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目の前に広がるそれそれは、あまりにも鮮烈で。
僕の目を、心をいとも簡単に奪った。
ああ、心が満たされていく。僕が求めていたナニカはこれだったのだ。
あの日、僕は僕の真実を知った。
「お先です」
アルバイトを終え、荷物を引っ掴んで店を出る。
「かーずーきくん」
長い黒髪の女が手をヒラヒラ振りながら通用口の前で待っていた。彼女は店の常連客の近所の大学に通う女性で、相田仁美と言った。四年生らしい。すっと通った鼻と長い睫毛に大きな瞳、しっとりと艶めく唇、そして豊満な胸が男を魅了するのかいつも男を連れている。しかも毎回面子が変わる。
仁美はどうも僕のことがお気に召したらしく、彼らがいるにも拘らずしがないバイトでしかない僕に頻繁に絡んでくる。電話番号やSNSのIDなども訊いてもいないのに押し付けられたり、僕のこともいろいろ訊いてきたりする。その度に相手の男共が僕を睨み付けてくるのだが、僕としてはいい迷惑だ。いい迷惑ではあるが相手は常連客、無碍にはできない。
「どうしたの、仁美さん」
「今から和樹くんの家に行きたいなぁ」
彼女は僕に近寄ると僕の腕に己のそれを絡ませた。自分が大多数の男にとって魅力的だという自覚があり、ボディタッチをすれば男は悦ぶとでも思っているのだろうか。
外見など僕にとっては瑣末事だ。僕が美しいと思うのは別の物だから。そうは思うが仁美の腕を振り払うことはしない。代わりに彼女を見つめ、微笑みを浮かべた。
「もう夜だよ」
言外に帰ったらどうだと提案する。
「夜だから、よ」
彼女には通じなかったらしい。
「ねぇ、いいでしょ?」
仁美が自慢の胸を僕の腕に押し付けてくる。柔らかい感触が僕の腕を包んだ。
「和樹くんが好きなの。だから、ね」
仁美が軽く背伸びして したいの、と耳元で囁く。僕は目を瞠った。明確に好意を告げられたのは初めてだからだ。僕は彼女の恋の駆け引きとやらには乗らなかった。仁美は相手に粉をかけてから焦らし、やがてやきもきした相手が告白してくるという形をお望みのようだが、僕はやんわりと躱し続けていた。そうすればプライドを傷つけられた彼女はそのうち諦めるだろうと踏んでいたからだ。しかしそうはならなかった。予想していたよりも、仁美は僕を気に入っているらしい。正直に言えば、僕は仁美にあまり興味はない。きっと対象外だろうから。それでもどうしてもと言うなら。
「ちょっと遠いけど、それでもいいなら」
僕が答えると、仁美は嬉しそうに笑った。
「こんな大きいところに一人で住んでるの? 結構遠いから、学校もバイトも通うの大変じゃない? それにちょっと不気味っていうか」
小一時間ほど電車に揺られて着いた僕の自宅を前にした仁美が開口一番に言った言葉は予想通りのものだった。山の中だから不気味といえば不気味だろう、特に夜は。
「今は一人だよ。じいさんが勝手に使っていいって言ってくれたから使わせてもらってる。周りに気を遣わなくて済むし広いし、好きなことが出来るよ。緑多くて空気も美味しいし。移動時間は長いけど、授業の復習でもゲームでも暇のつぶしようはあるからそんなに大変でもないかな」
僕の自宅は学校のある街から電車で一時間の山の中だ。とある資産家のじいさんが別荘として使っていた一戸建てで、当然周囲に民家はない。騒音を立ててもお咎めもないし、気にする必要もない。多少遠いかもしれないが気が楽に過ごせることが一番だ。外装は手入れされているため然程古めかしさを感じさせず、内装も資産家の所有物らしく質の良い調度品で飾られている。調度品を汚そうが傷つけようがじいさんに頼めばすぐに取り替えてもらえるのでまさに好き勝手し放題だ。実に有難い。
