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9、僕の危険なスペ★ギフ
しおりを挟むメイド喫茶を後にした僕は、歩道を外れ島の林の中へと走り込む。
天宮さんから身を隠すという理由だけではない。他の女性とも顔を合わせないようにするためだ。
眼鏡をかけていない今の僕は、女性にとって何よりも危険な存在となっている。
『淫夢雄悪魔の瞳』
それが、特能対策庁よって名付けられた僕のスペ☆ギフの名前だ。
姫島先生も言っていたように、感情操作型のスペ☆ギフ。
僕の瞳を見た女性の心を操作し、一定時間僕に対して強烈な恋愛感情を抱かせてしまうのだ。
この強烈なと言うのは大袈裟でも誇張でもない。むしろ生ぬるい表現と言えよう。下品になってしまうが、発情させると言ってしまった方が適切かもしれない。
僕のスペ☆ギフの影響下に陥った女性は、強い恋愛感情に突き動かされ全力で僕を手に入れようと迫って来る。理性も常識もそこには残されていない。何らかのリミッターが外れるせいだろうか? 力だって強くなる。
何よりも問題なのは、僕がこのスペ☆ギフを制御できないということだ。研究機関で用意してくれたあの特殊な眼鏡をかけることでしか、スペ☆ギフを封じることは不可能だった。
一カ月前、通っていた地元の高校で僕はこのスペ☆ギフを覚醒させた。英語の授業の時間。スピーチをさせられていた時だった。
檀上に立っていた僕を見ていたクラスの女子達が、僕のスペ☆ギフの最初の犠牲者となった。
迫って来るクラスの女子達。驚いて教室を飛び出す僕。廊下で会った女性教師までもが僕を捕まえようとする。運悪く休み時間になり、他のクラスから出てきた女子達も、次々とスペ☆ギフの犠牲者となった。
そして、学校全体を巻き込んだ大惨事へと発展してしまった。
僕は制服をビリビリに破られ、トランクスまで剥ぎ取られた。僕を求める女子達にもみくちゃにされ、全身は打ち身とひっかき傷だらけになった。どうにか掃除用具室に立てこもることでどうにかお互いにとっての最悪の事態は免れたが、あの時の恐怖はどうやったって忘れられない。
しばらく無我夢中で走っていると、いつの間にか林を抜け海岸へと出ていた。岩に囲まれた小さな砂浜だった。
(ここなら大丈夫そうだな)
僕は流れ着いていた大きな流木に腰を下ろし、荒くなっていた息を整えた。
これからどうしようかと考える。
天宮さんとは、しっかりと目を合わせてしまっている。スペ☆ギフの影響はたっぷり二時間は持続するだろう。
今頃は、目の色を変えて僕のことを探しているはずだ。彼女にそんな行動をさせてしまうことを、僕は非常に申し訳なく思った。
とにかく、僕のスペ☆ギフの効果が切れるまでは天宮さんとは顔を合わせないようにしなければならない。それと、メイド喫茶に置いてきてしまった眼鏡を回収する必要もある。そうしないことには、この場所から出ていくことすらできない。
(そうだ、智樹に電話しよう。眼鏡をここまで持ってきてもらうんだ)
女性に対しては凶悪なまでの効果を見せる僕のスペ☆ギフだけど、男性に対してはまったくの無害だ。智樹となら眼鏡を付けていない状態で会っても何の問題もない。
もちろん、智樹には僕のスペ☆ギフについて洗いざらい話さなければならない。嘘をついていたのかと怒られるかもしれないけど、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
僕は智樹に電話をするため、ポケットの中の携帯に手を伸ばす。だけど、僕の手は空を掴む。そこに携帯は入ってなかったのだ。
僕は思い出した。歩いている時、何だか落としそうだったから携帯を鞄へと移していたことを。
当然、鞄はメイド喫茶に置かれたままだ。
「どうしようもないじゃないか」
途方にくれた僕は、ぼんやりと海を眺めた。水平線に沈みかける太陽が見えた。眩しいぐらいに輝いて見えた。
もうこの島で、こうやって夕日を眺めることもないのだろうと僕は思った。
転校初日からいきなりスペ☆ギフを発動させ犠牲者を出してしまったのだ。この事態を特能対策庁は見逃してくれないだろう。
眼鏡があるとは言え学生生活を送るのは危険と判断され、センターへと送られるはずだ。
センターと言うのは略語で、正式名所は『スペ☆ギフ覚醒者収容センター』と言う。
スペ☆ギフを犯罪に使った覚醒者、まだ犯罪は行っていないものの心理鑑定の結果、その可能性が高いと判断された覚醒者、そして、本人の意思とは無関係に周りに影響を与えてしまうような強いスペ☆ギフの覚醒者。そういった者達が、収容される隔離施設だ。
