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第六話
しおりを挟む早朝。領主城中庭。
グランは白い息を吐きながら、木剣を振っていた。額にはすでに汗が滲んでいる。
何百回と素振りをしたあと、グランは大きく息をついてしゃがみ込み、大きく息をついた。
「……はぁ」
ずっと前から知っていたことではある。ユノは一番近くて遠い存在であるということを。
あれは騎士団の入団式を控えたある夏のこと。例年にしては暑く、濃く青い空には入道雲が登っていた。
この頃は、ただなんとなく一緒にいることが多かった。日陰でユノは本を読んでいたし、グランは日向で木剣を振っていた。特に一緒にすることはなくても、なぜかユノの家に訪れて外へ連れ出していたように思う。
素振りを終えて、木陰で休憩することにしたグランは、ユノの隣に腰を下ろした。
「なぁ」
「ん?」
ユノが本を閉じて地面に置いた。グランはボトルを傾けて水を飲んでいた。
「俺、恋人ができた」
「……は?」
グランはまるで恋人という言葉が知らない言葉のような気がした。息も詰まって、何も考えられなくなる。
「一昨日くらいに、あそこの……ティルバーグさんの娘さんなんだけど……」
ティルバーグは近所で青果を売っている家だ。確かあそこには、グランやユノより一つか二つ、歳の低い娘がいた。彼女がユノに想いを寄せていたことまでは気が付かなかったが、事象としては理解できる。ユノにも、春が来たのだ。それでも、グランはまだ言葉が何も出てこなかった。何と言うべきか迷っている、というよりも、打ち明けられた瞬間にどうしようもなく内心狼狽えてしまった。というか、目の前が真っ白になって、自分の感情に気づいてしまった。渦巻いた独占欲と、これ以上この話を聞きたくないという拒絶感から、導かれるこの感情の名前は。
(俺が、ユノを好きだった、ってことか?)
それも友達としてではなく、これは愛だ。グランは自分の思いがユノに露見するのを恐れて、ついいつものような自分を作ってしまう。
二人の間を、湿度を含んだ風が縫っていった。
「ああ。顔だけは知ってる。お前、その子のことが好きだったのか?」
「……正直、よくわからない。でも、好きだって言われて……彼女の期待に、応えたいと思った」
「ふーん。ならいいんじゃないか、応えてやれよ」
「うん。そうする」
グランは自分の中にある醜い感情が頭をもたげてくるのがわかった。彼女のことを本当に好きだから付き合ったわけではない、ということがわかっただけで安堵している自分がいる。
(くそ、自分が嫌になる)
これまで自分のことをそれほど醜い人間だと思ったことはなかったが、今になって俄然そういう気がしてくるのだ。別に自分で善人だと思っていたわけでもないが、これほど他人に対して醜悪な感情を抱ける人間だと思っていなかった。
人生でまたとないほどの、この上ない衝撃を受けつつも、ここでユノに勘付かれるのはもっと嫌だった。軽蔑するに違いない。だから何も表情には出したくない。
「でも、なんか変な感じがする。俺に、恋人がいるのか、って」
「まぁ、そりゃそうだろ。今までいたことないんだから」
「そうだけど……どうしていいのか、わかんない。何か、彼女にしてあげたほうがいいのかな」
ユノは真剣に悩んでいるようだ。地面に視線を落として、つぶやくように言った。
(まったく、俺は何を聞かされているんだ)
ここでユノに何もさせないよう誘導するのは簡単だ。しかし、ユノに気持ちがない以上、無理やりユノからどうしろというのも違う気がする。よき『親友』として、一番求められる回答は。
「お前の気持ちが追いつくまでは、彼女から求められたら何かしてやればいいんじゃないか。無理に何かしなくても。自然に何かしてあげたい気持ちが出てきたらでいいだろ」
「……そうか。確かにそうかもな。なんでお前ってそういうのよくわかるの?」
「さぁ」
「もしかして、恋人できたことある? 俺に内緒にしてた?」
「ねーよ。お前が鈍感なだけだろ」
このくらいの意趣返しは許してほしい。グランはこのときをもって自分の恋心を自覚し、それと同時に自分の思いは一向に成就しないことに気づいた。始まってもいない。今の今まで、ユノに感じる好意は幼馴染で親友という関係に紐づいたものだと思っていた。
「あ、雨降ってきた」
大粒の雨が降り出したのを見て、ユノが本を持って立ち上がった。
「帰ろう。この本、濡らしたくないし」
「……ああ」
グランも立ち上がると、ユノと目線が近づく。今までと同じような距離にいても、自分の恋心を自覚する前後では話が違う。
(これは、だめかもな)
もしかしたら、親友でいられないかもしれない。ユノが彼女を好きだと言い出したら、自分はどうなる? 考えただけで恐ろしい気分だ。知らないうちに積もり積もっていた恋心が、気づいたときにはこれほど重いものになっていたなんて。
(こいつが彼女を好きになったら、俺はそばから離れよう)
雨の中駆けていくユノの背中を見ながら、そう決めたのだった。
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