僕を満たすもの

かのう

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 あの日も大雨が降っていた。
 雨が窓を叩く音、響く雷鳴、走る閃光。
 大きな音に驚いた僕が目を覚ましたのは深夜二時のこと。小学二年生の僕は既に自室を与えられており、夜は一人で寝ていた。
 音の大きさには驚いたが、別に雷が怖い訳じゃない。目が覚めてしまったのでとりあえず水でも飲もうと思い、僕は部屋を出た。
 階段を降りているところで雷鳴に混じって女の叫び声が聞こえた。母さんだ。それに父さんの声もする。また夫婦喧嘩だろうか。両親の夫婦仲は悪くはなかったと思うが、よく喧嘩はしていた。どうでもいいような些細なことで。父さんはすぐに手が出るから、母さんはよく泣き叫んでいた。僕は二人の喧嘩を始まると息をひそめていた。母さんは喧嘩の時に僕を見つけると、いつも僕を囮にして逃げる。父さんは母さんか僕をある程度殴ってスッキリしたらいつも通りに戻る。イチャイチャしたりもする。もしかしかしなくてもうちはDVのある家庭なのだろうか。暴力を振るわれても、後から優しくされたら離れられないというやつ。嫌だな。
 水が飲みたかったけれど、見つかったらまた母さんが僕を身代わりにしそうだから我慢しよう。そう思って階段を引き返そうとした時、知らない誰かの楽し気な笑い声が聞こえてきた。客なんて寝る前に来なかったはずだ。様子が気になった僕は出来るだけ音を立てないように階段を降り、声のするリビングへ近づいた。ドスンと物音がして、母さんの叫び声が止む。
 扉の前に辿り着くと、僕はそっと聞き耳を立てた。

「もうやめてくれ……助けてくれ……お願いだ、せめて俺だけはっ」

 父さんが泣きそうな声を出して知らない誰かに懇願している。

「興が削がれることを言わないでもらえるかね」

 謎の男がそう言った直後、父さんの呻き声がした。一体中はどうなっているのか。僕はゆっくりと扉を開けて様子を窺った。 
 目に飛び込んできたのは、稲光に照らされた仕立ての良さげなスーツを纏った初老の男。男は父さんの顔を片手で掴んで持ち上げていた。
 一見細身なのに随分と力があるんだな、父さんが足をバタつかせていてもビクともしないし。父さんはこの人に一体何をしたんだろう、怒らせたのかな?
 そう思って眺めていると男が何やらポケットから取り出し、父さんにそれを向ける。
 刹那、雷光が走ると共に赤が散った。鮮やかな赤が。
 僕は息を飲んだ。男は、目の前で僕の父さんの首を斬ったのだ。

「いいね、君、綺麗ですよ」

 男は弾んだ声でそういうと何かを振り上げ父さんの首に何度も何度も突き刺した。その度に飛び散る赤い飛沫と跳ねる父さんの身体。激痛に苦しむ声。そのうち父さんは何も発さなくなり、四肢もだらりと垂れ下がった。
 僕はその場を動けずにいる。足が動かない。目も逸らせない。ただただ目の前で繰り広げられる光景を声を殺して見ていた。心臓が苦しくなるほど脈打っている。こんなの風になったのは初めてだった。

「う、うう……痛い……あなた、どこ?」

 呻き声。聞こえなくなっていた母さんの声。気絶していたが、今意識を取り戻したってところだろう。

「旦那さんはここですよ」

 男が父さんを母さんへと投げた。辺りが赤に染まる。床も、母さんも。

「ヒィイイ! いやっ……イヤァァァアア!!」
「目覚めてすぐ旦那さんを探すなんて愛ですねぇ。もっとも、旦那さんは自分だけは助けてくれとあなたを売ろうとしましたけどね。ははは」

 こと切れた父さんを目の当たりにし、腰が抜けて立てないのだろう。母さんは尻餅をついたまま後ずさろうとするが、うまくできていない。男があっさりと母さんとの距離を詰める。家具が邪魔で二人の姿が扉の隙間から見えにくくなった。 
 僕は思わず扉に手をつき、身を前に乗り出してしまう。

「あ」

 ギイ、と音を立て扉を開けてしまった。男が僕を振り向く。母さんも僕に気がついた。

「かずきっ かずき! かあさんをたすけて! はやく!」

 僕に手を伸ばす母さん。男が僕を見ている。僕も男を見ている。

「おいで」

 男に手招きされ、僕は男と母さんに恐る恐る近づく。男は僕と目線を合わせるためにしゃがみ込むと、僕に笑いかけた。

「かずきくんって言うのかい?」
「うん」
「さっきからずっとそこにいたのかい?」
「うん」
「綺麗だったろう?」
「うん」

 男の声音はとても優しい。僕も素直に答える。
 男が僕に気を取られているうちに逃げようとでも思ったのだろう。母さんがよろよろと四つん這いになりながら場を離れようとする姿が見えて、僕の目はそのまま母さんを追った。僕の視線に気づいた男は後手で母さんの首根っこを掴むと、自分の方へと母さんを引き寄せた。どうやって正確な位置が分かったんだろう。

「子供を囮にしようとするなんて、醜い母親だねぇ。かずきくんもそう思うだろう?」

 男が僕に同意を求める。

「いつものことだから」

 僕が答えると、男は少し考えるようにしてから口を開いた。

「今度は君がやってみるかい?」
「何を?」
「醜いお母さんを綺麗にしてあげるんだ、どうかな?」
「僕が?」

 僕に問う間も男は母さんを抱き込むように取り押さえている。もがいてももがいても動けない母さんの顔は恐怖に満ちていた。

「でも」

 僕は躊躇う。ずっと母さんがやめて、助けてと繰り返している。僕の名前を呼んでいる。涙目で必死に頭を振っている。こんなの、無理だ。


「私がこうして抑えておいてあげるよ。ああ、叫び声がうるさいだろうから詰め物をしておこう。少しはマシになる。タオルか何か持ってきてくれるかな、かずきくん」
「わかった」

 僕は台所から手拭きタオルを持ってきた。何度か使った後だから湿っていて少し臭いけれどどうせ濡れてしまうからいいだろう。男は僕からタオルを受け取ると、それを簡単に丸めて母さんの口に突っ込んだ。母さんの叫び声がくぐもったものになる。

「さあ、かずきくん。さっき見ていたようにやってみようか。私がお父さんの首を斬ったのを見ていたんだろう?」

 こくり、僕は頷く。すると男が先程父さんを刺していた凶器、バタフライナイフを手渡してきた。僕は両手で大事にそれを受け取る。子供が手にするには重かった。母さんが男の腕の中から抜け出そうと身を捩るが、やはりビクともしない。

「それをお母さんの首に刺してみてごらん。大丈夫。外れないように私が固定しておいてあげるから、勢いよく行くといい。そうしたらきっと綺麗に舞うよ」

 男が母さんの頭をガッチリと固定しする。これでもう首も振れなくなった。やめろ、と母さんが涙目で訴えかけてくる。

「大丈夫、大丈夫だよ。心配しないで、母さん」 

 僕は母さんの前に膝をついて母さんの頬をそっと撫でた。僕が微笑むと母さんの肩から力が抜け、その瞳に安堵の色が宿る。

「母さんは健康に気をつけてたから、きっと父さんよりキレイな色だよ」

 そう言って僕は迷いなくナイフを母さんの首へ振り下ろしーーーー鮮やかな赤が舞った。

「はははははっははははは!」

 心が躍る。嬉しくて何度も何度も刃を突き刺した。
 夢のような時間。赤が散る様は幻想的で、何て綺麗なんだろう。人の体に流れているものがこんなに綺麗だなんて知らなかった。胸がぎゅうっと締め付けられるような感覚。今まで何をしてもあまり面白くなく、ほとんど感動もしてこなかった僕。その僕が体が震えるほど満たされた気持ちになった。
 
「かずきくんは、私と一緒だね」

 男が言う。僕は母さんを刺す手を止めて男の顔を見た。

「ねぇ、かずきくん。ご両親は死んでしまった。君は子供だ、大人の庇護がいる。よかったら私と一緒に暮らさないか? 君と私の美しく感じるものは同じだから、私たちは仲良くできる。綺麗なものを見る方法も、たくさん教えてあげるよ」
 
 僕は男のーーーーじいさんの手をとった。これが僕とじいさんの出会い。そして僕と僕の真実との出会いだった。


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