子鹿くんは狼

中山

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開店したてのショッピングモールはまだ人もまばらで、広いエントランスホールでは何かのイベントを設営していた。

「思い出した」

「ん?」

「部屋着買うわ。紗季ちゃんち用の」

そういえばそんなことを言っていた。正午が量販チェーンに入っていくのでついていく。

「私も買おうかな。部屋着」

「お」

じゃあ手触りいいやつ、と来たリクエストはちょっと予想がついていた。

シャツやらセール品やらなんやらには目もくれず目的のものがある棚を探し、色とサイズだけ確認して無造作に手に取るあたり完全に服に興味がないのだと改めて思う。というか、見ている限り何に対してもさして執着していなさそうだ。悪く思うわけではなくて純粋に不思議なのだが、正午は何に楽しみを見出だして生きているのだろう。

「選ばなくていいの? 他のお店とか」

「面倒」

二語。口を開けるのは面倒がらなくてもいいと思うが。

「大体丈足らんから、どこで買っても」

「ああ…」

紗季もほぼ一七〇なので丈については想像がつくが、彼の場合は幅がないからもっと大変かもしれない。幅がないなど人生で一度も言えたことがない、身長も重さもそれなりにある紗季にはうらやましい話だ。

自分用のものは久し振りにパジャマらしいパジャマを買おうとしたのだが、毛布のような素材でできたマキシ丈のルームワンピースを見つけた正午により、強制的に変更された。

「手触りにこだわるよね。猫とか撫でるの好きそう」

「いや別に。中身紗季ちゃんやからやで」

「…恥ずかしいこと結構平気で言うよね」

「これも紗季ちゃんが入ってないなら意味ないからな」

「ほんとすぐそういう…」

「嫌?」

嫌ではないのだ。だから困るのではないか。こんなふうに優しいことばかり言われてされて慣れてしまったら、正午の方が紗季を見慣れて温度が下がった時に物足りなくなって、もっともっとと願ってしまうようになる。すでに手に入らないものを欲しがってもうっとうしがられるだけで、そうしたら正午はきっと紗季のことを面倒に思うだろう。

部屋で二人だけの時にならと照れた風のごまかしをしながら、心中ではそんなことを考えていた。



部屋着は正午が買ってくれて、ぶらぶら雑貨を見たり食器を見たり、寄り道しながら家具屋へ向かうともなく向かう。ヒールのブーツを履いているのに、横を向けば彼の顔が見上げる位置にあるのが新鮮だ。

「ほんとに背高いね」

「まあそうやな」

「…なんかね、ヒール履くのも遠慮しなくていいんだなって思って」

「ああ」

表情は変わらないのだが、迷ったのだろうか。一言分間が空いて、元彼は背が低かったのかと訊かれた。

「まあ普通だったかな。このヒール履いてたらあんまり変わらないぐらい」

三センチヒールだからさほど高くはないが、それでもたぶんあまり踵のある靴は歓迎されていなかった。もやもやしたものを思い出したが、正午はそれには気が付かずああそうと軽く言う。うまく後を続けられなくて、紗季はちょっとお手洗いと言ってその場を離れた。



昼を目前にして人が増えてきて、モールのお手洗いは並んだ。列で一人頭が飛び出して、やっぱり自分は大きいなとため息をつく。他人のサイズは気にならないけれど、紗季自身はずっと、きゃしゃで骨細な小柄な女の子になりたかった。

小さな頃から大柄で、小学生からずっと背の順では一番後ろ。中高では文芸部だったのによくバレー部? と訊かれたものだ(バスケ部っぽくはなかったらしく、一度も言われたことはない)。猫背になるなと注意するくせにお前は本当にデカいなと無神経に言ってくる教師がいて、嫌いだった。

雰囲気だけでも可愛らしいものに憧れて、学生時代はがんばってみたこともあったなと思い返す。懐かしいけれど、ちょっと黒歴史でもある。当時買ったものはもうずいぶん趣味が変わって使わなくなって、それでもなかなか捨てられなかった。

正午は自分のどこがいいのだろう。酔っ払っている間に何があって、手を出そうと思ったのだろう。メイクを直しながら、何となく気持ちが沈むのを感じた。いけないいけない、今日は楽しいデートなのだ。



広い通路のソファにかけて、正午はスマートフォンを見ていた。

「お待たせ」

「ん」

「どうしたの?」えらく嫌そうな顔をして画面に相対している。

「智哉から、あーあのアル中から買い物頼まれた」大丈夫だ、覚えている。

「そうなんだ。そんなに面倒なものを…?」

「これ。遠慮ねえ」

見せてくれた画面には、ティッシュにトイレットペーパーを始め、かさばる日用品がリストになっていた。長い。メーカーが指定してあるものものある。

「クソめんどくせえ…悪いけど後で付き合って」

「もちろん!」

車を貸してくれたのは智哉だ、軽いものではないか。そう言うと紗季ちゃんあいつに甘い顔せんでええ、これ店のもあるんやぞとぶちぶち言いつつ、正午は立ち上がる。



「む、可愛い」

コートについつい目が行く。ショップの入口でマネキンが着ている、通勤にも休みの日にも使えそうなダッフルコート。着てみればと言うのでお言葉に甘えて店の奥まで入り、ハンバガーに三色かけてあったうちのキャメルを手にとった。

「んー」

「可愛いけど」

嬉しいのだが、買い物における男性の可愛いはあまり信用しないことにしている。

「もうちょっとだけ丈がなあ…」

「俺もよくなるやつや」

「背が高いと不便だよね、こういう時」

デザインも長く使えそうで気に入ったのだが、トップス程度ならともかくコートのような大物で妥協はできない。残念だがハンガーに戻して店を出た。珍しく店員からほとんど声をかけられないのだが、もしかして正午が原因か。こわくないですよ、この人。

「いい色だったなー。同じ色名ついててもものによって全然違うもんなあ」

「分からんけど似合ってはいた」

「へへ、ありがと」

ベージュでもいいな、でもベージュとキャメル手持ち多いからなあと独り言の延長のように話すのに、時々相槌が返ってくる。

「家具屋さんって何階だっけ」

「覚えてない」

二人ともここへ来るのは久し振りで、紗季に至っては二年以上前に来たきりだ。あの時とはずいぶん店の顔ぶれが変わっている気がする。エスカレーター近くの案内板で確認すると上のフロアだったので、ついでに昼食もとろうかと話しながら階を上がった。

「お昼回ったらすっごい混みそうだから、ちょっと早いけど先にすませちゃおうか。正午くん何食べたい?」

「肉。紗季ちゃんは?」

分かりやすい。

紗季はこれといって希望もなかったので、ご要望に合わせて肉にした。ステーキ系の店がフードコートにもあるよと言ったが、拒まれてちょっと良い牛タンの店だ。年齢層がやや高い。

「デートでも、私別にフードコートやだとか思わないよ?」

「まあそれもなくはないけど」

ああいうとこは俺が好かん、のだそうだ。早く出てくる店でさっと食べてさっと出そうなのに意外だ。

「子供多いやろ」

「そうだね。あんまり好きじゃないの?」

そうではないと言う。

「歩いてるだけであいつらむちゃくちゃ見てくるからな」

「あはは、そっかーおっきいから珍しいのかな」

「やろうな。ほんで親が慌てて連れてく」

「あーそれは傷つくね」

「やろ」

並んで待っていたらいつの間にかごく近くの足元からしげしげと見上げられていてぎょっとしたことがあると言う。ちょっと見てみたかった。

「智哉とおるとなお悪いからな」

千紘も入れて三人で出かけたらやたら見られたそうだ。それは千紘が芸能人だからなのではないだろうか。というか芸能人も普通にショッピングモールになんか来るのか。

「ばれんてそんな。気づかれたことない、あいつ移動も電車やぞ」

「そういうものなの」

「末端構成員やからな」

「言い方」

しかし、死神めいた悪そうな男とゴツくてワイルドな男のツインタワーにあの可愛らしい系が挟まれるとなると、SPに護衛される王子(お忍び)のようだ。会ったこともないのに想像してしまっておかしかった。



牛タンはとてもおいしかった。焼き肉のスタートでしか食べたことがなかったのだが、厚切りにしてあるとずいぶん趣が違う。こんなところで食べてこれなら本場の仙台にでも行けばさぞかしおいしかろう。喜んで食べている紗季を見て、正午は満足げにたくさん食べろと言った。そう言いつつ味噌汁とご飯をおかわりしている。速い。

「ごめんちょっと待ってて」

さらに紗季の牛タンを少しあげたにも関わらず、やはり置いていかれた。食べるのは好きだが遅いのだ、紗季は。

「気にせんでええ」

そう言ってもらえるとありがたい。ありがたいがしかし、しかしテーブルの下の足についてはひとつ言わねばなるまい。

「…正午くん」

「何」

「ハウス」

「なんやそれ」

通じないのでごく軽く彼の腿をはたいた。テーブルがさほど広くない、広くないということはその下の空間も狭い、その狭さにかこつけて彼は自分の足で紗季の足を挟んでいるのである。しっかりと。身長に応じて足が長いから逃げ場なくホールドされている感じがある。それ以上の悪さをしてくるわけではないが気恥ずかしい。

狭いから無理と一蹴されて、紗季は気が散るながらもがんばって食べ終えた。



フロアに大きな書店が入っていて、嫌がられるかもしれないと思っても我慢できずに寄りたいと言ってしまった。業のようなものなのだ。

「ええよ」

「ごめん、夢中になってたら止めてね」

「ええって。本好きなん?」

「そうなの、ずっと読んでるシリーズの新刊が出てるはずで、あとちょっと漫画も見たい」

本のこととなると何時間でも話していられると思う。元文芸部の友人たちと今でも定期的にレコメン大会を開催しているぐらいだ。共通して読んでいるシリーズの話やおすすめの新刊や、発掘した名品などを薦め合う非常に心躍るお泊り会である。

「部屋全然本なかったやん」

「そうなんだよね。狭いから今はもう電子に移行しちゃって、どうしても手放せない本だけ置いてる。…あっでもやっぱり本屋さんに来ないと見えてこないトレンドとかいっぱい並んでるのを見るともなしに見てアンテナに引っかかってくるのとかあって、あと紙の本ってやっぱり違うっていうか、見ると上がるっていうか」

分かった分かったと背中を叩かれた。どうどう。

「俺も適当に見とるから」

本など読むのだろうか、合わせさせたなら悪いなと思いつつ足はうきうきと棚の間へ分け入っていった。



新刊をチェックし終え、昔から好きだった作家のとりわけ好きな作品の新装版を買うか悩んで荷物になるのを口実に今日のところはやめて、棚の感じもずいぶん変わったなあとひとわたり見てしまうと正午が気になってきた。

どのあたりにいるだろうか。書店の外のソファだろうか。うろうろ探していると意外なところにいた。

「もうええん」

「うん、ありがとう。それ買うの?」

立ち読みしていた雑誌をそのまま持ってきたのでちょっと驚いた。有名な建築雑誌が一冊と、家を建てる人向けらしきものが一冊。

「勉強。仕事の」

それを聞いてさらにびっくりした。

「大工さんって言ってたよね?」

「言った」詳しくは言っていない。

聞けば、ずっとお世話になっている工務店の社長がいて、その人が若いんだから勉強しろとうるさ、いやアドバイスしてくれるという。

「もしかしてExcelの人?」

「そう」

リフォームが多いからと雑誌の表紙をこちらに向けたが、バリアフリー特集だ。たしかに需要はあるだろう、少し前に紗季の友人の実家もバリアフリーにしたと言っていた。

「お客さんらはこういうの見てるから読んどけって」

「なるほど…でもたしかに雑誌っていいよね。私は建築のことは分かんないけど、紙媒体ってネットの記事と違うのが出てて。ていうか、ネットだと目に入らない記事が目に入るみたいな」

「そういうもん?」

「うん」

頑張ってるんだな。しかし土日も仕事になることがあると言っていたし自分のお迎えもしてくれて、勉強もか。大丈夫なんだろうか。負担にはならないようにしないと。



「んんー、思ってたよりないなあ」

ようやく家具屋だ。

しかし、紗季の欲しいサークルラグはさほど数がなかった。オーダーラグが多くて、すぐに持って帰れる商品が少ない。

「どんなん欲しいん」

「えーとね…これのもうちょっと毛足が短い感じの。色はできたらミックスで、サイズは今あるのと同じぐらいかな」

ミックスは何種類かの色糸が使われているものだと付け加えた。今はベージュなので気分を変えて明るいグレーか落ち着いたグリーン系、思い切ってパープルでもいいと思っている。

「パープル? 紫?」

「紫って言われるといきなり雰囲気が…ああいう感じの優しいやつね」

漢字だとものすごくヤンキーっぽくなるのは発言者のせいだろうか。いや失礼。

「何色がいいとかある?」

「俺? 俺はないよ、紗季ちゃんちじゃん」

正論だ。

ラグは諦めて、近くの巨大なインテリアショップへも寄ることにした。車で五分少々、すぐに着いたが駐車場はなかなか混雑している。自分たちのようにショッピングモールとはしごする人も多いのだろう。

一服したいと言うので、建物の外、隅の方に設けられたエリアまで付き合った。黙って空へ煙を吐く正午の隣にいて、片手の先だけそっと掴むと指が絡められた。



店内は、中にいくつかカフェや休憩スペースがあるほど広大だ。端から見ていくと疲れそうだし時間がいくらあっても足らないから、色々すっ飛ばして敷物類のエリアまで向かう。絨毯、ラグ、簡易畳、キッズカーペットなどなどさすがに品揃えが豊富で、見つかりそうだと期待が高まって楽しくなる。あれこれ見て回るのは面白いのだ。クッションやソファ、ファブリック類も目が迷うほどある。

「あ、これあれだね、だめになるやつ」

「そうやな。一回座ったら立てんなるやつ」

と言うと同時に前からひょいと脇に手が差し込まれ、足元が浮いてあわあわするとクッションに乗せられた。抗議するが時は遅しで大変心地よく沈み込む。腰を下ろしてみると包み込まれるようで、見ていた時より大きく感じた。

「わ、本当に立てないよこれ。…む、でも結構いいかも…このまま寝たーい」

驚きはしたが、気持ちはいい。正午はほうほうと面白そうに見ていたのだが、座ってみるよう勧めても首を振った。なんでだ。

手を貸してもらって立ち上がり、俺はあれがいいと言うのに手をひかれてついていくと大きくて重厚かつヴィンテージ感のあるレザーのソファに案内された。

「似合う」

「ソファに似合うとかあるんか」

座面の奥行きもあって、正午が座ってちょうどぐらいだ。紗季が普通に座ると背もたれに届かない。ここ座る? と目顔で膝の間を示されたがさすがに遠慮しておいた。ただ、横に座って膝に頬杖をついたまま、もし一緒に住むなんてことになってもしこんなソファを買ったらそうしたいなと素直に思った。背中をあずけて映画でも見たらきっと幸せだ。

「いっぱいクッション並べてあるのって、こういう時に使うんだね。実用的な意味はないおしゃれだと思ってた」

「…」

「え? 何?」

「紗季ちゃん時々天然よな」

「え?」

いやいいと言って、正午はふっと笑った。

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