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1 二人の出会い
しおりを挟む『お客様の中でパイロット資格をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか。いらっしゃいましたら、大至急コクピットまでおこし下さい』
突然のアナウンスに、船内はざわめいた。何が起こったのか、詳細は皆目わからなかったが、その声の切羽詰まった感じと、アナウンスの内容は、いやが上にも容易ならざる事態を想像させた。
誰にでもわかるのは、パイロットに何かあったということである。パイロットに何か不測の事態が生じ、操船が不可能になってしまったのだろう。普通ならそのような事態に備えて、副操縦士がいるはずだが、それも役に立たないということなのだろうか。
そこかしこで乗客同士の顔が見交わされる。どの顔にも不安と緊張が見え隠れする。
ざわめく空気の中、立ち上がる者は誰もいない。
「いないのか?」
もしいなければどうなってしまうのか。
素朴な疑問が湧く。
今現在、パイロット不在で飛んでいるのだとすれば、それだけで恐怖である。更にこの先、この状態で飛び続けなければならないというのは、恐怖を通り越して恐慌に陥ってしまう。
「う、うわああああ!」
誰かが上げた悲鳴をきっかけに、船内を騒然とした空気が支配する。
そんな中、一人の少年がリクライニングさせたシートに埋もれるようにして、高いびきをかいていた。周りがどれだけ騒いでも目を覚ます予兆すら見えない。
あまりに周囲とかけ離れた様子に、隣や前後にいた人達が毒気を抜かれたように少年を見た。
「…あれ、この制服……」
中の一人が少年の着ている服に目を止めた。
「これって、テオリア校の制服じゃないかな……?」
「えっ!?」
驚いた声と同時に、希望の光がともる。
テオリア校。
宇宙船に携わるスペシャリストを養成する、銀河でも有数の実力を誇る航空専門学校である。一風変わった授業内容で知られているが、ここの卒業生の実力は確かであり、軍、民間を問わず、各方面の第一線で活躍している。当然のように引く手数多で、中には在学中にスカウトされていく者もいるという。
テオリア校の生徒であれば、パイロットの資格はもっていても不思議はない。と言うより、航空科の生徒であれば必ず持っている。
この少年が航空科かどうかはわからなかったが、とりあえず起こして訊いてみるだけの価値は十分にある。
肩を揺すられた少年は、薄く目を開けた。
「ん……」
薄目が不意にパッチリ開く。かと思ったら、少年は突然咆えた。
「うおおおおっ!」
「うわっ!?」
周りが一斉に退く。
「ん……?」
少年はきょろきょろと周りを見回した。ややあって、自分が寝ぼけていたということに気づき、少年は照れ笑いを浮かべた。
「……」
妙な間。
少年を起こした乗客も、タイミングを逸してしまって、何と話しかけていいか、考えあぐねている様子である。
それでも手をこまねいているゆとりはない。
「…えーっと、君が着てるのは、テオリア校の制服だよね」
「そうですが?」
訳がわからないながらも、少年は頷いた。
「航空科の生徒さんかな?」
「はい」
途端に乗客達が生色を取り戻す。
「おい、いた! いたよ」
興奮状態の乗客達に引っ張られて、少年は訳のわからぬまま操縦室へと連れてこられる。部屋の外にいたCAの表情が歓喜に輝いた。こういう仕事をしていれば、当然のようにテオリアの制服とそれが意味するものは知っている。
「テオリアの人が乗ってたのね」
「何なんですか、一体?」
「それが――」
CAが口ごもった。乗客達を気にしている。
ただならぬ気配を察して、少年は自分を連れてきた乗客達を振り返った。その顔は、先程までの寝ぼけ顔とは違い、凛々しく引き締まっていた。
「後は任せてください」
「頼むぞ」
万全の信頼を残して、乗客は自分の席に戻っていった。
「これで大丈夫です。中で何かあったんですね」
固い表情でうなずいたCAが、扉を開ける。
むっとする臭気が少年の鼻を突く。
馴染みのない臭いだったので、すぐには気がつかなかったのだが、それは血の臭いだった。床に赤い染みが広がっている。
「う……」
少年は言葉を失った。部屋の中には四人の男が倒れている。いずれも既に事切れているようで、ぴくりとも動かない。
「ハイジャックです。機長は相手を落ち着かせようとしていたんですが、クスリか何かをやっていたようで、言葉が通じなくて……」
CAは掌で口を覆って嗚咽した。
ハイジャックの場合、基本的に抵抗はしないようにとマニュアルにはある。機長などにもしもの事があれば、より大きな事態に発展しかねないためである。今回はまさにそのケースであった。
「で、今は自動操縦に?」
「それが、壊れてしまって――」
「何だって!?」
初めて少年が慌てた。
普通、旅程の間中パイロットが操縦桿を握りっぱなしということはない。航路が交わらない部分については自動操縦を採用するのが一般的である。また、それでなんの支障もない。
少年はコンソールに突っ伏した死体を押しのけて、操縦席についた。服が血で汚れるが、そんな事に構っている余裕はない。計器をチェックし、自分たちの現在位置を探る。
導き出された答えを見て、少年は愕然とした。焦った表情でCAを振り返る。
「航法士は!?」
「え? そ、そこに……」
CAが示したのは、床に倒れた死体だった。
「他には?」
「い、いません」
「何てこった……」
絶望的な状況に、少年は視界が狭まるのを感じた。
「ど、どうしたんですか?」
「この船はだいぶ航路を外れちまってる」
必死に操縦桿と格闘しながら少年は言った。
「しかも潮流に乗っちまってる。このまま流されていったら、行き先はごみ箱だ」
「!」
CAが息を呑む。
少年の言ったごみ箱というのは、宇宙の各所に点在する超重力場の事である。これに捕らえられたら最後、脱出はほぼ不可能と言われ、船乗り達にとって恐怖の代名詞となっている。
一方でごみ箱はその名前の通り、宇宙のごみを集めてくれるものでもあり、無くてはならないものとも言える。強力な重力は、潮流となって宇宙を流れ、ごみを回収してくるのだが、船は今その潮流に乗ってしまっているのだった。このまま手をこまねいていれば、自分たちまでごみになってしまう。
「俺だけじゃどうにもならねえ! 航法士を捜してくれ!!」
自分の限界を悟った少年の声は悲痛だった。
通常の航行であれば、航法士の出番はそれほど多くない。航路の確認と障害物のチェックくらいで済むのだが、こういった非常事態においては、その重要性は格段に増してくる。密度の濃い障害物の中を航法士なしで飛ぶことはできない。たとえどんなに腕の良いパイロットであっても、人間の能力の限界を超えてしまうのだ。
既にここは潮流の真っ只中である。いつ致命的な激突が襲ってきても不思議ではない。
逆にここまでは恐ろしいくらいの運の良さに助けられているのだ。
しかし、それがいつまでも続くわけがない。
「急いでくれ!」
少年に言われたCAは泡を食って操縦室を飛び出していく。
そしてその途端、部屋の外にいた人と鉢合わせした。
「きゃあっ!」
「あ、す、すいません」
外にいたのは、操縦桿と格闘している少年とそう変わらない年頃の少女だった。背中の半ばまで伸びた髪が特徴的な、神秘的な容貌の美少女である。
その少女が口を開く。
「あの、航法士は必要ないですか?」
「え?」
「あたし、一応航法できますけど」
「ホント!?」
地獄で仏に出会ったようなものである。CAの表情が輝く。
「お願いします。こちらです!」
少年の隣の席へ少女を案内する。
「いました。いましたよ」
「っしゃ。急で悪いけど、頼む」
「了解しました」
少女は余計な口を叩くことなく、航法士席へ滑りこんだ。
少年と少女が視線を交わす。
「俺はハヤト。よろしく」
少年の手短な挨拶に、少女も簡潔に答えた。
「イセリナです。よろしくお願いします」
「もう潮流に乗っちまってる。一刻の猶予もない」
「了解です。直ちに航法開始します」
小さく頷き合い、それぞれの仕事にかかる。
ハヤトの手で既に旋回を終えていたので、後は潮流から脱出するだけである。実はその「だけ」が難しいのだが、イセリナは落ち着いて見えた。
「右舷2時半より障害物が来ます。上へかわしてください。一番のサブバーニアをコンマ5秒でいいです」
「了解」
指示に従ってバーニヤをふかす。間一髪のタイミングでかわした障害物が後方へ流れていく。
休む間もなく今度は二方向から飛んでくる。各々の物体に速度差があり、とっさの判断に迷いそうなところだったが、イセリナは落ち着いて指示を出す。
それは二流のパイロットには到底不可能なほど複雑な機動だった。ひとつ操作を誤れば、激突し、ダメージを負うところだ。しかし、それ以外には方法がないのもまた確かだった。プレッシャーのかかる場面だったが、ハヤトは全く慌てることなく、難しい機動を楽々こなした。
障害物が後方に流れていくのがモニターで確認できた。
イセリナの見切り、ハヤトの操船、そのどちらが欠けてもかわすのは不可能だったはずである。
互いの力量を認めた二人は、襲い来る障害物の嵐を、見事なコンビネーションでかわしていった。傍目には絶対にできないと思うような指示を、イセリナは平然と出した。そしてハヤトは見事にそれをこなしていく。共に相手の力量を信じていなければ出せない指示であり、実行を迷ってしまう繰船であった。
後ろから様子を見守っていたCAの目には、二人の作業は魔法じみて見えた。これほど見事な操船と航法を見るのは初めてだった。この二人のコンビなら、どんなところからでも脱出できるだろう。
ほどなく船は、潮流の重力圏を脱し、通常航行へと戻った。
「ふいー」
これでとりあえずは一安心である。ハヤトは大きく息をついた。
操縦席と航法席、それぞれから手を伸ばしたハヤトとイセリナはハイタッチをかわした。そこで初めてお互いの姿を落ち着いて見ることになった。
「あれ、その制服――」
ハヤトがおや、という顔を見せた。イセリナが着ていたのは、自分と同じテオリア校の制服だったのだ。
「はい。テオリアです」
イセリナはにっこり微笑んだ。
「でも、見かけない顔だな」
ハヤトは学内に顔が広い。そのハヤトが知らない顔と言えば――
「新入生なんです、あたし」
「そうか!」
ハヤトの声が弾んだ。
「まだユニットは決まってないよな」
「ユニット?」
初めて聞く言葉であった。イセリナは小首を傾げた。
「どこからも勧誘は受けてない?」
入学前ではあるが、これほどの航法士であれば、噂が出回っていても不思議ではない。情報戦に弱いのはいまさらどうしようもないので、せめてこういうチャンスはしっかり活かしたいところである。
「あ、そう言えば、合格通知と一緒に何か入ってました。我がユニットはあなたを歓迎するとかなんとか――」
「合格通知と一緒?」
ハヤトは眉をひそめた。勧誘合戦は熾烈だが、いくらなんでもそれは早すぎる。ただ、そういうことをしそうな連中にハヤトは心当たりがあった。
「何てユニットだった?」
「えーっと、確か、ゴールデンなんとかって」
「やっぱり」
思った通りの答えに、ハヤトは顔をしかめた。
「で、そことは何か約束したの?」
「いいえ」
イセリナは首を振った。
「約束も何も、訳がわからなくて」
「よかった。そうしたら、俺達のユニットに来ないか?」
「あの、そのユニットっていうのは何なんですか?」
小首を傾げてイセリナが訊く。
「あ、そうか。新入生だもんな。まだ知らないか」
ハヤトは、テオリア校の授業の形態をイセリナに説明した。
専門学校であるテオリア校の授業は一風変わっていて、普通の学校のようにまともな授業が行われるのは週に一度だけである。航空科、航法科、機関科、管制科といった専門学部に分かれて知識中心の授業を行い、こちらについてもテストなどは行われ、成績等もつくのだが、評価の主体となるのは、その他大部分を占めるユニット単位の実習の成果であった。
実習はレースという形で成果をはかる。一年間にわたって行われるレースの総合成績で評価を受けるのだ。
ユニットの組み方に特に決まりはなく、気が合う者同士で組んでも一向に構わない。ただ、ここでの成果が全てを決するため、仲良しグループ的な考えでは生き残れない。その点、テオリア校は非常にシビアな考え方であり、結果を出せない者については、容赦なく切られることになるのだ。
「厳しいんですね」
「まあね。うちは航法士が卒業しちゃったからさ、新しくスカウトしてこなくちゃいけなかったんだ。それがもし君なら、俺としては万々歳なんだけどな」
小夜子は少し考えてから答えた。
「それは、ハヤトさんとコンビを組めるって考えていいんですか?」
「そういうことになるな」
「それなら是非。こちらからお願いします。ハヤトさんのユニットに入れて下さい」
イセリナは晴れやかな笑顔で言った。
航法士として、腕の良いパイロットに出会えるのはこの上ない喜びである。ハヤトの腕は今見せてもらって、十分に満足できるレベルである。と言うより、これ以上は望めないだろう。この人となら、きっと上手くやっていける。という予感があった。
逆にパイロットの立場から見ても、腕の良い航法士は喉から手が出るくらい欲しいものである。何と言っても、今のような非常事態には、命を預ける事になるのだ。安心できる相手でなければならなかった。
そういう意味で二人は相思相愛と言ってよかった。
「それじゃあよろしく」
「よろしくお願いします」
二人は笑顔で握手を交わした。
ハヤトとイセリナ。後に銀河に名を轟かす事になる名コンビ、その誕生の瞬間であった。
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