常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥聚楽

阿弥陀籤

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 地面に膝を揃えた万作は、俯きながらも、それは実か?と問うてきた。無論、関白秀次が狭間へ妻子を伴ったことをだ。
 実であると答える司命しみょうに、キッとまなじりを上げたかと思うと
「殿下お一人ならば、飽きてこちらへやって来ることもございましょうが、お方様らがおられたら参られる訳がございません!」
 ――と、泣き叫ばんばかりに声を上げたという。

 ここまで聞くと菅公かんこうは、チラリと横に座る関白かんぱくを眺めた。

「確かに、関白はこの通りにおるな」
「ああ。私は先に進む気は、米粒程も考えておらぬよ。で?万作はどうなったのだ?」

 痛哭つうこくの涙を流し、切々と訴えるのは稀にみる美貌の若衆である。その上、主とあの世まで共にと、露払いを願い出た忠義の者であったのに、それが露払いの体を成さぬというのなら、死んでも死にきれぬと地面に伏せ声を上げる始末。
 獄卒も司命しみょうも、人が変わったかのように、仏のような眼差しを向けたという。刀葉樹とうようじゅは、チッ!と舌打ちをした。

「ここで口を挟んだのは、司録しろくでした。閻魔庁のただならぬ雰囲気に呆れたのでしょう。とうとう閻王に求めました。どういたしましょうか?と」

 あろうことか閻魔王は、終始亡者に背を向け浄玻璃鏡じょうはりのかがみで何処かを覗いていたという。横で司録しろく司命しみょうが罪状を読み上げるのだから、耳さえ機能していれば問題ないということか。
 そこへ、書記官である司録が決裁を仰いできたと思ったのだろう。うむ――と低く答えると振り返った。

「ここから先は、獄官として言うのも憚られます」
「「言わなくていい、想像がつく 」」

「助かります。兎に角またもや、どいつも、こいつもでございまして」
「然もありなん」

 それから閻魔庁は、万作をどのようにするかで揉めに揉めたという。死出の山を越えてしまった為、常世の狭間に逝くことは出来ぬと、これだけは閻魔王も譲らなかったという。
 宥めすかし、孟婆亭もうばていで待つことを勧めても、頑として首を縦に振らぬ始末。亡者としては、先にも進めず後にも引けずということになるが、獄官の側にいるのならば差し詰、問題なしと万作の身を引き取る獄官を決め、しばらく様子をみることとなった。
 小姓の見目麗しさは、道すがら広まっており名乗り出る者が多数いた為、阿弥陀籤あみだくじで決めた。

「常世の者らは地獄耳でしてね、きんを鳴らせば如来が現れるように、閻王が阿弥陀籤で決めると申した瞬間に、獄官が沸いて出て大変でございました」
「ほう、それで万作は何処に預かりの身に?」

「それは私、刀葉樹の女でございます」
「「 お前もか!? 」」

 二人の驚愕の叫びが、真夏の聚楽に響き渡った。女は言う、決して美貌に惹かれた訳ではございませぬと。
 眩しげにまなこを細め、真夏の火輪を見上げると肩を揺らした。又もや陽炎のように、ゆらゆらと。

「万作の想いに心を打たれたのです。まぁクジに当たらなければ、それまでと思ってはおりましたが……ところで関白」
「何じゃ」

「私に万作の気配がするとか、何とか?」
「ああ、そなたの口ぶりがと同じ事を申す故」

「死出の山を越えた者は、うつし世には戻れませぬ。そして常世の狭間にも。しかし、憑代よりしろがあればついて参れます」
「まさか!そなた連れて来ておるのか!?」

「ええ、獄官ほど相応しい者はおりますまい。しかし、今は奥深くに沈んでおります。先程チラチラと浮上しそうでしたので少々……」

 おそらく、先程のまじないのようなものを唱えたことで、女の中にいる万作の意識が抑えられているのだろうと納得した。

「この会話、万作は聞いておるのか?」
「いえ」

「それでは単刀直入に申す。万作は何がしたいのだ?一胴七度いちのどうしちどを貰ったら先を進むのか?」
「さぁ、私は明王や菩薩ではありませぬ故、預かり知らぬこと。ただ関白にお目見えしたいと申す故、連れて参った」

「自分で聞けということか……それでは、この聚楽は万作の……ということで良いのか?」

 朱の御殿から常世は、聚楽第じゅらくていへと姿を変えた。関白は自分の常世と思っていたが、女は「私の常世」と申した。そのことが引っ掛かっていたのだ。刀葉樹の女は、首を振ると
「同時に願った常世の狭間にて」と告げた。
 朱の御殿が消え失せる頃合いを見計らい、女は聚楽を願ったという。無論、それは万作の想いを憑代よりしろとして後押しした格好だ。しかし、関白の意識まで聚楽に向いたことで、音のない妙な常世の狭間が出来上がってしまったのだとか。

 ―― 妙な狭間にしたのは、その方であろう。

 こんな関白の思いを知ってか知らずか、女は指先を袖におさめ、目の前に置かれた一胴七度いちのどうしちどを恭しく、垂れたこうべに押し当てた。

「生まれ生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く――、関白、如何に?」
「死に死に死に死んで、死の終りにくらし」

 刀葉樹の女は、満足げに笑った。
 人とは、生と死を何度も繰り返すが本質を悟ることが出来ぬ、愚かなものなり――。

「栓なきこと……」

 溜め息と共に漏らした言葉に、女は「でた!」とは言わなかった。その代わり、滑るように関白の胸に収まると一胴七度を押し付ける。

「愚かなり、狭間から退散する気のない主を待つなど……関白、未練は断ってやらねば万作の為にもなりませぬ」
「馬鹿な、私はおぼろ殿やきょう殿とは違う。未練を断ち、往生させる術など持たぬよ」

「然らば、何故に明王も菩薩も……そして閻王までもが、この件は関白へと申したのか?お分かりであろう。万作は、関白の言葉しか受け入れませぬ」
「無茶苦茶な、は私の言葉も聞かぬ」

「然らば、この一胴七度にて斬り捨てなされませ」
「何と!? 」

「ただの刀に、亡者は斬れませぬ。しかし、今一胴七度いちのどうしちどは刀葉樹の刃を持ちました」

 女は、人差し指でとんとん――と額を弾いてみせた。先程、頭へ押し当てた動作が術だったのだろう。刀葉樹の刃ならば、容易く万作を斬り捨てることは出来るだろう。
 しかし主を待つだけの万作を、それだけの理由で斬れとは如何なることかと、関白は女の手首を掴み取る。

「ただの未練を断ちきる為に、私に手を下せと申しておるのか?答えによっては、その方を斬り捨てる」

 あれほど、鯉口が切れなかった一胴七度いちのどうしちどが、カチリ――と音を鳴らした。


 
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