じいさんと僕には血縁はない。僕とじいさんには共通点がある。互いにそれを知ってから、じいさんは僕によくしてくれるようになった。両親の代わりに僕を育ててくれる大恩人だ。
玄関の扉を開けどうぞ、と中へ促す。電気をつけるのと同時に、仁美の口から感嘆の声が漏れた。
「もしかして和樹くんのおじいさんってお金持ち? 外はちょっと不気味に見えたけど室内はホントおしゃれで明るくて綺麗~」
仁美は室内の様子にはしゃいだ。僕は笑ってそれを眺める。するとそれに気づいた仁美は僕へと駆け寄ってきた。
「ねえ、和樹くん。先にシャワー浴びたいな」
上目遣いでそう言った仁美を僕はバスルームへ案内した。脱衣所の戸を閉めると衣擦れの音が、次いで水音が聞こえてくる。
僕はもう一度脱衣所に入り、バスタオルを用意した。手早く彼女の衣服を回収し、すぐにまた脱衣所から出る。彼女がシャワーから上がるまで時間がどれだけあるだろうか。やることはたくさんある。
「こんなもんかな」
僕は客間に行き、丹念にベッドメイキングをした。僕の部屋ではしたくない。
どの部屋にある家具も気に入ってはいるが、その中でも自分の部屋のものは特に好きなのだ。そうは言っても客間にある品も割と好きなのであまり汚さないようにしておきたい。汚れても取り替えられるけれど。
整えたシーツを撫でるとさらりとしていた。これなら汚れも弾きそうだ。寝心地は関係ない。
次に僕はサイドテーブルに道具を仕込んだ。仁美は悦んでくれるだろうか。どんな風に体を跳ねさせるだろう。刺激的な時間を想像するとあまり興味のなかった相手でも少しばかりワクワクする。
大きな雷鳴が轟いた。いつの間にか雨が降っていたようだ。空には稲光が走っている。
「綺麗だな、あの日みたいだ」
僕は懐かしさに目を細めた。
僕の目を、心をいとも簡単に奪った。
ああ、心が満たされていく。僕が求めていたナニカはこれだったのだ。
あの日、僕は僕の真実を知った。
「お先です」
アルバイトを終え、荷物を引っ掴んで店を出る。
「かーずーきくん」
長い黒髪の女が手をヒラヒラ振りながら通用口の前で待っていた。彼女は店の常連客の近所の大学に通う女性で、相田仁美と言った。四年生らしい。すっと通った鼻と長い睫毛に大きな瞳、しっとりと艶めく唇、そして豊満な胸が男を魅了するのかいつも男を連れている。しかも毎回面子が変わる。
仁美はどうも僕のことがお気に召したらしく、彼らがいるにも拘らずしがないバイトでしかない僕に頻繁に絡んでくる。電話番号やSNSのIDなども訊いてもいないのに押し付けられたり、僕のこともいろいろ訊いてきたりする。その度に相手の男共が僕を睨み付けてくるのだが、僕としてはいい迷惑だ。いい迷惑ではあるが相手は常連客、無碍にはできない。
「どうしたの、仁美さん」
「今から和樹くんの家に行きたいなぁ」
彼女は僕に近寄ると僕の腕に己のそれを絡ませた。自分が大多数の男にとって魅力的だという自覚があり、ボディタッチをすれば男は悦ぶとでも思っているのだろうか。
外見など僕にとっては瑣末事だ。僕が美しいと思うのは別の物だから。そうは思うが仁美の腕を振り払うことはしない。代わりに彼女を見つめ、微笑みを浮かべた。
「もう夜だよ」
言外に帰ったらどうだと提案する。
「夜だから、よ」
彼女には通じなかったらしい。
「ねぇ、いいでしょ?」
仁美が自慢の胸を僕の腕に押し付けてくる。柔らかい感触が僕の腕を包んだ。
「和樹くんが好きなの。だから、ね」
