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六、道中にて・二
しおりを挟む次の目的地に向かう途中、いつの間にか三崎と隣り合って歩んでいた。定位置にいるはずの高橋は後方をのんびり歩いていて、僕たちに目も向けない。
前を行く日比野と沢田に気づかれないほど小さな声で、三崎は自分から話しかけてきた。
「さっきのウサギの話だけど」
さーやが自分と重ねたウサギの話。わざわざ話題に上げる意味が分からず無言でいると、三崎は気にせずに話し続けた。
「ウサギの話、私あの子から聞いてたの」
僕は彼女の顔を凝視してしまい、慌てて視線を戻した。
さーやは三崎を苦手としていた。三崎の目、口調、話のテンポ。不思議な雰囲気を持つ彼女の引力に、体が拒絶反応を起こす。
占い師に事実を言い当てられたときの感覚と同じだろうか。何でも知っているような顔で、無作法に話に入ってくるくせに、最終的には知らんぷりを決めこむ存在。それが三崎だ。
僕もさーやも三崎の人となりと知っていたら、わざわざ近づこうとはしない。実際、僕が話した回数はそれほど多くはない。
しかし、さーやと三崎の間で会話が幾度と成されていた。さーやに聞いても「自慢話をしていただけだよ」と詳しくは口にしない。
まさか、過去の話までしているとは思わなかった。さーやにとって何でも打ち明けられる存在は僕だけのはずだ。
僕の知らないところで、さーやはどのように昔のことを語ったのか。
気になりながらも、直接三崎に聞くのが悔しい。僕の知らないさーやを、他人から聞くのは途轍(とてつ)もない屈辱だった。
それゆえに、三崎が口にした言葉に、僕の思考を一瞬停止させた。
「あなたの話よ」
「僕、の?」
驚きとともに問い返すと、三崎は目を伏して回想する。
「ウサギが死んだときの話を聞いたの。死んだとき、悲しいと全く思えなかったって。悲しいと思えないことを、すごく恥じていた。そうしたら、あなたが言ったんだそうよ。『なんだ、そんなことか』って」
言ったのかもしれないし、そうでないかもしれない。
さーやは周りと共感できないことを、何よりも恐れていた。社会的動物として、なり損ないだと恥じていた。そんなことは決してないと何度言っても、忘れた頃にさーやは不安げに話すのだ。
自分は、自分が分からないのだ、と。
「あなたはね、続けてこう言ったそうよ。『僕だって悲しいと思わない。そう考える僕はおかしいか? 怖いか?』って。なかなかにユニークな小学生だと思うわ」
鮮明に台詞を憶えている彼女が異様に映った。それも三崎だから仕方がないか、と思い直す。
「この話をしていたとき、あの子、すごく嬉しそうだった。自慢してるみたいに見えた。私はね、それが少し羨ましかったの。私にいない存在が、あの子にはある。素敵だな、って思った」
三崎が僕の顔を見てうかがった。僕はその視線に目を合わせられない。
「あの子は、救われていたのね、あなたに」
そうだったら、どれほどよかったことか。
中学のときに、さーやと三崎が話している姿を見かけた。それは階段の踊り場だったり、校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下だったり。校外学習で行った動物園のふれあい広場で、並んで課題の絵を描いているのを見たこともある。
三崎の話を持ちかけると、さーやは決まっていやな顔をした。嫌悪を示す相手がいることを指摘すると、本人も驚いていた。
嫌いなわけではないんだ、と付け足しながら話す。嫌いではないけれど、自分の心を踏み荒らしていく彼女が怖いのだと。
その変化はさーやにとって、良い作用をもたらしてくれるのではと僕は思った。同時に、嫌悪だったり畏怖だったりというマイナスな感情でも、さーやを変えられる可能性があることが羨ましかった。
少しだけ動いた感情をさーやはそのあと、温めて孵化させず、押し殺してしまった。そういう道を選んだ。そんな感情は大事にしたくないと言わんばかりに。
三崎にエスパーみたいな透視能力はないし、共感力が特に優れているわけではない。僕らと同じ、人付き合いが苦手な女の子だ。人より少し周りが見えていて、達観しているだけ。的確に、鋭く、刃にした言葉を相手の心臓に届けるだけ。
僕と三崎の会話で印象に残っているのは、中学の卒業式のときくらいだろうか。それ以外で話したことは、連絡事項ぐらいだ。僕と三崎の関わりなんて、たったそれくらいだった。
在校生による花道を通って、さっさと帰宅しようとする僕を、彼女はわざわざ呼び止めた。
さーやのことでと言われれば、僕は足を止めざるを得ない。
さーやの失踪の話を、クラスメイトはあえて口にしない者。話すこと自体が憚(はばか)られると言わんばかりに徹底して話題を避けていた。久しぶりに同級生から出た名前に心が揺れる。
卒業生が集まる公園とは真逆の道を歩きながら、三崎は「唐突で申し訳ないのだけど」と切りだした。
「あの子は、あなたの元に帰れたと思う?」
意味が分からず、「は?」と強く聞き返す。その返しに、三崎は不満そうな顔をした。
さーやの死をほのめかす問いを、なぜ僕にするのか。帰る先が僕の元であると、なぜ決めつけられるのか。もしかしたら穿(うが)った見方をしなくてはならないのか。
考えれば考えるほど、三崎の意図が分からない。三崎は呆れたふうでもなく、嘲笑うふうでもなく、一端思考をやめさせるように息を吐いた。
「深く考えないでほしいの。あなたのところに、あなたの中に、あの子の存在がいつまでも残っていれば……いいなと思っただけなのよ」
そうであれば、いくらばかりか救われるから。
そう言った三崎に、僕の知らないさーやの姿を見せつけられた気がして、僕は激しく妬心を抱いた。競い合う思いもあったのだ。こいつに負けたくないという子どもっぽい、焦りの気持ちが飛びでた。
「生きてるよ、ずっと」
僕の中に、生き続けている。誰でもない、僕だけの中に。
思いを込めて噛みつくように言った。嫉妬が含まれた純粋な感情は、当時の僕の本心だった。
三崎は苛立ちもあった僕の態度を指摘することなく、安堵の笑みを浮かべた。
「そう。それならよかった」
突然の笑みに、僕の感情の膨らみも一瞬にしてしぼんでしまう。
「私、高校からこの町を出るの」
三崎はまたしても唐突に町から出ることを告げてきた。
「また、確認に来るわ。じゃあね」
どこまでもあっさりと、最後まで自分のペースで三崎は去って行った。
約束通り、彼女は今日(、、)、確認にやって来た。
『思い出探し』をしている最中でなければ、あのときの問いの意味を、彼女に問い詰めることができただろうか。三崎の性格からして、正解を導きだすのは難しいと推測する。
日比野と沢田が前を行く今のタイミングなら、試しでも三崎に尋ねることはできる。だが、藪(やぶ)を突きたくない僕は深く探りこもうと強く思えなかった。
「あなたたちってそっくりね」
からかいの入った音で、三崎は周辺を見回す。
対象の「あなたたち」が誰を指すかは明白だった。
「どこが?」
「そういうところよ」
暖簾に腕押しな会話に、僕は三崎が苦手なことを再確認する。言葉をキャッチしてくれないし、させてもくれない。
「あの子は私にあなたの話をした。というかほとんどあなたの話ばかりだった」
三崎しか分からない内容に振り回される。だから僕は黙って聞き役に回ることしかできない。
「小野田くんが自分のお小遣いを貯めて、誕生日プレゼントに日記帳をくれたと言ってた。大事にしたいけど、どうしたら大事にできるか分からなくて、書きこむこともできなくて。結局、小野田くんの部屋に置いておくことにして、一文字も書けないまま一年が過ぎてしまったこととか」
「は? なんでそんな話を」
「かき氷の食べ比べをして、小野田くんは「これがイチゴ味だ」って譲らなくて。初めての喧嘩だったんだって嬉しそうだった。目隠しで食べたらイチゴ味はメロン味で、レモン味はブルーハワイ味で。「調べたら、シロップの味は全部一緒なんだよ。やっぱり一織が間違ってたんだよ」って。とても、誇らしそうに言ってた」
なぜ、そんなことまで憶えているんだ。
僕でさえ薄れていた幼児期の記憶を、さーやは人に話せるほどに鮮明に憶えていたのか。
景色を見ていた三崎が僕に視線を向ける。薄い小さな唇が、ゆっくりと弧を描いた。
「ほら、あなたたちってそっくり。お互いの話しかしないの」
細い糸のような髪の毛がさらさらと揺れ動き、三崎の薄い色の髪に太陽が反射する。それが僕には眩しくて、見つめることができなかった。
三崎は僕の次に、さーやの本質を理解していた。認めたくないけれど、中学時代のさーやに寄り添っていた一人だった。
さーやが初めて(、、、)自分から見つけた女の子だった。なし崩しに一緒のときを過ごすことになった僕よりも、余程相性のよい人間が三崎だ。
だから、さーやが失踪しても、三崎は驚かなかっただろう。さーやの意図を汲んで、静かに、温かく、見守る姿勢を選んだ。
それは僕が選んだ道と、大して違いはない。
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