防犯上の問題で、それがどこにあるのかは明らかにされていない。
センター送りにされた覚醒者は、完全隔離の独房に閉じ込められ上がりの日が来るのを待たなければならない。その閉塞感に耐え切れず、精神を病んでしまう者も少なくないという噂だ。
もちろん、このスペ☆ギフ学園島も一種の隔離施設には違いない。だけど、センターに比べればはるかに自由のある場所だろう。
友達もでき、嘘をついたとは言えクラスにも受け入れられ、この島での学園生活が楽しいものになりそうな予感をしていただけに僕は悲しい気持ちになった。
と、そんな時だった。何か白い物が目の端で動く。
「え!?」
見ると、白いフェレットだった。トコトコと砂浜を走って来ると、僕の座っている流木に飛び乗る。
間違いない。天宮さんの肩に乗っていたフェレットの豆子だ。
僕は慌てた。このフェレットがいると言うことは、天宮さんが近くに来ていると思ったのだ。
腰を浮かし辺りをキョロキョロと見渡すが、天宮さんの姿はなかった。僕は少しだけ安心してまた流木に座る。
豆子は顔を持ち上げこちらを見上げている。名前から考えてメスなのだろうが、別に心配する必要はない。いくら僕のスペ☆ギフが強力だと言っても、動物のメスにまでは効果を発揮しない。そのことは研究所で実験済みだ。
「天宮さん、大騒ぎしてるでしょ。びっくりして、逃げてきちゃったの?」
僕は豆子に話しかけた。
「大丈夫、ずっとじゃないから。二時間ぐらいで元に戻るから」
僕はふうとため息をつく。
「後で天宮さんに謝らなくっちゃな。でも、きっと許してはくれないだろうな。もともと、僕のこと嫌ってたみたいだし」
僕のことをどう誤解していたかなんてもはや関係なくなっていた。天宮さんはもう僕のスペ☆ギフの犠牲者になってしまったのだ。今更誤解を解いたところでどうにもならない。
きっと、僕は誰かに話を聞いてもらいたくてたまらなかったのだろう。流木の上で大人しくしている豆子に、僕はたらたらと愚痴を語った。
「僕は、スペ☆ギフなんて欲しくなかった。特にこんなスペ☆ギフ、最悪だよ。あんな風に女子達に追いかけられるなんて、ちっとも嬉しくないよ。怖いだけだよ。それに、女子達にも申し訳ないよ。自分の意思とは無関係に、僕のことを大好きにさせられるんだから。大体の人はその間の記憶はないんだけど、でも後で自分のしたことを知った時、ものすごく恥ずかしい思いをしてしまうんだ。僕のスペ☆ギフがかかってる間って、本当に形振りかまわないから」
僕は少し鼻声になりながら続けた。
「僕は普通が良かったんだ。普通に勉強して、普通に友達がいて、普通に遊んだりする。そんな、普通の高校生活を僕は送りたかったんだ。前の学校ではそれが出来なくなっちゃったけど、ここでならって気合いを入れてたんだ。それも、もう無理なんだろうけど。きっと僕はセンター送りになるから」
僕は全身の力を抜き息を吐き出す。
「でも、きっとそれでいいんだろうな。僕みたいな危険なスペ☆ギフの覚醒者は、センターで誰とも会わずに大人しくしてるのが一番なんだ。そうすれば、もう天宮さんみたいな犠牲者が出ないですむから」
最後に、僕は心の底から呟く。
「どうして、この世にスペ☆ギフなんてあるんだろ? そんなもの、最初からなければ良かったのに」
少しだけ物思いにふけってから、僕は首を動かし豆子を見る。
「ごめんな。何か、愚痴っぽくなっちゃって」
豆子は何も言わず黙って僕を見つめてから、プイッとそっぽを向き走り出した。
びっくりするぐらいの速さで砂浜を駆け、僕が通り過ぎてきた林へと飛び込んでいく。
小動物相手に語ってしまったと、僕は自分に呆れて苦笑する。
でも、不思議と気分は楽になっていた。相手が何であれ、気持ちを言葉にできたのが良かったようだ。
冷静になって、これからの動きを考える。
たっぷり三時間程待ってから、この場を後にしよう。歩道まで向かい、誰でもいいから通りかかる男子を捕まえて訳を話す。その後、先生に連絡を入れてもらえば後は学園が対処してくれるはずだ。眼鏡が手元に来るまでは、固く目を閉じてればいい。
ひたすら待つことを決めた僕は、再び海を眺めた。
(一度ぐらい釣りをしてみたかったな)
そんなことを考える余裕すら生まれていた。
しばらく海を眺めていると、背後でガサゴソという音がした。
「!?」
僕は肩越しに振り向き、そして絶望した。
林を抜け砂浜に立っていたのは、メイド服姿の天宮さんだったのだ。
先程ここに来ていた豆子は、天宮さんの肩に乗っていた。ひょっとしたら天宮さんはスペ☆ギフで動物と意思疎通できるのかもしれない。豆子から僕の居場所を聞きやって来たのではないだろうか?
