とある日

ゲームの世界で出会った君

学校が終わると、僕、佐藤真也はまっすぐ家に帰ることがほとんどだ。特に運動部に所属しているわけでもなく、友達と遊びに行くことも少ない。ゲームが好きな僕にとって、家に帰って一人でオフラインゲームに没頭する時間が何よりも楽しかった。

その日も例外ではなかった。夕食を早めに済ませ、自分の部屋にこもり、最新のRPGゲーム「幻想の旅路」を起動した。このゲームは、広大なファンタジーの世界で冒険者となり、モンスターを倒しながらストーリーを進めていくというものだ。ソロプレイ専用で、他のプレイヤーとオンラインで交流することはないが、その分、物語が深く作り込まれており、僕はすっかりその世界に引き込まれていた。

ゲームを始めてしばらくすると、いつものように僕はダンジョンを探索していた。その時、ふと目に留まったのが、見覚えのないキャラクターだった。彼女は、銀色の髪を揺らし、優雅な鎧に身を包んだ美しい女剣士だった。NPCだろうと思い、近づいてみると、彼女がいきなり話しかけてきた。

「あなたもこのダンジョンを探索しているの？」

その声はどこか冷たくもあり、優雅さを感じさせるものだった。だが、ゲーム内で会話ができるNPCは限られているはずなのに、このキャラクターは見たことがない。疑問に思いながらも僕は答えた。

「そうだけど、君は誰？」

すると彼女は少し笑って、「私はリリス。あなたと同じく、この世界で冒険している者よ」と返してきた。

リリス……。初めて見る名前だ。このゲームに詳しい僕でも、そんなキャラクターは聞いたことがなかった。まるで誰かがこのゲームに潜り込んでいるかのような違和感を感じた。

それから僕たちはしばらく一緒にダンジョンを攻略することになった。リリスの剣技は見事で、まるで生きているかのように動く。NPCとは思えない自然な動きに、僕は次第に彼女の正体が気になり始めた。

「リリス、君って本当にNPCなの？」僕は意を決して尋ねた。

リリスは微笑んで答えた。「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。あなたにはどちらがいい？」

その曖昧な答えに僕は困惑したが、同時に妙な引力を感じた。リリスとの時間は、これまでのゲームプレイとは違って特別なものに思えてきたのだ。

それから数日間、僕はリリスと一緒に冒険を続けた。現実の世界では、特に何も変わらない日々が続いていたが、ゲーム内では彼女と過ごす時間が一番の楽しみになっていた。学校でも、友達と話していても、頭の中ではリリスのことばかり考えてしまう。

そんなある日、ゲームの中でリリスと再会した時、彼女は突然こう言った。

「ねえ、真也……現実の世界で会ってみたいと思わない？」

僕はその言葉に驚いた。リリスが僕の名前を知っている。ゲームの中の出来事が、現実に影響を及ぼしているような感覚にとらわれた。冷静に考えれば、現実とゲームは別物のはずだ。でも、彼女の誘いにはどうしても抗えなかった。

「会えるの？」僕はそう尋ねた。

リリスはゆっくりと頷いた。「もちろんよ。ただ、あなたが望むなら……ね。」

その瞬間、画面に不思議なメッセージが現れた。『リアルタイムリンクを開始しますか？』という選択肢が浮かび上がり、僕の心臓は高鳴った。何が起こるのかはわからないが、僕は迷わず「はい」を選んだ。

画面が一瞬暗転し、次に目を開けた時、僕は現実の自分の部屋にいた。だが、何かが違う。そこには、まさにリリスがいたのだ。彼女はゲーム内と全く同じ姿で、僕の目の前に立っていた。

「驚いた？」彼女は微笑んで僕の方に近づいてきた。

僕は言葉を失った。彼女が現実に現れるなんて、あり得るはずがない。夢でも見ているのだろうか。

「これは……どういうこと？」僕はかろうじて声を絞り出した。

「これは、あなたが望んだからよ。私と現実で会いたいと、強く思ったんじゃない？」リリスは優しく僕の頬に手を添えた。その瞬間、僕の体温が一気に上がったのを感じた。彼女の指先が現実のものであることを、確かに感じ取っていた。

その距離感がどんどん近づき、僕の心臓の鼓動はさらに早まる。

「リリス……これは本当に現実なの？」僕は震える声で尋ねた。

「ええ、現実よ。そして、これからもっと現実的になるわ……」

彼女の瞳が僕を深く見つめ、何かが始まろうとしていた。

リリスが僕の前に現れたその瞬間、現実とゲームの境界が曖昧になり、頭が混乱した。でも、目の前にいる彼女は紛れもなく「現実」の存在だった。彼女の手の温もり、声の響き、そしてその瞳に映る僕。どれもゲーム内のキャラクターができるようなことではない。

「君は……本当にリリスなのか？」僕は再び問いかけた。

彼女は微笑んでうなずいた。「そうよ、真也。でも、私がこの世界に来られたのは、あなたが望んだから。あなたの強い願いが、私をここに導いたの。」

「僕の……願い？」僕は自分の心を振り返ってみた。確かにリリスと会いたいとは思った。でも、それは単なるゲームのキャラクターとしての憧れに過ぎなかったはずだ。そんなことで彼女が現実に現れるなんて、普通ではあり得ない。

