57 / 84
幽冥聚楽
賜りたし
しおりを挟む
昔、村正が欲しいと口にした者がいた。不破万作、関白豊臣秀次の小姓である。
必死にいい募ったようにも見えたが、元々何でも所望する癖がある為、どの程度本気だったのか分からない。そして、それを問うこともなかった。
―― あれは何故、一胴七度を欲したのか?
関白は、ぼんやりと畳に横たわる愛刀を見つめた。女は指をつき、深々と頭をたれる。
「賜りたく。ひらに、ひらに」
「ならぬ……と言いたいところだが、そなた先程、困ったことがあると申したであろう?それと一胴七度は関係があるのか?」
「ございます」
「万作が、地獄におるのか?」
「はい。困った者でございます」
「やはり……」
はぁ――と、大きな溜め息をつく関白は、金梨地の鞘を掴むと女に突きだした。
「あれが欲しておるのだろう?これで未練がなくなるのなら、その方から渡すが良い」
「……理由は聞かれないのですか?」
「ああ、あれには何もしてやれなんだ。私について参ったばっかりに、あのような最期を迎えさせてしまった。ああなると、わかっていたら刀などくれてやったのに……今さら言っても、栓なきことだが」
「でた!栓なきこと!」
「は?」
「いえ、こちらの話」
何か不味いことを口走ったと云わんばかりに、女は口元を両手で覆う。その素振りが益々、関白の疑念を深めた。
眼を細め、不躾に女を眺める視線が居心地悪しと、刀葉樹の女は腰を浮かせ、のそのそと背を向けた。先程から、突然大声で呼び止めたり、モゾモゾと畳を摩りながら背を向ける所作に、セクスゥイーの欠片もない。
まるで、人が変わったようだ。いや正確に云うと場面場面で言うことや動作が不審なのだ。特に言動に引っ掛かりを覚えるのは、気のせいではないだろう。
昔、一胴七度を欲した万作は、こう言った。殿下ッ!欲しいのです!と。
刀葉樹も、全く同じことを言った。そして引き留める言葉も同じであった。お待ち下さい!殿下!と。
目の前の女は、獄官であるのだから万作を真似ることは朝飯前であろう。
それにしては、斑があり過ぎる――と関白は思った。刀葉樹の女の変化術が、このようなお粗末な物とは思えぬのだ。
「獄官は、嘘など申さぬらしいがまことか?」
「当然でございます。獄の官人なれど、鬼は人よりも正直でございますよ」
「願いがあると申したが、私に出来ることなら話を聞こう。ただし、こちらも聞きたいことがある」
「なんなりと」
刀葉樹は、静かに向き直る。関白は、二人の間に刀を置いた。まるで境界を引くように。
「そなた、万作であるか?」
「いえ、獄官刀葉樹の女でございます」
「しかしながら、節々にあの者の気配が感じられるが?」
「……ああ、隠そうとしても滲み出るものは、如何ともし難し……関白、しばしお待ちあれ」
女は合掌印を結び、ゴニョゴニョと唇を動かす。何かの呪いのようなものだろう、関白と菅公は黙り待った。暫くすると女は両膝に手を揃え、願いとは万作のことにございますと告げた。
で、あろうな。と二人は頷く。強い夏の日差しに視線を向け、思い詰めたような眼の陰りに刀葉樹は語りだす。
あれは、いつだったか――遠い昔のことにございます。人は死ぬると七日おきに十王の裁きを受ける。これは卑賤問わず、世の理である――と。
そんなある日、死出の山を三人の若者が越えてきたという。揃いも揃って、なかなかの美形であった故、三途の川で亡者の衣を剥ぎ取る奪衣婆は、急に乙女になり大変気持ち悪かったと語り継がれる。
「「……」」
「それが関白の露払いで現れた三人の小姓でした」
「心当たりは?関白」
菅公が問うた。
「ある。山本主殿助、山田三十郎・不破万作であろう?」
刀葉樹は、こくりと頷くと、事の発端を語りだした。
三人は、特段に罪はなく七日起きに裁きを受けていくのだが、問題が起きたのが五七日、つまり閻魔庁での出来事だったという。
