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夏の黎明

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――あれが全ての始まりだった。

湯船にお湯をためて、ゆっくりと体を沈めながら、桜は浴室の天井を眺めて思った。

住まわせてもらっている古い昭和風のアパートは、タイル張りのこれまた古風な風呂だったが、なかなか浴槽が広いことは気に入っていた。

どんなに遅くなっても、どんなに疲れて帰ってきても、お湯をためて湯船につかると心と体がほぐれる気がする。

この家に住んでから、桜は毎日湯船につかるのが習慣になった。

あの日は京介に手を引かれて上野動物園やらお台場やら、東京タワーやら新宿御苑やら、いろいろと連れ回されたのだが、その間というもの、彼は自分の話ばかりをし、ほとんど桜の事情について触れなかった。

だが、一日中そばにいて、夜になると自分のアパートに連れていった。

そして恐らく、桜が自殺するのを防ぐために、部屋の隅で桜が寝るまでじっと座っていた。

その後、アパートが彼の持ち物であることや、店舗を運営していることなどを知り、相当なお金持ちであることが分かったが、それにしてもどうして自分を助ける気になったのかは全く想像もできないことだった。

聞いてみたいと何度も思ったけれど、話題にする前に口をつぐんでしまった。

そこには何か、触れては壊れてしまうような何かが存在するような気がして。

「……やっぱそうだったんだ」

ふと、口の端から言葉がこぼれた。

やっぱり、という思いはあった。

京介には心に思う人がいて、女遊びをしているのはただの見せかけ、カモフラージュにすぎないのだと。

それが何のためのカモフラージュかは知らない、もしかしたら本人さえ分かっていないのかもしれない。

涼子があらわれ、透子という存在を聞き、全てが腑に落ちた。

つまり京介の一番大切な人は、もうこの世にいないのだ。

そして、その透子という人と自分は、涼子に言わせれば雰囲気が似ているのだと。

だから京介は酔狂な真似をして自分を救い、雇ってそばに置いているのだと。

落ち込むようなことではない。むしろ、あのとき京介がいなければ失っていた命だ。

運が悪いどころか、自分は相当ラッキーだったのだと感謝するべきなのだろう。

桜は強いて自分にそう言い聞かせようとした。

だが何だろう、この何とも言えない虚しさは。

諦めともつかぬ思いが心を浸食し、無音で空洞が広がっていく。

――最初から、京介さんは私を見てはいなかった。

――あの人が本当に助けたかったのは私じゃない、透子さんだ。

大切な人を亡くすという経験がどれほど辛いものなのか、桜には実感の湧かないことだった。

だが、それは相当な重みと痛みを持って、本人を苦しめ続けるのだろう。

時には生きていくことすら過酷に感じるほどに。

――もしかすると、京介さんも死にたいと思ったことがあるのかもしれない。だから私に気づいたのかもしれない。

自分と透子を重ねることで、京介は少しでも心が慰められているのだろうか。

涼子のつり上がった目を思い返し、桜は自嘲ぎみに首を振った。

――そうは思えない。

――あの人の言うとおりだ……。私は多分、京介さんにとって、毒にしかならない。

それでも、今はまだそばにいたい。

そう願ってしまう自分の弱さを、桜は憎んだ。









































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