22 / 73
幽冥竜宮
閻魔
しおりを挟む
芳乃の頬を伝う涙は、細い顎からポタポタと赤い雫と化し、小さく震える唇から漏れた一言は、常世全体に響き渡り、幾重にも広がった。
―― 地獄で太郎地蔵と会えるだろうか?
悲痛な叫びにも似た言葉に、顔を伏せ、黒い塊と化していた菅公は、そっと面を上げ、芳乃の心が震えておる――と言った。
月を見上げては感嘆の声を上げ、散る花に涙する感受性豊かな菅公は、芳乃の言葉に何かを感じたようだ。
「芳乃は六郎を討ち仕損じた。それを、今からでも本懐を遂げよと送り出したのは、そなたじゃ地蔵」
「そうじゃが、それが何じゃ朧殿」
「そなたは、初めにこう言った。芳乃を救って欲しいと」
「……」
「それが、霊魂になっても殺生を重ねるように仕向けたのは何故じゃ?生前の罪を裁くのは地獄の沙汰じゃ。人とは過ちを犯すもの、皆それはよう分かっておる……が、常世へ迷い込んだ芳乃は人ではない、死人になってまで罪を重ねては、地獄の十王も見逃せまい」
朧は、蝋燭の火先を思わせる朱をチロチロと揺らめかせ、目の前に座る太郎に問うが、静かな口調の端々には憤りが見え隠れしていた。
そんな朧に太郎は、ふん!と鼻を鳴らす、地蔵菩薩の穏やかな眼に、憎しみの色を宿し、薄い唇を引き上げると継いだ――
「あの男……六郎は芳乃に、こう言った。卯の花が似合うと……違う。わしが初めにそう思うたのだ」
「は?」
「わしは、芳乃が小さい時から知っておる。この位じゃ!こんなに小さい時分からじゃ!」
太郎は、幼い芳乃の身の丈を表すように掌を横に振ってみせるが、聞かされている者逹は、唖然とし太郎を眺めている。それに気付いていないのか興奮し、唾を撒き、掌を板間に叩きつけ語るのは地蔵菩薩だ。元々、石で出来ているからなのか、打ち付ける板はガツンガツンと鳴り、抜けるのではないか?と菅公は心配する。
「待て、待て、待て、待て!! この色欲地蔵!!」
こう叫ぶのは、太郎に手厳しい響だ。今回に至っては菅公は止める気はないのか、黙り見守っている。
響の言う通り、太郎の口ぶりは芳乃に執着した者のように聞こえたからだ。
「うるさい!菩薩!そもそも畦道に空木を咲かせたのは、芳乃が卯の花のように白く可憐だと思ったからじゃ!」
「お前……!そんなことを!? 何と気味の悪い!」
「わしのやったことを使って、六郎は芳乃を誘惑したのじゃ!」
「いい加減にしろ!吐き気がする!出ていけ!」
我慢できない!と叫んだ響は、太郎の襟首を掴み取ると板間を引きずり、鏡の前で押さえつけた。水晶の如く澄み渡る鏡には、ゆらゆらと立ち上がり畦道を塞ぐ芳乃と、その姿に驚愕する六郎が映し出されていた。
「その細い眼をよぉく開いて、とくと見よ!芳乃が魂になっても殺生をする所を!お前のせいだぞ、地蔵、お前が送り出したのだ。これで可愛い芳乃は畜生道を繰り返すかもしれぬ、いいや!地獄へ落ちるかも知れぬ、いつか救われるかもしれぬが、救いがすぐとは限らぬのだぞ!」
「救いが欲しいのは、わしとて同じじゃ!」
「はあ?」
「あの畦道にわしが居なければ、卯の花がなければ、六郎と知り合わずに済んだ!」
「馬鹿な!人の生は、生まれた時から決まっている!お前のことなど関係ないわ!」
「六郎は、わしを拝む芳乃を見初めたのだ!わしが彼処におらねば……!」
「頭でっかちの石頭め!! お前のせいで余計な手間がかかるわ!」
お互い声を張り上げ応酬するのを、呆れ遮る言葉を放ったのは朧だった。
「話が進まぬ」そう一言口にすると、鏡の前で響に押さえ付けられ、這いつくばる太郎に歩み寄った。
内衣から腕を伸ばし、太郎の丸い顎に指を掛けるとニッコリと微笑む。目元に引かれた紅がやけに際立ち、玉水のように瑞々しい唇は優しげに引き上がるのだが、どうした訳か響は、生唾を呑み込み、ジリジリと太郎から後退した。
