3 / 73
幽冥竜宮
常世
しおりを挟む
名でも何でも良い。何か知りたいと思い、芳乃は口を開いた。
「私は芳乃と申します。あの……貴方様方は?」
だが、その問いが意に添わぬものだったのか?束帯の男は、檜扇を口許に当てると眉を寄せ「軽々と名を名乗るなど――」と言った。
不味いことを言ったのか――、
芳乃は身構えたが、その心配を濃き袴の男が笑い飛ばした。何が面白いのか、月を呑み込むように大きく口をあけ、天を仰ぎ大笑する。
それが気に入らなかったのだろう、束帯の男は口許に寄せた扇で直ぐ様、金糸羽織の肩を打ち据えた。
ピシャリ!と空気が響くと、打たれた男は肩をすくめ口をつぐむ――が、ゆっくりと芳乃に視線を向けた。月明かりと炎に揺らめく姿は、痩躯が際立ち、芳乃を見据える眼は空洞のようだ。
これは、死人のようじゃ――
そう思い、ハッと我に返った。まさしく、それではないか?と。何となく思い付いたことが状況と合致することに総毛立った。
ただの畦道を歩き、座って地面を眺めていた一瞬で広々とした大路、朱色の御殿、しかも月夜に変化していたのだ。
芳乃は確信した、ここは現し世ではない、常世であると――。
「芳乃殿、この者は古風な考えでな、呪詛などを気にしておる。よって名を軽々しく名乗ることも嫌うのじゃ」
金糸羽織の男が丁寧な説明をするが、それどころではない。しかし、そんな芳乃の考えなど知らぬ様子で男は続ける。
「で、あるから、こやつのことは菅公」
「かんこう?」
「そうじゃ、そして私のことは関白と」
「か、かんぱく!?」
関白とは、天皇を補佐して政務を司る者であり、公家の最高位だ。
幽鬼の癖に、大層な仮の名だ――と、呆れはしたが菅公と関白は何とも思っていないのだろう。
「いざ、いざ、芳乃殿、常世の御殿へ」
弾む声音に似つかわしく、童が戯れるように三歩程、跳びはね進む関白であったが、常世という言葉に、芳乃の足は関白とは逆に三歩後ずさった――途端、下げた右足が滑り落ちる。グラリと体勢が傾き、大きく仰け反る背に、これは尻餅をつく――と覚悟をしたのだが、束帯の袖から伸ばされた手が、しかと芳乃を引っ張りあげた。
「菅公……」
「危ないと初めに申したであろうが、危うく池に落ちる所であったぞ」
池――?そんなわけはない。朱色の橋を渡ったのだ、後ろに真っ直ぐ後ずされば橋に倒れるだけである。芳乃は菅公が向ける視線に己の視線を這わせた。
漆喰の楼門と、芳乃を別つ池は、もはや池というより川のように対岸が離れ、あったはずの朱の橋は消え去っていた。
「菅公、三途の川のようじゃな?」
芳乃は、覚悟を決め問うた。明らかに現し世ではないと思う。
菅公は眼を細め、川のような池を一瞥すると首を振る
「三途の川を渡れたら、良いのになぁ?」
少し寂しげにも聞こえた、菅公の言葉に芳乃はそれ以上、継ぐことはなかった。ここが常世であろうが、おそらく逃げることなど出来ないだろう。
暗い水面に飛び込むことは、無謀である上に、菅公と関白の周りを照らす炎には苦しげに歪む人の顔が浮かび上がる、人ではない者と対峙しても勝負は見えていた。
「それは人魂なのだな……」
芳乃は、静かに松明代わりの炎を眺め尋ねたのだが、菅公の笑みを浮かべる唇から返ってきた言葉は、静かに響く次の幽鬼の名だった。
「朧殿と響殿に会わせよう」
ケラケラと楽しげに笑う関白は、付け加えた。
「これも、まことの名ではないがな?」と。
菅公と関白は、朱色の御殿を背に機嫌良く笑う。
皓皓と照らす月と、鈍く輝く平家星、芳乃は諦め二人の後に続いた。
「私は芳乃と申します。あの……貴方様方は?」
だが、その問いが意に添わぬものだったのか?束帯の男は、檜扇を口許に当てると眉を寄せ「軽々と名を名乗るなど――」と言った。
不味いことを言ったのか――、
芳乃は身構えたが、その心配を濃き袴の男が笑い飛ばした。何が面白いのか、月を呑み込むように大きく口をあけ、天を仰ぎ大笑する。
それが気に入らなかったのだろう、束帯の男は口許に寄せた扇で直ぐ様、金糸羽織の肩を打ち据えた。
ピシャリ!と空気が響くと、打たれた男は肩をすくめ口をつぐむ――が、ゆっくりと芳乃に視線を向けた。月明かりと炎に揺らめく姿は、痩躯が際立ち、芳乃を見据える眼は空洞のようだ。
これは、死人のようじゃ――
そう思い、ハッと我に返った。まさしく、それではないか?と。何となく思い付いたことが状況と合致することに総毛立った。
ただの畦道を歩き、座って地面を眺めていた一瞬で広々とした大路、朱色の御殿、しかも月夜に変化していたのだ。
芳乃は確信した、ここは現し世ではない、常世であると――。
「芳乃殿、この者は古風な考えでな、呪詛などを気にしておる。よって名を軽々しく名乗ることも嫌うのじゃ」
金糸羽織の男が丁寧な説明をするが、それどころではない。しかし、そんな芳乃の考えなど知らぬ様子で男は続ける。
「で、あるから、こやつのことは菅公」
「かんこう?」
「そうじゃ、そして私のことは関白と」
「か、かんぱく!?」
関白とは、天皇を補佐して政務を司る者であり、公家の最高位だ。
幽鬼の癖に、大層な仮の名だ――と、呆れはしたが菅公と関白は何とも思っていないのだろう。
「いざ、いざ、芳乃殿、常世の御殿へ」
弾む声音に似つかわしく、童が戯れるように三歩程、跳びはね進む関白であったが、常世という言葉に、芳乃の足は関白とは逆に三歩後ずさった――途端、下げた右足が滑り落ちる。グラリと体勢が傾き、大きく仰け反る背に、これは尻餅をつく――と覚悟をしたのだが、束帯の袖から伸ばされた手が、しかと芳乃を引っ張りあげた。
「菅公……」
「危ないと初めに申したであろうが、危うく池に落ちる所であったぞ」
池――?そんなわけはない。朱色の橋を渡ったのだ、後ろに真っ直ぐ後ずされば橋に倒れるだけである。芳乃は菅公が向ける視線に己の視線を這わせた。
漆喰の楼門と、芳乃を別つ池は、もはや池というより川のように対岸が離れ、あったはずの朱の橋は消え去っていた。
「菅公、三途の川のようじゃな?」
芳乃は、覚悟を決め問うた。明らかに現し世ではないと思う。
菅公は眼を細め、川のような池を一瞥すると首を振る
「三途の川を渡れたら、良いのになぁ?」
少し寂しげにも聞こえた、菅公の言葉に芳乃はそれ以上、継ぐことはなかった。ここが常世であろうが、おそらく逃げることなど出来ないだろう。
暗い水面に飛び込むことは、無謀である上に、菅公と関白の周りを照らす炎には苦しげに歪む人の顔が浮かび上がる、人ではない者と対峙しても勝負は見えていた。
「それは人魂なのだな……」
芳乃は、静かに松明代わりの炎を眺め尋ねたのだが、菅公の笑みを浮かべる唇から返ってきた言葉は、静かに響く次の幽鬼の名だった。
「朧殿と響殿に会わせよう」
ケラケラと楽しげに笑う関白は、付け加えた。
「これも、まことの名ではないがな?」と。
菅公と関白は、朱色の御殿を背に機嫌良く笑う。
皓皓と照らす月と、鈍く輝く平家星、芳乃は諦め二人の後に続いた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
