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四十

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電話が来たことを聞き、沙雪は人目のありそうな玄関先の電話から受話器を取った。

「勘太郎さん、お待たせいたしました。沙雪です」
『沙雪、今日はお疲れ様。大変だったね』
「いいえ、ちっとも。勘太郎さんがいてくれましたもの」

むしろ、幸せでいっぱいでした。
そう言ってくれる沙雪に、勘太郎も嬉しそうに微笑む。
沙雪は、いつも勘太郎を幸せにしてくれる。その微笑みで、その言葉で、沙雪のすべてで勘太郎を愛してくれているのが、真っすぐに届く。
沙雪も勘太郎からの全身全霊の愛を感じている。だからこそ、沙雪も負けぬように、幸せを与えたいと思っているからなのだが。

『さて、まず彩子が今日沙雪の所にいることはもう伝えてあるから、安心してね』
「はい、ありがとうございます。先ほど、主治医の先生に高山さんからうちの屋敷に居ることもお伝えしていただいてますから、何かあればこちらに来てくれることになっています」
『なるほど、だからさっき僕が連絡した時に先生は解っている風だったのか』
「あ…出過ぎたことをしてしまいましたね…申し訳ありません」
『ううん、良いんだよ。ありがとう沙雪』

確かに他から見れば、おせっかいと思われてしまうかもしれない。
けれど、沙雪のその心遣いは嬉しかった。彩子を心配してくれての事だと勘太郎もわかったからだ。

『彩子は良い子にしてるかい?』
「勿論。初対面の宮子や公子さんとも仲良くお話ししていますよ。余り夢中になりすぎないように私かしっかり見ていますから」
『うん、基本的に暴れなければ大丈夫になってきているけれど、頼むね』
「お任せください」

沙雪も盛大に彩子を可愛がっているが故に、勘太郎から任されたことが嬉しい様だ。
大層甘やかさないかの心配が過ったが、たまの事なのだから良いだろうという事に落ち着いた。

『さて、本題だ』

勘太郎のその言葉に、沙雪はごくりと小さく息を呑む。
本題。即ち、勘太郎との婚約について、勘太郎が両親に話したという事である。

「はい、ご両親はいかがでしたでしょうか…」
『うん、あっさり。お前の初恋が実ったのか、良かったな。で済んでしまったよ』
「…え?」

思わず気の抜けた声が出てしまう。
一瞬、その勘太郎の言葉が許可を得たのかえていないのかの判断すらつかなかった。

「えぇ、と…」
『ふふ、混乱してる沙雪も可愛い。つまり、僕たちは両家の親から、婚約及び結婚の許可を得たってことだよ』
「……勘太郎さん…っ」
『沙雪、僕今抱き締めてあげられないよ』

だから、泣かないで。
そう言われてウルウルとした涙を止めようとしてみるも、一度溢れてしまった涙は簡単には止められない。

「うれし泣き、は…お許しください…」
『ん、そうだね。明日沙雪がくるっていったら、お赤飯炊くって母上が台所にこもってしまったよ』

料理なんかしたことないと思うけど、嬉しかったんだろうね。
そう電話口で笑う勘太郎に、沙雪も涙を拭いながら微笑む。

「私も嬉しいです。明日、彩ちゃんとお伺いします」
『うん、待ってるよ』
「お時間は、何時くらいがご都合良いでしょうか?」
『お昼までに赤飯が炊き上がればいいけど…僕が早く会いたいから早く来てほしい』
「まぁ…」

勘太郎のその言葉に思わずくすくす笑ってしまう。

「では、10時までに一ノ宮家に到着できるようにおうちを出ますね」
『うん、待ってるよ。じゃあ、僕は親父殿と今後の事をもっと詰めて話してこようかな』
「はい。明日、楽しみにしていますね」
『僕もすごく楽しみ。今日は夜更かししすぎないようにね』
「ふふ、はい。なるべく早く眠れるようにします」

と言いつつも、女子が揃ったこの夜、簡単に話が尽きる気もしないであるが。
それでも彩子はなるべく早く眠った方が良いだろう。その辺りはきちんと気を付けようと心に決め、再度勘太郎に頷くのであった。

『よし、じゃあまた明日』
「はい、お休みなさいませ、勘太郎さん」
『おやすみ、沙雪』

二人、せーの、と言って受話器を電話に戻す。
でないと、お互いが切るのを待つものだから、いつまでも電話が切れず、新たな話題が生まれて長電話になってしまうのだ。
時間に余裕がある日は良いのだが、今日は勘太郎は父と、沙雪は友人たちが待っているがため、そんな風に後が詰まっているときはせーので切ろうとルールを定めたのであった。
ひと時の電話であったが、この何気ない時間は沙雪にとって幸せな時間となっているのである。

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