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BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった2
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しおりを挟むノミネートされたことを知らないふりをするのは、悪手であろう。
それだと、穂積から聞かされたときに初めて知ったようなオーバーなリアクションを取らねばならなくなる。それは面倒だ。顔をあわせたらこちらから切りだし、おめでとうと言ってやり、さっさと仕事に取りかかるのがよかろうと思ったのだが、翌朝、実際に顔をあわせたら、言葉が出てこなかった。
言葉に詰まっていると茂呂がやってきて私に話しかけてきたので、朝のあいさつすら言えず、仕事に入ってしまった。仕事中も、休憩時間も、その話題を振ろうと何度も思ったのだが舌が動かず、結局言えないまま仕事を終えた。そこまで来ると、もう話題を持ちだすのもタイミング的におかしいような気がして言えない。となると、彼から切りだされるのを待つしかなくなるが、それも厭だ。ということで夕食の誘いを断り、逃げるように帰宅した。
家に帰ってから、祝辞はラインで伝えればいいと気づいた。ノミネートされたことは、たった今知ったことにすればいいと思い、アプリを開いたが、そこで手が止まった。穂積のことだから、今日の私の態度がおかしかったことに気づいているだろう。その原因がノミネートと関係があるとばれるのは避けたい。BL作家のくせに芥川賞ノミネートを嫉妬するなど、嘲笑に値すると自分でも思うのだ。彼に笑われる事態になったら私はもう顔をあわせられない。我が愛する芥川作品を読む際にも、その羞恥を思いだして今後二度と読めなくなる。嫉妬心に気づかれぬよう細心の注意を払って文章を整えねば、などとあれこれ考えているうちに、ばかばかしくなってラインを送ることもやめた。なぜこれほど悩んでまで祝辞を送らねばならないのか。人付き合いというのはこれだから面倒臭くて厭になる。
私はスマホを手放し、代わりに穂積のノミネート作品が掲載されている小説誌を本棚から引き抜いた。落ち込むとわかっていながらこのタイミングで再読しようとする私はマゾかもしれない。
ベッドに寝転び、彼の紡ぐ文章を読んだ。
内容は、家族の話である。
彼の母親は女性を好む性同一性障害者であり、穂積を出産後に女性から男性に変わっている。父親も性同一障害者であり、性転換手術済みで戸籍も女性となっているが、性的志向は女性を好むレズビアンだという。そして父親の昔からの愛人の一人が、成長した穂積を誘惑するようになったとか、そのせいで父親に殺されかけたとか父親が自殺未遂したとか、どうにもややこしく、一風変わった家族関係が書かれている。
私小説としての表現が素晴らしいことはさることながら、題材となる家庭環境の異端さという点においても、他と一線を画している。
思えば、我が敬愛する芥川賞作家西村賢太も、特殊な父親を持ち、特異な人生を送っている。
現代において私小説家として成功するためには、基盤として特殊な家庭環境が必要不可欠なのだろうか。となると私には到底勝ち目がない。
私の家族は至って普通だ。母は近しい者の悪口を幼い私に吹き込み、長々と愚痴を言うのが毎日の習慣で、私の言うことなすことすべてを否定し続けていた。褒められた記憶がひとつもないし、愛されていた実感もない。自分自身と世間体だけをとても大事にする女だった。父親は小心者のくせに虚栄心が強い嘘つきで、よく裏切られた。
兄弟は二歳離れた兄がおり、勉強はできないが愛嬌があり社交的な男で、両親とも兄を可愛がり、私は二の次だった。
いわゆる毒親なのだろうが、どこにでもいるであろう範疇の毒親だろう。ひどい言動に傷つくことは多々あったが、暴力を受けたことはない。そんな家族の話を私も書いたことはあるが、パンチが弱く、凡庸な作品に仕上がった。
いや、違う。家庭環境を言いわけにしてはいけない。凡庸な出来なのは私の菲才ゆえ。平凡な家庭を題材にした作品だって、読者の共感を得やすいという利点はある。
穂積は、表現し難いものを彼らしい独自の手法で表現している。私の作品は、ストーリーを書いているだけ。
今、書きかけの投稿用作品がある。唯一の元カノとの恋愛話であり、面白おかしく書けているつもりであったが、急に、恐ろしくつまらない駄作としか思えなくなった。明日はバイトが休みで執筆予定だったのだが、あの続きを書く気にはとてもなれない。新たなプロットを考えるべきだとこたつに向かい、パソコンを開けた。すると、BLレーベルの担当編集者からメールが届いていることに気づいた。
先月新規で仕事の依頼を受けたが、そちらの出版社ではなく、デビュー時から世話になっているほうである。一週間前に新作のプロットを提出しており、その返事だった。明日は私小説ではなくBLを書くことになりそうだと思いながらメールをクリックする。
てっきり、これで進めてくださいとか、この部分だけ修正してほしいなど、プロットの内容についてのコメントがきたと思ったが、違った。
返事は、プロットは読んだがあなたの作品は売れないので、これ以上我が社では出版できない。という内容が遠まわしかつ丁寧な文章で書かれていた。
私は衝撃のあまり息を止め、文章を何度も読み直した。
「……嘘だろ」
初版部数が上がらず、売れていないことは承知していたが、次が売れなかったら終わりなどと告げられていたわけでもないので、突然のクビ宣告はまさに寝耳に水だった。とっさに編集部へ電話しようかと思った。が、思い留まった。私の話は売れない。だから出版できない。簡潔明瞭な答えがすでに出ているのである。電話したところで話すことなどなにもないのだ。
今回提出したプロットはこれまでと同じような話で、どうかもう一度だけチャンスをと縋りつくほどの自信作でもないし、どうしても世に出したいという熱量のある作品でもなかった。
だからショックな反面、それはそうだろうと納得する思いもあった。むしろよく今まで使ってくれたものだ。私がなりたいのは私小説家であり、BL作家ではないと言い続け、BL小説には本気で向きあってこなかった。そんな人間の作る小説が面白いはずがない。
私は肩を落としてベッドへ戻り、布団をかぶって丸くなった。小さな小さな毛虫になった気分だった。
穂積への妬みが増す思いである。自分がこうなりたいと思い描く道を順調に進んでいる彼と、私小説家になるどころかBLの仕事も切られた私。
穂積のノミネートに続き、自分のクビという、これでもかと言わんばかりに己の無能さをストレートに叩きつけられ、ノックダウンで立ちあがれそうになかった。
私には、才能がない。
知っていたが改めて突きつけられ、絶望して死にたくなった。
心底、死にたいと思う。私という存在などなくなってしまえばいい。
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