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幽冥聚楽
思案
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―― だからか。
関白は、腕を組、襖を見据える。
常世の聚楽では、一胴七度は、何処ぞへ仕舞い込まれていたと菅公が言った。ご丁寧に布に巻かれ、鯉口も切れない有り様であったことに、二人して首を捻ったものだ。
―― これは、不味かったな。
先程から、身を焦がす想いを切々と訴える万作は、刀など欲しくなかったと叫んだ。何度も、ねだった理由は、関白の思いもよらぬものだった。欲しいからではなく、一等を減らす為……。逆に嫌悪する物だったと。
―― これでは、刀をやるから往生せよという話は、通じないではないか!
刀葉樹の女が言うように、斬り捨てるしか方法がないのやも知れぬ――と過るも、とてもそんなことが出来るとは思えない。
関白は、頭を抱えた。ドンドンと打ち付けられる襖は、本来であれば外れる勢いであるのだが、主の意思で別つ物が消え失せることもなし、依然として関白の眼前には、きらびやかな襖絵が存在した。
大きな城がそびえ立ち、貴族の屋敷が立ち並ぶ様子が描かれた絵は、往来を行き来する小さな人間までもが生き生きと描かれている。色鮮やかな上に金箔が惜しげもなく使用されている物の姿は、在りし日の聚楽第。
聚楽へ我先にと並ぶ行列は、誰のものなのか……関白は呟いた。
「関白の一等など、大したものではない。すべて与えられた物なのだから」
「殿下!」
向こう側から、嬉しそうな声音が返る。一胴七度が役割を果たさぬのならば致し方なし――と、関白は重い唇を開いた。
「幼き頃より、人質やら何やらあっちにやられ、こっちにやられ。それも仕方なしと思うておったら豊臣の跡取りになってしもうた。これも栓なきことである」
万作は、でた!とは言わなかった。ただ微かに聞こえるのは、掌で優しく撫でるような和紙の音。
「全ては与えられたものである。もしも太閤が返せと一言申せば、何の恨みもなく差し出せる程度のものであった。私にとって関白など、その程度である。そんな私の一等が何だというのだ」
「与えられたものと申されますが皆、殿下をお慕いしていたのです。静謐な世の中をお造りになられるのは、殿下であると。誰よりも勤勉で、太閤の期待に応えようとされていたのは誰しもが分かっておりました」
「応えようとしても、無駄であったがな」
関白は、ふっと鼻で笑う。
「いいえ、無駄ではございません。結末が全てではございません!私は誇らしく思いました、伏見より高野山へ向かう道中、次々と大名から見舞いが届いて……皆に慕われる殿下を!さすが我が主だと」
「ははっ!そなた、先程は他の者が憎たらしかったなどと申しておったくせに!」
「大名は別にございます!……あの時、皆分かっていた筈です。殿下のご運は尽きたと、それでも太閤の目を憚らず、殿下をお見舞いする者の多きこと!」
関白が高野山へ向かう道中、次々とやって来るお見舞いの使者まで太閤は、目くじらを立て見舞いを止めさせたという。思い出したのか、関白は優しく眼を細めた。
「ああ、そうだな。厭わしきことと思い出すのも嫌であったが、全てが嫌なことばかりではなかったな。すべて連れて参るのは、罷り成らぬと言われ、供を減らす時も皆……志願してくれたなぁ」
「そうでございますとも!皆、殿下と仏門に入ることも厭うてはおりませぬ」
「仏門どころでは、済まなかったがな」
関白は、静かに笑った。
聚楽第より、騙された形で伏見へ出てきた関白の一行は、供回り僅か二百程度だった。小姓は十名程いたが、高野山へ向かう時に三名に絞られた。山本主殿助、山田三十郎、不破万作。あと数名の供がおり、関白の一行は十名程だった。
「待ち受けるものが死であろうとも、皆、お供を願い出たでしょう」
「そなた、あの時、罪と問われた謀反は実なりや?と、問うたのを覚えておるか?」
「はっきりと。殿下は、否――と」
「ああ、それで頷いておったが、実に納得しておったのか?」
「勿論、殿下は嘘を申されませぬ」
「甘いぞ、私だって嘘をついたこと位ある」
「それでは、その嘘が実になります」
「はは!……そうか」
暫しの沈黙が続いた。季節や時刻を感じる音がないのも、困ったものであると関白は思った。静か過ぎて、考えがまとまらないのだ。
何か言わなければ――否、説得する言葉を感情から手繰り寄せ、心を尽くさなければ、この常世の狭間は、消え失せはしないだろう。
―― しかし、思い付かぬ。
そんなことを思った瞬間、「殿下……お聞きください」万作の声が、掛かった。先程と変わり落ち着いた声音であった。
「申せ」
「私が、艶文を袂にねじ込まれておったことは、ご存知でしょうか?」
「ああ、皆が申しておったな。万作はあちら、こちらに落しておると。確かに、そなた落とし過ぎであった」
万作は、女からも男からも言い寄られていた。関白の寵愛深し――という噂もあるが、隠れてならばと袖や袂に、文を突っ込まれていたのだ。万作は、それを何処にでも落とす。墨を摩る袖からポロリと落ちることもあれば、万作が立ち去った後などに落ちていることもあったと関白は、その光景を思い出す。
「実は……わざとでございます」
「自慢か!? 」
「まさか!殿下が悋気を起こされないかと……」
「そなたと云う奴は……」
もう、笑うしかなかった。
万作の想いにも、自身の煮え切らない心情にも――。
関白は、腕を組、襖を見据える。
常世の聚楽では、一胴七度は、何処ぞへ仕舞い込まれていたと菅公が言った。ご丁寧に布に巻かれ、鯉口も切れない有り様であったことに、二人して首を捻ったものだ。
―― これは、不味かったな。
先程から、身を焦がす想いを切々と訴える万作は、刀など欲しくなかったと叫んだ。何度も、ねだった理由は、関白の思いもよらぬものだった。欲しいからではなく、一等を減らす為……。逆に嫌悪する物だったと。
―― これでは、刀をやるから往生せよという話は、通じないではないか!