僕は自分の油断を痛感する。豆子が去った時点でこの場所を離れるべきだったのだ。
時計がないからハッキリとした時間は分からないが、メイド喫茶での事故からまだ三十分程度しかたっていない。僕の『淫夢雄悪魔の瞳』の効果はバリバリ続行中のはずだ。
超最悪だった。
超最悪の展開だった。
僕は流木から立ち上がり天宮さんと対峙する。
「違うから! 今、天宮さんが抱いている僕への感情は本物じゃない! 僕のスペ☆ギフが感じさせているまやかしにすぎないから!」
必死に声を張り上げるも、そんな言葉や説得が通じないことはよく分っていた。
走って逃げるか? でも、スレンダーな体型の天宮さんは何気に足が速そうだ。すぐに追いつかれてしまうに決まっている。
それならいっそ海に飛び込んだらどうだろうか? とも考えるが、きっと天宮さんは追いかけてきてしまうだろう。二人で溺れるなんてことにもなりかねない。
結局、走って逃げるしか選択肢はなかった。
僕は砂浜を走り出す。
「待って!!!」
天宮さんが僕を追いかけて来る。案の定、足が速かった。すぐに後ろに気配を感じるようになる。
若い男女が砂浜を走る。まるで青春映画の1シーンのような光景だけど、決してそんな甘いものではない。
「違うの! 話を聞いて!」
天宮さんが叫ぶ。
「私は、私は大丈夫だから!」
大丈夫と言われても安心はできなかった。保険医の姫島先生の、『準備してますから』と同じような意味かもしれないのだ。
つまり、僕とどうこうなっても大丈夫ということで。
「僕は大丈夫じゃない! 大丈夫じゃないから!」
声を張り上げ必死に走る僕の耳に、天宮さんの少し怒ったような声が届く。
「いいから話を聞きなさい! 私はあなたのスペ☆ギフの影響を受けていないの! あなたのことを、ちっとも好きになっていないのよ!」
(えっ!?)
思いがけない天宮さんの言葉に僕は驚いた。そのせいで砂に足を取られてしまう。
「うわっぷ!」
間抜けな声を上げて、僕は砂浜に倒れ込む。なまじ勢いがついていたせいで、ゴロゴロと砂浜を転がってしまう。
僕が起き上がると、天宮さんが呆れ顔で僕を見下ろしていた。
「高倉君、慌て過ぎ。焦る気持ちは分かるけど、少し私を観察すればすぐに分かったはずなのに」
それから、天宮さんはポケットから僕の眼鏡を取り出した。
「とりあえず返しておくわ。これがないと落ちつかないでしょ?」
「う、うん」
僕は眼鏡を受け取りかける。何だ少し気分がホッとする。少なくともこれで新たな犠牲者を出さずにすむ。
僕の前には、大きな疑問が横たわっていた。天宮さんだ。
メイド喫茶で確かに目と目が合ってしまったはずだ。今だって、眼鏡をかける前に彼女は僕の目を見ている。にもかかわらず彼女は平然としている。いつもと何ら変わらない様子だ。
僕のスペ☆ギフが、通じてないということだ。
「天宮さんは、どうして何ともないの?」
そう尋ねた直後に、僕はある一つの可能性を思いつく。
確かに僕は眼鏡をかけていない状態で天宮さんと目が合ってしまった。だけど、お互い裸眼に裸眼だったわけではない。
僕は眼鏡を落としてしまっていたけれど、彼女は違う。スクエア型の眼鏡をかけたままだった。
「その眼鏡って、ひょっとして僕のと同じ…」
「あなたのスペ☆ギフを封じる特別なレンズじゃないかってこと? 残念だけどそれは不正解。これは普通の眼鏡…ううん、正確に言うと普通じゃないかな。だって度が入っていないから」
天宮さんが首を横に振る。
伊達眼鏡だったってことにも少し驚いたけど、今はそんなことはどうでもいい。
(じゃあ、じゃあどうして平気なんだ? どうして天宮さんは僕のスペ☆ギフの影響を受けていないんだ?)
僕の頭の中に、禁断の可能性が浮かぶ。
出来ればそうであって欲しくないのだけど、もうそれしか考えられない。
「ひょっとして、ひょっとして天宮さんの性別は…おと…」
「違うから。それ、全然違うから」
強く否定される。少し気分を害してしまったようだ。
僕は内心でホッとするが、そうなるともう何も思いつかない。
「分からないままだと気持ちが悪いでしょうし、ちゃんと説明するわ。同じクラスなんだし、いつかは知られていたことだろうしね」
天宮さんがふうと息を吐き出す。
「その前に、とりあえず砂を払ったらどう? 高倉君、砂まみれよ」
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