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「伯爵から聞いてなかったの?」
「一言も…。母も何も言っていなかったので、父の中にだけ留めていたんでしょうか… 」

皇太子であるルークの婚約者であると告げられてから小一時間。いざ案内しようとすればエマの部屋の準備が整いきっていないとメイドから告げられ、それならばさっき話したお茶でも、とルイナとルークと共に庭でお茶をすることとなった。
暖かい紅茶を一口飲めば、大きな緊張がようやく解れ、婚約者発言をやっと消化できた頃には、エマはかなりの疲労感に見舞われていた。

「お兄様は知っているようだったけれど、どうなの?」
「知ってはいたが、それでも聞かされたのは先週のことだぞ」
「…私、出発よりだいぶ前に部屋の準備も整っていると聞かされていたんです」

呟くエマにルイナとルークはそちらに視線を向ける。
候補生として王都へ向かう前の説明では、全ての準備が終わっていると言われたはずなのに来てみれば部屋が整っていないと言われたことに疑問が生まれていた。

「それに、お父様の様子もいつもと変わらなかったんです。婚約者の話が出ていたとしたら、多分私はまだ王都には来ていない筈です」

エマの父、ゲイルのエマへの溺愛ぶりは皇家の皆も周知のことらしい。それもそうだと頷きルークとルイナは顔を見合わせる。

「私達もつい一昨日まで、エマが後宮に住むなんて聞いていなかったのよ」
「そうだな、てっきり寮に住むものだと。エマへの説明と実際の状況に矛盾があるな。と言うことは…」
「ローズ伯爵も、婚約のことは知らなかったのではないかしら?でも…こんな急に婚約者が変わるなんて変よねぇ」

ルイナの言葉に、エマは顔を引くつかせそちらを見る。

「変わった…?殿下の婚約者はまだ決まっていないとお聞きしていましたが…」

ルーク皇太子殿下には未だ婚約者が決まっていない。
それが今現在の国民たちの認識である。故に貴族たちは娘を皇太子妃にと躍起になっている最中である。その娘たちもまた、史上一の美しい妃の息子であるルークのその端正な顔立ちに皆一様に憧れていると言っても過言ではない。

「外向きに発表はしていないけど、内定はしていたのよ。えーと…レイス侯爵家のアイリーでしたっけ?」
「ああ、そうだったはずだ」
「侯爵家…」

呟くなり、エマはガックリと頭を落とす。今にも気が遠くなりそうなところを何とか保っている状態である。
爵位は、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順になっている。
内定していた令嬢が侯爵家の娘ということは、伯爵家であるローズ家より身分が上。どの位置からエマの婚約話が出たかは定かではないが、上の身分の者に話が移ることはままあるが、その逆は数える程もなく、どの前例もいい結果になったことはほとんどない。

「何故、私なんでしょう…」
「そうねぇ、アイリーでほぼ決まりのはずだったのに」
「爵位が下がるとなれば、父かそれに準ずるものの意見でしか変えられないと思うが…」

三人揃って腕を組み、うーん?と唸りながら首を傾げる。

「お?ルークが外で茶なんて珍しいな」

ルークより僅かに高く甘い声が聞こえ、三人揃ってそちらをむく。
瞬間、エマは焦燥感にも似た胸のざわめきを覚えた。

「レオン…何か用か?」
「今日から候補生が来るって聞いてさ?」

見に来た。そう言ってレオンと呼ばれた青年は悪びれなくニカッと笑い、ルークからエマに視線を移す。

「へぇ、やっぱ可愛…」
「レオン、先に挨拶すべき二人が目の前にいると思うけど?」

エマを見た瞬間、レオンもまた未だ覚えたことの無い感情を胸に感じる。
だが、ルイナの言葉に苦笑を浮かべつつ肩を竦め、それから腹に片腕を添え一礼した。

「ご機嫌麗しゅう、ルーク殿下、ルイナ姫殿下。近衛騎士団第一部隊小隊長、レオン・アドラーにございます」
「よく出来ました。紹介するわね」

レオンの反応に満足気に微笑み、ルイナは椅子から立ち上がりエマの後ろに立って彼女の肩にポンと手を置いた。

「彼女はエマ・ローズ。伯爵家の一人娘。エマ、彼はレオン・アドラー。アドラー男爵家の次男坊よ」
「エマ…いい名前だな。俺はレオン、よろしくな」
「レオンさん…こちらこそ、よろしくお願い致します」

微笑み手を差し出すレオンに、エマもまた手を差し伸べ握手に応じる。手が触れ合い、彼の体温を感じたその途端、エマはレオンから目が離せなくなってしまう。
なんだろう、今まで感じたことの無いこのざわつきは…。
それが何かわからぬまま、何故か同じように視線を外せなくなっていたレオンとエマは、しばらくの間見つめあっていたのであった。
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