引き出された三人は、素直に書記官である司録、司命の問いに答え滞りなく審議を終えた。次の変成王の殿閣へ向かう門へ誘う獄卒は、普段ならば金棒を振り回し、亡者を打ちすえ追い立てるのだが金棒は何処へやら、手を差し伸べる始末。小姓らは、微笑み口々に礼を述べると、こう問うた。
「我ら三人揃いて主をお迎え致したく、何処で待つのが適しておりましょうか?」
三人は、六道のいずれかに進んでしまっては、関白と再会することが難しいと待ち伏せを試みていたようだ。しかし、逢い引きをするように途中で待ち構える事など出来ぬと、司禄が突っぱねたと云う。
黙り聞き入っていた、関白と菅公は当然であると頷いた。
「それでも、小姓らは引きませぬ。何処かで待たねば再会が果たせぬと、見事な忠義ではございませぬか?」
刀葉樹の女の言葉に、もはや話を聞いても良いなどと、上から物を言っている場合ではないと思ったのは、関白のみならず。それからどうなったのだ?と、菅公は問う。
「どうもこうも……司録は恐ろしい声で、さっさと去ね!と喚く始末でして」
三人は、閻王の御前であるというのに嘆き悲しみ、涙をはらはらと溢す。
蓮にのる雨粒のような涙を獄卒が掬い上げ、慰めるという前代未聞の成り行きを思い出した……と、女はぶるっと震えた。
必死にいい募ったようにも見えたが、元々何でも所望する癖がある為、どの程度本気だったのか分からない。そして、それを問うこともなかった。
―― あれは何故、一胴七度を欲したのか?
関白は、ぼんやりと畳に横たわる愛刀を見つめた。女は指をつき、深々と頭をたれる。
「賜りたく。ひらに、ひらに」
「ならぬ……と言いたいところだが、そなた先程、困ったことがあると申したであろう?それと一胴七度は関係があるのか?」
「ございます」
「万作が、地獄におるのか?」
「はい。困った者でございます」
「やはり……」
はぁ――と、大きな溜め息をつく関白は、金梨地の鞘を掴むと女に突きだした。
「あれが欲しておるのだろう?これで未練がなくなるのなら、その方から渡すが良い」
「……理由は聞かれないのですか?」
「ああ、あれには何もしてやれなんだ。私について参ったばっかりに、あのような最期を迎えさせてしまった。ああなると、わかっていたら刀などくれてやったのに……今さら言っても、栓なきことだが」
「でた!栓なきこと!」
「は?」
「いえ、こちらの話」
何か不味いことを口走ったと云わんばかりに、女は口元を両手で覆う。その素振りが益々、関白の疑念を深めた。
眼を細め、不躾に女を眺める視線が居心地悪しと、刀葉樹の女は腰を浮かせ、のそのそと背を向けた。先程から、突然大声で呼び止めたり、モゾモゾと畳を摩りながら背を向ける所作に、セクスゥイーの欠片もない。
まるで、人が変わったようだ。いや正確に云うと場面場面で言うことや動作が不審なのだ。特に言動に引っ掛かりを覚えるのは、気のせいではないだろう。
昔、一胴七度を欲した万作は、こう言った。殿下ッ!欲しいのです!と。
刀葉樹も、全く同じことを言った。そして引き留める言葉も同じであった。お待ち下さい!殿下!と。
目の前の女は、獄官であるのだから万作を真似ることは朝飯前であろう。
それにしては、斑があり過ぎる――と関白は思った。刀葉樹の女の変化術が、このようなお粗末な物とは思えぬのだ。
「獄官は、嘘など申さぬらしいがまことか?」
「当然でございます。獄の官人なれど、鬼は人よりも正直でございますよ」
「願いがあると申したが、私に出来ることなら話を聞こう。ただし、こちらも聞きたいことがある」
「なんなりと」
刀葉樹は、静かに向き直る。関白は、二人の間に刀を置いた。まるで境界を引くように。
「そなた、万作であるか?」
「いえ、獄官刀葉樹の女でございます」
「しかしながら、節々にあの者の気配が感じられるが?」
「……ああ、隠そうとしても滲み出るものは、如何ともし難し……関白、しばしお待ちあれ」
女は合掌印を結び、ゴニョゴニョと唇を動かす。何かの呪いのようなものだろう、関白と菅公は黙り待った。暫くすると女は両膝に手を揃え、願いとは万作のことにございますと告げた。
で、あろうな。と二人は頷く。強い夏の日差しに視線を向け、思い詰めたような眼の陰りに刀葉樹は語りだす。
あれは、いつだったか――遠い昔のことにございます。人は死ぬると七日おきに十王の裁きを受ける。これは卑賤問わず、世の理である――と。
そんなある日、死出の山を三人の若者が越えてきたという。揃いも揃って、なかなかの美形であった故、三途の川で亡者の衣を剥ぎ取る奪衣婆は、急に乙女になり大変気持ち悪かったと語り継がれる。
「「……」」
「それが関白の露払いで現れた三人の小姓でした」
「心当たりは?関白」
菅公が問うた。
「ある。山本主殿助、山田三十郎・不破万作であろう?」
刀葉樹は、こくりと頷くと、事の発端を語りだした。
三人は、特段に罪はなく七日起きに裁きを受けていくのだが、問題が起きたのが五七日、つまり閻魔庁での出来事だったという。
引き出された三人は、素直に書記官である司録、司命の問いに答え滞りなく審議を終えた。次の変成王の殿閣へ向かう門へ誘う獄卒は、普段ならば金棒を振り回し、亡者を打ちすえ追い立てるのだが金棒は何処へやら、手を差し伸べる始末。小姓らは、微笑み口々に礼を述べると、こう問うた。
「我ら三人揃いて主をお迎え致したく、何処で待つのが適しておりましょうか?」
三人は、六道のいずれかに進んでしまっては、関白と再会することが難しいと待ち伏せを試みていたようだ。しかし、逢い引きをするように途中で待ち構える事など出来ぬと、司禄が突っぱねたと云う。
黙り聞き入っていた、関白と菅公は当然であると頷いた。
「それでも、小姓らは引きませぬ。何処かで待たねば再会が果たせぬと、見事な忠義ではございませぬか?」
刀葉樹の女の言葉に、もはや話を聞いても良いなどと、上から物を言っている場合ではないと思ったのは、関白のみならず。それからどうなったのだ?と、菅公は問う。
「どうもこうも……司録は恐ろしい声で、さっさと去ね!と喚く始末でして」
三人は、閻王の御前であるというのに嘆き悲しみ、涙をはらはらと溢す。
蓮にのる雨粒のような涙を獄卒が掬い上げ、慰めるという前代未聞の成り行きを思い出した……と、女はぶるっと震えた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
甘灯の思いつき短編集
甘灯
キャラ文芸
作者の思いつきで書き上げている短編集です。 (現在16作品を掲載しております)
※本編は現実世界が舞台になっていることがありますが、あくまで架空のお話です。フィクションとして楽しんでくださると幸いです。
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
想妖匣-ソウヨウハコ-
桜桃-サクランボ-
キャラ文芸
深い闇が広がる林の奥には、"ハコ"を持った者しか辿り着けない、古びた小屋がある。
そこには、紳士的な男性、筺鍵明人《きょうがいあきと》が依頼人として来る人を待ち続けていた。
「貴方の匣、開けてみませんか?」
匣とは何か、開けた先に何が待ち受けているのか。
「俺に記憶の為に、お前の"ハコ"を頂くぞ」
※小説家になろう・エブリスタ・カクヨムでも連載しております
毒小町、宮中にめぐり逢ふ
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。
生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。
しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる