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幽冥聚楽
一等
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時の関白豊臣秀吉は、自身の跡継ぎに姉の子である秀次を据えた。理由は、一族で一番の年長者であり、後継者としての資質を備えているという秀吉の期待であった。秀次の官位は引き上げられ、あれよ、あれよ、と関白に任命された。
「新しい関白殿下が、聚楽第に入られたとか、拙僧も懇意にして頂いていたが、さすがにお忙しくおなりになられるでしょうな」
そんなことを住職が、客人に漏らしているのを聞き流し、菓子の礼と庭を掃く万作に「これ」と、声が掛かった。振り返ると、にこやかな笑みを浮かべる住職が手を招く。
何のご用かと、慌てて膝を突く前に住職が客人にこう述べた。
「福島様この者、関白殿下とは顔見知りにて」
「ほう」
とんでもない嘘をつく住職に、万作は飛び上がった。天地がひっくり返っても、関白と顔見知りになるなど有り得ないと、泡を食っていると顔が面白かったのか住職は、声高に一笑いした。
「そなた、春に山麓でお逢いしたのであろう?」
「山麓?」
「春の精のような者を見かけ、度胆を抜かれた。あれは坊主が手折るようなものではないぞ――と仰せられた。私は、心底を見抜かれたと肝を冷やした」
思い出したのか、またもや大笑する。それに首を傾げたのは福島正則だ。顎に蓄えた立派な髭を撫でながら、唸り声をあげた。
「変であるな?秀次様に衆道の心得など、あり申したか?」
「拙僧も、おや?と思いましたが、この者をご覧になり、お考えが変わられたのやも……と思いましてな、さすれば寺の者には万作に手出しすれば、首を打たれるぞと申しております」
二人して肩を揺らす。
万作は、あの大樹で出逢った男が新しい関白であると知った。突いた膝をすり、客人に平伏すと考えるより先に口が動いた。
「申し上げます!私、春にお逢いした殿下に十四になったら、側に参れと言われております!私は、年が明けたら十四でございます」
「なんと!? 」
「数日、早ようございますが遅参するのは忠義に劣る、ぜひ!今すぐ関白殿下の元へお連れくださいませ!」
「い、いやしかし、秀次様にも確認せねば……」
「住職もお言葉をお聞きならば、疑いようもないこと。ひらに!福島様」
万作は、額を板間に打ち付ける勢いで下げた。師走に入り何かと忙しい両名は、この件を後回しにし忘れては、それこそ一大事だと頷きあった。
「それでは、ついて参れ」
「はい!」
こうして万作は、福島正則に連れられ、聚楽第へ入った。
時の関白、豊臣秀次は年が明ければ二十四。不破万作は、十四。関白切腹は、これより三年後の話である。
◆◆◆◆◆
「花雨とは、坊主が木を揺らしていた……蓋を開ければ、風流など微塵もないな」
菅公は、呆れた。
「殿下は、私を春の精のような者と仰ったようですが、私にとって殿下こそ……」
「泣くな、襖の向こうで聞いておるのだ。もう一度、関白の顔を見たいのなら言葉を尽くすが良い」
ドンッ!!
黙れと言わんばかりに金箔の襖が、音を鳴らした。襖が一叩きされたことに菅公は、しまったと口許を袖で覆う。関白がわざと突き放しているのに、それを知る自分が万作の背中を押すなどあっては成らぬこと。余計なことを口走るとは、司命のようだと反省した。
「福島様に連れられ、聚楽第で御目通りが叶いました。私は口からデマカセで参りました故、叱責を受けることも追い出されることも覚悟しておりました。ただ殿下にお会いしたかったのです」
「そなた、関白を慕っていたのか?」
「誰よりも。無論、この時は何故かお会いしたいと思っていただけですが……」
誰よりも慕っていたと告げた万作は、当時を思い出したのか嬉しそうに笑う。菅公は襖を蹴破りたくなった。
万作は、クスクスと喉を鳴らし、楽しげに語る。福島正則と共に着座する万作に関白は、目を丸々と見開いていたという。しかも正則が語る内容は、初めて聞いた話なのだ。
「しかし、殿下は素知らぬ振りをして下さいました。嘘と知れたら私は、福島様に斬り捨てられていたでしょう」
春、山麓で見初められた者を預かって参りました――こう告げた福島正則に、関白は大儀であったと返した。万作の嘘を認めたのだ。
「それから私は、殿下の小姓に取り立てて頂きました。身に余ることでございます。私には取り柄はございません、懸命にお仕え致しました」
万作は、畳に転がる一胴七度を側に寄せた。立派な金梨地に指を這わせると苦しげに漏らす。
「いつの頃からか、私の中には嫉妬が巣くう様になりました」
「嫉妬?」
万作は頷き、語った。
関白ともなれば、従う者は多数いる。家柄が良い者、何かに秀でる者、小姓なれば常に側に控える故に、嫌でも目についてしまうのだ。
「殿下が、お笑いになり他の者をお褒めになられる、優しくお声を掛けられる、いいえ当然のことでございます……が、こう……モヤモヤと」
「悋気じゃな」
「私は、殿下の一等を欲していたのです」
「そなたは、やけに一等に拘るのだな」
「当然でございます。二等が良い訳がありませぬ」
「まあ、言われてみればそうだが……」
万作の言葉には、一理あった。
「私には、何の取り柄もございません。如何にして一等になれましょうか」
「取り柄があろうが、なかろうが、一等とは理屈ではないのだ。私は関白を知っておる、素直な良き男だ。しかし生前の話などせぬ、思い出したくもないと……」
「私は、思い出したくもない者なのですね」
「そうではない。ただ一つ、そなたの話をする時は、楽しそうに笑ったのじゃ」
「隔つ向こう側には、司命が参っておるようじゃな?」
襖の向こうから、放たれた嫌味ったらしい声音に、菅公は慌てて口を覆うと、今度は刀葉樹が口にする。
「関白殿下。どいつも、こいつもで御座候ふ」
ドンッ!
返事か?苛立ちか?立派な襖が音を鳴らした。
「新しい関白殿下が、聚楽第に入られたとか、拙僧も懇意にして頂いていたが、さすがにお忙しくおなりになられるでしょうな」
そんなことを住職が、客人に漏らしているのを聞き流し、菓子の礼と庭を掃く万作に「これ」と、声が掛かった。振り返ると、にこやかな笑みを浮かべる住職が手を招く。
何のご用かと、慌てて膝を突く前に住職が客人にこう述べた。
「福島様この者、関白殿下とは顔見知りにて」
「ほう」
とんでもない嘘をつく住職に、万作は飛び上がった。天地がひっくり返っても、関白と顔見知りになるなど有り得ないと、泡を食っていると顔が面白かったのか住職は、声高に一笑いした。
「そなた、春に山麓でお逢いしたのであろう?」
「山麓?」
「春の精のような者を見かけ、度胆を抜かれた。あれは坊主が手折るようなものではないぞ――と仰せられた。私は、心底を見抜かれたと肝を冷やした」
思い出したのか、またもや大笑する。それに首を傾げたのは福島正則だ。顎に蓄えた立派な髭を撫でながら、唸り声をあげた。
「変であるな?秀次様に衆道の心得など、あり申したか?」
「拙僧も、おや?と思いましたが、この者をご覧になり、お考えが変わられたのやも……と思いましてな、さすれば寺の者には万作に手出しすれば、首を打たれるぞと申しております」
二人して肩を揺らす。
万作は、あの大樹で出逢った男が新しい関白であると知った。突いた膝をすり、客人に平伏すと考えるより先に口が動いた。
「申し上げます!私、春にお逢いした殿下に十四になったら、側に参れと言われております!私は、年が明けたら十四でございます」
「なんと!? 」
「数日、早ようございますが遅参するのは忠義に劣る、ぜひ!今すぐ関白殿下の元へお連れくださいませ!」
「い、いやしかし、秀次様にも確認せねば……」
「住職もお言葉をお聞きならば、疑いようもないこと。ひらに!福島様」
万作は、額を板間に打ち付ける勢いで下げた。師走に入り何かと忙しい両名は、この件を後回しにし忘れては、それこそ一大事だと頷きあった。
「それでは、ついて参れ」
「はい!」
こうして万作は、福島正則に連れられ、聚楽第へ入った。
時の関白、豊臣秀次は年が明ければ二十四。不破万作は、十四。関白切腹は、これより三年後の話である。
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「花雨とは、坊主が木を揺らしていた……蓋を開ければ、風流など微塵もないな」
菅公は、呆れた。
「殿下は、私を春の精のような者と仰ったようですが、私にとって殿下こそ……」
「泣くな、襖の向こうで聞いておるのだ。もう一度、関白の顔を見たいのなら言葉を尽くすが良い」
ドンッ!!
