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 翌日、団長は神殿騎士団長と話を終えると、俺の執務室へ戻ってきた。

「主教、いまから休憩時間だ。机から離れろ」
「え、いや、明日の説法の準備をするので」
「そんなものは先週の使いまわしでいいだろう」
「そうしたいですけどそういうわけにもいかない――ぅわ」

 団長が近づいてきたと思ったら抱えあげられ、そのままソファへ移動させられた。
 団長は向かいのソファに腰を下ろす。

「少し休憩を入れたほうが、頭が動くだろう」

 たしかにその通りだとは思うので、素直に従うことにする。
 ポールが二人分の紅茶を運んでくれた。そして、「じゃあ僕も休憩にします」といって部屋から出ていく。
 紅茶を一口飲み、ほっと息をつく。
 団長も紅茶に口をつけ、俺を見つめた。

「神殿警備の件だが。配置図を見たが、宝物殿のほうに警備が偏っているな」
「そうかもしれませんね。売店も宝物殿近くにありますし。それ以外の場所は盗まれるようなものはないですから」
「盗難よりも、あなたが心配だ」

 まっすぐに見つめられる。

「あなたの護衛の強化を頼んできた。満足できるものでもないが、多少、今よりは改善できそうだ」
「……ありがとうございます」

 団長の眼差しを受けとめきれず、俺は紅茶を飲むことで目を逸らした。
 団長はずっと俺を見ている。以前のような警戒するものではなく、熱と甘さを含む目つきだ。
 そんなふうに見ないでほしいのだが。調子が狂うというか、赤くなりそうで、困る。
 部屋に二人きりで会話もないと、妙に意識してしまう。俺は話題を捻りだした。

「そうだ。討伐騎士団のぬいぐるみなんですけどね、まだ図案化できていない団員がいまして。ちょっと見ていただけますか」

 執務机の引き出しからスケッチブックをとりだした。該当者のページを捲りながら団長のすわるソファへ歩み寄る。

「これ、ロランのつもりなんですけれど特徴がつかめていなくて。どう思います?」
「どれ」

 スケッチブックを差しだすと、腕を引かれた。バランスを崩し、彼の隣にすわると、腰に腕をまわされ、引き寄せられた。密着した姿勢のまま、団長はスケッチブックに目を落とす。

「ああ、なるほどな……これは主教が描いたのか。すごいな。俺はこういうのはよくわからないが……もう少し、たれ目を強調するといいんじゃないか。でもよくできていると思う。他も見ていいか」

 見るのはいいが、この体勢は。
 黙っていると、団長がこちらを向いた。

「駄目か」
「いえ……。どうぞご覧ください」

 離れようとしたら、腰にまわされた腕に止められた。

「あの」
「…悪い。触れたくなった」

 団長は悪戯が見つかった子供のように目を逸らし、腰から手を離した。
 えーっと。
 昨日に引き続き、なんなんだ。
 いまこの時期になって急に距離を詰めてくるって、どういうことだ。
 旅の最後の夜も積極的で、翌朝は甘い雰囲気を出していた。だが旅を終えたら連絡一つ寄越してこなかった。だから最後の夜のことは、やっぱり団長にとって性欲処理以上のものではなかったんだろうと思っていたんだが。
 じゃあ、これはなんだ。
 態度の変化に戸惑い、ふと思いつく。まさか、カルメ公爵の策略は俺の誘惑も兼ねているのだろうか。
 団長が、俺を篭絡しようとしている? 公爵から指示が出ている?
 そういうことなのだろうかと疑って横顔を見つめると、彼は片眉を上げ、俺へ目を向けた。

「なにを疑っている」
「まさかと思いますが、私を誘惑しようとしてますか?」
「誘惑か。そうは考えなかった」

 団長の右手が伸びて、その指先が俺の頬にそっと触れた。

「ただ、触れたい気持ちを我慢できなくなっただけだ」

 その言葉と行動に驚き、心臓が脈打つ。
 頬に触れるってよほど親密な関係でないとしなくないか? そりゃ、団長とは何度もキスをしたし、それ以上のこともした仲ではあるけれど。
 そうは思ったが、身体は逃げようとしなかった。
 俺が逃げないのを見て、彼の唇から安堵のような吐息がわずかに漏れ、その眼差しがさらに甘やかになる。
 彼は指先を滑らせるようにして、手のひらも頬に密着させてきた。

「遠征のあいだは毎日のように、あなたの柔らかい唇を奪うことができた。魔力供給する必要のない今は、その唇に触れる理由がなくて、困っている」

 俺を見つめる瞳に熱が籠る。
 俺は返す言葉もなく、その瞳を見つめた。
 過去にも、今の団長と同じように俺にくちづけたいと口説いてくる輩はいたが、すべて営業スマイルで適当にあしらっていた。その俺が言葉もなく、退けるでもなく、赤くなって対応に困っている。
 彼の指先が耳に触れる。その感触に俺はビクリと肩を震わせた。
 団長の顔が近づく。

「ただ触れたいという、それ以外の理由がなくても……許してもらえるだろうか」
「それは、カルメ公爵の指示ですか」
「そんなことじゃない。公爵は関係ない。俺が、あなたに惹かれているだけだ」
「……。……昨日もそうですけど、急に、どうしたんです」
「急なわけじゃない。今までは、想いを告げても玉砕するだけだと思っていたから様子を窺っていた。だが昨日素直な気持ちを口にしたら、思いがけず、あなたが反応を示してくれたから。下手な小細工はせず直球でいくことにした」

 ……。

「…は…」
「なんだ」
「いえ…」

 ちょっと…待って…ほしい…。
 団長が、俺に惹かれているという。
 何年も、ずっと俺を嫌って避けていたはずの団長が。
 これはやっぱり策略ではなかろうか。そうでないと都合が良すぎる気がする。

「なんだその顔は。嘘だと思っているか。俺はそんな嘘はつかないし、つけない」
「…公爵の策略とか…」
「俺ほど、色事の策略に向かない男がいると思うか。カルメ公爵が、それをわからないと思うか」

 それは……、そうだが……。
 身体が熱くなる。心臓がせわしなく動き、胸が苦しくなる。彼の言葉は本当だろうかと疑う気持ちと、信じたい気持ちが錯綜し、動けない。
 困った。
 俺の気持ちを考えてほしい。
 俺は……。
 昔の記憶が頭をかすめる。
 十代の頃。前主教に連れられて王宮へ行ったとき、気になる騎士がいた。
 凛としたその姿に惹かれ、気がつくといつも彼の姿を追っていた。王宮へ行くたびに、彼はいないか、そればかり気にしていた。男女問わず色目を使われ、人間不信気味だった俺が唯一、興味を持った相手だった。
 やがて一人でも貴族と交渉できる度胸を身につけた頃、勇気をだして初めてその騎士に声をかけた。おかしなことは言わなかった。きちんとした挨拶を述べたつもりだ。しかし彼は俺を見るなり不快そうに顔をしかめ、俺の挨拶を無視して去っていった。
 すでに王宮内では、俺のよくない噂がちらほらと出はじめていた頃だった。根も葉もない噂に傷つき、それを払拭するすべも知らず、今後もずっと言われ続ける未来しか思い浮かばなかった。憧れの騎士に声をかけても無視される。弁明することもできないのだと、諦めた。
 当時は、ただ親しくなれたらいいと思っていた。友人になれたら嬉しい。それ以上のことは考えてもいなかったし、嫌われていると知ってから、気持ちを封印して近づかないようにしていた。
 それが一緒に旅をして近づくようになって、魔力供給やらゲームの展開阻止というミッションによって、思わぬ触れあいをするようになった。
 だがそれも旅のあいだの一時的なものだ。元の生活に戻ったら疎遠になると思って、考えるのを避けていた。好意を抱かれたようだと思っても、期待しないようにしていた。身体を重ねたのも性欲発散のためで、それ以上の感情はないのだと。
 期待はしていない。だがもし叶うなら、王宮で出会ったときに無視されることなく、共に旅をした知人として言葉を交わすことができたらいいと淡い望みは抱いていた。
 俺が彼に求めていたのはその程度だ。
 それなのに、望み以上の言葉と態度を示され、どうしたらいいのかわからなくなる。
 気持ちが追いつかない。素直に受け止めていいのだろうか。それとも、策略かもしれないから拒むべきなのか。

「それで、触れる許可は」

 頭の中でグルグルしていると、俺を見つめる団長の瞳が、スッと細められた。だからその表情、セクシーなんだからやめてくれ。目を離せなくなるんだから…!

「沈黙は、了承と受けとるぞ」
「ぁ……」

 顔が近づき吐息が頬に触れる。このままキスされていいのか、どうしたいのか混乱しているうちに唇が重なった。柔らかく触れて、すぐに離れる。そしてもう一度、しっとりと重ねられたとき、執務室の扉が開いた。
 驚いて、とっさに団長を突き飛ばす。

「忘れ物を――っと、あ、ノックもせず失礼しました。どうぞそのまま続けてください。こちらは気にせずに」

 入ってきたのはポールだった。彼はこちらを見て驚いた顔をしたものの、引き返すでもなくそのまま入ってきて自分の事務机に向かった。続けられるか! というツッコミは呑み込み、俺は音を立てて立ちあがって自分の机へ戻った。

「さあ。仕事を再開しましょうか」
「え。主教様、もう休憩終了ですか」
「ええ。紅茶、ごちそうさまでした」

 団長はポールを睨み、静かに紅茶を飲んでいた。

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