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4 かつての被害

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 誰かが付いて来ているように思えた。
 目線を向けられている気がした。
 後ろを警戒しながら、何十分も掛けて遠回りをしたベレクトは、ようやくアパートへと戻って来た。周囲に誰もいないのを確認すると玄関扉の鍵を開け、即座に中へと入り、施錠をした。

「んー、おかえりぃ……」 

 つい先ほど起きたのばかりの様子でベッドに座るフェンは、ベレクトに向かってひらひらと手を振った。しばらく舟を漕いだ後、意識が覚醒したらしく、彼の方へしっかりと顔を向ける。

「ベッド貸してくれて、ありがとう。よく眠れた」
「あぁ、それはよかった」

 ベレクトは部屋に置いてある椅子に座り、落ち着くよう自分自身に言い聞かせる。

「何かあった?」
「え?」

 ベッドの端に座ったフェンの言葉に、思わずベレクトは聞き返す。

「声音が自己紹介の時に比べて、言い終わりが弱いような……なんか、違ったからさ。気になって」
「耳が良いのは本当だったんだな」

 ベレクトは少しだけ笑みを溢す。
 気に掛けてもらえるだけで、なぜか心が軽くなった気がした。

「言ってみなよ。少し前にも言ったけど、俺は助けられるなら、助ける主義だからさ」

 私生活と家庭内の事情が絡む話だ。本来であれば、ほぼ初対面であるフェンに言えるような内容ではない。
 でも彼ならば、聞いてくれるかもしれない。
 トラウマによって傷口を抉られ、弱ったベレクトは淡い期待に縋った。
 ここで吐き出さなければ、ますます落ちで行きそうだった。

「実は、図書館の近くで母親と会って…………αの見合いを提案されたんだ」
「ベレクトはどうしたいの?」

 真剣な声音に代わり、ベレクトは内心驚きながらも喜んでしまった。

「俺は、絶対に嫌だ。あいつに……」

 ベレクトは、首を守る為に常につけている木製のチョーカーに手を添える。

「一度、噛まれそうになった」

 Ωだと判明した際、実家の2軒先に住むそのαに襲われかけた。その時は、近所に住むβの女性が助けに入ってくれたお陰で、難を逃れた。

「はぁ? Ωの首筋を安易に噛むなんて、無責任が過ぎるだろ」

 フェンは呆れと怒りが仄かに籠る声で言った。

 αとΩには〈番〉と言う特殊な関係が存在する。
 Ωの発情期とそれに伴う媚香は、αを誘う為のモノだ。媚香の分泌腺のあるうなじから喉元に掛けてαが噛むことで、番が成立する。そのΩの体質は変化し、無差別に媚香をまき散らさなくなる。番は、一般的な恋人や婚姻関係よりも強い結びつきがあり、一旦成立すればどちらかが死ぬまで解除できない。
 運命的な、夢のような話であるが、Ωにとっては自身の体質だけでなく、死よりも苦痛を伴いかねない選択である。相手が両想いであれば、喜劇として終えられる。だが、同意なく噛まれ、強制的に番にされる前例は多い。Ωは番が成立すると、他のαやβを生理的に拒絶するようになり、番のαとのみ性交を行うようになる。対してαは、都合により一方的な解除し、引き剥がす事が可能だ。それによって非常に強いストレスを負ったΩは、再び発情期が起きるようになり、二度と番えない体質へ変異し一生苦しむことになる。

 ベレクトは、αの遊び半分で一生の苦しみを背負う寸前だった。

「そんな奴と見合いさせようとするなんて、ベレクトの母親はおかしい。まさか、被害を受けた事、内緒にしていたの?」
「言った。ちゃんと言ったんだ。今回だって、嫌だって伝えたんだ」
「性犯罪を軽視し過ぎ……ひどいな」

 両親に助けを求めた。αと距離を置きたいと言った。しかし、ベレクトの両親は〈モテて良かったね〉〈それだけ貴方の事が好きなのよ〉等と言って、全く聞く耳を持ってもらえなかった。
 あのαの声を聴くだけで、呼吸するのが苦しくなった。視界に入るだけで動悸が激しくなり、いつも物陰に隠れていた。やがて、いつ何時襲われるか分からない日々に嫌気がさし、自殺をした方が楽だと思い家出をした。その際に、現在働いている診療所の主治医と出会い、踏み止まった。どうしても苦しい時には、匿ってもらうようになった。

「親も親だけど、αの方が圧倒的に危険だな。あー、これだからαの傲慢な傾向が嫌なんだよ……判明した途端に天下人みたいに偉そうになって、支配欲全開で、人を見下す様になってさぁ。親もそれに便乗するし、周りももてはやすから其れに拍車が掛かって、現実見えなくなるんだ」

 フェンは、わざとらしくため息をついた。

「……フェンだって、αじゃないか」

 そう言いながらもベレクトは、話を聞いてくれたフェンのお陰で心が少しだけ軽くなった。

「そうだけど、人を人として扱わないのは、おかしいだろう? Ωは確かに子供を産む側として、βよりも特化している。その事実は覆せないけれど、やって良い事と悪い事がある。欲求を満たす為にベレクトの意思を無視して、自分のモノにしようだなんて考え、俺には理解できない。暴力だ」
「その考えが常識になれば、少しは生きやすくなるだろうな」

 徐々に弱く小さくなる声に、フェンはベッドから立ち上がる。ベレクトへ歩み寄り、彼の前で屈んだ。

「どうしたんだ?」
「あのさ、俺は見ての通り聖徒のαなんだけどさ」
「あぁ、そうだな?」

 2人とも黙ってしまった。
 フェンは心なしか不思議そうな顔をする。ベレクトもよく分からず彼を見つめる。
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