黙れと言わんばかりに金箔の襖が、音を鳴らした。襖が一叩きされたことに菅公は、しまったと口許を袖で覆う。関白がわざと突き放しているのに、それを知る自分が万作の背中を押すなどあっては成らぬこと。余計なことを口走るとは、司命のようだと反省した。
「福島様に連れられ、聚楽第で御目通りが叶いました。私は口からデマカセで参りました故、叱責を受けることも追い出されることも覚悟しておりました。ただ殿下にお会いしたかったのです」
「そなた、関白を慕っていたのか?」
「誰よりも。無論、この時は何故かお会いしたいと思っていただけですが……」
誰よりも慕っていたと告げた万作は、当時を思い出したのか嬉しそうに笑う。菅公は襖を蹴破りたくなった。
万作は、クスクスと喉を鳴らし、楽しげに語る。福島正則と共に着座する万作に関白は、目を丸々と見開いていたという。しかも正則が語る内容は、初めて聞いた話なのだ。
「しかし、殿下は素知らぬ振りをして下さいました。嘘と知れたら私は、福島様に斬り捨てられていたでしょう」
春、山麓で見初められた者を預かって参りました――こう告げた福島正則に、関白は大儀であったと返した。万作の嘘を認めたのだ。
「それから私は、殿下の小姓に取り立てて頂きました。身に余ることでございます。私には取り柄はございません、懸命にお仕え致しました」
万作は、畳に転がる一胴七度を側に寄せた。立派な金梨地に指を這わせると苦しげに漏らす。
「いつの頃からか、私の中には嫉妬が巣くう様になりました」
「嫉妬?」
万作は頷き、語った。
関白ともなれば、従う者は多数いる。家柄が良い者、何かに秀でる者、小姓なれば常に側に控える故に、嫌でも目についてしまうのだ。
「殿下が、お笑いになり他の者をお褒めになられる、優しくお声を掛けられる、いいえ当然のことでございます……が、こう……モヤモヤと」
「悋気じゃな」
「私は、殿下の一等を欲していたのです」
「そなたは、やけに一等に拘るのだな」
「当然でございます。二等が良い訳がありませぬ」
「まあ、言われてみればそうだが……」
万作の言葉には、一理あった。
「私には、何の取り柄もございません。如何にして一等になれましょうか」
「取り柄があろうが、なかろうが、一等とは理屈ではないのだ。私は関白を知っておる、素直な良き男だ。しかし生前の話などせぬ、思い出したくもないと……」
「私は、思い出したくもない者なのですね」
「そうではない。ただ一つ、そなたの話をする時は、楽しそうに笑ったのじゃ」
「隔つ向こう側には、司命が参っておるようじゃな?」
襖の向こうから、放たれた嫌味ったらしい声音に、菅公は慌てて口を覆うと、今度は刀葉樹が口にする。
「関白殿下。どいつも、こいつもで御座候ふ」
ドンッ!
返事か?苛立ちか?立派な襖が音を鳴らした。
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