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二十七

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「…全く。怜の沙雪への溺愛ぶりには困ったものだねぇ…なぜああなってしまったのか…」

小さくため息をつき腰に手を当てながら呟く真に、沙雪と勘太郎は苦笑するしかなかった。
あれはもう溺愛を超えた執着と過干渉である。
けれど、沙雪、勘太郎、怜の三人以外の誰も、怜が沙雪にしたことも、沙雪と勘太郎に告げたことも知らないのだ。
沙雪の中では、怜との間に起ったことは誰にも言うつもりもないし、思い出す気もない。
それが一番周りにも、自分の心にも、波風を立たせることなく過ごせる唯一の手段だと思っているから。

「まぁ、怜が何と言おうと沙雪が望む限りは君たちの結婚を進めてもいいと思っているから。出来たら怜と公子さんに先に結婚してほしいけれど…まぁ、沙雪はお嫁に行くわけだし、先でも構わないかな」
「嬉しいお言葉です。有り難うございます、伯爵」

一礼し微笑む勘太郎に頷き返し、真は“お父さんって呼んでいいよ、勘太郎君”とにっこり笑い勘太郎を見た。
どうやら、父である真も勘太郎のことは気に入っていたらしい。
そもそも沙雪が勘太郎に会いたいと言う度に会わせに行っていたのは真だ。
もしかしたら、その当時から真は勘太郎を沙雪の夫にと狙っていたのかもしれないが、真実は真にしかわからない。

「お父様ったら…」

くすくす笑う沙雪に娘が笑ってくれたと嬉しそうに微笑めば、真は時計に目をやり口を開いた。

「さて、そろそろ君たちは園遊会の時間だろう?ああ、沙雪、せっかくだから今日皆さんの前で勘太郎君を婚約者として紹介したらどうだい?」

真の提案に、沙雪はきょとんとした後に口を開く。

「え、でもまだ勘太郎さんのお家に挨拶もしていませんのに…」

両家の許諾がないままに公表し、いざ話が破綻してしまったときに、特に沙雪の様な伯爵家の娘の場合、不名誉なことになりかねない。
婚約や結婚は二人だけの話ではないために、いくら二人が別れるわけがないと思っていても、たとえば勘太郎の両親が反対したら、その話は破綻する。
自分の不名誉はまだ甘んじて受け入れらるが、一ノ宮家の跡取りである勘太郎にそんなレッテルを張ることは出来ない。
勿論沙雪は勘太郎を心から愛しているし、彼が離れない限り己から離れることはないと思っている。その件に関してはむしろ確信めいたものを持っているが、やはりそのわずかな可能性を懸念するのも事実である。

「僕は構わないよ?むしろ嬉しい。沙雪さえよければ是非お願いするよ」

勘太郎の言葉に戸惑いの表情を浮かべていた沙雪も小さく微笑んだ。
勘太郎も、今の沙雪と同じ気持ちなのだと悟り、嬉しくなる。

「本当にいいんですか?」
「勿論。…虫よけにもなるしね」

ぽつりと呟いた勘太郎に沙雪は“…虫?”と首を傾げ、真は小さく吹き出した。どうやら父である真も、娘が稀に見る美貌の持ち主で、社交界一の華と呼ばれていることは重々承知しているらしい。
毎日手紙や贈り物が山のように届いているのだから、知らないと言えるものでもないが。
まだ首を傾げたままの沙雪の頭を撫で、真は笑みを浮かべる。

「さ、行っておいで」

真に背を押され、沙雪は頷き勘太郎を見上げた。
その視線に応えるように頷けば“お邪魔しました。失礼します”と真に一礼し、沙雪の肩を抱き部屋を出た。

「………………よかったぁ…」

部屋から出て少しばかり離れたところで背中を丸め、深い安堵の息を吐きながら勘太郎は呟く。
そんな様子の勘太郎にくすくす笑いながら沙雪が背を撫でれば、勘太郎は微笑みながら顔を上げた。

「今までの人生で一番緊張した…」
「お疲れ様でした。とても頼もしくて、改めて貴方に一生ついていこうと思えました」

微笑み勘太郎を見上げれば、瞬間に抱き締められる。
突然の抱擁に少しばかり驚くも、微笑み勘太郎にすり寄る。

「勘太郎さん…?」
「ありがとう、沙雪」

礼を言う勘太郎に沙雪が何のことだろうと首を傾げれば、“怜さんから庇ってくれたでしょう?”と微笑まれた。

「そんな、あれは本当の事をを言ったまでで…」
「でも嬉しかったんだ。この子を好きになってよかったと、心の底から思った。だから、ありがとう、沙雪」

素直な勘太郎の言葉に沙雪は“…では、どういたしまして”と頬を染めながら頷いた。

「私でも、勘太郎さんを助けられるんですね」
「何言ってるの。沙雪の存在すべてが僕の生きる糧なんだよ?」

勘太郎の大袈裟ながらも至って真面目な本心に少し驚いたように目を見開けば、すぐににこりと微笑み“光栄です”と呟いた。

「それでは、同じように私の生きる糧になった勘太郎さんを紹介しに行きましょう。ね?」

その言葉に嬉しそうに微笑み勘太郎は頷いて沙雪の肩を抱き、会場の庭へと向かうのであった。
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