笑み。

大峰亮太

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キミヲ、サガシテ

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 ◯

 その店は閑静な住宅街の中、細い路地を抜けた先にひっそりと建っていた。
 こぢんまりとしており、正面に入り口のドア、それを挟むように小さな窓が二つあった。

 正面のドアには小さく【押】と書いてある。私はドアノブに手をかけ押した。開かなかった。私は首を傾げた。もう一度押す。またしても開かないので今度は引いてみた。するとすんなりと開いたのでなんじゃそりゃと思った。
 店の中は外見に見合わず、かなりごちゃごちゃしていた。古書の匂いというよりはなんだか、独特な匂いがした。大量の本があり、本棚は全てパンク状態。そんな本棚がいくつも並んでいた。
 私はどんな本があるのか気になって背表紙を見たがそこにはタイトルではなく「2000/12/5 竹中文也様」と書いてあった。いや、これがタイトルなのかもしれないと思い本を開こうとしたが、まるで全てのページが糊付けされているかのようで開かなかった。
「そちら、お客様が開くことは出来ません」
 急に声がしたと思ったら、店の奥からタキシード姿の男性が姿を現した。古ぼけて本でごちゃついている店にタキシード姿の男性。ひどく不釣り合いな組み合わせで少し気味が悪かった。
「ああ、すみません」
 私は軽く頭を下げ謝った。
 彼は言った。
「このお店がどのようなお店かご存知ですか」
 私は知らなかった。そもそもここに来たのは新しく引っ越してきたので町を散策していたから見つけただけなのだ。
「いえ、知らずに入ってしまいました」
「左様でございましたか。ご説明することも出来ますが、如何いたしましょう」
「お願いします」

 ◯

 男性は山田と名乗った。
 山田氏はこの店【感情堂】の店主だと言う。
「この店は感情堂、お客様の感情をお預かり、感情を求めるお客様にお貸しする店でございます」
「は?」
 しまった。淑女を目指していたのに、この店主の訳のわからない説明を聞いて、つい間抜けな声を出してしまった。
「簡単に説明しますと、あるお客様はこちらにお客様が預けたい感情、感情といっても記憶に結びついた感情です。例えば」
 山田氏は少し考え込み言った。
「プールの授業のあと、眠気を抑えながらも授業を受けていると、風がカーテンを押し上げ教室の空気をさらっていく。そんな経験はありますか」
 私は首を傾げ考えた。確かにある。あれは学生でしか味わえない感情であり記憶の欠片だ。
「ありますね」
「当店ではそのような感情や記憶をお預かりいたします。そして他のお客様にその感情をお渡しし感情を味わっていただく。と言うことでございます」
 まあ、厳密には経験と言ったほうがいいかもしれませんね。と彼は続けた。
「試してみませんか。お試しにぴったりの感情があるはずですので」
「お試し…そんなのなんでわかるんですか」
「入り口のドア、押しましたよね。でも開かなかった。しかし引いてみると開いた」
「あ、たしかになんじゃそりゃと思いました」
「その感情をお試しでお預かりいたしましょう」
 おお、それならわかりやすいし私にはノーリスクだ。それに少し気になる。
「よろしくお願いします」
「承知いたしました」
 山田氏はそう言うと店の奥に入っていった。数分経った後、山田氏は一冊の本を持ってきた。
「こちらにあなたの感情の本をご用意いたしました」
 それは私が手に取ったタイトルがおかしな本とは違い真っ白で表紙にも背表紙にも何も書いていなかった。
「それではこちらにお座りください」
 案内された椅子には凝った装飾が施されており、随分と年季が入っている。
 私が座ると山田氏は本を手渡してきた。本を開くと全てのページは白紙であった。
「それでは一頁目を開き掌を置いてください」
 言われた通りに掌を置いた。
「それではその状態で、目を瞑り先ほどの感情、記憶、経験を思い出してください。その時に現実になかったことなどは思い出しても反映されません」
 私は目を閉じ先ほどのドアを思い出した。押せと書いてあっても開かないドア、もしかするとと思い引いたら開いたドア。それに対してなんじゃそりゃと思ったこと。そこまで思い出したところで私は山田氏を見た。
「ありがとうございます。それでは手を離していただいて構いません」
 私を手を離した。本には先ほどまで私が手を置いていたところにびっしりと言葉かもわからない文字のようなものが書き込まれていた。
 私は山田氏に本を手渡す。
 山田氏は本を手に取ると、その謎の文字をまじまじと見つめこう言った。
「しっかり感情は記録されましたね」
「何が書いてあるかわかるんですか」
「勿論私はわかりますが、お客様に教えることは出来ません」
 山田氏はそう言いながら一枚の栞を胸ポケットから取り出すとそのページに挟み込み本を閉じた。
「それでは感情を閉じ込めます。これをしないと感情はどこかへ行ってしまって、二度と戻らなくなってしまうのです」
 山田氏はそういうと、背表紙から本の上を通りぐるりと指で一周なぞった。
 するとどうであろうか、先ほどまで鮮明にあったドアの記憶は自覚することができなってきた。
 山田氏は私を見つめ「もう一度このお店に入って来ていただけませんか」と言った。

 私はドアを開け、外に出る。振り返るとドアには小さな【押】の文字、私は押してみた。しかしドアは開かない。おかしいと思って試しに引いてみたところ、すんなりとドアは開いた。なんじゃそりゃと思った。
 その時であった。私は過去にこの感情を経験していると強烈に感じた。
 私は山田氏に説明を求めた。
「今しがた貴女はこの本へ感情をお預けなさいました。その感情の内容は」
 山田氏はチラリと私の後ろに目を配る。
「そちらのドアに関してです。そちらのドアは外からは引くことでしか開きませんが、貴女は初めてここへ入られる時、何度押しても開かないドアが引いて開いた時、なんじゃそりゃと思いましたよね。その感情です。お預けになった感情は貴女の手元にありませんから徐々にお忘れになります、だから貴女は私にもう一度入ってくるよう言われ、一度目入る時と同じく押して開かぬドアを引いて開け、なんじゃそりゃと思った。わかりましたか。この店は感情を預かり、そしてお貸しする、感情堂になります」
 なるほど、預けることができるのはわかったが、気になる点があった。
「二回目に入った後、同じ感情になったことがあると激しく思いました。あれはなんですか。あと、貸し出しはどうやってするんですか」
 山田氏はパンク状態の本棚から一冊抜き出した。その本は栞が何枚も、いや何百枚であろうか、挟まっていた。
「まず一つ目のご質問からお答えします。実はお預けになった感情を取り戻す方法は二つございます。一つは感情の本からお引き出しすること。こちらは簡単、先ほど手を置いた場所にもう一度手を置くことで戻って参ります。もう一つはお預けした感情をもう一度御自身で感じてもらうと言うことです。つまり複製することで感情は戻って参りますがこの感情の本から消えるわけではございません。そして二つ目の質問の答えですが」
 そう言うと山田氏は手に持っていた本を開くと栞を一枚取り出した。
「これ、この栞を貴女が持つ。それだけです」
 続けて山田氏はこう言った。
「料金の方なんですが、基本預からさせていただく場合は私がお客様に料金を支払い、貸し出しの場合はお客様からご料金を頂戴します。その時の値ですが、感情の貴重度に左右されます。先ほどのドアの関しての貴女の感情は貴重度は低く値はつきません。貸し出しの時も無料で貸し出すことになります。しかし、例えば学生時代の思い出や初めて◯◯をしたなど再現性の無い感情になりますとかなり高額になります。ただ、このような再現性のない感情は大変人気でございまして、お預けした後いつ帰ってくるかはわかりません。返してくれと言われましても、貸し出し中や予約が入っていますとお返しすることができませんので予めご了承ください」
 なるほど、そう言う感じなのかと思った。
 しかし私はすでにこの店を一刻も早く出たかった。
 何故かわからないが、私の脳が早く出ろと言っている。
「なるほど、とりあえず今日は帰ります。ありがとうございました」
 そう言うと私は早足でドアへ向かい扉を押した。よかったしっかり開いて。そう思った。
「うちは十月二十八日だけは定休日なので!その日に来ても開いてませんからね!」
 私の後ろから山田氏の声がしたが、当然無視した。二度と行く事はないだろう。
 あの店はヤバい。私は馬鹿なのか。大量にありすぎて気づかなかったが、あのパンク状態の本棚に詰まっている本、あれは……

 ◯

「気づかれましたかね」
 山田は本に話しかけた。勿論、本は答えない。
「まったく、無愛想だなア、君は。周りの人たちはこんなに話しているのに」
 山田は指をパチンと鳴らすと周りの本棚は阿鼻叫喚と化した。
 暴れ狂う本たち、何を言っているのかわからないが皆、何かを言っている。
「感情の快楽に陥った者は、廃人と化す。それをくるっとまとめて本にしちゃう。そうすればその人間の人生まるごとの感情を本にできる。それを一年に一度、あちらの存在に売りに行く。あいつらはこれを欲しがるんだ。そうだ君も売らないとね。忘れた記憶を戻すために他の邪魔な記憶や感情を全て預けて探そうとするなんて。常人のやる事じゃないよまったく。
 愛しい夢も叶わぬまま、本にされてしまった哀れなキヨシ君。君は高く売れるぞオ。なんせ本になった後、自我を取り戻すなんて聞いたことがないからね。まあ感情は全て預けてしまったから君はほぼ白紙のページだから売れるのかわからないけどね」
 あはは、と山田は笑うと店の奥に入って行った。

 ここは感情堂。年に一度の商売のため、日々商材を集めている。
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