伽藍洞で君を待つ

宮沢泉

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九、中学校にて

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 僕らの通った中学校は、小学校を挟んださーやの家側の方向にある。翌日、待ち合わせ場所の中学校の校門前に着くと、すでに三人は待っていた。

 昨日は久しぶりに、さーやと約束をしたときの夢を見た。僕の感情は成長するごとに渦巻いて、難解なものになっていく。あの頃の気持ちと今の僕は、果たして同一人物なのだろうか。

 僕は答えを見つけることを放棄していた。考えれば考えるほど頭痛がひどくなる。今日の分の薬は服用済みで、僕は今日を乗り切らなくてはならない。

 職員室に挨拶に行き、当時を憶えていた教師に事情を話すと、快く学校を徘徊する許可をくれた。

 事は順調に進んだが、唯一タイムカプセルの場所を知っている沢田本人が埋めた場所を忘れてしまい、頭を抱えることとなった。

「面目ない。体育館裏のどっかだったと思うんだがなぁ」

 がしがしと頭を掻く沢田に「仕方ない、八年も前の話だ」と返す。

「目印はあるんだ。木の板を土に差して埋めたから、抜かれてなければタイムカプセルはその下だ」

「それじゃあ、まずはその体育館裏に案内して」

 日比野の発言を受けて、僕らはぞろぞろと職員室の前から移動する。

 校内は何も変わっていない。夏真っ盛りであるのに湿った涼しい廊下。濁った色のトロフィーの山。木製の砂埃が立つ昇降口。どこもかしこも記憶の底にある見たくない景色と一緒だった。

