常世の狭間

幽冥竜宮

対面

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　――これは、噂に聞く宮中のようじゃ。

　芳乃よしのは、先導する束帯そくたい姿の菅公かんこうに続き、眼まなこのみを動かした。
　御簾みすの奥は、覗き見ることは叶わないが上から垂れる、白や赤に染め分けられた紐の房は、長い廊下を誘いざなうように彩り、まことに優美で此処ここが幽鬼ゆうきの棲すみかとは思えない。
　――が、一度ひとたび視線を庭先へ向けると無数の人魂。芳乃よしのは、げんなりとした。

「そう、嫌気が差したような面おもてをするでない、あれでも関白かんぱくの家族である」
「家族？あんなにいるのか？」

　赤い人魂も、青白く燃える人魂も、全て関白かんぱくの家族だということに芳乃よしのは、立ち止まり眺めた。
　大きく燃え盛る者・、チロチロと燻るような者・、全てが違っているのは生前の姿形や性質によるものなのだろうか――？などと考えたが、菅公かんこうは滑るように足を進める、芳乃よしのは置いていかれては困ると、慌てて追いかけた。

　◆◆◆◆◆

　眼前に広がる板敷きの床には、繧繝縁うんげんべりの置畳が並べられ、内二つには既に主が鎮座していた。
　じっと視線を向けてくるのは、芳乃よしのと同じ年頃だろうか？年の頃、十七、八の男。
　紫黒しこくにも見える黒髪を頭部で結わえ長く垂らす、毛先は肩にも届く長さだった。身に付ける狩衣かりぎぬは、渓谷の流れを思い起こすような澄み渡る青に、幸菱さいわいびし。爽やかな衣が良く似合う男であった。特に目を奪われるのは男の顔だ、鼻筋が通り、涼しげな目元と薄い桜色の唇が村のお堂にあった観音菩薩を思い起こさせた。

　―― 何と気品のある顔立ちをしているのだろう。

　薄気味の悪い、人魂飛び交う常世とこよに棲むには場違いだと思う。それほど男は、美しかった。
　呆ほうけたように立ち尽くす芳乃を、どう思ったのか男は、形の良い唇を引き上げると、横に座る女に何か囁いた。
　おそらく芳乃よしののことを口にしたのだろう、女が伏せていた瞼まぶたを上げる、女も同じ年頃に見えた。
　こちらも存分に見目麗しい。が、何処と無く違和感を覚える、女の眉間には花鈿かでんが描かれていたのだ。
　花鈿かでんとは、奈良に都があった頃に女官などが施していた化粧だ。眉間に紅で点を描き入れる、唐文化を彷彿とさせるものだった。
　身に付けている物も、大袖と同色の内衣ないいを重ね、裙もを着け、 紕帯そえおびをしめている。
　極めつけに、肩から掛けているのは領巾ひれだ。
　菅公かんこうの束帯そくたい、関白かんぱくの豪華な羽織、目の前の男の狩衣かりぎぬから考えると、女だけが古いにしえ過ぎることに気をとられ、芳乃は、女に当てた視線を逸らしもしなかった。
　ここで、一つ別のことに気づく。
　女の双眸そうぼうが揺らめく蝋燭の火先ほさきのような色をしていること、そして眼まなこを眺めていると、チリチリと焼けるような熱を自身の瞼に感じること、本能的に不味いと感じた芳乃よしのは、視線を逸らした。

「芳乃よしの、これへ」

　置畳に腰を下ろした菅公が、右手に持つ檜扇ひおうぎを二度三度振りつけると、そのまま空いている置畳の隅を叩く、得体の知れない者達の前に進む気にもならないが、仕方なし――と座した。
　すると、腰を下ろすのを待ち構えていたのだろう、花鈿かでんの女が口を開いた。

「勿体ぶった話など、どちらにとっても面倒なだけである――故に、単刀直入に参るが……芳乃よしの、そなた大事なことを忘れているようだが？心当たりは？」
「待て、朧おぼろ殿。せっかち過ぎる」
「何が、せっかちだ？響きょう殿」
「我々は、名も名乗っていない」
「……言われてみれば」

　花鈿かでんの女は頷くと、直ぐ様「芳乃よしの」と名を呼んだ。

「は、はい！」

　狩衣かりぎぬの男は、見た目同様の声音だ、優しげでおっとりとしている。
　そして花鈿かでんの女も、姿と同様の印象の声音だ、覇気とする声は強く響く。

「今の話、聞いていたか？」
「は？」

　せっかち――、そういう会話しかなかったが聞いていたのだから、芳乃よしのは大きく首を縦にふってみせた、すると花鈿かでんの女は顎を上げ、にやりと笑うと、こう言った。
　我々の名は、もう存じておるらしい――と。
　男と菅公かんこうは、思わず顔を見合せ、ふっ――と口許を綻ばせると二人して芳乃よしのへ視線を移した。
　その意味ありげに細まる眼まなこは、言葉を発していないのに、ハッキリと物申していた。
　な？せっかち、であろう？――と。

　―― なるほど、せっかちだ。

　芳乃よしのは、一人満足げに笑っている朧おぼろを、もう1度眺めた。
　蝋燭ろうそくの火先ほさきを思わせる赤い揺らめきが、夜空に鈍く輝く平家星へいけぼしを彷彿とさせた。