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オレンジ色の軌跡
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放課後の陽が沈みかけた頃、二人はいつものように駅前の路面電車に乗り込んだ。学校から家まで帰るための、毎日変わらないルート。陽菜(ひな)は窓際に座り、頬杖をつきながら外を眺めている。反対に、隣の席に座る優斗(ゆうと)はカバンの中から勉強道具を取り出して、黙々とノートに向かっていた。
「また、勉強?」
陽菜が小さく微笑みながら声をかけると、優斗は手を止め、少し気まずそうに顔を上げた。
「うん、試験近いし…」
「真面目だね、いつも。たまには景色でも見たら?」
陽菜の視線を追って、優斗は窓の外に目をやる。オレンジ色に染まった街並みが、ゆっくりと後ろへ流れていく。路面電車特有の揺れとガタンゴトンという音が、二人の間に柔らかな静けさをもたらしていた。
「景色なんて、いつも同じだよ」
そう言う優斗に、陽菜は肩をすくめて笑う。
「そうかな。私は毎日違う気がするんだけど」
優斗は少し驚いたように彼女を見つめた。陽菜は繊細で、感受性豊かだ。彼女が時折見せる不思議な発言に、優斗はいつも心を動かされる。そして、それが彼女の魅力だとも思っていた。
二人がこの路面電車に一緒に乗り始めたのは、春の始まりだった。偶然にも帰る方向が同じで、自然と会話が増えた。最初は天気のことや授業の話だけだったが、いつの間にか互いの夢や、未来について語り合うようになっていた。
「ねえ、優斗は将来どうしたい?」
ある日、陽菜が不意に問いかけた。
「俺?…まだはっきり決まってないけど、エンジニアになりたいと思ってるんだ。技術を使って、何か大きなことを成し遂げたいってずっと思ってた」
「へえ、カッコいいね。優斗ならできるよ、きっと」
陽菜の無邪気な笑顔に、優斗は少し恥ずかしくなって目をそらした。
「陽菜は?」
「私は…分からないな。でも、誰かのそばにいたいかな。大切な人の力になれるような、そんな仕事がいいなって」
「ふーん、陽菜らしいね」
その瞬間、電車がカーブを曲がる。優斗の肩に陽菜が少し寄りかかると、彼はドキッとした。心臓の音が一瞬、大きく鳴った気がする。
季節が夏に変わる頃、陽菜は少しずつ変化していた。以前は明るく話していた彼女が、最近は窓の外ばかり見つめて、優斗との会話も少なくなった。優斗は何かがおかしいと感じていたが、それを口に出すことができなかった。
ある日、陽菜は突然、こんなことを言った。
「優斗、私ね…もうすぐ引っ越すんだ」
その言葉は、優斗の胸を強く締め付けた。何も言えずにただ驚いた顔を見せるしかなかった。
「お父さんの仕事の関係でね。遠くに行くの」
彼女の目が潤んでいるのを見た瞬間、優斗はようやく何かを言わなければならないことに気づいた。
「それ…いつ?」
「来月の終わり」
優斗は言葉を失った。彼女と過ごす日々が、永遠に続くように思っていたからだ。引っ越しが現実だとは、まだ受け入れられなかった。
それからの数週間、二人はいつものように路面電車に乗ったが、会話は減り、互いの心がどこか遠ざかっているように感じた。時間は残酷に過ぎ去り、陽菜の引っ越しの日が迫っていた。
最後の日、彼女は少し早めに優斗に電話をかけた。
「今日、電車で待ってるね。最後に…ちゃんとお別れしたいから」
優斗はその言葉に何かを感じながら、駅に向かった。乗り込むと、そこにはすでに陽菜が待っていた。今日はいつもと違って、彼女の目は真っ直ぐ優斗を見つめていた。
「もうすぐ、終点だね」
「うん…」
電車はガタンゴトンと進み、窓の外には秋の気配が漂っていた。優斗は何を言えばいいのか分からなかった。ただ、彼女がいなくなる現実を直視することができずにいた。
「ねえ、優斗。私、この電車に乗るたびにいつも思ってたんだ」
「何を?」
「終わりたくないなって。だけど、終点は必ず来るんだよね」
優斗は黙って彼女の言葉を聞いていた。その言葉には、彼女の心の奥底にある悲しみが滲んでいた。
終点に着くと、二人はゆっくりと電車を降りた。夕陽が街を柔らかく包んでいる。陽菜は静かに優斗に向き直り、微笑んだ。
「ありがとう、今まで。優斗と一緒に過ごせて、本当に楽しかった」
彼女の言葉に、優斗はどう返せばいいのか分からなかった。ただ、込み上げる感情を抑えながら、口を開いた。
「俺も…ありがとう。陽菜がいたから、毎日が特別だった」
二人はその場で見つめ合ったまま、時間が止まったかのように感じた。陽菜はその後、軽く手を振り、優斗に背を向けて歩き出した。
彼女の姿が小さくなっていくのを見送りながら、優斗は自分が言うべき言葉を見つけられなかったことに後悔していた。しかし、その後にふと気づく。電車と同じように、彼らの旅にも終点があったのだと。
その日から、優斗は一人で路面電車に乗るようになった。同じ景色、同じ揺れ、しかし、隣にはもう彼女はいない。それでも、彼は心の中で彼女と過ごした日々を思い出しながら、今日も電車に揺られ続ける。
彼の旅はまだ続いているのだろうか。それとも、もうすでに終点に着いているのか。
彼自身にも、まだ分からなかった。
「また、勉強?」
陽菜が小さく微笑みながら声をかけると、優斗は手を止め、少し気まずそうに顔を上げた。
「うん、試験近いし…」
「真面目だね、いつも。たまには景色でも見たら?」
陽菜の視線を追って、優斗は窓の外に目をやる。オレンジ色に染まった街並みが、ゆっくりと後ろへ流れていく。路面電車特有の揺れとガタンゴトンという音が、二人の間に柔らかな静けさをもたらしていた。
「景色なんて、いつも同じだよ」
そう言う優斗に、陽菜は肩をすくめて笑う。
「そうかな。私は毎日違う気がするんだけど」
優斗は少し驚いたように彼女を見つめた。陽菜は繊細で、感受性豊かだ。彼女が時折見せる不思議な発言に、優斗はいつも心を動かされる。そして、それが彼女の魅力だとも思っていた。
二人がこの路面電車に一緒に乗り始めたのは、春の始まりだった。偶然にも帰る方向が同じで、自然と会話が増えた。最初は天気のことや授業の話だけだったが、いつの間にか互いの夢や、未来について語り合うようになっていた。
「ねえ、優斗は将来どうしたい?」
ある日、陽菜が不意に問いかけた。
「俺?…まだはっきり決まってないけど、エンジニアになりたいと思ってるんだ。技術を使って、何か大きなことを成し遂げたいってずっと思ってた」
「へえ、カッコいいね。優斗ならできるよ、きっと」
陽菜の無邪気な笑顔に、優斗は少し恥ずかしくなって目をそらした。
「陽菜は?」
「私は…分からないな。でも、誰かのそばにいたいかな。大切な人の力になれるような、そんな仕事がいいなって」
「ふーん、陽菜らしいね」
その瞬間、電車がカーブを曲がる。優斗の肩に陽菜が少し寄りかかると、彼はドキッとした。心臓の音が一瞬、大きく鳴った気がする。
季節が夏に変わる頃、陽菜は少しずつ変化していた。以前は明るく話していた彼女が、最近は窓の外ばかり見つめて、優斗との会話も少なくなった。優斗は何かがおかしいと感じていたが、それを口に出すことができなかった。
ある日、陽菜は突然、こんなことを言った。
「優斗、私ね…もうすぐ引っ越すんだ」
その言葉は、優斗の胸を強く締め付けた。何も言えずにただ驚いた顔を見せるしかなかった。
「お父さんの仕事の関係でね。遠くに行くの」
彼女の目が潤んでいるのを見た瞬間、優斗はようやく何かを言わなければならないことに気づいた。
「それ…いつ?」
「来月の終わり」
優斗は言葉を失った。彼女と過ごす日々が、永遠に続くように思っていたからだ。引っ越しが現実だとは、まだ受け入れられなかった。
それからの数週間、二人はいつものように路面電車に乗ったが、会話は減り、互いの心がどこか遠ざかっているように感じた。時間は残酷に過ぎ去り、陽菜の引っ越しの日が迫っていた。
最後の日、彼女は少し早めに優斗に電話をかけた。
「今日、電車で待ってるね。最後に…ちゃんとお別れしたいから」
優斗はその言葉に何かを感じながら、駅に向かった。乗り込むと、そこにはすでに陽菜が待っていた。今日はいつもと違って、彼女の目は真っ直ぐ優斗を見つめていた。
「もうすぐ、終点だね」
「うん…」
電車はガタンゴトンと進み、窓の外には秋の気配が漂っていた。優斗は何を言えばいいのか分からなかった。ただ、彼女がいなくなる現実を直視することができずにいた。
「ねえ、優斗。私、この電車に乗るたびにいつも思ってたんだ」
「何を?」
「終わりたくないなって。だけど、終点は必ず来るんだよね」
優斗は黙って彼女の言葉を聞いていた。その言葉には、彼女の心の奥底にある悲しみが滲んでいた。
終点に着くと、二人はゆっくりと電車を降りた。夕陽が街を柔らかく包んでいる。陽菜は静かに優斗に向き直り、微笑んだ。
「ありがとう、今まで。優斗と一緒に過ごせて、本当に楽しかった」
彼女の言葉に、優斗はどう返せばいいのか分からなかった。ただ、込み上げる感情を抑えながら、口を開いた。
「俺も…ありがとう。陽菜がいたから、毎日が特別だった」
二人はその場で見つめ合ったまま、時間が止まったかのように感じた。陽菜はその後、軽く手を振り、優斗に背を向けて歩き出した。
彼女の姿が小さくなっていくのを見送りながら、優斗は自分が言うべき言葉を見つけられなかったことに後悔していた。しかし、その後にふと気づく。電車と同じように、彼らの旅にも終点があったのだと。
その日から、優斗は一人で路面電車に乗るようになった。同じ景色、同じ揺れ、しかし、隣にはもう彼女はいない。それでも、彼は心の中で彼女と過ごした日々を思い出しながら、今日も電車に揺られ続ける。
彼の旅はまだ続いているのだろうか。それとも、もうすでに終点に着いているのか。
彼自身にも、まだ分からなかった。
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