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負けは認めない

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「それで、レオニーをその場に残して逃亡したってわけ? 貴方馬鹿なの? それでもしレオニーに何かあったらどうするつもりだったの? あえてもう一度言っておくわ。貴方って馬鹿なの? そんなことしでかしておいてよく今日のこのこと顔を出せたものね。信じられない」

 息継ぎもせずに手厳しい言葉を投げ続けるブランシュの前で、マティアスはむっすりとして黙り込んだ。
 




 ホワイト侯爵家の夜会から1週間。
 何故あんなことを口走ったんだ、という思いと、あの夜のレオニーは本当に綺麗だった、という思いが交錯して、マティアスの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 次にレオニーと会った時にどう接したら良いか悩んでいるところへ、ブランシュからお茶会の誘いが来た。
 
(どうするべきか……)

 あの夜の去り際、びっくりしたように目を瞬かせたレオニーの顔。気持ち悪い奴だと思われただろうか。
 それでも、会いたいのか会いたくないのかと問われれば、もちろん会いたい。

 そうして内心びくびくしながら出かけた当日、挨拶をしただけでさっとレオニーに目を逸らされ、マティアスの心はいきなり挫けた。
 が、落ち込んでいる場合ではない。できるだけ普段と変わらないよう、ポーカーフェイスでリュカやブランシュ達と言葉遊びのような会話を繰り広げた。
 そうしていると次第にレオニーの表情も解れ、いつもの笑顔が戻り始めた。

「わーとろけるー」

 マティアスが買ってきたロールケーキの差し入れを、頰に手を当てながら幸せそうに味わうレオニー。

(良かった……)

 ひとまずこれで元通りだ。

 ところが、マティアスの様子がどことなくおかしいことに気づいたブランシュに帰りがけに捕まり、マティアスは厳しい尋問を受ける羽目になった。
 そしてホワイト侯爵邸の夜会でのことを洗いざらい吐かされ、今に至る。






「まあまあ、結局レオニーは何事もなく無事だったんだし、マティアスも珍しく落ち込んでるみたいだし、ね?」

 どうやって嗅ぎつけたのか、一度帰ったはずのリュカが戻ってきて仲裁に入った。
 ブランシュは息を切らせ青筋を立てながら、まだマティアスを睨んでいる。

「大体、レオニーが綺麗なのは最初からでしょ。初めて会った時は女の私だって、女神様みたいで惚れ惚れしちゃったもの。始めはちょっと暗い所あったけど、それもどんどん消えて明るくなって、ますます綺麗になって。私達はずっと間近で見てきたじゃない。それを何? いつもと違う衣装だからって熱に浮かされたみたいになっちゃって。それじゃ他の男達と一緒じゃない」
「ブランシュどうどう」
「本当にもう、男って馬鹿ばっかりね。呆れた」
「え、僕も? 僕も馬鹿だって言うの? わあマティアスのせいで貰い事故じゃん」

 ブランシュの言う通りだった。マティアスはぐうの音も出ない。

「今のマティアスじゃ、レオニーは高嶺の花ね」

 とどめの一言が、容赦なくマティアスの胸に突き刺さった。

 レオニーを本当に想うのなら、ただ見惚れているだけでは駄目だ。あらゆる障害から彼女を守れるように、そして彼女の隣に堂々と立てるように、己を磨かなければ。

「本気で好きなら、もっと頑張らなきゃ。マティアス」





 レオニーは美しい。
 誰の目をも惹きつけて止まない圧倒的な魅力で満ち溢れている。
 けれど、そんな容姿につられて好きになったわけではない。

 控えめで穏やかな性格なのに、一度興味を持つと何にでも果敢に首を突っ込む。思い切って挑戦して、失敗しても気にしない。
 びっくりするようなことがあると、その場から動けなくなるところは小動物みたいだ。
 自分の気持ちに素直で、いつも相手の目を真っ直ぐに見つめる。

 挙げ出せばきりがない。笑っている顔も、困っている顔も、怒ったふりをしている顔も。ずっと見ていられる。見ていたい。

(彼女の隣に立つにはどうしたら良い?)