しなやかな指先は、太郎の顎から喉元に下り、そっと回される。片手で太郎の首を握る形となった朧は、ゆったりとした声音を放った――
「つまり……そなたが畦道に居て、幼い頃から信心してくれた可愛い芳乃の為に、空木を咲かせた。六郎は、そなたを拝む芳乃を見初め、そして空木の歌で求愛した。つまり全ては地蔵が、居たから不幸な生涯になった。そう言いたいのか?」
太郎の首に回された腕が、一本増えた。朧は十本の指を首に添え、チロチロと揺れる眼で上下する太郎の喉元を眺める。添えた指先は緩まる気配はない。引き上がる唇から、低く怒気交じりの声音が放たれた。
「思い上がりも大概にしろ、閻魔」
「明王!止めよ!!」
すかさず太郎は叫んだが、どちらが早かったか?朧は、軽く指をつぼめた。力が加えられたようにも見えなかったが、何としたことか太郎の首はゴトリ、と落ちた。
―― 地獄で太郎地蔵と会えるだろうか?
悲痛な叫びにも似た言葉に、顔を伏せ、黒い塊と化していた菅公は、そっと面を上げ、芳乃の心が震えておる――と言った。
月を見上げては感嘆の声を上げ、散る花に涙する感受性豊かな菅公は、芳乃の言葉に何かを感じたようだ。
「芳乃は六郎を討ち仕損じた。それを、今からでも本懐を遂げよと送り出したのは、そなたじゃ地蔵」
「そうじゃが、それが何じゃ朧殿」
「そなたは、初めにこう言った。芳乃を救って欲しいと」
「……」
「それが、霊魂になっても殺生を重ねるように仕向けたのは何故じゃ?生前の罪を裁くのは地獄の沙汰じゃ。人とは過ちを犯すもの、皆それはよう分かっておる……が、常世へ迷い込んだ芳乃は人ではない、死人になってまで罪を重ねては、地獄の十王も見逃せまい」
朧は、蝋燭の火先を思わせる朱をチロチロと揺らめかせ、目の前に座る太郎に問うが、静かな口調の端々には憤りが見え隠れしていた。
そんな朧に太郎は、ふん!と鼻を鳴らす、地蔵菩薩の穏やかな眼に、憎しみの色を宿し、薄い唇を引き上げると継いだ――
「あの男……六郎は芳乃に、こう言った。卯の花が似合うと……違う。わしが初めにそう思うたのだ」
「は?」
「わしは、芳乃が小さい時から知っておる。この位じゃ!こんなに小さい時分からじゃ!」
太郎は、幼い芳乃の身の丈を表すように掌を横に振ってみせるが、聞かされている者逹は、唖然とし太郎を眺めている。それに気付いていないのか興奮し、唾を撒き、掌を板間に叩きつけ語るのは地蔵菩薩だ。元々、石で出来ているからなのか、打ち付ける板はガツンガツンと鳴り、抜けるのではないか?と菅公は心配する。
「待て、待て、待て、待て!! この色欲地蔵!!」
こう叫ぶのは、太郎に手厳しい響だ。今回に至っては菅公は止める気はないのか、黙り見守っている。
響の言う通り、太郎の口ぶりは芳乃に執着した者のように聞こえたからだ。
「うるさい!菩薩!そもそも畦道に空木を咲かせたのは、芳乃が卯の花のように白く可憐だと思ったからじゃ!」
「お前……!そんなことを!? 何と気味の悪い!」
「わしのやったことを使って、六郎は芳乃を誘惑したのじゃ!」
「いい加減にしろ!吐き気がする!出ていけ!」
我慢できない!と叫んだ響は、太郎の襟首を掴み取ると板間を引きずり、鏡の前で押さえつけた。水晶の如く澄み渡る鏡には、ゆらゆらと立ち上がり畦道を塞ぐ芳乃と、その姿に驚愕する六郎が映し出されていた。
「その細い眼をよぉく開いて、とくと見よ!芳乃が魂になっても殺生をする所を!お前のせいだぞ、地蔵、お前が送り出したのだ。これで可愛い芳乃は畜生道を繰り返すかもしれぬ、いいや!地獄へ落ちるかも知れぬ、いつか救われるかもしれぬが、救いがすぐとは限らぬのだぞ!」
「救いが欲しいのは、わしとて同じじゃ!」
「はあ?」
