50 / 91
ロミオとジュリエット
2
しおりを挟む
「あ、千春さんおかえりー」
ドアを開けるとエプロン姿のたろちゃんがお出迎えしてくれた。部屋の中はビーフシチューらしきいい匂いが漂っている。
「あ、あれ? たろちゃん、今日早いね」
「千春さんこそ早いね? 飲み会って言ってたからてっきり深夜に帰ってくるのかと思った」
たろちゃんは不思議そうな顔で小首を傾げた。相変わらず、動作一つ一つがたまらなく可愛い。憎まれ口も叩くけど、最近はそれもご愛嬌かなと思うようになってきた。
これが年下パワーってやつなのか……。
「あー……うん。なんか、美穂子が明日朝早いとかで」
嘘。本当はたろちゃんに早く会いたかったから。だけどこんなこと、本人に言えるはずもなく。
「へぇ、そうなんだ? 楽しかった?」
たろちゃんはなんの疑いもなくニコリと笑った。
たろちゃんと出会ってからもうすぐ五ヶ月が経とうとしている。最初は絶対に好きにならないと思っていたのに……。
端正な顔立ち。スラリとした長身。見た目に恵まれているのに、そんなことを一つも感じさせないフランクな言動。年上でも関係なしに、真っ直ぐ意見をぶつけてくる、その姿勢。
気づいたら、好きになっていた。
「……お肉の匂い、するね。焼肉?」
ふいに、たろちゃんが私の肩に手をかけた。そのまま抱き寄せられるように、私の体は彼の胸元にすっぽりとおさまった。腰に回された手に、緊張して体が強ばっていく。
「え、に、匂いする……? や、やだなぁ……」
これは、友愛のハグ? それとも、恋人としてのハグ? たろちゃんなら、どっちも有り得る。
「んー、ちょっとするかなぁ。美味しそう」
『美味しそう』って何?
私の頭はもうパニック寸前だ。ただでさえ舞い上がっておかしくなっているというのに、こんなことされたら心臓が壊れてしまう。今だってほら、ドキンドキンと、まるで早鐘のように鳴っている。
たろちゃんの細い指が、私の髪を撫でる。一束掴むと、それを自然に口元へと持っていった。
「髪にも匂いが移ってるね?」
ああ、もう、限界だ──
「そ、そ、そ、そうかもねっ! でも私、冷麺しか食べてないからさ、口臭は問題ないと思うんだよねっ!」
もはや何を言っているのか、自分でもわからない。落ち着け、とにかく、落ち着くんだと、自分自身に言い聞かせる。
そんな私を見てたろちゃんは、目を細めると殺し文句を言い放った。
「……可愛い」
今私、絶対に顔が赤い。触れなくてもわかる火照った頬が、それを証明していた。
恥ずかしい、年下相手にこんな体たらく。初めての相手じゃあるまいし。『可愛い』って言われたくらいで赤くなるなんて……しっかりしろ。
キッと睨むように視線を上げると、たろちゃんが蕩けそうな瞳で私を見下ろしていた。
私は、そんな彼の澄んだ瞳から目を逸らせない。気づいた時にはもう、腰に回された腕がきつく締まり、逃げたくても逃げられなくなっていた。
たろちゃんの顔が徐々に近づいてくる。ゆっくりと、時間をかけて。
これは、もしかしてもしかすると、待ち望んでいた『アレ』なんじゃないか? 美穂子はああ言っていたけれど、たろちゃんもきっと、私の事を──。
息がかかる距離まできて、私はそっと目を瞑った。
胸の高鳴りを悟られないよう、平静を装った顔でその時を待つ。三秒、四秒、五秒……おかしい、なかなかその時が来ない。
ちらりと薄目を開けたら、ニヤニヤしているたろちゃんの顔が視界いっぱいに広がった。
「なーに目瞑ってるの? やらしー」
「っっ!?? べ、別に何もっ──」
「うーん、お肉の匂い堪能したー! 千春さん、ありがとね」
たろちゃんは、チロリと舌を出し、悪戯っぽく笑った。
──やられた。からかわれた。
たろちゃんは何食わぬ顔で私から体を離すと、再びキッチンへと向かった。
「たろちゃんの、ばーか」
悔しくなって、そんな彼の背中に暴言を投げかける。
だって、こんなのって、ない。せっかく付き合えたと思ったのに、せっかくいいムードだったのに、からかわれただけって。美穂子の言う通り、こんなの付き合ってるって言えるのだろうか。
しょんぼり肩を落としていると、たろちゃんがクスリと笑った気がした。
「へーえ? そんなこと言うんだ? そんなこと言っちゃうお口には……」
急に振り返ったたろちゃんの左手が、私の顎を掴む。クイッと上を向かされて、身動きがとれない。
これは……この体勢は──
──なーんて、思うはずがない。わかってるんだ、今回もからかって遊んでるだけだって。そうそう何度もひっかかってたまるか。
「あのね、二度も同じ罠にひっかかるわけないでしょ? からかうのもいい加減に────んむっ」
勢いよく文句を発する唇に、何かが触れた。しっとりと柔らかい感触のそれが、たろちゃんの唇だと気づくのに、五秒ほどかかった。
「……隙ありっ」
「な、な、な、な……」
上手く言葉が出てこなくて、口をただパクパクと、まるで金魚のような私。
「ホント千春さんって面白いね」
──やられた。
たろちゃんは今度こそキッチンへ向き直ると、冷めたビーフシチューの鍋に蓋をして、そのまま冷蔵庫の中へ突っ込んだ。
「ビーフシチュー、明日にでも温め直して食べてね」
涼しい横顔に、とにかく腹が立つ。
──やられた。やられた。やられた。
悔しいはずなのに、それでももう、どうしようもなく彼が好きだ。そして好きだと思ってしまう自分が、どうしようもなく悔しくもある。
まるで初恋のようにフワフワと、浮き足立った私が妙にこそばゆくて、それでいて心地いい。なんだこれ、こんな感情知らない。
たろちゃんがお風呂へと消えたタイミングで、そっと唇に触れてみた。ほんのわずか、一秒くらいの触れ合いだったけれど、たしかにあれは『キス』だった。
私とたろちゃんの初めてのキス。ちゃんと私たち、付き合っているんだ──
ドアを開けるとエプロン姿のたろちゃんがお出迎えしてくれた。部屋の中はビーフシチューらしきいい匂いが漂っている。
「あ、あれ? たろちゃん、今日早いね」
「千春さんこそ早いね? 飲み会って言ってたからてっきり深夜に帰ってくるのかと思った」
たろちゃんは不思議そうな顔で小首を傾げた。相変わらず、動作一つ一つがたまらなく可愛い。憎まれ口も叩くけど、最近はそれもご愛嬌かなと思うようになってきた。
これが年下パワーってやつなのか……。
「あー……うん。なんか、美穂子が明日朝早いとかで」
嘘。本当はたろちゃんに早く会いたかったから。だけどこんなこと、本人に言えるはずもなく。
「へぇ、そうなんだ? 楽しかった?」
たろちゃんはなんの疑いもなくニコリと笑った。
たろちゃんと出会ってからもうすぐ五ヶ月が経とうとしている。最初は絶対に好きにならないと思っていたのに……。
端正な顔立ち。スラリとした長身。見た目に恵まれているのに、そんなことを一つも感じさせないフランクな言動。年上でも関係なしに、真っ直ぐ意見をぶつけてくる、その姿勢。
気づいたら、好きになっていた。
「……お肉の匂い、するね。焼肉?」
ふいに、たろちゃんが私の肩に手をかけた。そのまま抱き寄せられるように、私の体は彼の胸元にすっぽりとおさまった。腰に回された手に、緊張して体が強ばっていく。
「え、に、匂いする……? や、やだなぁ……」
これは、友愛のハグ? それとも、恋人としてのハグ? たろちゃんなら、どっちも有り得る。
「んー、ちょっとするかなぁ。美味しそう」
『美味しそう』って何?
私の頭はもうパニック寸前だ。ただでさえ舞い上がっておかしくなっているというのに、こんなことされたら心臓が壊れてしまう。今だってほら、ドキンドキンと、まるで早鐘のように鳴っている。
たろちゃんの細い指が、私の髪を撫でる。一束掴むと、それを自然に口元へと持っていった。
「髪にも匂いが移ってるね?」
ああ、もう、限界だ──
「そ、そ、そ、そうかもねっ! でも私、冷麺しか食べてないからさ、口臭は問題ないと思うんだよねっ!」
もはや何を言っているのか、自分でもわからない。落ち着け、とにかく、落ち着くんだと、自分自身に言い聞かせる。
そんな私を見てたろちゃんは、目を細めると殺し文句を言い放った。
「……可愛い」
今私、絶対に顔が赤い。触れなくてもわかる火照った頬が、それを証明していた。
恥ずかしい、年下相手にこんな体たらく。初めての相手じゃあるまいし。『可愛い』って言われたくらいで赤くなるなんて……しっかりしろ。
キッと睨むように視線を上げると、たろちゃんが蕩けそうな瞳で私を見下ろしていた。
私は、そんな彼の澄んだ瞳から目を逸らせない。気づいた時にはもう、腰に回された腕がきつく締まり、逃げたくても逃げられなくなっていた。
たろちゃんの顔が徐々に近づいてくる。ゆっくりと、時間をかけて。
これは、もしかしてもしかすると、待ち望んでいた『アレ』なんじゃないか? 美穂子はああ言っていたけれど、たろちゃんもきっと、私の事を──。
息がかかる距離まできて、私はそっと目を瞑った。
胸の高鳴りを悟られないよう、平静を装った顔でその時を待つ。三秒、四秒、五秒……おかしい、なかなかその時が来ない。
ちらりと薄目を開けたら、ニヤニヤしているたろちゃんの顔が視界いっぱいに広がった。
「なーに目瞑ってるの? やらしー」
「っっ!?? べ、別に何もっ──」
「うーん、お肉の匂い堪能したー! 千春さん、ありがとね」
たろちゃんは、チロリと舌を出し、悪戯っぽく笑った。
──やられた。からかわれた。
たろちゃんは何食わぬ顔で私から体を離すと、再びキッチンへと向かった。
「たろちゃんの、ばーか」
悔しくなって、そんな彼の背中に暴言を投げかける。
だって、こんなのって、ない。せっかく付き合えたと思ったのに、せっかくいいムードだったのに、からかわれただけって。美穂子の言う通り、こんなの付き合ってるって言えるのだろうか。
しょんぼり肩を落としていると、たろちゃんがクスリと笑った気がした。
「へーえ? そんなこと言うんだ? そんなこと言っちゃうお口には……」
急に振り返ったたろちゃんの左手が、私の顎を掴む。クイッと上を向かされて、身動きがとれない。
これは……この体勢は──
──なーんて、思うはずがない。わかってるんだ、今回もからかって遊んでるだけだって。そうそう何度もひっかかってたまるか。
「あのね、二度も同じ罠にひっかかるわけないでしょ? からかうのもいい加減に────んむっ」
勢いよく文句を発する唇に、何かが触れた。しっとりと柔らかい感触のそれが、たろちゃんの唇だと気づくのに、五秒ほどかかった。
「……隙ありっ」
「な、な、な、な……」
上手く言葉が出てこなくて、口をただパクパクと、まるで金魚のような私。
「ホント千春さんって面白いね」
──やられた。
たろちゃんは今度こそキッチンへ向き直ると、冷めたビーフシチューの鍋に蓋をして、そのまま冷蔵庫の中へ突っ込んだ。
「ビーフシチュー、明日にでも温め直して食べてね」
涼しい横顔に、とにかく腹が立つ。
──やられた。やられた。やられた。
悔しいはずなのに、それでももう、どうしようもなく彼が好きだ。そして好きだと思ってしまう自分が、どうしようもなく悔しくもある。
まるで初恋のようにフワフワと、浮き足立った私が妙にこそばゆくて、それでいて心地いい。なんだこれ、こんな感情知らない。
たろちゃんがお風呂へと消えたタイミングで、そっと唇に触れてみた。ほんのわずか、一秒くらいの触れ合いだったけれど、たしかにあれは『キス』だった。
私とたろちゃんの初めてのキス。ちゃんと私たち、付き合っているんだ──
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
最後の恋って、なに?~Happy wedding?~
氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた―――
ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。
それは同棲の話が出ていた矢先だった。
凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。
ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。
実は彼、厄介な事に大の女嫌いで――
元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――
隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛
冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる