13 / 25
第十三話 そばにいるよ
しおりを挟む「日向ぼっこかい?」
声をかけられ、首だけで振り返る。重そうな段ボールを抱えた紫が居間から顔を覗かせている。
「野菜をもらったんだ。嵐くんにまたおいしいものを作ってもらおうね」
穏やかに微笑む紫を、蓮華は力なく見つめる。
もし、「いじめから助けてほしい」と言ったら、紫はどうするだろう。後見人であり、神様である紫だ。何かしら対処はしてくれるはずだ。
しかし、蓮華にはしこりが残っている。紫の、神としての存在をいぶかしむ心がある。父親の青葉の死を回避してくれなかった紫を不審に思っているのだ。
紫を頼るべきと分かっているのに、蓮華は頼りたくないとも感じている。陽治郎は蓮華のかたくなに閉じた思いを、どう整理づけてやるべきか迷っていた。
「よいしょ、っと」
野菜の入った段ボールを放置して、紫は蓮華の隣に腰かけた。人ひとり分をゆうに空けて、そろってぽかぽかした日差しを浴びる。
「蓮華さんにまとわりついている悪い気は、いったい誰からもらったのかな」
力の抜けていた体が、ぎくりと固まった。
蓮華には見えない「ナニカ」が、神である紫には見えている。その事実に疑いはなく、恐怖感もない。だが、打ち明けられない気まずさだけが、陽治郎の気持ちを悪くさせる。
「それらを払うのは簡単だ。蓮華さんは、それをどうしたい?」
どうしたい。どうしてほしいと、選択肢を与えてくれるのか。
蓮華は自分の中で弾ける何かを感じた。表にいた陽治郎が中に呼び寄せられ、代わりに蓮華の意思が浮上する。ぎょっと陽治郎が驚いて、瞬く間に蓮華は大きく声を発していた。
「だったら――」
助けてくれるというのなら。
「なんで――お父さんを助けてくれなかったの?」
ずっと溜め続けてきた鬱憤は、震えた声となって外に出た。
大きな声を出したことで、膝から重さがなくなって、三毛猫は縁側の端に走り去っていった。
病気を患って、あっという間に亡くなってしまった青葉。陽治郎が保護してきた子どもたちの子孫である青葉は、神様である紫は見守る対象だった。
同じく対象者である蓮華を引きとるのではなく、青葉を病気から解放するべきだった。神様である紫が、青葉を病気から守れないはずがないのに。
なぜ、なぜ、なぜ――
「なぜ、お父さんは死ななければならなかったのっ!」
ぐっと涙を堪える。泣いたって、どうにもならない。紫の前で泣きたくない。泣いてなるものかと、蓮華は涙を我慢した。
「私は、万能ではない」
静かな声が頭上から降ってきた。
ゆっくりと下がっていた顔を上げ、紫の方を見た。紫もまた、蓮華のことを見つめていた。
「けどね」
万能ではない、と言った口で紫は続けた。
「君が呼んでくれるなら、私はどこへだって助けにいくよ」
その声が、目が、顔が、泣きたくなるくらい優しかったから。蓮華は目をそらせず、唇を噛むしかできなかった。片方の目から涙が落ちる。頬が濡れる感触に、弾けるように立ちあがった。紫の方を振り向かず、逃げるように二階の自室へと走る。
ばたんと乱暴に扉を閉めると、息が上がっていた。扉の前で崩れ落ちるようにしゃがみ、せり上がった嗚咽を表に出す。
人の目を気にする必要がないため、蓮華は顔をぐしゃぐしゃにして涙を流した。青葉が死んだあとでさえ、これほど泣いたことはなかった。自然に任せて流し続ける。次から次からととめどなくあふれる涙を拭いて、手のひらはびしょびしょだ。それでも、涙は止まってくれなかった。
「お父さん、私をひとりにしないで……」
声を押し殺して泣く蓮華に、陽治郎は心の中でなぐさめるしかできない。
「お父さん……!」
助けて。心の中で強く叫ぶ。何度も何度も、助けを求める。
小学生のとき、クラスの男子にけがをさせられた。女子に陰口や意地悪をされた。
いつでも、青葉だけは蓮華の味方だった。娘である蓮華のために、青葉は身を盾にして守り続けてくれた。
助けて、とただ一言で、青葉は蓮華の心と体を大切にしてくれた。それが今では空気となって消えていくだけだ。青葉はもういないのだと、悲しいほど痛感させるだけだった。
時間の経過とともに冷静になっていく。泣きすぎて目の奥が痛い。あふれ出てくるしずくは、いったい体のどこから生みだされているのだろうか。