 揃って体育館裏に行っても、沢田の言うような目印の板は見当たらない。頭を抱えて呻き声をもらす沢田に、日比野が優しく声をかける。

「探してみましょ。体育館裏なのは間違いないんだし」

「大きな木の下なのは確かだ。けど、どれだったかなあ」

 同じ高さのイチョウの木々が体育館に添って植えられている。沢田と日比野は一本一本の木の根元を覗いていき、遠目から三崎が観察するように木を見つめて歩いていく。

 タイムカプセルを真剣に探す彼らに倣って、僕と高橋も捜索に加わった。均等に並び立つ木々の間を歩きながら、沢田は唐突に思いを馳せた台詞を吐く。

「中学来ると、中学生のときを思いだすなあ」

 その声があまりにも楽しげだったから、彼の青春は晴れやかに満ちていたのは想像しやすい。

「さーやはひょうきん者でさ。よくみんなを笑わせてくれたよ。あんなにいい奴、他にはいないよなあ」

 それに素早く反応したのは日比野だった。彼女は一本の木を一周して確認しながら、顔を覗かせる。

「昨日も思ったけど、何か勘違いしていない? さーやは大人しくて、思慮深くて、ちょっとお茶目なところがある物静かな子でしょ?」

 今度は沢田はにわかに怪訝な顔をする。

 それを受けて日比野も不思議そうに頭を傾げた。

「いや。確かに頭はよかったけど、日比野さんの言うさーや像は、どこか俺と違ってる気がする」

「男女によって接し方が違ったのかしら?」

 うーんと考えこんで、沢田は「いや」と否定を口にした。

「さーやはみんなに平等だったさ。そこに男とか女とかはなかった、気がする」

「じゃあなんで、こんなにもあなたと私の中のさーやは違うの?」

 お互いに頭の上に疑問符を浮かべている。

 答えは難しく、そしてそれは一言では表せない。彼らのすぐ近くに答えはある。それが見えていないのは、さーやが完璧なほどに「さーやらしく」あったからだ。

「三崎さんはさーやのことどう思う?」

 沢田に尋ねられた三崎は少し考える素振りをして木に寄りかかった。そして懐かしいものを撫でるように言う。

「いじわるな奴。皮肉屋で、自慢したがりで、でも寂しがり屋。……きっとどこにもあの子はいなかったのよ」

 「はあ⁉」と責める高い声は日比野からだった。

「分かったような口聞かないでよ! あなたに何が分かるっていうの!」

 反射のごとく日比野は憤(いきどお)ったが、三崎は何も気にした様子なく、視線は木から外さなかった。

「なら、あなたはあの子の何を知っているの?」

 ずばりと問われた日比野も、日比野を止めようとしていた沢田も、足をぴたりと止めた。三崎の声はしっとりと重い空気に乗る。

「どうしたらすべてを理解できるなんて思う? あなたたちの見ていたものが正しいと思う? それってすごく自分本位じゃないのかな。私は、私の中のあの子を大事にする。それでいいと私は思うけど」

 全否定されたことに対してか、話をうやむやにされたことに対してか、日比野は沸々(ふつふつ)と怒りを溜めこんでいく。それが傍から見えて、僕は少し恐ろしくて、こちらに矛先が向かないことを祈った。

 僕とさーやだけが知っている答えを、日比野は最後まで聞いてこなかった。僕が答えを知っていることに気づきつつ、余計に癪(しゃく)に触るのだろう。

 音にするならどしんどしんという足並みで、日比野は前に前に進んでいく。それからしばらくして七本目の木の裏に、膝丈ほどのベニヤ板が中途半端に突きでた状態で発見された。しかも何度も掘り返された跡が見え、僕たちの他に過去の思い出を取りにきた物好きがいるようだった。

 ベニヤ板には『タイムカプセル 一年三組有志』と大きな汚い字で書かれている。さながら様態は、過去の夢や希望や、何か痛々しい想いの集合体に見えた。

 風化してボロボロになった板を抜きとり、花壇に刺さったままだったシャベルを借りて土を掘り返していく。埋めたときは深く掘っても、そう何度も掘って埋めてを繰り返せば、自然と底の程度は浅くなる。すぐにシャベルが異物に当たると、長方形をしたクッキー缶が土の中から現れた。

「そうそう、これこれ!」

 沢田は意気揚々とタイムカプセルを手で取りだして、缶の表面をさっさっと撫でた。そこには缶を埋めた人物の名前がマジックペンでうっすらと書かれていた。

「さーや……」

 日比野も屈んでさーやの本名である四文字を優しく撫でた。このときさーやが生きていた、という時を証明付けるものは貴重だった。

 倒れたベニヤ板と空っぽの土の穴が、夕方の景色の中に寂しげに溶けこんでいる。ここにも空虚な墓ができてしまったと、空(から)の墓石を思い浮かべる。

「開けるぞー!」

 全員がそばで集まったのを確認してから、沢田はおもむろにタイムカプセルの蓋を開けた。

 そこに入っていたのは、黄ばんだ二つの紙。ノートの切れ端なのか、外線がうっすらと引かれている。缶の中には土や砂が入っていて、ところどころ汚れている。

 丁寧に折り畳まれた紙は、余っているのは沢田とさーやの分だけのようだった。他の者が律義にもまた埋め直したのだろう。

「そもそも、なんでタイムカプセルを埋めるっていう話になったの?」

 缶を覗きこみ、髪を耳にかけながら日比野は問う。

「一年の終わりに、このクラスだけの思い出を作ろうってことになったんだ。未来の自分に宛てたメッセージを、この中に入れようって」

 でもな、と沢田はばつが悪そうに続けた。

「お綺麗な思い出話のように聞こえるけど、単に学期末の大掃除で、先生が処分に困っていた缶を、俺らが気紛れに貰ったってだけの話なんだよ。だから、そこにいた奴らと、たぶんその場の勢いで書いたんだ」