仁美が軽く背伸びして したいの、と耳元で囁く。僕は目を瞠った。明確に好意を告げられたのは初めてだからだ。僕は彼女の恋の駆け引きとやらには乗らなかった。仁美は相手に粉をかけてから焦らし、やがてやきもきした相手が告白してくるという形をお望みのようだが、僕はやんわりと躱し続けていた。そうすればプライドを傷つけられた彼女はそのうち諦めるだろうと踏んでいたからだ。しかしそうはならなかった。予想していたよりも、仁美は僕を気に入っているらしい。正直に言えば、僕は仁美にあまり興味はない。きっと対象外だろうから。それでもどうしてもと言うなら。
「ちょっと遠いけど、それでもいいなら」
僕が答えると、仁美は嬉しそうに笑った。
「こんな大きいところに一人で住んでるの? 結構遠いから、学校もバイトも通うの大変じゃない? それにちょっと不気味っていうか」
小一時間ほど電車に揺られて着いた僕の自宅を前にした仁美が開口一番に言った言葉は予想通りのものだった。山の中だから不気味といえば不気味だろう、特に夜は。
「今は一人だよ。じいさんが勝手に使っていいって言ってくれたから使わせてもらってる。周りに気を遣わなくて済むし広いし、好きなことが出来るよ。緑多くて空気も美味しいし。移動時間は長いけど、授業の復習でもゲームでも暇のつぶしようはあるからそんなに大変でもないかな」
僕の自宅は学校のある街から電車で一時間の山の中だ。とある資産家のじいさんが別荘として使っていた一戸建てで、当然周囲に民家はない。騒音を立ててもお咎めもないし、気にする必要もない。多少遠いかもしれないが気が楽に過ごせることが一番だ。外装は手入れされているため然程古めかしさを感じさせず、内装も資産家の所有物らしく質の良い調度品で飾られている。調度品を汚そうが傷つけようがじいさんに頼めばすぐに取り替えてもらえるのでまさに好き勝手し放題だ。実に有難い。
じいさんと僕には血縁はない。僕とじいさんには共通点がある。互いにそれを知ってから、じいさんは僕によくしてくれるようになった。両親の代わりに僕を育ててくれる大恩人だ。
玄関の扉を開けどうぞ、と中へ促す。電気をつけるのと同時に、仁美の口から感嘆の声が漏れた。
「もしかして和樹くんのおじいさんってお金持ち? 外はちょっと不気味に見えたけど室内はホントおしゃれで明るくて綺麗~」
仁美は室内の様子にはしゃいだ。僕は笑ってそれを眺める。するとそれに気づいた仁美は僕へと駆け寄ってきた。
「ねえ、和樹くん。先にシャワー浴びたいな」
上目遣いでそう言った仁美を僕はバスルームへ案内した。脱衣所の戸を閉めると衣擦れの音が、次いで水音が聞こえてくる。
僕はもう一度脱衣所に入り、バスタオルを用意した。手早く彼女の衣服を回収し、すぐにまた脱衣所から出る。彼女がシャワーから上がるまで時間がどれだけあるだろうか。やることはたくさんある。
「こんなもんかな」
僕は客間に行き、丹念にベッドメイキングをした。僕の部屋ではしたくない。
どの部屋にある家具も気に入ってはいるが、その中でも自分の部屋のものは特に好きなのだ。そうは言っても客間にある品も割と好きなのであまり汚さないようにしておきたい。汚れても取り替えられるけれど。
整えたシーツを撫でるとさらりとしていた。これなら汚れも弾きそうだ。寝心地は関係ない。
次に僕はサイドテーブルに道具を仕込んだ。仁美は悦んでくれるだろうか。どんな風に体を跳ねさせるだろう。刺激的な時間を想像するとあまり興味のなかった相手でも少しばかりワクワクする。
大きな雷鳴が轟いた。いつの間にか雨が降っていたようだ。空には稲光が走っている。
「綺麗だな、あの日みたいだ」
僕は懐かしさに目を細めた。
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