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第5章:戦争の行方
第46話:天気晴朗なれば浪低し、ってところかしら?
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ロリポップマルーンの機体がベンガヴァル第2滑走路に進入すると、その左脇をアンティークゴールドの機体が占位する。最近では4機同時の編隊離陸を披露するロリポップ小隊であるが、今回の事前確認では2機づつ上がることを予定していた。何しろこの日は夜間の離陸であり、操縦士達の腕の見せ所はここではないのだ。
敵艦隊に『クリシュナの円盤』の企図-すなわち三軍航空部隊による全力攻撃は陽動であり、ベンガヴァルから発進する000Wが本命であること-を悟らせてはならない。従って、敵の索敵レーダを欺瞞しこれを無効化するアクティブステルスが本作戦の要である。一方で、せっかく敵レーダを欺瞞できたとしても、自機から発する様々な電波からこちらの企図が察知されてしまっては元も子もない。そこで000Wは、いわゆる無線封止の状態で敵艦隊へ向けて進軍する。すなわち、味方同士の無線通信は元より、敵味方識別信号の発信/応答はもちろんのこと、索敵レーダ電波の発信も停止するのである。それはすなわち、外界との情報が一切遮断された状態でおよそ3時間の孤独な飛行を操縦士達に強いることを意味していた。そしてそれは、離陸の時点から既に守られなければならなかったのである。
通常、離陸に際して操縦士は管制に許可を得なければならず、一般的にはこれは無線通信で行うところであるが、企図隠蔽の目的から今夜はそれすらも遠慮された。よもや「フレミング大佐、発信を許可します」などという音声が敵に傍受される訳にもいくまい。例えその可能性は低くとも、用意は周到であるにこしたことはないのだ。従って発信許可の確認は、管制と有線回線で通話する地上要員との間で交わされることになっている。
赤髪の群司令は手信号で滑走路上のこやっさんに発進の合図を行った。こやっさんからはすぐさま発進OKが返ってくる。フレミングは右手をサムアップしてみせるとこやっさんは、こちらもサムアップを返した後、ロリポップマルーンのジェット排気を避けるように身を屈めた。それを確認した後赤髪は、今度は金髪の親友に手信号を送り、機内通話回線-これは外部から傍受される恐れはなかった-でマルコーニ先輩に発進を告げた後、左手のスロットルを一気にミリタリーまで押し込んだ。AMF-75Eに搭載された2基のDW-175V可変バイパス式ターボファンエンジンが聞きなれた爆音を轟かせる。背中にGを感じながらフレミングは呟いた。
「おやっさん、今日もいい仕事してるじゃない」
無線封止下であれば当の本人にその声は届かないのではあるが、フレミングには想像がつく。
「ったり前だ、お嬢。誰が整備してると思ってんだ、ったく」
きっとそう言われるんだろうなぁ、と思ったフレミングは今、自分が意外と緊張していないことに気が付いていた。
******************************
「もうそろそろ編隊が完成した頃かしら?」
機内でフレミングは一人呟く。奇襲を期すため灯火管制-航空灯ばかりか衝突防止灯も全て消灯している-下にある000Wである。レーダにも映らなければ、無論、目視することも叶わないのは味方であっても同様であり、編隊の先頭を行くフレミングからはようやく月光を浴びたロリポップ小隊が薄っすらと視認できる程度である。尤もこれは距離が近いことに加えて各機の派手なカラーリングによるところが大きいのであり、同じパーソナルカラー採用機であるパパン小隊、ガリレイ小隊各機ですら、フレミングの位置からこれを視認することは難しかった。各小隊は4機で菱型を組み、3個小隊が三角に並んだ4個中隊で菱型を構成するのが今回の進軍隊形であるが、みんなはちゃんと付いてきてくれているのだろうか。
「大丈夫、みんな充分訓練した」