「いいじゃない。青春ぽくて、私は好きよ」

 照れ臭そうに笑いながら、沢田は自分の名前が書いてある紙を手にとった。

「俺はたしか将来の夢で「バスケ選手になる」とか書いた気がする」

 そう言って紙を開けると「ほらな」と見せてきた。汚い殴り書きの字で幼い夢が記されていた。

 沢田以外も、当時の気紛れに描いた事柄が、今になって恥ずかしくなり、七年の間に取りに来た者がほとんどのようだった。

「じゃあ、さーやもそのときの思いつきと、ノリで書いたってこと?」

「それを私たちが見てもいいの?」

 日比野と三崎が問うと、誰もが顔を見合わせて黙りこんでしまった。

 開けることに躊躇いを見せる彼らを無視して、僕は手紙に手をかけた。

「ちょっと、待ってよ一織!」

 静止の声も聞き流して、僕は手紙を開く。

 僕はタイムカプセルの存在を知らなかった。ゆえに、さーやが何を書いたのか知らない。

 興味本位と、小さな恐れを感じながら、素早く紙を開く。

 さーやが未来の自分に宛てた手紙には、数列の文章が並んでいた。



『 未来の自分へ
   そこに自分はいないでしょう。
   きっと願いは
   一織が叶えてくれただろうから 
   安心して
   ゆっくり、眠ってください   』 



「……どうして、さーや?」

 日比野も沢田も、呆然とその手紙に書かれた文字を見つめた。自身の死をほのめかす内容に息を詰まらせている。

 どんな想いで、さーやはこれを書いたのだろう。これを書いたのは、僕に自殺の幇助を尋ねる前だ。それでもさーやは僕が願いを受けいれると信じてくれていたのだ。そのことに途轍(とてつ)もない歓喜を覚える。唇を噛みしめ、頬が緩むのを必死で抑える。

 僕は手紙を身内である日比野に渡した。日比野は震える手で、それを受けとる。

 さーやはもういない。そのことを自覚し実感した日比野たちは、もうさーやを探すということはしないまま、この二日間のことを思い出として片づけるだろう。そして僕のことも再び思いだすことなく、未来に向かって歩きだすことができる。

 僕にとっては都合のいいエンディングではないか。

「僕は中身が見られたから、もう帰るよ」

 そう言い捨て、校門の方に歩きだす。さーやの本心の遺物も見ることができて気分がいい。僕は体が軽く感じていた。

 すると、日比野が勢いよく僕の胸ぐらを掴んで引き寄せる。乱暴に掴まれたことで変な体勢で固まった。

「前から、思ってたのよ」

 豪快すぎる動きに反して、日比野の声は背筋が凍るほどの冷気を漂わせていた。

 隣に立っていた沢田はどちらを止めるべきか迷って、手を出せずにいる。それだけが視界の端で確認できた。

「一織は淡泊過ぎるわ。なぜそんなに割り切れるの? 探そうって言いだすのは私じゃないはずよ。あなたでしょ! さーやはあなたがいないとダメだったのに。そういう普通の態度が、むかつくのよ!」

 ぎゅっと掴む力が強まって、僕の首が絞めつけられる。

「さーやがいなくなったのに、あなた、一回も慌ててない。七年前もいつも通りで、だから私、きっとすぐに帰って来るものだと思ってたのよ。ずっとずっと待ってたのよ。一織がいつも通りなら、すぐ戻って来るって思うでしょう。……だって、一織が探さないんだもの。私が探すしか、ないじゃない!」

 言葉をぶつけるごとに首が揺さぶられた。

 叱責は留まることを知らない。怒りの温度に反して、僕は至って冷静に日比野の美しい涙の跡を見つめていた。

 僕は少し勘違いをしていた。さーやがいないことに、日比野が何の不安を抱いていないわけがないのだ。彼らは少し歪(いびつ)だったとしても、家族だったのだから。

「日比野、落ち着いて」

「落ち着けるわけないでしょ! 私はあなたをさーやのところに連れていくの。さーやにとっての一番はあなたなのよ! だったら、あなたがさーやのそばにいなくちゃダメじゃない。一織、あなた寂しくないの? 片割れだったんじゃないの? 今のあなたはまるで――」

 日比野の涙が宙に舞うのを、僕の瞳は一粒一粒はっきりと捉えた。

「まるで、まださーやがいるみたいに!」


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