 自分の気持ちをはっきりと自覚した今、マティアスにあるのは焦燥感だった。

 どうしたらレオニーに相応わしい男になれるのか考えた末、マティアスは仕事に邁進することにした。
 父親の爵位は1人息子のマティアスがいずれ継ぐことになるが、レオニーの父が持つ侯爵位よりは格下の伯爵位だ。もっと確かなものが欲しい。
 実力でもぎ取れるものを手にしたい。将来はは政務官になるつもりだが、その中でもどの道を目指すか。レオニーの父のように外交官になるか、秘書官や法官を目指すか。どちらにしてもその部門でトップの役職を狙う。
 そのためには今のままでは到底無理だ。

 マティアスは仕事が終わった後も遅くまで居残り、必要そうな書物を読み漁った。膨大な知識を頭に詰め込む作業は、自宅に帰ってからも深夜まで続く。その一方で、リュカと共同経営中のワイナリーに関する仕事も手を抜かない。
 寝る間も惜しみ昼夜関係なく、これだけ必死になって勉学に勤しみ一心不乱に働いたのは、初めてだった。
 
 しかし、マティアスの血が滲みそうなほどの努力を嘲笑うかのように、災厄は容赦なく降りかかってくる。





 じっとり汗ばむ陽気になってきた頃、王宮でシェイキア国の創立を祝う舞踏会が催された。

(初めてレオニーに会ったのがここだったな)

 あの時から心惹かれていたのは確かだが、まさかここまで恋焦がれることになるとは思っていなかった。
 少し前の自分を懐かしみながら、レオニーが来ていないか人だかりの中を探す。
 
 すると、中央の方が何やら騒がしい。

「王太子殿下が……」
「ついに意中の方を見つけられたのか」
  
 人混みをかき分け賑やかな方へ行くと、普段の冷めた表情とは別人のように生き生きと楽しそうな王太子と、微笑を称えたレオニーが、手を取り合って仲睦まじくダンスを踊っていた。

(まさか、レオニーが王太子と……? 2人に接点なんてあったか?)

 いや接点などなくても、レオニーの美しさに王太子が一目惚れした可能性は大いにある。
 じりじりと焦りだけが募る。

 ぎゅっと拳を握りしめたままひたすらダンスが終わるまで耐え、音楽が止まるとすぐにレオニーの後を追った。
 しかしあっという間に人波に呑まれ、マティアスはレオニーを見失ってしまった。

(くそ……)

 会場中を駆けずり回ってレオニーを探し、やっとバルコニーの隅で見つけた時には、レオニーは美しい金髪の美青年と相対していた。

(あれは……ユーグ・クラーク)

 レオニーの元婚約者。
 自分から婚約を破棄しておいて、レオニーに今更何の用があるというのか。

 にこやかに話しかけるユーグに、レオニーも何か言い返している。
 もう何のわだかまりもないのだろうか。
 美男美女の2人が並んで立っていると名画を鑑賞しているようで、遠い世界の出来事を見ているような感覚に襲われる。

(駄目だ、こんなことで怯んでたら)

 何とか気を取り直し2人の間に割って入ろうとしたところで、ちょうどユーグが片手を上げ、去って行った。

 焦る気持ちを抑えながら、できるだけ自然にレオニーに問いただすと、王太子ともユーグとも特に何もなかったようだ。

 しかし、あの2人の方はどう思っているかわからない。もしレオニーを自分のものにしようと企んでいるんだとしたら、どちらもマティアスが太刀打ちできる相手ではない。分が悪すぎる。 

 今のマティアスでは彼女に告白などできるはずがなかった。
 けれどレオニーへの想いを断ち切ることもできそうにない。

 苦しさに胸がギュッと締め付けられる。
 決して消えない、彼女への想い。

(せめて今は友人として、彼女のそばにいよう)
 
「その……力になれることがあったら言ってくれ」

 少し掠れかかった声でレオニーにそう告げると、少しはにかんで笑ってくれた。
 今はこの距離で充分だ。

「一人で抱え切れなかったら、ちゃんと言え。いくらでも助けてやるから」

 必ず、レオニーの隣に並べる男になる。
 それまでは友人の顔をしてレオニーのそばにいて、何かあった時には1番に駆けつけられる存在でいよう。
 王太子よりも、ユーグよりも。



 

 マティアスの苦難はこれだけで終わらなかった。
 それから1週間ほど経った頃、友人のリュカの家で行われた交流会に参加した時のことだった。

「ねえマティアス」

 友人達とわいわい騒いでいたところへ、突然リュカがやってきて耳元で囁いた。

「レオニーに本気で惚れてるのが自分だけだと思ったら大間違いだから」

 驚いてリュカの顔を見ると、射抜くような強い瞳に真っ直ぐ見据えられていた。

「は? お前それ、どういう」
「僕からの宣戦布告」

 マティアスは頭を抱えたくなった。
 
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