上 下
7 / 45

しおりを挟む
翌朝、沙雪は着替えて支度を整えるなり、引き止める高山にやんわりと断り朝食も摂らず屋敷を出た。
緋色の矢絣の袴に紺色の袴。足元は本革の編み上げショートブーツ。やわやわとウェーブのかかった黒髪は高くひとつに結い上げ、袴と同じ紺色の大きなリボンで止めた。
学校が近くなると、級友たちの姿が見られるようになってくる。
いつもと同じ光景であるに関わらず、何故か沙雪は緊張が解け、ほっと一心地着く感覚になった。
学校の門を潜り、教室へと向かう。すると、後ろから自らを呼ぶ声が聞こえた。

「おはよう、沙雪」
「宮子」
「今日はいつもより少し早いのね」

沙雪が唯一心を許せる友人、長谷川宮子である。
今では親友である宮子だが、始めは沙雪に取り入ろうとした過去がある。
財閥であり、高い爵位も持つ西園寺家。ほかの財閥家を始めとした華族、経済界の面々は何とか西園寺家と繋がりを持とうとあの手この手で日々西園寺家とコンタクトを取ろうとしている。
宮子も親に言いつけられ、沙雪に取り入ろうとしたのだが、昔からそのような目的で近づかれることが多く、人を見る目に長けていた沙雪にあっさりと目論見を見抜かれ、一時は避けられていた。
しかし、西園寺家の娘ではなく、一人の西園寺沙雪という少女との交流の中で沙雪の魅力に気づいた宮子が心を入れ替え、本心から沙雪と友人になりたいと接したことで、沙雪も徐々に心を開き今では二人は親友となったのである。

「ええ、少し寝つきが悪かったのか早く起きてしまったの」

苦笑混じりに頷く沙雪の言葉に、宮子は心配そうな表情を浮かべた。

「まぁ…大丈夫なの?あら、目の下に隈なんか作って。華の美貌が台無しじゃない」

顔を覗き込んで沙雪の下まぶたをそっとなぞる宮子こそ大層な美を誇っているのだが、宮子自身は沙雪の魅力に取りつかれているようで、自分のことより沙雪の美貌を保つことの方が優先らしい。
そんな宮子に微笑み、二人でにこやかに教室に入り席に着けば、思い出したかのように宮子に声をかける。

「宮子、突然で申し訳ないのだけれど、明日は何か用事あるかしら?」
「明日?…いいえ、特にはないけれど、どうかしたの?」

宮子の問いに沙雪は明日の園遊会のことを伝えた。
本当なら昨晩勘太郎への電話の後に宮子にも誘いの電話をかけようと思っていたのだが、怜とのことですっかり失念してしまっていたのだ。

「まぁ、怜さんの…。沙雪が招待してくれるのなら、喜んでお伺いするわ」

にこりと笑い頷く宮子に、沙雪も嬉しそうに微笑んだ。
怜との関係が今までと変わり始めてしまっている今、親友の宮子がいてくれるという状況は有難かった。
二人の会話にキリが着くと同時に、始業の鐘が鳴る。教師が入ってくる前に蜘蛛の子を散らすかのようにきちんと席に着く女生徒たちは実にちゃっかりしており、素早いものであった。
全ての授業を終えた放課後。沙雪は掃除当番として残って掃除に勤しんでいた。雑巾で机を拭いていると、教室の中がいつもより少しばかり騒がしいことに気づいた。

「どうなさったの?」
「校門の前にとても素敵な殿方が立っていらっしゃるの。誰を待ってらっしゃるのかしら?」

同じく当番だった宮子がうっとりとしながら答えれば「貴女も見てご覧なさいよ」と背を押され窓際にたち、外を見た。

「え…勘太郎様…?」
「あら、お知り合い?ずるいわ沙雪、あんな素敵な殿方とお知り合いなんて」

宮子の言葉を半ば聞き流しながら頷く。勘太郎の当然の来訪に、驚きを隠せないようである。
そんな珍しい沙雪の様子に、宮子も少々驚きながら口を開いた。

「沙雪、もうお掃除も終わりだし、片付けて先にお行きなさいな」
「え、でも…」
「私は皆さんとあんみつを食べて帰るから、ね?また明日も会えるもの」

貴女を待ってるんでしょう?彼。
そう言って微笑む宮子に沙雪もまた返事と共に笑みを返し、いつもより後片付けを急いでから教室を飛び出していった。

「沙雪があんな嬉しそうにかけて行くなんて…。明日話を聞くのが楽しみだわ」

親友のかけていく後ろ姿を見送り、宮子は一人にこりと微笑むのであった。
しおりを挟む

処理中です...