上 下
34 / 96

組閣

しおりを挟む
 ◆◆◆◆◆

 羽倉崎と光留の会食は、なかなか都合がつかなかった。初めは、光留が難色を示していると思われていたのだが、本当に都合がつかないようで、尾井坂家へ訪れるのも、宮内省の職務の一つであり、限られた時間だった。それでも、あわよくば――と、来訪に合わせて、羽倉崎も足を運ぶのだが結局、挨拶だけで すれ違う有り様だ。

「田中様と駒子様は、まだ?」
「そのようね」

 羽倉崎は 窓辺に立ち、庭を挟んだ一室に視線を向けた。大きな窓に映る2人がよく見える。駒子は、花嫁修業の一環として習い事を始めたのだが、大宮家が費用を出すわけもなく、尾井坂家で全て賄っていた。
 しかし、費用面では問題ない尾井坂家でも、それなりの講師に頼み込むのは、なかなか難しく、宗秩寮に誰かいないか?と願い出た形であった。
 羽倉崎は、懸命に字を書いているであろう駒子を、硝子越しに見つめ、ボソリと呟いた。

「大宮伯爵家が、先生を招くと茶菓子代が必要になり困ると、難色を示したと聞きましたが……、そんな華族がいるとは、少々驚きました」
「羽倉崎さん……私は、少々どころではありませんでした」

「……確かに」

 羽倉崎は、晃子の困惑に頷いた。
 習うだけで良いという厚待遇に、待ったをかけたのは、当の大宮伯爵家だった。
 難色は、訪れた講師に出す茶菓子などの費用であり、屋敷修繕箇所もありすぎて……という衝撃の理由であった為、尾井坂家が驚き、全て引き受けた形だった。講師は、宗秩寮に縁がある者から選ばれ、職務の一環で時間を割くことを許されており、うち1人が光留に決まったのだ。
 光留は、大炊御門家から筆、和歌、笛を習ったということから、泰臣は 和歌も……と打診したのだが、さすがに暇がないということで別の者が派遣されていた。
 詰め込みすぎても身につかないと、取り敢えず選ばれたのは、筆と和歌、あとは泰臣の強い要望でテーブルマナーとなった。
 講義に、同席している筈の泰臣だが 窓越しに見えるのは、若々しい印象を与える黄色の縦縞に、長い髪を流行りのマガレイトに結い上げた駒子と、背後から寄り添う光留の姿だけ。羽倉崎は「ほほう」と、一声唸ると「ご覧なさい」と、晃子を呼び寄せた。

「仲睦まじいというより何か、勘繰りたくなる雰囲気ですよ」
「馬鹿なことを仰らないで。泰臣さんもいるというのに」

「見えないではないですか」
「ここから、見えないだけです」

 紙に向かう真剣な駒子の指先には、光留の指が重ねられ、一緒に文字を書いているようだ。筆の持ち運びから、流れを教えていると思われた。

「泰臣君は、何とも思わないのでしょうか?私ならば、横から手を叩きますよ」
「貴方は、少々可笑しいから……」

「失礼な……私が可笑しくなるのは、貴女のせいですよ」

 晃子は、羽倉崎の戯言を聞き流し、窓辺から顔を背けた。


 ◆◆◆◆◆


「大変申し訳ありません。僕はこの通り、多忙を極めておりまして、会食に御一緒できそうにありません」

 神妙な顔つきで、スプーンをクルクルと回す光留は、切り出した。何度も打診されれば、いつまでも返事をしないわけにはいかない上に、多忙なのは本当だ。

「それに、清浦さんも近さんも大変、お忙しいのです。お気持ちだけで……と言われるでしょう」

 カップを口元に寄せながら、付け加えられた言葉は、独り言のように漂った。
 これも嘘ではないと泰臣は分かる。この場に揃う者達も、疑いようがないだろう。何故なら、内閣が変わったのだ。
 以前、清浦が近衛に耳打ちした通り、伊藤博文が総理大臣になった。清浦の情報は正しく、司法大臣には山縣有朋。その他官庁の、顔ぶれも決定する中、何故か、司法次官が空席となっていた。言わずと知れた司法省の事務方トップである。皆、いぶかしがるのは当然だったのだが、その次官に 清浦が抜擢されたのだ。

「それにしても組閣から空きすぎたが、何かあったのか?」
「ええ、実は清浦さんには、もう一つポストが打診されていたとか……」

 光留は、惜しげもなく官の内部事情を明かす。珍しい――と、思いつつ泰臣は「それで?」と継いだ。

「山縣閣下は、司法には詳しくありません。そこで名前が上がったのが清浦さんなんですが、ここに元の警保局長にと推す声も上がったのです。言わずと知れた内務省の要ですよ。両方に名前が上がった為に、穏便に~、穏便に~とやって、今になったと聞いております」
「山縣閣下からのお声がけなら、そう内務省へ言えば良いんじゃないか?」

「泰臣君、君ねぇ……内務大臣を知らないんですか?三井の番頭ですよ?あの人、すぐ怒るから……ということで、清浦さんも大忙し、近さんは元々 ああいう席は、お嫌いです」
「息抜きに、よろしいではないですか。会食、程々……先日のように」

「先日?」

 意味がわからない一言に光留は、口元に寄せたカップを ピタリと止め、大きな瞳を羽倉崎へ向けた。

「清浦様の行きつけの店に、揚がられたと聞き及んでおります」
「ああ、申し訳ない。僕は羽倉崎さんが退席された時に、一緒に抜けまして存じ上げません」

 驚きを露にした男達は、顔を見合せ 晃子は、クスリ……と笑う。そんな光景を双眸に捉え、何か賭け事でもしていたのか?と過ったが、晃子の満足気な笑みに、此方に不利益はないだろうと、立ち上がった。

「それでは僕は、この辺で。お見送りは結構」

 見送りは、結構と言っても言葉通りに受けとる者はいない。――と、なると付いてくるのは屋敷の女だ。案の定、晃子と駒子が立ち上がった。駒子は、余計だが仕方がない――と、2人を従え、表玄関へ向かった。



 真っ直ぐに伸びる緋毛氈を率先して歩き、壁に掛けられた染まる富士の油絵に光留は、目を止めた。

「これは……、額縁師に絵を見せて作らせたのならば、その額縁師には今後頼まない方がよろしいでしょう。適当に入れたのならば、もっと落ち着いた色合いにと、塗師へ。理由は……わかります?駒子さん」
「え~と、絵と額が合っていませんか?」

「そうです。どう合っていないか考えてください。答えは、晃子さんへ伝えますので暫く、ここで考えながら お待ち下さい」
「はい!」

「晃子さん、参りましょう」

 まんまと駒子を切り離すことに成功した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

形だけの正妃

杉本凪咲
恋愛
第二王子の正妃に選ばれた伯爵令嬢ローズ。 しかし数日後、側妃として王宮にやってきたオレンダに、王子は夢中になってしまう。 ローズは形だけの正妃となるが……

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

処理中です...