「あの畦道にわしが居なければ、卯の花がなければ、六郎と知り合わずに済んだ!」
「馬鹿な!人の生は、生まれた時から決まっている!お前のことなど関係ないわ!」
「六郎は、わしを拝む芳乃を見初めたのだ!わしが彼処におらねば……!」
「頭でっかちの石頭め!! お前のせいで余計な手間がかかるわ!」
お互い声を張り上げ応酬するのを、呆れ遮る言葉を放ったのは朧だった。
「話が進まぬ」そう一言口にすると、鏡の前で響に押さえ付けられ、這いつくばる太郎に歩み寄った。
内衣から腕を伸ばし、太郎の丸い顎に指を掛けるとニッコリと微笑む。目元に引かれた紅がやけに際立ち、玉水のように瑞々しい唇は優しげに引き上がるのだが、どうした訳か響は、生唾を呑み込み、ジリジリと太郎から後退した。
しなやかな指先は、太郎の顎から喉元に下り、そっと回される。片手で太郎の首を握る形となった朧は、ゆったりとした声音を放った――
「つまり……そなたが畦道に居て、幼い頃から信心してくれた可愛い芳乃の為に、空木を咲かせた。六郎は、そなたを拝む芳乃を見初め、そして空木の歌で求愛した。つまり全ては地蔵が、居たから不幸な生涯になった。そう言いたいのか?」
太郎の首に回された腕が、一本増えた。朧は十本の指を首に添え、チロチロと揺れる眼で上下する太郎の喉元を眺める。添えた指先は緩まる気配はない。引き上がる唇から、低く怒気交じりの声音が放たれた。
「思い上がりも大概にしろ、閻魔」
「明王!止めよ!!」
すかさず太郎は叫んだが、どちらが早かったか?朧は、軽く指をつぼめた。力が加えられたようにも見えなかったが、何としたことか太郎の首はゴトリ、と落ちた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
家路を飾るは竜胆の花
石河 翠
恋愛
フランシスカの夫は、幼馴染の女性と愛人関係にある。しかも姑もまたふたりの関係を公認しているありさまだ。
夫は浮気をやめるどころか、たびたびフランシスカに暴力を振るう。愛人である幼馴染もまた、それを楽しんでいるようだ。
ある日夜会に出かけたフランシスカは、ひとけのない道でひとり置き去りにされてしまう。仕方なく徒歩で屋敷に帰ろうとしたフランシスカは、送り犬と呼ばれる怪異に出会って……。
作者的にはハッピーエンドです。
表紙絵は写真ACよりchoco❁⃘*.゚さまの作品(写真のID:22301734)をお借りしております。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
(小説家になろうではホラージャンルに投稿しておりますが、アルファポリスではカテゴリーエラーを避けるために恋愛ジャンルでの投稿となっております。ご了承ください)
〖完結〗私が死ねばいいのですね。
藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。
両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。
それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。
冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。
クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。
そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全21話で完結になります。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる