。
「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」
これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。
華々しく、私の人生を謳歌しよう。
全ては、廃妃となるために。
◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです!
【完結済】完全無欠の公爵令嬢、全てを捨てて自由に生きます!~……のはずだったのに、なぜだか第二王子が追いかけてくるんですけどっ!!〜
鳴宮野々花
恋愛
「愛しているよ、エルシー…。たとえ正式な夫婦になれなくても、僕の心は君だけのものだ」「ああ、アンドリュー様…」
王宮で行われていた晩餐会の真っ最中、公爵令嬢のメレディアは衝撃的な光景を目にする。婚約者であるアンドリュー王太子と男爵令嬢エルシーがひしと抱き合い、愛を語り合っていたのだ。心がポキリと折れる音がした。長年の過酷な淑女教育に王太子妃教育…。全てが馬鹿げているように思えた。
嘆く心に蓋をして、それでもアンドリューに嫁ぐ覚悟を決めていたメレディア。だがあらぬ嫌疑をかけられ、ある日公衆の面前でアンドリューから婚約解消を言い渡される。
深く傷付き落ち込むメレディア。でもついに、
「もういいわ!せっかくだからこれからは自由に生きてやる!」
と吹っ切り、これまでずっと我慢してきた様々なことを楽しもうとするメレディア。ところがそんなメレディアに、アンドリューの弟である第二王子のトラヴィスが急接近してきて……?!
※作者独自の架空の世界の物語です。相変わらずいろいろな設定が緩いですので、どうぞ広い心でお読みくださいませ。
※この作品はカクヨムさんにも投稿しています。
旦那様は妻の私より幼馴染の方が大切なようです
雨野六月(まるめろ)
恋愛
「彼女はアンジェラ、私にとっては妹のようなものなんだ。妻となる君もどうか彼女と仲良くしてほしい」
セシリアが嫁いだ先には夫ラルフの「大切な幼馴染」アンジェラが同居していた。アンジェラは義母の友人の娘であり、身寄りがないため幼いころから侯爵邸に同居しているのだという。
ラルフは何かにつけてセシリアよりもアンジェラを優先し、少しでも不満を漏らすと我が儘な女だと責め立てる。
ついに我慢の限界をおぼえたセシリアは、ある行動に出る。
(※4月に投稿した同タイトル作品の長編版になります。序盤の展開は短編版とあまり変わりませんが、途中からの展開が大きく異なります)
夫は魅了されてしまったようです
杉本凪咲
恋愛
パーティー会場で唐突に叫ばれた離婚宣言。
どうやら私の夫は、華やかな男爵令嬢に魅了されてしまったらしい。
散々私を侮辱する二人に返したのは、淡々とした言葉。
本当に離婚でよろしいのですね?
6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった
白雲八鈴
恋愛
私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。
もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。
ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。
番外編
謎の少女強襲編
彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。
私が成した事への清算に行きましょう。
炎国への旅路編
望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。
え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー!
*本編は完結済みです。
*誤字脱字は程々にあります。
*なろう様にも投稿させていただいております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる