自販機の屋根の下

くにゃ

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自販機の屋根の下

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その日は本を買いに外へ出かけた。twitterでフォローしている有名監督がオススメした本が気になって、お財布の中身と相談して3日間が経ち、ついに買いに行くことに決めたのだ。スイカがまるまる入るほどの鞄を掲げて外に出る。ワイヤレスイヤホンでポッドキャストの芸人のラジオを流しつつ、お昼は何を食べようか考える。冷蔵庫にウィンナーが3本と、ねぎ一本、カリフラワーが大量に残っている。適当に炒飯を作ることにした。歩いてると、足元に犬の糞が転がっているのを危うく踏みかけた。犬なんて嫌いだと嘆いていると、前方からチワワが2匹歩いてくる。後ろに中年のキャップ帽を被った男性が小走りで犬に連れて行かれている。小さな身体が懸命に走る姿は微笑ましく、しばらく見惚れていた。あんな小さくて可愛い生き物でも、糞を撒き散らすんだなと思うと複雑な気持ちになった。空は晴れていて、日差しが心地よく身体を包み込んでいた。帰ったら飯を食べて昼寝でもしようかなと考えていると、鼠色の雲が空を覆い始めた。空の色なんて人の顔色と同じで、10分後にはどんな表情を見せるか分からない。お天道様が優しい顔で見守ってくれたのに、突然顔色を変えるのだ。ぽつぽつと水を弾く音が聞こえだと思うと、一気にザーザー雨と大粒の雨が降りはじめる。街の人は右往左往慌てて走っていく。私はスイカがまるまる入る大きな鞄から折り畳み傘を取り出した。備えあれば憂いなし。雨音が大きく、ラジオの音声をかき消すのでワイヤレスイヤホンをケースに閉まった。突然の雨に皆んな服がびしょ濡れで、自販機が数台並ぶビニール屋根の下にちょっとした人溜りができている。そこからじーっと見つめる視線があるような気がしたので、なんだか私だけごめんなさいと思いつつ横をささっと通り過ぎようとした。

「ちょっとそこのお姉さん!自分だけ傘をさして歩いてて、あたし達のことが可哀想だと思わないの?」

おばさんのかすれた大声がはっきり聞こえて、辺りを見回した。通り過ぎた自販機のビニール屋根の下で、赤い派手なワンピースを来たおばさんがこちらを見つめているのに気がついた。今呼んだのって、まさか私のことじゃないだろうな?心臓がドキドキして、雨のせいで聞こえませんと自分に言い聞かせてそのまま早歩きで前に進んだ。本当に怖かったのは、通り過ぎたはずのおばさんが後ろからぐっと力強く肩を掴んで隣に並んだのだ。

「困ってる人を見捨てるなんて最低ね!最近の若いのは自分のことしか考えてないわ!」

先ほどは通り過ぎるだけのかすれた声は、今は耳元で口臭が匂うほど近くで喋っている。

「あ、あの…傘はいいんで…、使ってください」

「ええの?ごめんねー!お父さんが身体悪いの!おばさん急ぎやから」

おばさんは笑顔で私の手から傘をぶんどり…その時に触れたおばさんの手は妙に生温かくて濡れていた。おばさんはずかずかと傘をさして歩いて行き、赤いワンピースはよく目立っていた。私は雨に打たれながら自販機の屋根の下へ向かった。肩にうじ虫が乗ってるような気色の悪い感覚が残っている。

「災難だったね」

私の隣の、男性がボソッと口にした。

「…はい」

まだ心臓がバクバクしてて、おばさんがまだ隣に居る気がして怖かった。雨音に紛れて、またあの声が反響して耳に残ってる。もしかしたら傘を返しにくるかもしれない。そんなの嫌だな。もう顔を見たくない。雨さえ降らなければあんなおばさんに絡まれることもなかったのに…私は雨を憎んだ。雨が降らなければおばさんなんて出会わず、通り過ぎるだけの存在だったんだ。

「大丈夫?」

また男性が声をかけてきた。

「…大丈夫です」

この男の人はさっき絡まれたとき、見てるだけで助けてくれなかったじゃないか。この心配したふりをするだけのろくでなし野郎と口を聞きたくなかった。しばらく雨音を必死に聴いていた。耳にこびりついた汚物を洗い落としてくれる気がした。しばらくして雨が上がった。空の色は本当によく分からない。雨ら降ったり止んだり、お天道様の気まぐれのおかげで怖い目にあったのだ。周りの人々は次々と屋根から解放されて歩き始めた。先ほどの男の人がまた声をかけてきた。

「ごめん、ちょっと待ってて」

そういって男の人は、すごい勢いで走り出した。綺麗なフォームで水たまりを蹴飛ばしていった。[ちょっとっ待って]て、いつまでなのか。しばらく屋根の下でぼーっと時間を数えながら立っていると、男性が一定の速度を崩さずに戻ってくるのが見えた。146秒だ。

「ごめん!待たせたね!」

その人が手に持ってたのは、折り畳み傘。私のだ。この人はあの赤いおばさんを追いかけたんだ。

「あのときに、君がばあさんに絡まれていたときに助けてやればよかったんだけど…」

「と、とんでもないです!」

そのとき、初めて男性の顔をまともに見た。男の人の顔をまじまじと見つめるのはいつぶりだろうか。とても目が大きく、サッカーやってそうで爽やかな人だった。かっこよかった。差し出された傘を受け取ると、少し手に触れた。私より冷えていた。

私はおろおろしながらもお辞儀した。その人は何事もなかったかのように歩き始めた。雨が降らなかったら通り過ぎるだけだったのに。なんだか悪くない気がした。雨のことも好きになりそうだった。それから本を買うまで、ずっとずっとあの人のことを考えていた。正直、小説のことなんてどうでもよかった。雨が降るとまた会えるかな?帰り道にまた会えるか本気で考えたけど、それは叶わないと思った。だってあの人はかっこよかった。彼女だって絶対にいるし、あのときの優しさは偶然の産物だし、私は暗くて髪の毛ボサボサでかわいくないし、私の心は棘ばっかしでチクチクしてて酷い性格してて…………卑下な考えが頭を巡って複雑な気持ちになった。なんだか悲しい気持ちだった。ああ、やっぱし雨は嫌いだな。
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