蓮華の不安は消えない。
次に危惧するのは、紫もまた蓮華の母親である明日香と同じように、自分を置いていくのではないかという新たな恐怖だった。蓮華と青葉を捨てた、あの女と。
青葉と明日香は、蓮華が五歳になるころに離婚した。育児の方向性の違いが決定的だったとあとになって知る。親権を青葉に譲った明日香は、自身の夢のために家族の形を捨てた。以来、蓮華は青葉とともに暮らしてきた。
明日香とは一年に一度会えればいい頻度で、捨てられた意識が強い蓮華にとって、対面する時間は苦痛以外の何物でもなかった。
青葉の葬式に明日香は顔を出さなかった。その非常識を軽蔑すると同時に、顔を合わせなくて済むと安心を感じている。自分の都合ばかり考えている事実に、蓮華は幻滅した。寂しい以外の複雑な感情に圧し潰され、蓮華は耐えられなくなって心にふたをしたのだ。
この家は優しい。紫も、嵐も、右白や左黒も。
優しいから、頼り方が分からない。消極的な蓮華は自己主張の仕方を知らない。誰でもいいから助けてと、身勝手には言えないのだ。
「ひとりは、寂しいよ」
もう一度、青葉に助けを求める。答えは、返ってこない。
――ひとりではないよ。
陽治郎の声を、蓮華は聞こえない振りをした。
蓮華は力尽きて眠りにつく。陽治郎が代わりに表に浮上して、静かに蓮華に寄り添い続けた。
組紐を広げ、紐の先端を固定して編みこむ。編むための専用の道具がない手編みだが、気持ちだけは懸命に込めた。
――泣かないで。
――大丈夫。
――私たちは、君のそばにいるよ。
――ひとりではないよ。
気づかない振りをしている、陽治郎の可愛い子ども。蓮華に気づいてほしいと願いながら、紐と紐を重ね合わせる。
手首を一周できる長さになって、終わりをきゅっと結ぶ。鋏で余分の紐を切って、目の前に掲げてみた。
紫(むらさき)を基調とした落ちついた色合い。ところどころに青や紅の差し色が入っている。陽治郎が子どもたちに編んでやったときと同じ編み方だ。
あのときは編み終わったあと、神様に祈ってもらったのだった。神社や寺のどのお札やお守りよりも効力のある品になった。
蓮華の左の手首に結びつける。この組紐が、蓮華を守ってくれるといい。
――こんなことしかできないけれど。
陽治郎は蓮華を真に守ることはできないけれど。
心の平穏くらい、守ってやりたいと心の底から思うのだ。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
Actor!〜気持ちが迷子のきみと〜
exa
キャラ文芸
長い夏休みを持て余していた大学生の長谷は、喫茶店主の頼みでちょっと人付き合いの苦手な女の子の社会勉強に手を貸すことになる。
長谷はひと夏の間に、彼女に変化をもたらすことができるのか。
本作は小説家になろうにも投稿しています。
大正銀座ウソつき推理録 文豪探偵・兎田谷朔と架空の事件簿
アザミユメコ
キャラ文芸
──その男、探偵の癖に真実を語らず。本業は小説家なり。
地獄の沙汰も口八丁。嘘と本当のニ枚舌。でっちあげの事件簿で、今日も難事件を解決するのだ!
大正時代末期、関東大震災後の東京・銀座。
生活費とネタ探しのために探偵業を営むウソつきな小説家・兎田谷。
顔は怖いが真面目でひたむきな書生・烏丸。
彼らと、前向きに生きようとする銀座周辺の人々との交流を書いた大正浪漫×ミステリー連作です。
※第4回ホラー・ミステリー小説大賞で大賞を受賞しました
※旧題:ウソつき文豪探偵『兎田谷 朔』と架空の事件簿
※アルファポリス文庫より書籍発売中
光速文芸部
きうり
キャラ文芸
片桐優実は九院(くいん)高校の一年生。
小説家志望の彼女は、今日も部室でキーボードを叩いている。
孤独癖があり、いつもクールを装う彼女。
だが、謎めいた男子部員の言動にはいつも内心で翻弄されている。
さらに容姿端麗の同級生からも言い寄られ、クールな顔を保つのもひと苦労だ。
またクラスメイトとの確執もあり、彼女の周囲の人間関係はねじくれ気味。
「どうせ無限地獄なら、もっと速く駆け抜けたいわ」
疲れた彼女がため息をつく。
その時、男子部員の高柳錦司が見せてくれる「作品」とは?
「そうだ今日は読んでほしいものがある」――。
個性的なキャラクターと「日常の謎」の積み重ねの果て、彼女は誰も知らない世界を目の当たりにする。
予想不能の展開が待ち受ける青春ミステリ小説。
※電子書籍で公開中の作品を、期間限定でアルファポリスで公開するものです。一定期間経過後に削除します。
「お節介鬼神とタヌキ娘のほっこり喫茶店~お疲れ心にお茶を一杯~」
GOM
キャラ文芸
ここは四国のど真ん中、お大師様の力に守られた地。
そこに住まう、お節介焼きなあやかし達と人々の物語。
GOMがお送りします地元ファンタジー物語。
アルファポリス初登場です。
イラスト:鷲羽さん
失恋少女と狐の見廻り
紺乃未色(こんのみいろ)
キャラ文芸
失恋中の高校生、彩羽(いろは)の前にあらわれたのは、神の遣いである「千影之狐(ちかげのきつね)」だった。「協力すれば恋の願いを神へ届ける」という約束のもと、彩羽はとある旅館にスタッフとして潜り込み、「魂を盗る、人ならざる者」の調査を手伝うことに。
人生初のアルバイトにあたふたしながらも、奮闘する彩羽。そんな彼女に対して「面白い」と興味を抱く千影之狐。
一人と一匹は無事に奇妙な事件を解決できるのか?
不可思議でどこか妖しい「失恋からはじまる和風ファンタジー」
あかりの燈るハロー【完結】
虹乃ノラン
ライト文芸
――その観覧車が彩りゆたかにライトアップされるころ、あたしの心は眠ったまま。迷って迷って……、そしてあたしは茜色の空をみつけた。
六年生になる茜(あかね)は、五歳で母を亡くし吃音となった。思い出の早口言葉を歌い今日もひとり図書室へ向かう。特別な目で見られ、友達なんていない――吃音を母への愛の証と捉える茜は治療にも前向きになれないでいた。
ある日『ハローワールド』という件名のメールがパソコンに届く。差出人は朱里(あかり)。件名は謎のままだが二人はすぐに仲良くなった。話すことへの抵抗、思いを伝える怖さ――友だちとの付き合い方に悩みながらも、「もし、あたしが朱里だったら……」と少しずつ自分を見つめなおし、悩みながらも朱里に対する信頼を深めていく。
『ハローワールド』の謎、朱里にたずねるハローワールドはいつだって同じ。『そこはここよりもずっと離れた場所で、ものすごく近くにある場所。行きたくても行けない場所で、いつの間にかたどり着いてる場所』
そんななか、茜は父の部屋で一冊の絵本を見つける……。
誰の心にも燈る光と影――今日も頑張っているあなたへ贈る、心温まるやさしいストーリー。
―――――《目次》――――――
◆第一部
一章 バイバイ、お母さん。ハロー、ハンデ。
二章 ハローワールドの住人
三章 吃音という証明
◆第二部
四章 最高の友だち
五章 うるさい! うるさい! うるさい!
六章 レインボー薬局
◆第三部
七章 はーい! せんせー。
八章 イフ・アカリ
九章 ハウマッチ 木、木、木……。
◆第四部
十章 未来永劫チクワ
十一章 あたしがやりました。
十二章 お父さんの恋人
◆第五部
十三章 アカネ・ゴー・ラウンド
十四章 # to the world...
◆エピローグ
epilogue...
♭
◆献辞
《第7回ライト文芸大賞奨励賞》
少年、その愛 〜愛する男に斬られるのもまた甘美か?〜
西浦夕緋
キャラ文芸
15歳の少年篤弘はある日、夏朗と名乗る17歳の少年と出会う。
彼は篤弘の初恋の少女が入信を望み続けた宗教団体・李凰国(りおうこく)の男だった。
亡くなった少女の想いを受け継ぎ篤弘は李凰国に入信するが、そこは想像を絶する世界である。
罪人の公開処刑、抗争する新興宗教団体に属する少女の殺害、
そして十数年前に親元から拉致され李凰国に迎え入れられた少年少女達の運命。
「愛する男に斬られるのもまた甘美か?」
李凰国に正義は存在しない。それでも彼は李凰国を愛した。
「おまえの愛の中に散りゆくことができるのを嬉しく思う。」
李凰国に生きる少年少女達の魂、信念、孤独、そして愛を描く。
輪廻血戦 Golden Blood
kisaragi
キャラ文芸
突然、冥界の女王に召喚された高校生、獅道愁一は記憶喪失だった。 しかし、愁一は現代世界の悪霊を魂送する冥界の役人と契約をし悪霊退治をすることに。 記憶もない、訳の分からぬまま、愁一の新たな現世世界が始まる。 何故、記憶がないのか。何故、冥界に召喚されたのか。その謎を解明することが出来るのか。 現代で起こる、悪霊、怨霊怪異、魑魅魍魎と戦う和風アクション!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる