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第8話 譲れぬもの

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 ここまで神に祈ったことはあっただろうか。
 リアムは全力で走りながら、今朝に笑顔で別れた家族のことを思い出す。

(神様、悪魔、なんでもいい……俺を間に合わせてくれっ……!)

 リアムはひたすら祈る。そして、やっとの思いで饅頭屋に辿り着けば、そこには人だかりができていた。

「どいてくれ!!」

 まさかと思い、人ごみをかき分けながら、リアムは無理やり突き進む。リアムに押された町民が文句を言うが、リアムには構っている余裕などなかった。
 饅頭屋の前に出ると、昼間だというのに誰も表に出ておらず、誰かに襲撃されたことが分かるほど悲惨な状態だった。

「っ!!」

 まだそう決まったわけではない。リアムは自分に言い聞かせて、急いで中に入る。

「母さん、父さん、リリィ!!」

 名前を大声で呼んでも返事はない。リアムの声が不思議なほど響くだけだ。
 家の中をドタバタと駆けていたリアムだったが、ふと赤いものが視界に入り、リアムは動きを止めてしまう。そして、ゆっくりとそちらを向けば、赤い液体がべとりと付いた扉があった。その扉は、今朝、母が作ってくれた朝食を食べた居間に通じている。

「はぁ、はぁ……はぁ……」

 こんなにも息を切らしているのは、ここまで走ってきたせいか、それとも、緊張しているせいか……
 過呼吸気味になりながら、リアムは扉に恐る恐る近づく。
 この扉を開けてはいけない。なぜか直感的にそう感じたが、リアムは震える手で扉を開けた。

「…………あぁ」

 震えた声を漏らしながら、リアムは嫌だ嫌だと首を横に振る。
 そこには、血だらけで倒れている両親がいて。
 予想できる限り、最も残酷な現実に直面して。

「あああぁぁぁぁぁ!!」

 頭を抱えて膝をつき、リアムはただ叫ぶことしかできなかった。













「聞き込みによれば、黒い服の男達が気絶した娘を饅頭屋から連れ出していたそうです。おそらく、その娘はーー」
「リアムの妹か……」

 団長室にて報告を受けていたベルナルドが、溜息混じりに呟いた。彼は報告を伝えにきた団員に対して、報告ご苦労と言葉をかけて退出させる。
 たった今、受け取った資料を、机の上にある資料の山の一番上に置き、ベルナルドはまた新たな資料に目を通し始める。それは、人攫いの尋問によって得られた情報が書かれた資料だった。
 不意に、扉の向こうから、つかつかとテンポの速い、力強い足音が聞こえてきた。そして、足音はだんだん近づいてきて、この部屋の前にたどり着く。団長室の扉がノックもされずに開かれた。

「ノックぐらいしろ」
「……団長、奴らのアジトの正確な場所を教えろ。桜美川の近くのどの屋敷だ?」
「リアム……」

 無遠慮に団長室に入ってきたのは、リアムだった。
 ベルナルドに敵意を向けるような低い声。彼が冷静でないのは、ベルナルドの目には明らかだった。

「それを知ってどうする気だ?」

 ベルナルドは、アジトの居場所が書かれている資料をそっと机の上に置き、別の資料を上に被せる。リアムの気をそらす意味も込めて、質問を投げ掛けながら。

「リリィを助けるために決まっているだろ」
「リリィ……お前の妹のことか。お前の家の報告は聞いている」
「なら、俺の言いたいことは分かるはずだ。今すぐ奴らのアジトに乗り込んで、リリィを!」
「ならん」
「なぜだ!」

 ベルナルドに拒否され、リアムは声を荒げる。

「アジトに乗り込むのは一週間後だ。念入りな準備をし、確実に奴らを滅ぼす」
「その間、囚われた奴らはどうする! 一週間も放っておく気かっ!!」
「彼らには耐えてもらうしかない」
「ふざけるなぁあ!!」

 激昂したリアムが魔力を放出し、団長室の窓が割れる。
 リアムはベルナルドに近づき、胸ぐらを掴んだ。ベルナルドは何も抵抗せず、ただリアムに力強い目線を向けるだけだ。

「人攫いの過去の資料は見た! 奴らは一週間もしない内に必ず、攫った人間を売るか殺している! 準備なんてしている暇はない! 頼む、皆に今からアジトに乗り込むことを命令してくれっ!!」
「人攫いも馬鹿ではない。アジトの場所がバレて自警団に乗り込まれたところで、隠し道で必ず逃げ切るだろう。奴らの逃げ道を潰すためにも、アジトの周辺を調べる必要がある」
「でも、一週間も待っていればーー」
「確実に奴らを潰すには、一週間は費やさなければならない」
「……」
「……」

 お互いに睨み合っていたが、ベルナルドの目から、意見を変えるつもりがない意志を感じ取ったリアムは、小さく舌打ちをして手を離す。そして、そのまま団長室から出て行った。
 リアムが予想以上に早く諦めたことに違和感を感じたベルナルドだったが、団長室の惨状を見て、そちらに意識が向いた。

「……ふぅ」

 ベルナルドは大きく息を吐き、リアムの魔力放出によって散らばった資料を拾い集める。そして、彼はその途中で気付く。アジトの情報が書かれている資料の上に、隠すように置いてあった資料が吹き飛ばされていることに。
 問題の資料は机の上に存在したままであり、その状態ならリアムが言い合いの時に何度も目をすることがあっただろう。

「くそっ……!」

 リアムが早く諦めた理由を知ったベルナルドは、近くに置いてあった剣を取り、団長室から急いで出た。















「どこに行く気ですか?」

 団長室から出て早足で歩いていたリアムが、後ろから声をかけられた。その声は聞き慣れたものであり、リアムは振り向くこともなく、その人物の名を呼んだ。

「ユズハか……」
「質問に答えて下さい」
「どこに行こうと俺の自由だろ」
「言っておきますが、自警団の寮は反対側ですよ。貴方の家の惨状は見ました。しばらく貴方は寮生活なのでしょう?」
「……」
「まさか、奴らのアジトに向かうつもりではないですよね?」
「……」

 リアムは黙って振り向く。そこには、刀に手を添えていつでも抜刀できる準備をしているユズハがいた。彼女の目からは、同期に対して向けるものとは思えない敵意が感じられる。

「……リリィを助けに行くだけだ」
「今、貴方に勝手な行動をされると、人攫いどもに逃げられてしまいます。そんなことはさせません。奴らに復讐するために、私は今まで生きてきたんですから」
「一秒でも時間が惜しい。俺の邪魔をするな」
「貴方こそ私の邪魔をしないでください。あの時言いましたよね、私の復讐に協力すると」
「お前も……リリィを見捨てる気なのか?」

 リアムが俯きながら聞いた質問に、ユズハは鋭い目つきで答えるだけだ。ユズハなら唯一の味方になってくれるかもしれないと思っていたリアムは、裏切られた気分になる。

「そうか……なら、お前も俺の敵だ」
「残念です。貴方なら私の味方になってくれると信じていたのに」

 刀をゆっくりと抜き、ユズハはそう言い放った。
 それでリアムは気付く。ユズハもリアムに裏切られたと感じているのだと。
 でも、例えそうだとしても、もう遅い。自分にとって一番大事なものが何か、お互いに明確で、そして譲る気がないのだから。

「貴方を拘束します!」
「やれるものならやってみろ!」

 最初に動いたのは、ユズハだった。彼女は目にも止まらぬ速さで駆ける。
 リアムが彼女を近づかせないために、大量の雷魔法を放つ。しかし、ユズハは難なく避け続け、確実に距離を縮める。リアムが魔力を込めて、威力の強い雷を放つが、ユズハは刀でそれを受け切り、リアムの懐にあっという間に侵入した。

「くっ……!」

 ユズハが振るう刀に辛うじて反応したリアムは、紙一重で避けてゼロ距離で炎魔法をユズハに放つ。しかし、ユズハは避けることなく、そのまま炎をその身に受けながら、リアムの腹に力強く蹴りを入れた。
 リアムは吹き飛ばされ、背中を壁にぶつけられる。膝をつくリアムに対して、ユズハは追い討ちをせずに冷えた目つきで話しかけた。

「屋内の戦闘では、私の方が有利です。言わなくても分かっているとは思いますが、貴方に勝ち目はありません」

 ユズハは炎によって焼けてボロボロになった袖を、動くのに邪魔だからと破り捨てる。

「今ならまだ間に合います。これ以上馬鹿なことをしないで下さい」
「馬鹿なこと、だと? リリィを助けに行くことは馬鹿なことじゃねぇだろ!!」

 大声を上げて立ち上がったリアムは、ユズハに向かって炎魔法と雷魔法を大量に放つ。しかし、ユズハは恐るべき速さでそれらを避け続け、リアムに再び接近した。リアムが避ける間も無く、ユズハの刀の峰がリアムの肩と腹に連続で撃ち込まれる。

「がはっ!?」

 渾身の一撃を食らい、リアムは気を失いかけるが、せめてもの抵抗でユズハに魔法を放とうとする。しかし、ユズハに蹴り飛ばされ、それも叶わない。
 倒れ込んで咳き込むリアムに、ユズハは呆れた視線を向ける。

「何度、貴方と手合わせしたと思っているんですか……。貴方の癖はもう見抜いています」
「ごほっごほっ、勝ち目がないことは分かってる……でも、それなら、お前だって分かっているだろ、俺が勝つ必要は無いことも!」
「……っ!」

 リアムのその一言で、何をする気か察したユズハは、すぐさまリアムとの距離を縮めようと駆ける。しかし、それは間に合わない。
 一瞬で、リアムとユズハの間に分厚い氷の壁が形成された。その厚さはユズハの刀で簡単に斬ることができないほどだ。

「言ったろ、一秒でも時間が惜しいって。お前と戦う暇もない」
「リアム!! 貴方の勝手な行動のせいで、もし人攫いを逃すことになったら、私は貴方を絶対に許さないっ!!」

 この場から離れていく、氷壁の向こうにいるリアムに聞こえるように、ユズハは氷壁を殴りながら大声で叫んだ。






















「うぅ……」

 リリィが目を覚ましたのは、まるで牢屋のような部屋だった。窓一つなく、薄暗い部屋で出入り口は鉄格子だ。部屋の中には、男たちが三人いて、その全員がリリィをニヤニヤと気持ち悪い目で見ていた。
 男たちの視線を追うように、リリィは今の自分の状態を見る。
 鎖で両腕を縛られ、衣服は全て剥ぎ取られて、彼女の生まれたままの姿がそこにあった。

「いやっ……!」

 一糸纏わぬ身体を隠したいリリィだったが、腕に力が入らない。腕だけではなく、足ですら言うことを聞かなかった。

「どうして……身体が動かないの?」

 首より下が動かないことに恐怖感を抱くリリィ。
 そんな彼女のいる部屋に、一人の男が鉄格子を蹴破るように開けて入ってきた。壁と鉄格子の扉が派手にぶつかる音が生まれ、リリィはびくりと身体を震わせた。

「やっと、目が覚めたかぁ。おうおう、改めて見りゃあ、いい女じゃねぇか」

 人攫いの仲間と思われる、新たに入ってきた男は、怯えるリリィに構うことなく、近づいてリリィをまじまじと見てきた。
 裸を見られ、羞恥心で顔が赤くなるリリィだが、自分が攫われ、こんな状態になっていることを飲み込み、その男をキッと睨んだ。
 ほう、とリリィの反抗的な態度を見て、男は感嘆の声を漏らす。

「こんな状況でもそんな目をする奴は初めてだぜぇ、お嬢ちゃん」

 不敵な笑みを浮かべる男は、顔に大きな傷跡がある隻眼の男だった。
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