機内回線からマルコーニ先輩の声が聞こえた。そう、シミュレータで最も苦労したことのひとつがこの編隊形成であった。何しろ、他機がほとんど視認できないのだ。自機から見えるのはせいぜい、前方を行く機体が放つ唯一の光源であるノズル排熱である。赤外線センサを利用して全周戦術情報表示装置に投影される映像を頼りに、先行機と自機との間隔を調整していく。誰か1人でも先行機を見失ってしまえば、以降の隊列はその維持を難しくするであろう。実は、予め時刻毎に各機の進出地点を定めておく方法も検討されたのではあるが、小さな誤差の積み重ねが隊列の後方に与える影響は想定した以上に甚大であり、極めて重大な結果-空中衝突事故-に陥ることがしばしばであった。結局、「計器を見るな。自分の目を信じろ」という古から伝わる格言-反対に「自分の目に頼るな。計器だけを見ろ」との格言も存在するのだが-に従うことにしたのであった。無論、どの操縦士も航法表示装置を併用していることは言うまでもないのだが、いずれにせよマルコーニ先輩の言う通り、みんな一杯訓練したのである。今フレミングが考えるべきことは、何より自分自身が航路を誤らないことであろう。
「はい、マルコーニ先輩」
そう言った赤髪の群司令は機体を左右に2度バンクさせた後、左手のスロットルを前に倒して機体を増速させた。ロリポップマルーンの後方でアンティークゴールドと水色+桜色は同様の合図を後続機に送ったあと増速したようである。これまでフレミングは、000Wの集結を待つために速度を落として航行していたのであるが、そろそろ巡航速度まで増速する頃合いであった。隊列の完成後2度バンクを振るのは、無線封止、灯火管制下において予め定めておいた『巡航速度まで増速する』という合図である。最後尾に位置するマクスウェル中隊のコリオリまで、群司令の意図は正しく通じたであろうか? 少しく不安に思わないでもないが、フレミングには000Wのみんなを信じる他に方法はなかった。
ベンガヴァルを発進してから最初の50分、西ガウツ山脈を越えるまではバーラタ大陸中央を横断する形である。できるだけ都市や村落の無い地域を選んで直線的に、地上高度150m程度を守って進軍する。夜間無灯火の低高度飛行であれば、旋回などは考えるべくもない。『できるだけ低く、できるだけ速く、できるだけ真っすぐ』は、陸上飛行の時点から既に始まっているのである。
「それにしても、全く何も映らないのは、何か気持ち悪いですね」
思わず赤髪は後席の紅茶色に語り掛ける。確かにフレミングの後方には47機の機体が存在するはずなのに、レーダーにも全周戦術情報表示装置にもそれが映らないのである。アンティークゴールドの機体などは視認できているのに、その目に見えているはずのものがレーダースクリーンには映らないことは不気味であった。無論索敵レーダーも敵味方識別信号も切ってあるのだから当然であると頭では理解しているが、かつて初めてステルス機と対峙したパイロットは「視認できているのにレーダーに映らない」と言って恐怖したという。正しくこんな感じであったのだろう。
「映らないのは良い傾向」
そう、マルコーニ先輩の言う通りである。映らないことは良いことなのだ。000Wは今、バーラタの早期警戒網とのデータリンクすら切断されている。自機の発するエンジン音と振動以外に感じるものは全くない、これは孤独な飛行なのである。こんなに近くにいるのに感じられないのであれば、遠くにいる敵は尚更であろう。尤もその愛機は今頃、あるいは敵の索敵レーダー波を感じているのかもしれない。そしてそうであれば彼女達は、必死に外部に向かって欺瞞の電波を発していることであろう。私達の知らないところで、もう既に『電子戦』という名の戦闘が始まっている。
「そうですよね……」
そう返事をするフレミングは、「私にはマルコーニ先輩がいるけれど、みんなは一人で寂しく無いのかな?」と思わないでもなかった。
やがて西ガウツ山脈に到達した000Wは、今度は山肌に沿って高度を上げていく。そして尾根に到達したら180度ロールから背面で降下に入り、再びロールしたら今度は山肌に沿って高度を下げていく。これは編隊形成に続く第2の-あるいは本作戦最大の-難関であった。山肌に植わる木立をかすめて飛行する48機には、灯火も衝突回避レーダーの使用も許されていない。月夜の明かりと先行機、そして自分の目だけが頼りであった。シミュレータ訓練ではここで山肌に激突・炎上した機体もあったが果たして、後方に不幸な爆発光は見えなかったようである。訓練の時よりは多少高度設定を甘くした群司令であったが、1機も脱落することなく、1人も犠牲になることなく難所をクリアできたことが嬉しかった。しかし、無論ここでほっと一息つける余裕など、彼女達には与えられていない。
******************************
満月から3日ほど遅れた月が、西の空に浮かぶ。少し朧気な月が照らす海面だけが頼りの000Wである。「シミュレータよりは少し明るいかしら?」と感じたフレミングは、逆でなくて良かったと思いながら海面高度を50mに保って飛行を続ける。月の煌めきを反射する海面は、フレミングの目には穏やかであるように見えた。
「天気晴朗なれば浪低し、ってところかしら?」
一人呟くフレミングに、後席のマルコーニ先輩は戦術情報を以って応えた。
「敵艦隊の現在位置が来た」
たとえ司令機であろうと、今回の隠密作戦では電波の発信を禁じられている。従って、双方向通信により接続を確立する形式であるデータリンクモードで管制機と情報交換を行うことは許されていなかった。そこで三軍統帥本部は、通常のデータリンクモードの他に、ブロードキャストモードでの情報提供を000Wのために用意してくれた。尤も暗号化もされていなければ指向性も無い、これはいわば誰でも傍受できる『放送』の類である。つまりは機密情報などは一切提供されない、せいぜいが敵艦隊の現在位置をお報せしてくれる程度の代物なのではあるが、今の000Wにとっては最重要の、これは情報であった。情報士官の言に群司令は改めて緊張する。
マルコーニ先輩の座る後席には、前席に備えられているような操縦系統の装置類-スティックやスロットル、ラダーべダルなど-は一切設えられていなかった。AMF-75Eは複座型であるとは言え、後席の士官が機体を操縦することなどは想定されていないのである。いざとなれば脱出すればよいだけの話であり、従って緊急脱出手順だけは前席同様に用意されているのだが、ただそれだけである。また、多くの複座機では後席士官による周囲監視も期待されるが、AMF-75Eではそれすらも期待されていない。それらはAMF-75Eの強化されたセンサ類と戦術コンピュータ、ディスプレイシステムが提供してくれるから、後席士官に『目』は要求されていなかったのである。更には、コクピットブロックの形状互換性を単座機のAMF-75Aとの間に保つという要求仕様が、AMF-75Eの後席に居住性と視認性を提供させなかったとも言える。
そんなAMF-75Eの後席には、操縦系が全く存在しない代わりに独特な設備が用意されていた。それは大型3面ディスプレイとキーボードである。後席正面中央には幅60cm高さ40cmのタッチパネル付高精細ディスプレイが陣取り、座席の主の操作に従い航法情報やレーダー情報等様々な情報をグラフィック表示する。また、その左右両脇には幅20cm高さ40cmのディスプレイが用意されており、こちらは主にリスト表示などに利用することが想定されていた。例えば今回の作戦では、全264発の対艦ミサイルの標的や運動などの設定がこのディスプレイ上で一元化されることであろう。そして、前席ではスティックとスロットルが用意されている左右両手元の位置には、後席ではトラックボール付きキーボードが設置されていた。キーボード類は左右それぞれ上下2段に分割されており、左手上段にはファンクションキーボード、右手上段には10キーボードが設置されている。また下段はいわゆるQWERTYキーボードが左右に分割されたものになっており、両手親指で操作できるトラックボールが付随している。無論、視線追跡装置によるポインティングと音声入力による操作がサポートされていることは言うまでもない。その後席に陣取るマルコーニ先輩は今、正面ディスプレイに表示した航法情報画面上で、作戦当初の敵艦隊推定座標と、先ほどブロードキャストされた敵艦隊現在座標との突合を行っているのであろう。
「敵艦隊はポイント185667付近。予定通り、このまま直進」
進路変更-低空での編隊旋回-はこれまた難易度の高い演目であったが、どうやらそれは省略できそうである。
「了解。進路このまま、宜候」
そう言ってフレミングはもう一度、左右に2度バンクを振る。洋上に出てからのバンクは、進路変更の合図であった。左バンク2回は左回頭、右バンク2回は右回頭、そして左右バンクは直進と決めてある。「宜候って、元は海軍用語だったかしら? うちは海軍航空隊が母体だしね」などと思い出しながら、フレミングは月が照らす前方海面を見つめる。進路変更はなくとも、夜間の海上低空飛行が困難であることに変わりはないのだ。このまま約2時間、海上飛行を続けた後はいよいよ……反撃の時間である。
敵艦隊に『クリシュナの円盤』の企図-すなわち三軍航空部隊による全力攻撃は陽動であり、ベンガヴァルから発進する000Wが本命であること-を悟らせてはならない。従って、敵の索敵レーダを欺瞞しこれを無効化するアクティブステルスが本作戦の要である。一方で、せっかく敵レーダを欺瞞できたとしても、自機から発する様々な電波からこちらの企図が察知されてしまっては元も子もない。そこで000Wは、いわゆる無線封止の状態で敵艦隊へ向けて進軍する。すなわち、味方同士の無線通信は元より、敵味方識別信号の発信/応答はもちろんのこと、索敵レーダ電波の発信も停止するのである。それはすなわち、外界との情報が一切遮断された状態でおよそ3時間の孤独な飛行を操縦士達に強いることを意味していた。そしてそれは、離陸の時点から既に守られなければならなかったのである。
通常、離陸に際して操縦士は管制に許可を得なければならず、一般的にはこれは無線通信で行うところであるが、企図隠蔽の目的から今夜はそれすらも遠慮された。よもや「フレミング大佐、発信を許可します」などという音声が敵に傍受される訳にもいくまい。例えその可能性は低くとも、用意は周到であるにこしたことはないのだ。従って発信許可の確認は、管制と有線回線で通話する地上要員との間で交わされることになっている。
赤髪の群司令は手信号で滑走路上のこやっさんに発進の合図を行った。こやっさんからはすぐさま発進OKが返ってくる。フレミングは右手をサムアップしてみせるとこやっさんは、こちらもサムアップを返した後、ロリポップマルーンのジェット排気を避けるように身を屈めた。それを確認した後赤髪は、今度は金髪の親友に手信号を送り、機内通話回線-これは外部から傍受される恐れはなかった-でマルコーニ先輩に発進を告げた後、左手のスロットルを一気にミリタリーまで押し込んだ。AMF-75Eに搭載された2基のDW-175V可変バイパス式ターボファンエンジンが聞きなれた爆音を轟かせる。背中にGを感じながらフレミングは呟いた。
「おやっさん、今日もいい仕事してるじゃない」
無線封止下であれば当の本人にその声は届かないのではあるが、フレミングには想像がつく。
「ったり前だ、お嬢。誰が整備してると思ってんだ、ったく」
きっとそう言われるんだろうなぁ、と思ったフレミングは今、自分が意外と緊張していないことに気が付いていた。
******************************
「もうそろそろ編隊が完成した頃かしら?」
機内でフレミングは一人呟く。奇襲を期すため灯火管制-航空灯ばかりか衝突防止灯も全て消灯している-下にある000Wである。レーダにも映らなければ、無論、目視することも叶わないのは味方であっても同様であり、編隊の先頭を行くフレミングからはようやく月光を浴びたロリポップ小隊が薄っすらと視認できる程度である。尤もこれは距離が近いことに加えて各機の派手なカラーリングによるところが大きいのであり、同じパーソナルカラー採用機であるパパン小隊、ガリレイ小隊各機ですら、フレミングの位置からこれを視認することは難しかった。各小隊は4機で菱型を組み、3個小隊が三角に並んだ4個中隊で菱型を構成するのが今回の進軍隊形であるが、みんなはちゃんと付いてきてくれているのだろうか。
「大丈夫、みんな充分訓練した」
機内回線からマルコーニ先輩の声が聞こえた。そう、シミュレータで最も苦労したことのひとつがこの編隊形成であった。何しろ、他機がほとんど視認できないのだ。自機から見えるのはせいぜい、前方を行く機体が放つ唯一の光源であるノズル排熱である。赤外線センサを利用して全周戦術情報表示装置に投影される映像を頼りに、先行機と自機との間隔を調整していく。誰か1人でも先行機を見失ってしまえば、以降の隊列はその維持を難しくするであろう。実は、予め時刻毎に各機の進出地点を定めておく方法も検討されたのではあるが、小さな誤差の積み重ねが隊列の後方に与える影響は想定した以上に甚大であり、極めて重大な結果-空中衝突事故-に陥ることがしばしばであった。結局、「計器を見るな。自分の目を信じろ」という古から伝わる格言-反対に「自分の目に頼るな。計器だけを見ろ」との格言も存在するのだが-に従うことにしたのであった。無論、どの操縦士も航法表示装置を併用していることは言うまでもないのだが、いずれにせよマルコーニ先輩の言う通り、みんな一杯訓練したのである。今フレミングが考えるべきことは、何より自分自身が航路を誤らないことであろう。
「はい、マルコーニ先輩」
そう言った赤髪の群司令は機体を左右に2度バンクさせた後、左手のスロットルを前に倒して機体を増速させた。ロリポップマルーンの後方でアンティークゴールドと水色+桜色は同様の合図を後続機に送ったあと増速したようである。これまでフレミングは、000Wの集結を待つために速度を落として航行していたのであるが、そろそろ巡航速度まで増速する頃合いであった。隊列の完成後2度バンクを振るのは、無線封止、灯火管制下において予め定めておいた『巡航速度まで増速する』という合図である。最後尾に位置するマクスウェル中隊のコリオリまで、群司令の意図は正しく通じたであろうか? 少しく不安に思わないでもないが、フレミングには000Wのみんなを信じる他に方法はなかった。
ベンガヴァルを発進してから最初の50分、西ガウツ山脈を越えるまではバーラタ大陸中央を横断する形である。できるだけ都市や村落の無い地域を選んで直線的に、地上高度150m程度を守って進軍する。夜間無灯火の低高度飛行であれば、旋回などは考えるべくもない。『できるだけ低く、できるだけ速く、できるだけ真っすぐ』は、陸上飛行の時点から既に始まっているのである。
「それにしても、全く何も映らないのは、何か気持ち悪いですね」
思わず赤髪は後席の紅茶色に語り掛ける。確かにフレミングの後方には47機の機体が存在するはずなのに、レーダーにも全周戦術情報表示装置にもそれが映らないのである。アンティークゴールドの機体などは視認できているのに、その目に見えているはずのものがレーダースクリーンには映らないことは不気味であった。無論索敵レーダーも敵味方識別信号も切ってあるのだから当然であると頭では理解しているが、かつて初めてステルス機と対峙したパイロットは「視認できているのにレーダーに映らない」と言って恐怖したという。正しくこんな感じであったのだろう。
「映らないのは良い傾向」
そう、マルコーニ先輩の言う通りである。映らないことは良いことなのだ。000Wは今、バーラタの早期警戒網とのデータリンクすら切断されている。自機の発するエンジン音と振動以外に感じるものは全くない、これは孤独な飛行なのである。こんなに近くにいるのに感じられないのであれば、遠くにいる敵は尚更であろう。尤もその愛機は今頃、あるいは敵の索敵レーダー波を感じているのかもしれない。そしてそうであれば彼女達は、必死に外部に向かって欺瞞の電波を発していることであろう。私達の知らないところで、もう既に『電子戦』という名の戦闘が始まっている。
「そうですよね……」
そう返事をするフレミングは、「私にはマルコーニ先輩がいるけれど、みんなは一人で寂しく無いのかな?」と思わないでもなかった。
やがて西ガウツ山脈に到達した000Wは、今度は山肌に沿って高度を上げていく。そして尾根に到達したら180度ロールから背面で降下に入り、再びロールしたら今度は山肌に沿って高度を下げていく。これは編隊形成に続く第2の-あるいは本作戦最大の-難関であった。山肌に植わる木立をかすめて飛行する48機には、灯火も衝突回避レーダーの使用も許されていない。月夜の明かりと先行機、そして自分の目だけが頼りであった。シミュレータ訓練ではここで山肌に激突・炎上した機体もあったが果たして、後方に不幸な爆発光は見えなかったようである。訓練の時よりは多少高度設定を甘くした群司令であったが、1機も脱落することなく、1人も犠牲になることなく難所をクリアできたことが嬉しかった。しかし、無論ここでほっと一息つける余裕など、彼女達には与えられていない。
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満月から3日ほど遅れた月が、西の空に浮かぶ。少し朧気な月が照らす海面だけが頼りの000Wである。「シミュレータよりは少し明るいかしら?」と感じたフレミングは、逆でなくて良かったと思いながら海面高度を50mに保って飛行を続ける。月の煌めきを反射する海面は、フレミングの目には穏やかであるように見えた。
「天気晴朗なれば浪低し、ってところかしら?」
一人呟くフレミングに、後席のマルコーニ先輩は戦術情報を以って応えた。
「敵艦隊の現在位置が来た」
たとえ司令機であろうと、今回の隠密作戦では電波の発信を禁じられている。従って、双方向通信により接続を確立する形式であるデータリンクモードで管制機と情報交換を行うことは許されていなかった。そこで三軍統帥本部は、通常のデータリンクモードの他に、ブロードキャストモードでの情報提供を000Wのために用意してくれた。尤も暗号化もされていなければ指向性も無い、これはいわば誰でも傍受できる『放送』の類である。つまりは機密情報などは一切提供されない、せいぜいが敵艦隊の現在位置をお報せしてくれる程度の代物なのではあるが、今の000Wにとっては最重要の、これは情報であった。情報士官の言に群司令は改めて緊張する。
マルコーニ先輩の座る後席には、前席に備えられているような操縦系統の装置類-スティックやスロットル、ラダーべダルなど-は一切設えられていなかった。AMF-75Eは複座型であるとは言え、後席の士官が機体を操縦することなどは想定されていないのである。いざとなれば脱出すればよいだけの話であり、従って緊急脱出手順だけは前席同様に用意されているのだが、ただそれだけである。また、多くの複座機では後席士官による周囲監視も期待されるが、AMF-75Eではそれすらも期待されていない。それらはAMF-75Eの強化されたセンサ類と戦術コンピュータ、ディスプレイシステムが提供してくれるから、後席士官に『目』は要求されていなかったのである。更には、コクピットブロックの形状互換性を単座機のAMF-75Aとの間に保つという要求仕様が、AMF-75Eの後席に居住性と視認性を提供させなかったとも言える。
そんなAMF-75Eの後席には、操縦系が全く存在しない代わりに独特な設備が用意されていた。それは大型3面ディスプレイとキーボードである。後席正面中央には幅60cm高さ40cmのタッチパネル付高精細ディスプレイが陣取り、座席の主の操作に従い航法情報やレーダー情報等様々な情報をグラフィック表示する。また、その左右両脇には幅20cm高さ40cmのディスプレイが用意されており、こちらは主にリスト表示などに利用することが想定されていた。例えば今回の作戦では、全264発の対艦ミサイルの標的や運動などの設定がこのディスプレイ上で一元化されることであろう。そして、前席ではスティックとスロットルが用意されている左右両手元の位置には、後席ではトラックボール付きキーボードが設置されていた。キーボード類は左右それぞれ上下2段に分割されており、左手上段にはファンクションキーボード、右手上段には10キーボードが設置されている。また下段はいわゆるQWERTYキーボードが左右に分割されたものになっており、両手親指で操作できるトラックボールが付随している。無論、視線追跡装置によるポインティングと音声入力による操作がサポートされていることは言うまでもない。その後席に陣取るマルコーニ先輩は今、正面ディスプレイに表示した航法情報画面上で、作戦当初の敵艦隊推定座標と、先ほどブロードキャストされた敵艦隊現在座標との突合を行っているのであろう。
「敵艦隊はポイント185667付近。予定通り、このまま直進」
進路変更-低空での編隊旋回-はこれまた難易度の高い演目であったが、どうやらそれは省略できそうである。
「了解。進路このまま、宜候」
そう言ってフレミングはもう一度、左右に2度バンクを振る。洋上に出てからのバンクは、進路変更の合図であった。左バンク2回は左回頭、右バンク2回は右回頭、そして左右バンクは直進と決めてある。「宜候って、元は海軍用語だったかしら? うちは海軍航空隊が母体だしね」などと思い出しながら、フレミングは月が照らす前方海面を見つめる。進路変更はなくとも、夜間の海上低空飛行が困難であることに変わりはないのだ。このまま約2時間、海上飛行を続けた後はいよいよ……反撃の時間である。
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