神様の愛と罪

宮沢泉

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第十三話 そばにいるよ

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「日向ぼっこかい?」

 声をかけられ、首だけで振り返る。重そうな段ボールを抱えた紫が居間から顔を覗かせている。

「野菜をもらったんだ。嵐くんにまたおいしいものを作ってもらおうね」

 穏やかに微笑む紫を、蓮華は力なく見つめる。

 もし、「いじめから助けてほしい」と言ったら、紫はどうするだろう。後見人であり、神様である紫だ。何かしら対処はしてくれるはずだ。

 しかし、蓮華にはしこりが残っている。紫の、神としての存在をいぶかしむ心がある。父親の青葉の死を回避してくれなかった紫を不審に思っているのだ。

 紫を頼るべきと分かっているのに、蓮華は頼りたくないとも感じている。陽治郎は蓮華のかたくなに閉じた思いを、どう整理づけてやるべきか迷っていた。

「よいしょ、っと」

 野菜の入った段ボールを放置して、紫は蓮華の隣に腰かけた。人ひとり分をゆうに空けて、そろってぽかぽかした日差しを浴びる。

「蓮華さんにまとわりついている悪い気は、いったい誰からもらったのかな」

 力の抜けていた体が、ぎくりと固まった。

 蓮華には見えない「ナニカ」が、神である紫には見えている。その事実に疑いはなく、恐怖感もない。だが、打ち明けられない気まずさだけが、陽治郎の気持ちを悪くさせる。

「それらを払うのは簡単だ。蓮華さんは、それをどうしたい?」

 どうしたい。どうしてほしいと、選択肢を与えてくれるのか。

 蓮華は自分の中で弾ける何かを感じた。表にいた陽治郎が中に呼び寄せられ、代わりに蓮華の意思が浮上する。ぎょっと陽治郎が驚いて、瞬く間に蓮華は大きく声を発していた。

「だったら――」

 助けてくれるというのなら。

「なんで――お父さんを助けてくれなかったの?」

 ずっと溜め続けてきた鬱憤は、震えた声となって外に出た。

 大きな声を出したことで、膝から重さがなくなって、三毛猫は縁側の端に走り去っていった。

 病気を患って、あっという間に亡くなってしまった青葉。陽治郎が保護してきた子どもたちの子孫である青葉は、神様である紫は見守る対象だった。

 同じく対象者である蓮華を引きとるのではなく、青葉を病気から解放するべきだった。神様である紫が、青葉を病気から守れないはずがないのに。

 なぜ、なぜ、なぜ――

「なぜ、お父さんは死ななければならなかったのっ!」

 ぐっと涙を堪える。泣いたって、どうにもならない。紫の前で泣きたくない。泣いてなるものかと、蓮華は涙を我慢した。

「私は、万能ではない」

 静かな声が頭上から降ってきた。

 ゆっくりと下がっていた顔を上げ、紫の方を見た。紫もまた、蓮華のことを見つめていた。

「けどね」

 万能ではない、と言った口で紫は続けた。

「君が呼んでくれるなら、私はどこへだって助けにいくよ」

 その声が、目が、顔が、泣きたくなるくらい優しかったから。蓮華は目をそらせず、唇を噛むしかできなかった。片方の目から涙が落ちる。頬が濡れる感触に、弾けるように立ちあがった。紫の方を振り向かず、逃げるように二階の自室へと走る。

 ばたんと乱暴に扉を閉めると、息が上がっていた。扉の前で崩れ落ちるようにしゃがみ、せり上がった嗚咽を表に出す。

 人の目を気にする必要がないため、蓮華は顔をぐしゃぐしゃにして涙を流した。青葉が死んだあとでさえ、これほど泣いたことはなかった。自然に任せて流し続ける。次から次からととめどなくあふれる涙を拭いて、手のひらはびしょびしょだ。それでも、涙は止まってくれなかった。

「お父さん、私をひとりにしないで……」

 声を押し殺して泣く蓮華に、陽治郎は心の中でなぐさめるしかできない。

「お父さん……!」

 助けて。心の中で強く叫ぶ。何度も何度も、助けを求める。

 小学生のとき、クラスの男子にけがをさせられた。女子に陰口や意地悪をされた。

 いつでも、青葉だけは蓮華の味方だった。娘である蓮華のために、青葉は身を盾にして守り続けてくれた。

 助けて、とただ一言で、青葉は蓮華の心と体を大切にしてくれた。それが今では空気となって消えていくだけだ。青葉はもういないのだと、悲しいほど痛感させるだけだった。

 時間の経過とともに冷静になっていく。泣きすぎて目の奥が痛い。あふれ出てくるしずくは、いったい体のどこから生みだされているのだろうか。

 蓮華の不安は消えない。

 次に危惧するのは、紫もまた蓮華の母親である明日香と同じように、自分を置いていくのではないかという新たな恐怖だった。蓮華と青葉を捨てた、あの女と。

 青葉と明日香は、蓮華が五歳になるころに離婚した。育児の方向性の違いが決定的だったとあとになって知る。親権を青葉に譲った明日香は、自身の夢のために家族の形を捨てた。以来、蓮華は青葉とともに暮らしてきた。

 明日香とは一年に一度会えればいい頻度で、捨てられた意識が強い蓮華にとって、対面する時間は苦痛以外の何物でもなかった。

 青葉の葬式に明日香は顔を出さなかった。その非常識を軽蔑すると同時に、顔を合わせなくて済むと安心を感じている。自分の都合ばかり考えている事実に、蓮華は幻滅した。寂しい以外の複雑な感情に圧し潰され、蓮華は耐えられなくなって心にふたをしたのだ。

 この家は優しい。紫も、嵐も、右白や左黒も。

 優しいから、頼り方が分からない。消極的な蓮華は自己主張の仕方を知らない。誰でもいいから助けてと、身勝手には言えないのだ。

「ひとりは、寂しいよ」

 もう一度、青葉に助けを求める。答えは、返ってこない。

 ――ひとりではないよ。

 陽治郎の声を、蓮華は聞こえない振りをした。

 蓮華は力尽きて眠りにつく。陽治郎が代わりに表に浮上して、静かに蓮華に寄り添い続けた。

 組紐を広げ、紐の先端を固定して編みこむ。編むための専用の道具がない手編みだが、気持ちだけは懸命に込めた。

 ――泣かないで。
 ――大丈夫。
 ――私たちは、君のそばにいるよ。
 ――ひとりではないよ。

 気づかない振りをしている、陽治郎の可愛い子ども。蓮華に気づいてほしいと願いながら、紐と紐を重ね合わせる。

 手首を一周できる長さになって、終わりをきゅっと結ぶ。鋏で余分の紐を切って、目の前に掲げてみた。

 紫(むらさき)を基調とした落ちついた色合い。ところどころに青や紅の差し色が入っている。陽治郎が子どもたちに編んでやったときと同じ編み方だ。

 あのときは編み終わったあと、神様に祈ってもらったのだった。神社や寺のどのお札やお守りよりも効力のある品になった。

 蓮華の左の手首に結びつける。この組紐が、蓮華を守ってくれるといい。

 ――こんなことしかできないけれど。

 陽治郎は蓮華を真に守ることはできないけれど。

 心の平穏くらい、守ってやりたいと心の底から思うのだ。


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