刀葉樹の女が言うように、斬り捨てるしか方法がないのやも知れぬ――と過るも、とてもそんなことが出来るとは思えない。
関白は、頭を抱えた。ドンドンと打ち付けられる襖は、本来であれば外れる勢いであるのだが、主の意思で別つ物が消え失せることもなし、依然として関白の眼前には、きらびやかな襖絵が存在した。
大きな城がそびえ立ち、貴族の屋敷が立ち並ぶ様子が描かれた絵は、往来を行き来する小さな人間までもが生き生きと描かれている。色鮮やかな上に金箔が惜しげもなく使用されている物の姿は、在りし日の聚楽第。
聚楽へ我先にと並ぶ行列は、誰のものなのか……関白は呟いた。
「関白の一等など、大したものではない。すべて与えられた物なのだから」
「殿下!」
向こう側から、嬉しそうな声音が返る。一胴七度が役割を果たさぬのならば致し方なし――と、関白は重い唇を開いた。
「幼き頃より、人質やら何やらあっちにやられ、こっちにやられ。それも仕方なしと思うておったら豊臣の跡取りになってしもうた。これも栓なきことである」
万作は、でた!とは言わなかった。ただ微かに聞こえるのは、掌で優しく撫でるような和紙の音。
「全ては与えられたものである。もしも太閤が返せと一言申せば、何の恨みもなく差し出せる程度のものであった。私にとって関白など、その程度である。そんな私の一等が何だというのだ」
「与えられたものと申されますが皆、殿下をお慕いしていたのです。静謐な世の中をお造りになられるのは、殿下であると。誰よりも勤勉で、太閤の期待に応えようとされていたのは誰しもが分かっておりました」
「応えようとしても、無駄であったがな」
関白は、ふっと鼻で笑う。
「いいえ、無駄ではございません。結末が全てではございません!私は誇らしく思いました、伏見より高野山へ向かう道中、次々と大名から見舞いが届いて……皆に慕われる殿下を!さすが我が主だと」
「ははっ!そなた、先程は他の者が憎たらしかったなどと申しておったくせに!」
「大名は別にございます!……あの時、皆分かっていた筈です。殿下のご運は尽きたと、それでも太閤の目を憚らず、殿下をお見舞いする者の多きこと!」
関白が高野山へ向かう道中、次々とやって来るお見舞いの使者まで太閤は、目くじらを立て見舞いを止めさせたという。思い出したのか、関白は優しく眼を細めた。
「ああ、そうだな。厭わしきことと思い出すのも嫌であったが、全てが嫌なことばかりではなかったな。すべて連れて参るのは、罷り成らぬと言われ、供を減らす時も皆……志願してくれたなぁ」
「そうでございますとも!皆、殿下と仏門に入ることも厭うてはおりませぬ」
「仏門どころでは、済まなかったがな」
関白は、静かに笑った。
聚楽第より、騙された形で伏見へ出てきた関白の一行は、供回り僅か二百程度だった。小姓は十名程いたが、高野山へ向かう時に三名に絞られた。山本主殿助、山田三十郎、不破万作。あと数名の供がおり、関白の一行は十名程だった。
「待ち受けるものが死であろうとも、皆、お供を願い出たでしょう」
「そなた、あの時、罪と問われた謀反は実なりや?と、問うたのを覚えておるか?」
「はっきりと。殿下は、否――と」
「ああ、それで頷いておったが、実に納得しておったのか?」
「勿論、殿下は嘘を申されませぬ」
「甘いぞ、私だって嘘をついたこと位ある」
「それでは、その嘘が実になります」
「はは!……そうか」
暫しの沈黙が続いた。季節や時刻を感じる音がないのも、困ったものであると関白は思った。静か過ぎて、考えがまとまらないのだ。
何か言わなければ――否、説得する言葉を感情から手繰り寄せ、心を尽くさなければ、この常世の狭間は、消え失せはしないだろう。
―― しかし、思い付かぬ。
そんなことを思った瞬間、「殿下……お聞きください」万作の声が、掛かった。先程と変わり落ち着いた声音であった。
「申せ」
「私が、艶文を袂にねじ込まれておったことは、ご存知でしょうか?」
「ああ、皆が申しておったな。万作はあちら、こちらに落しておると。確かに、そなた落とし過ぎであった」
万作は、女からも男からも言い寄られていた。関白の寵愛深し――という噂もあるが、隠れてならばと袖や袂に、文を突っ込まれていたのだ。万作は、それを何処にでも落とす。墨を摩る袖からポロリと落ちることもあれば、万作が立ち去った後などに落ちていることもあったと関白は、その光景を思い出す。
「実は……わざとでございます」
「自慢か!? 」
「まさか!殿下が悋気を起こされないかと……」
「そなたと云う奴は……」
もう、笑うしかなかった。
万作の想いにも、自身の煮え切らない心情にも――。
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