「それだけじゃないわ、真也。あなたはずっと、何か特別なものを求めていた。日常から抜け出して、誰かに自分を理解してもらいたいって……だから私はここにいる。」

リリスの言葉は、まるで僕の心の中を見透かしているかのようだった。確かに、僕はずっと現実に不満を抱いていた。友達も少ないし、毎日がただ繰り返される日常の中で、何か特別な出来事を待ち望んでいた。リリスとの出会いは、まさにその「特別」だった。

僕はベッドに腰掛け、リリスを見上げた。彼女はそんな僕をじっと見つめ、静かに微笑んでいた。その美しさに心が奪われ、思わず目を逸らしてしまう。彼女はゲーム内のキャラクターとしては魅力的だったが、目の前に現れると、その存在感ははるかに強烈だった。

「ねえ、真也……現実の私も、あなたのそばにいたいって思ってるのよ」リリスがそっと僕の耳元で囁いた。彼女の声に胸が高鳴り、心拍数が一気に上がったのが自分でもわかる。

「リリス……それはどういう意味？」僕の声は少し震えていた。

彼女は僕の肩に手を置き、柔らかな唇を近づけてきた。その距離感が一気に縮まり、息が詰まるような緊張感が部屋を包んだ。僕の心は今にも爆発しそうだった。だが、その瞬間、彼女はふと動きを止め、静かに笑った。

「でも、真也が本当に望むなら……」彼女の言葉がその場に響き渡り、僕はただその場に立ち尽くしていた。

その後、僕たちはしばらく会話を交わした。リリスは現実とゲームの境界を超えられる理由を説明したが、そのすべてが完全には理解できなかった。ただ一つ確かなのは、彼女が僕の心の中にある「孤独」を感じ取り、それを埋めるためにここにいるということだった。

「ねえ、真也。学校ではどうなの？」リリスが突然話題を変えた。

「え、学校？ まあ、普通だよ。特に何もないし……友達もそんなに多くはないけど……」僕は少しだけためらいながら答えた。

「そう……でも、あなたのことを理解してくれる人が、現実にもきっといるはずよ。私だけじゃなくて、ね。」リリスの言葉には、どこか優しさと厳しさが混じっていた。

「そんな人、いるのかな……」僕はぼんやりと天井を見上げた。

リリスは笑って、「もしかしたら、すぐ近くにいるかもしれないわよ？」と意味深なことを言った。

翌日、学校に向かう僕の頭には、リリスの言葉がずっと残っていた。現実でも僕のことを理解してくれる人がいる……それは誰のことだろう？ リリスが意味するのは、もしかしてクラスの誰か？

クラスメイトの顔を思い浮かべながら、教室に入った。その日は何気ない日常がいつも通り始まったはずだった。しかし、ふと僕の隣に座る少女、宮本夏音（みやもと かのん）が何かを話しかけてきた。

「ねえ、佐藤くん。最近、何か楽しいことあった？」

夏音とはこれまで特に仲が良かったわけでもなく、ただのクラスメイトの一人だった。だが、彼女がこうして突然話しかけてくるのは珍しいことだった。

「え？ まあ、特にないけど……」僕は少し驚きつつ、曖昧に答えた。

「そっか。でも、佐藤くんっていつも静かで何を考えてるかわからないから、ちょっと気になってたのよ。」夏音はそう言って微笑んだ。

その笑顔に、僕は一瞬心を打たれた。これまで何となく意識していなかったが、夏音もまた僕と同じように、周りとは少し距離を置いているタイプだ。そんな彼女が僕に興味を持ってくれるなんて、少し意外だった。

その日から、僕と夏音の間には少しずつ会話が増えていった。昼休みには一緒に食事をすることもあり、放課後にはたまに一緒に帰ることもあった。彼女は意外にもゲームが好きで、僕がハマっているRPGにも興味を示してくれた。

「ねえ、佐藤くん。今度、一緒にゲームやらない？」ある日、夏音がそう言ってきた。

僕は驚いたが、すぐに了承した。夏音とゲームの世界を共有できるなんて、まるでリリスの言葉が現実になったかのようだった。

そして、夏音との距離が縮まる一方で、リリスとの関係も微妙なものになっていった。彼女は僕に対して「現実での出会い」を進めた後、次第に姿を現さなくなっていったのだ。

ある夜、リリスに再び会おうとゲームを起動したが、彼女は現れなかった。メッセージも何もない。ただ、広大なゲームの世界だけが広がっていた。

その時、僕はふと思った。リリスは僕を現実に引き戻すために存在していたのではないかと。彼女は僕が現実の世界で孤独を感じないように、そして本当に大切な人と出会うためのきっかけだったのかもしれない。

夏音との新しい日々が始まり、僕は次第にリリスのことを忘れていった。現実の世界には、僕のことを理解してくれる人がいる。そして、その人と共に、僕の新しい冒険が始まったのだ。