令嬢にただ一言を

こうやさい

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令嬢にただ一言を

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『ねぇ、牢番さん』
 石造りの牢には似合わない澄んだ声だった。
『あなたの好きなものはなあに?』
 ……牢番というものは他の貴族からの干渉を避けるため形式的には王家直属となっているが、実際の地位や立場はとても弱い。
 一般市民どころか、時には囚人にさえ馬鹿にされる始末だ。
 なので令嬢が格子の向こうにいて、他に話す相手も居ないとはいえ、声をかけてくるとは思ってもいなかった。
 もしかしたら薄暗いために服装などがよく見えなかったせいで判断を誤っただけで令嬢などではなくもっと立場の低いものだったのかもしれない。
『生まれ変わったらきっとそれになるわ』
 ……あるいはこんな扱いをされ既に狂っていた可能性もある。

 その日地下牢の上おうきゅうでは若人中心の夜会があり、婚約者がいるのに男爵家の庶子に懸想した王子殿下が、婚約者が庶子をいじめたと、婚約破棄と断罪をやったという噂を聞いたのはそれからずいぶん経ってのことだ。
 牢番は犯罪に詳しいと思っている人もいるらしいが、今収監されている罪人や、今後収監される罪人に先入観で監視に手心を加えないようにとわざわざ事件の全貌を正確に教えられることは少ない。
 ただ噂までは遮れきれない。
 おかげであの日王子殿下の命令でここに入れられた令嬢が、庶子を傷つけた婚約者なのか、あるいは殿下を利用でもしていた庶子なのか、それとも罪はそこ以外にあるのか、あるいは全然関係のない話なのか、なにも分からない。

 令嬢はその後特に文句もなにも言わず、普段からは信じられないであろう固い寝台にそのままの服装で横たわって目をつむっていた。眠れていたかはうかがえなかった。
 そして翌朝には陛下の命令で牢から出され、その後どうなったのか分からない。

『鶏肉だな』
 そういう意図ではないということだけはさすがに分かっていたが、どうとでもとれる質問だったのでそう答えた。
 確かに鶏肉は村でいた子供のころは祭りなどの時しか出ない一番のごちそうで、大好きな食べ物だった。嘘は言っていない
 あの時のまま、正義は絶対的なものであると信じていられれば良かったのに。
 きっと牢番も信念を持ってやれただろう。

『まぁ』
 内容が予想外だったのか、それとも返答があったこと自体が面白かったのか、令嬢がころころと笑う。
『それなら結局絞め殺されてしまうわね』
 こっちとしては笑えない。
 鳥を絞め殺すという発想があったのだから庶子の方だったのだろうか? それともお嬢さまでも知っているようなことなのだろうか?

 連れて行かれた令嬢は言っていたように絞首刑にされたのだろうか?
 それとももっと貴族らしい罰を受けたのだろうか?
 あるいは事情を考慮されたり冤罪だったりしたのだろうか?

 ……幸せになっているのだろうか?

 そうならばいい。
 そこまで誰かに愛されなければ意味がないと思う人生なんて送らない方がいい。
 違う何かに生まれ変わってでも誰かに好かれたいだなんて願わない方がいい。
 ……それでも死んでしまったならば、望んだ存在に生まれ変われていればいい。

『ねぇ、牢番さん』
 その声が今も耳の奥で響いている気がする。
『あなたの好きなものはなあに?』
 それだけでうぬぼれたり恋に落ちるほど初心うぶなガキではあいにくとないが。
 何にしろ恐らくもう二度と会えないだろういう事実に、安堵とさみしさを覚えていることも確かだった。

『生まれ変わったらきっとそれになるわ』
 あの時、なんと返せば良かったのだろう?
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