蛍地獄奇譚
玉楼二千佳
ライト文芸
地獄の門番が何者かに襲われ、妖怪達が人間界に解き放たれた。閻魔大王は、我が次男蛍を人間界に下界させ、蛍は三吉をお供に調査を開始する。蛍は絢詩野学園の生徒として、潜伏する。そこで、人間の少女なずなと出逢う。
蛍となずな。決して出逢うことのなかった二人が出逢った時、運命の歯車は動き始める…。
*表紙のイラストは鯛飯好様から頂きました。
著作権は鯛飯好様にあります。無断転載厳禁
闇に蠢く
野村勇輔(ノムラユーリ)
ホラー
関わると行方不明になると噂される喪服の女(少女)に関わってしまった相原奈央と相原響紀。
響紀は女の手にかかり、命を落とす。
さらに奈央も狙われて……
イラスト:ミコトカエ(@takoharamint)様
※無断転載等不可
式鬼のはくは格下を蹴散らす
森羅秋
キャラ文芸
時は現代日本。生活の中に妖怪やあやかしや妖魔が蔓延り人々を影から脅かしていた。
陰陽師の末裔『鷹尾』は、鬼の末裔『魄』を従え、妖魔を倒す生業をしている。
とある日、鷹尾は分家であり従妹の雪絵から決闘を申し込まれた。
勝者が本家となり式鬼を得るための決闘、すなわち下剋上である。
この度は陰陽師ではなく式鬼の決闘にしようと提案され、鷹尾は承諾した。
分家の下剋上を阻止するため、魄は決闘に挑むことになる。
貧乏神の嫁入り
石田空
キャラ文芸
先祖が貧乏神のせいで、どれだけ事業を起こしても失敗ばかりしている中村家。
この年もめでたく御店を売りに出すことになり、長屋生活が終わらないと嘆いているいろりの元に、一発逆転の縁談の話が舞い込んだ。
風水師として名を馳せる鎮目家に、ぜひともと呼ばれたのだ。
貧乏神の末裔だけど受け入れてもらえるかしらと思いながらウキウキで嫁入りしたら……鎮目家の虚弱体質な跡取りのもとに嫁入りしろという。
貧乏神なのに、虚弱体質な旦那様の元に嫁いで大丈夫?
いろりと桃矢のおかしなおかしな夫婦愛。
*カクヨム、エブリスタにも掲載中。
時守家の秘密
景綱
キャラ文芸
時守家には代々伝わる秘密があるらしい。
その秘密を知ることができるのは後継者ただひとり。
必ずしも親から子へ引き継がれるわけではない。能力ある者に引き継がれていく。
その引き継がれていく秘密とは、いったいなんなのか。
『時歪(ときひずみ)の時計』というものにどうやら時守家の秘密が隠されているらしいが……。
そこには物の怪の影もあるとかないとか。
謎多き時守家の行く末はいかに。
引き継ぐ者の名は、時守彰俊。霊感の強い者。
毒舌付喪神と二重人格の座敷童子猫も。
*エブリスタで書いたいくつかの短編を改稿して連作短編としたものです。
(座敷童子猫が登場するのですが、このキャラをエブリスタで投稿した時と変えています。基本的な内容は変わりありませんが結構加筆修正していますのでよろしくお願いします)
お楽しみください。
CODE:HEXA
青出 風太
キャラ文芸
舞台は近未来の日本。
AI技術の発展によってAIを搭載したロボットの社会進出が進む中、発展の陰に隠された事故は多くの孤児を生んでいた。
孤児である主人公の吹雪六花はAIの暴走を阻止する組織の一員として暗躍する。
※「小説家になろう」「カクヨム」の方にも投稿しています。
※毎週金曜日の投稿を予定しています。変更の可能性があります。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる