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第九話 剣呑な教室
しおりを挟む高校一年生の四月は、関係形成において重要なひと月だったらしい。席順が近かったり、部活や委員会が同じだったり、きっかけを各々が模索しながら友人関係を築きあげる。
グループが定まると同時に、クラス内で順位(カースト)も決まる。華やかな見た目、運動部か否か、コミュニケーション能力の高さの有無。判断基準は様々だが、自然のうちに暗黙のもと決定的なものに変わっていく。
村でも役割が決まっている者の方が地位が高い。そういう順位づけと同じか、と陽治郎は認識していた。
蓮華は昔から、そういった順位づけで低位にされやすかった。小学校ではいじられ役から抜けだせず、中学校では出だしで失敗し、高校では自分から周りに声をかけようと努力した。
実際、蓮華は前後や隣の席に座る女子に声をかけ、昼食を同じテーブルで摂り、部活動見学を一緒に見にいった。これから明るい学校生活が続くと蓮華は信じていたのだ。
振りだしに戻った蓮華の生活は、難易度が跳ねあがっていた。五月半ばのすでにグループができあがっているクラスに放りだされ、明らかに孤立していた。
転入生であったなら場合は違ったかもしれない。もしくは編入時期がもう少し遅ければ。クラスメイトたちもまだひと月しか経過していないため、自分ひとりの位置を確立するので精いっぱいだ。余裕がない彼らに、蓮華を気遣うほどの許容量はなかった。
陽治郎は現代の子は関係作りが大変なのだな、と暢気な感想を抱く。昔もよそ者には厳しかった。その忌避の感覚と同じだろうか。人間、未知の外から、知らない者が来るのは恐ろしいから。
陽治郎が孤児を拾うたびに、村の者の中には物好きだと嘲笑うやつもいた。新しく仲間に入る子どもが、もとからいる子と打ち解け合うのに時間がかかったときもある。
閉鎖的な暮らしの中で、外部からの侵入者を受けいれられない。それもまた時間の経過につれて慣れていくものだが、この時代はそうともいかない。
狭い世界しか知らなかった陽治郎は、蓮華の知識によってこの世界が広大であると知った。そのあまりの広さから、蓮華の抱く不安の正体の一端を覗いてもいた。
初めを見誤ってはいけない。強迫観念のように蓮華が持っていた感覚を、陽治郎も引き継いでいた。蓮華が目覚めたときに、自然と周囲に参加できるような人間関係を築いておかなければならない。
とは言っても、あまりにも昔と勝手が違う。むしろ、陽治郎と蓮華には時代の相違のほかに、男女差も年齢差もある。
蓮華からすれば同性と友達になる方がいいだろうと、隣の席の女子に声をかけようとして、陽治郎はぴたりと思考が止まった。
陽治郎にとって最後に話した女子(おなご)は、数えで九つになる志乃(しの)という幼女だ。孤児を拾う変わり者として名が広がっている陽治郎に嫁ぐ女はいなかったため、陽治郎は最期まで独り身だった。
志乃と話すときと同じように声をかけていいものか。蓮華も話し上手ではないため、会話の引きだしは少ない。参考にならない中で、陽治郎は自分の力で交友関係を広げていかなければならなかった。
以前の高校では蓮華に話しかけてくれた子がいたから、蓮華は自然と仲間に入れた。今はちらちらと視線は感じるものの、なぜか一定の距離を感じる。
――どうしよう。これは予想以上に難しいぞ。
陽治郎は蓮華の体に入って以来、初めての危機に瀕していた。
昼休み、蓮華は黙々と弁当を食べていた。たったひとりで。誰からもともに食べようと声をかけられなかったからだ。校内に詳しくないため、歩きまわる自信はなく、教室以外で昼食を摂る以外の選択肢がなかった。
教室の後ろの自席に座ったまま、ひとり寂しく弁当を完食してしまった。嵐作の彩りが完璧な弁当は大変美味だった。
「あなた、寺坂蓮華であってる?」
救いの声とは彼女を指すのかもしれない。期待に満ちて顔を上げると、長い茶髪を巻いている女生徒が立っていた。
蓮華はこの好機を逃さないと首を縦に振った。
「ふうん。……ねえ、本当にこの子なの?」
「そうだよ。おさげ髪の冴えない感じだって。この子しかいないっしょ」
女生徒は背後に立つ別の女子に確認を取る。彼女の周りには同じように華やかな外見の女子が複数並んでいた。女生徒は蓮華をじろりと観察して、目もとを厳しくさせた。
おさげ髪はいいとして、冴えないは明らかな悪口だ。蓮華は彼らが好意をもって話しかけてきたわけではないと悟り、少なからず落胆した。
「今朝、岩泉先輩と一緒に登校してきたってホント?」
岩泉先輩、と小さく口の中でつぶやく。岩泉嵐。いい人認定を確実なものとしている、頼りがいのある男だ。
尋ねられたままに、蓮華は肯定の頷きを返した。とたんに、女生徒や周囲のクラスメイトたちの空気が変わる。
こそこそと内緒話をするざわめきは広がり、何より目の前の女生徒の目が吊りあがった。
「へえ、そうなんだ。……あんた、岩泉先輩の何なの?」
何、と問われ、蓮華は困ってしまった。後輩という答えが正解だろうか。世話になっている人のおこぼれを頂戴している、と正しく答えたとしてさらに説明を求められそうだ。
なんと答えるべきか迷っていると、女生徒は激しく舌打ちをした。びくりと蓮華の肩が飛び跳ねる。
「先輩に気に入られてるからっていい気になんないでよね」
「梨花(りか)こわーい」
「うるさいな。もう用はないから行くよ」
梨花と呼ばれた女生徒は最後に蓮華をひとにらみして、教室から出ていった。
残された蓮華はドキドキする胸を押さえ、呆然と同じクラスじゃないんだ、と現実逃避をする。
――女の子って、怖い⁉
陽治郎の心の声に賛同してくれる者は皆無であった。
ちらちらと視線は感じるものの、それから蓮華に声をかけてくる者は誰ひとりいなかった。
五時間目が始まり、六時間目の授業もいつの間にか終了する。授業というものは陽治郎にはさっぱりだったが、板書だけはしっかり取った。
周囲に倣って帰り支度を進める。教科書はすべて持ち帰るのかと学ぶ陽治郎に反して、体は自然と動く。蓮華は反射的に動作するときがある。いつも通りの毎日の反復を、体はしっかりと覚えているのだ。
「蓮華」
誰かの名前が呼ばれている、と陽治郎は思った。あまりにぼうっとし過ぎていた。もう一度近くから「蓮華」と呼ばれ、陽治郎はようやく自らの体の名だと気づいた。
顔を上げたさき、机をはさんだ向こう側に嵐が立っていた。
「おまえ、帰り方分かんねえだろ」
その通りである。一年の教室にまでわざわざ迎えに来てくれたらしい嵐は「帰るぞ」の一声のあと、すたすたと出入口に向かっていく。この数日で彼の世話焼きに慣れきってしまった蓮華は、当然ながら急いで支度を済ませてあとを追った。
教室を出てすぐ、クラスメイトの黄色い声が響いた。走り去ったがその叫びは届いており、陽治郎にはまったくその声の意味を理解できなかった。しかし、嵐に向けられた種類のものだとおのずと察しはつく。
昼間の指摘と合わせ、どうやら岩泉嵐という先輩に関係する事柄に、女生徒を中心とした者たちは興味があるらしい。
――嵐に聞いてみるべきか?
クラスメイトからも遠巻きにされている理由が、嵐に関わるものならば、何か忠告がほしいところ。
「ぶっ――」
悶々と考えながら歩んでいると、いつの間にか立ちどまっていた嵐の背中に正面から顔をぶつけてしまう。思いきりよく当たったため、鼻が曲がってしまったかもしれない。大事な蓮華の鼻が、と慌てる陽治郎に、呆れた声が頭上からかかる。
「何してんだ、おまえ?」
「ちょっと、考え事を……」
「まあいいけど、ちゃんと前は見てろよ。危ねえから」
「……はい」
陽治郎にとっては年下の嵐に注意され、首筋にまで熱がたまる。顔はきっと真っ赤に染まっているだろう。
恥ずかしさから目に涙の膜が薄く張った。目を動かしてごまかしていると、帰りのバス停に到着していた。校門を出て坂を下ったところだ。緑色に染まった桜の木々が並ぶ坂を、気づかぬうちに通りすぎていたらしい。
蓮華の体を預かっている身でありながら、思考を外にやりすぎていたと陽治郎は反省する。
「編入初日、どうだった?」
「え……?」
ぶつかった鼻をさすっていると、嵐から話を振られた。嵐とは紫の家に住んでから毎日顔を合わせているが、彼から世間話をされたことは一度もない。驚きで目を見開く蓮華に、嵐は気まずげに目をそらす。
「なんだよ、その顔は。俺だって、顔見知りを気にかけるぐらいはするさ」
「あ、あの」
「紫さんにも頼まれてるし」
「えと、その、ありがとうございます」
「感謝されるようなことは、してない」
口ではそっけないものの、嵐からは心配されていると感じる。
陽治郎は案じられた事実が嬉しくて、口元をやんわりとほころばせる。いつも気を張っていた蓮華の顔は無表情に固まっていた。その緊張が少しずつほぐれ、柔らかくなっていく。
「あの、お弁当……おいしかった、です」
今日を乗り越えられたのは、いつもと変わらない優しい味のするおいしい弁当があったからにほかならない。心からの賛美と感謝を伝えると、嵐は「あっそ」と一言。背けられた顔で表情こそ見えないものの、一歩ほど彼に近づけた気がした。
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