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仁恕

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 人払いをした状態で、清浦が来省していると聞くと、何か重要な話でもしているのか?と思われそうだが、語る内容は 司法と関係もなければ、国家にもない。
「光留君は、こう言ったそうだ」
 続ける清浦は、煙草を灰皿に押し付けた。

 人目を避けて、夜に現れたのか?
 急を要することと、夜に現れたのか?
 土方は、尋ねなかったという。ただ、思い詰めたような面立ちから、退っ引きならない事情があるのかも知れぬと思ったらしい。
「他言はしないから、言ってみなさい」と、促した。
 光留は、畳に手を突くと深々と頭を下げ「一世一代の頼みと参りました」と、言葉を絞り出したという。土方は、理解できなかった。見ず知らずと言って良い自分に、何を願うのだと。
「手を上げて、順を追って話してみなさい」こうして聞き出した願い事は、想像していたことと違った。
 欧州視察で不在の1年間、尾井坂晃子に縁談が持ち上がっても、許可を出さないで欲しい――。

「尾井坂?」
「はい」

 男爵家に恨みでもあるのか? とも考えたが、切実な陰りに見当違いだと土方は、ふぅと深く息をつく。

「正直、宮家との縁談を早く進めてくれということかと思っていた」
「何故です?」

「ありがたい話ではないか」
「ご冗談を。その件は、消えますので放っておいてください」

「消える?何故?」
「視察同行を引き受ける代わりに、破談にして頂けると清浦さんが……」

「あの人も、変な約束をするものだな」

 清浦が約束したのなら、そうなのだろうと頷きはするが、それでもよく分からない。
 そんな顔つきの土方に「今から全て話します」と、光留は一気に語った。

 目の前の若者は、晃子嬢に恋心を抱いていたのだが、願いもしない宮家との縁談が持ち上がった。断れない相手だが、晃子を諦めることも出来ないと言う。
 そこで清浦が手を差し伸べた「日本に居なければ、断れる」と。
 土方は、唸った。居なくとも婚約という形が妥当ではないかと。しかし、清浦は縁談を壊してやると打診したという。

「清浦さんの魂胆が、よくわからないが……まあ、あの人のことだ。見込みのある若者を抱え込む腹積もりかもしれんな……それで、晃子さんの縁談を進めるなと?」
「はい、必ず話が出ると思うのです」

 確かに、晃子は20を越えている。本来、女学校を中退して結婚する子女が多い中、婚期を逃しているような気もしないでもない。

「しかし、もし他の華族から打診があったりしたら、相手次第では断りきれぬぞ?」
「もしも、他の家から見合いをしたいと宗秩寮そうちつりょうに申し出があったら、田中家うちが先だと」

「肝心の君が不在なのに?」
「はい、帰国後に予定があると」

「無理だろう。君は、晃子さんの縁談話が同等の男爵家と思っているのか?伯爵かもしれぬし、子爵家がなんぼのもんじゃと宗秩寮が咎められるかもしれんぞ?」
「だからこそ、僕はここにいるのです!」

 土方は、あっ!と声を上げそうになった。縁談を阻止するだけの話ならば、宗秩寮総裁の屋敷へ出向げば良い話だ。それを宮内大臣たる土方の元へ現れたということは、より強い権限を持ってしてでも――ということだろう。

「晃子さんに縁談がある場合、お相手に心当たりがあるのかね?」
「いえ、ありません。ただ……」

「ただ?」
「もしかしたら、男爵の事業関係者ではないかと……」

「何だ、平民か?」
「ええ、可能性は捨てきれません」

 土方は、目の前の若者が深く考えていることに興味をそそられた。一体、何処までを念頭にいれているのだろうと。

「何故そう思うのだね?」
「本来、華族の資本は儲けというより、身分維持の為のものです。第一に華族としての体裁。しかし、男爵財閥は違います。憶測です、あの晃子さんに縁談が全くなかったとは考えられません。男爵がお断りしていたとの噂も聞いたことがあります」

「確かに」
「そして男爵は、これから旧諸侯の華族同様のやり方をされるのか?と」

「どういうことだ?」
「男爵は、事業を表だってやっておられますが、貴族院の議席を欲しているという噂もあります。御嫡男の泰臣君は爵位を継がれます。晃子さんは御正妻のお嬢様です、爵位の代わりに……」

「事業を継がせる……成る程」
「ええ、男爵家が貴族議員になったとしたら事業は、今までのように男爵が表だって行わないのではないか?しかし、晃子さんは商才などないはずです。そこで貿易に明るい者を娘婿にと考えておられるのではと」

「良くできた物語を聞かせられている気分だ。なかなか面白い……が、男爵がそのような考えならば、君が帰国してもお断りされるのではないか?」
「そこなのです。男爵が晃子さんに事業を何がなんでも……と考えているのか?」

「ふぅむ」
「華族の商売は、家令かれい家扶かふを事業の責任者にします。絶対に家から事業を独立させない……そう考えれば、娘婿を事業のトップにすることはあり得ます」

「確かに」
「しかし、娘婿は別の家になりますので事業の独立と言われれば、そうとも取れて……。男爵が 旧諸侯の華族に倣い、事業を進めるのならば、娘婿ではなく家令を任命しておけば良いのではないか?娘婿とはいえ、別の家に事業を任せることに欠点はないのか?……ここは、これから詰めるところであります」

「成る程なぁ……なかなか面白い話を聞かせてもらった」
「面白かったですか?」

 意外な反応に光留は、きょとんと目の前の男を見上げた。

「ああ、わしは家族の趣味で洋館の地下に劇場を造っているほどだ。劇場といっても模型のような小さいものだが」

 土方の屋敷には、洋館と和館があり、洋館には地下があるという話は、光留も聞いたことがあった。まさか劇場があるとは思っていなかったのだが。

「作られた話でも、わくわくさせられるのに今、語られた話がどんな仕上がりになるのか、興味深いではないか。そして無性に、君達2人と演劇観賞に行きたいと思ってしまったよ」
「大臣、それでは!」

「ああ、頼まれよう。先の楽しみへの投資と思えば、何でもないことだ」
「大臣の御仁恕じんじょ、一生涯忘れません」
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