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さよなら私の月の姫
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「女給程度では一生働いても目にすることはない大金だろう?」
目の前のテーブルに下品にも札束を積み上げた男はそう言って人を見下したように、いいえ、見下して嗤う。
確かに今まで頂いたお給金をすべて合わせたとしてもこれほどの金額にはならないだろう。
今まで使った金額を合わせても足りないかもしれない。
それくらい現実感のない光景だった。
「だから息子と手を切ってくれないかね?」
このカフェーで見習いから女給を始めてそれなりの歳月の中。
初めてお慕いする方ができた。
その方は良く来るお客様だった。
いかにも育ちがよさそうな殿方で、年上であろう方に言うには失礼だけどどこか危うく頼りなくて守ってあげたいような方だった。
家でもっとおいしいものをいくらでも飲みなれているだろうのに、ここのコフィーは世界一美味いと、そんなお茶目なことをいう方だった。
隅にいる女給にまで向けてくれる笑顔は優しかった。
最初はご友人と来ていたのに、気がつくと一人で来ていることが多くなり、ある日、ここ以外でも逢いたいと告げられた。
その時すでに気持ちは動いていたけれど、住む世界が違うのは分かっている。
恋情は見ているだけで終わらせる決意をしていたので断るつもりだった。
けれど上客を逃がしたくない店長が勝手に了承してしまい、気がつくと臨時休暇と待ち合わせの時間と場所が決まっていた。
こちらに来て以来ずっと世話になっている店長に命令と言われ、すっぽかすことはできなくなった。
けれど気は重かった。
それでも好きな方に逢える喜びがないとは言わないけれど。
横に並べるまともな格好も出来ない状況では憂鬱さの方が勝る。
女給の姿がそれなりに見えるのは借り物を着ているからであり、仕事中でないなら同じようには出来ない。
やはりこの見た目が耐えられなかったのか、待ち合わせ後真っ先につれて行かれた場所で外側をとっかえひっかえされた。
やっと決まったものはとても高そうで、こんな高級なものを買えませんというとくれるという。
こんな高級なものを頂けませんというと、そこまで大したものではないと。
それを聞いて安堵した。
そう、安堵したのだ。
この方は今はここにいるけれど、堕ちてきたわけでなく、いずれはふさわしい場所に帰るのだと。
私が不幸にしてしまうことはないのだと。
なので、次の約束もした。一緒に居られることは未来が無いと分かってそれでも幸せだったから。
だからと言って毎回高いものをもらうことになっても困る。
普段は持て余すし、貢がせたい訳でもない。
だからあの日贈られた髪飾りは仕事の時でもつけた。
外で逢う時もいつももらった格好で、気にいってるんです似合いませんか? とそれ以上をもらうことを避けた。
そうやっていても恥はかかせていないと思いたい。
それでも小物が増えてきた頃。
あの方の見合いが決まったらしい。断れない相手なのだと。
一緒に逃げようと言われた。二人なら貧乏にも耐えてみせると。
やはりこの方は別の世界に住む人だと思った。
育ちから来る自覚のない傲慢さでは、曰くの貧乏生活には無理だろう。
確かにお金はないけれど、私がただ貧しさに耐え忍んでいるだけにしか見えないのなら、少なくとも一緒に幸せにはなれない。
勝手に私が応じたと思いこみ落ち合う場所と時間を言ってあの方は帰って行った。
きっと当日、私は遠くからその場所を見つめるのだろう。
その前に父親が乗り込んできたわけなのだけれど。
「別にお金の為に会っていた訳ではありません」
そこはそれでも譲れない。
男は笑顔のままだったが、鼻白んだのが分かった。
正直言って似ていない。息子とは言っていたけれど誰か身代わりを立てたのかもしれない。
「では金は一銭も要らないと?」
「いえ、少しは頂きます」
いやらしい笑みが一瞬だけ忌々しげに崩れる。
確かに普通ならば仕事をやめて引っ越しもしなければならないだろうのでいろいろと入用なのも事実だけれど。
「ご子息が引くための理由も必要でしょう?」
単に別れさせられただけならば出来事を美化して引っ込みがつかなくなる可能性も高い。
けれども金に目がくらんで無一文になる自分を捨てた女ならば失望するだけだろう。
その方がきっとまだ傷は少ない。
私はあの方を傷つけたい訳じゃない。
できるなら守りたい。
「気にいった」
男はもう一度いやらしく嗤う。
「どうだ、儂の妾にならんか?」
息子の嫁としてではないと分かっていたが、こう来るといっそすがすがしい。
「結構です」
もちろん断る。
「私はあの方のものです」
たとえ二度と会えないとしても。
「いい月ですね」
振り返りあの後ずっと後ろをつけていていた見知らぬ男に声をかける。
いきなり目の前に札束を積み上げてくる人間がろくなものではないくらい、この年齢まで生きれば無知な女給でも分かる。
たとえ全額受け取っても反対に何も受け取らなくても殺すつもりだったのだろう。
単純に目触りなのもあるだろうし、私が今後気を変えるかもしれない。
万一子でも孕んでいればさらにややこしいことになりかねない。
だからあの男は私を殺す。
延命したかったならばあそこで妾になることを受けるしかなかっただろう。
だから私は私を殺す。
私はあの方のものだし、あの方が自分の世界に帰るのを邪魔するものはたとえ自分自身でもその前からどける。
月光に光る刃を見て薄く微笑う女が気味悪かったのか、男が一歩下がる。
あの方を守りたい。
そのために世界が必要ならば世界ごと守ってみせる。
そのために私が不要ならば今すぐにでも消えてみせる。
だからどうか、どうか幸せに――。
目の前のテーブルに下品にも札束を積み上げた男はそう言って人を見下したように、いいえ、見下して嗤う。
確かに今まで頂いたお給金をすべて合わせたとしてもこれほどの金額にはならないだろう。
今まで使った金額を合わせても足りないかもしれない。
それくらい現実感のない光景だった。
「だから息子と手を切ってくれないかね?」
このカフェーで見習いから女給を始めてそれなりの歳月の中。
初めてお慕いする方ができた。
その方は良く来るお客様だった。
いかにも育ちがよさそうな殿方で、年上であろう方に言うには失礼だけどどこか危うく頼りなくて守ってあげたいような方だった。
家でもっとおいしいものをいくらでも飲みなれているだろうのに、ここのコフィーは世界一美味いと、そんなお茶目なことをいう方だった。
隅にいる女給にまで向けてくれる笑顔は優しかった。
最初はご友人と来ていたのに、気がつくと一人で来ていることが多くなり、ある日、ここ以外でも逢いたいと告げられた。
その時すでに気持ちは動いていたけれど、住む世界が違うのは分かっている。
恋情は見ているだけで終わらせる決意をしていたので断るつもりだった。
けれど上客を逃がしたくない店長が勝手に了承してしまい、気がつくと臨時休暇と待ち合わせの時間と場所が決まっていた。
こちらに来て以来ずっと世話になっている店長に命令と言われ、すっぽかすことはできなくなった。
けれど気は重かった。
それでも好きな方に逢える喜びがないとは言わないけれど。
横に並べるまともな格好も出来ない状況では憂鬱さの方が勝る。
女給の姿がそれなりに見えるのは借り物を着ているからであり、仕事中でないなら同じようには出来ない。
やはりこの見た目が耐えられなかったのか、待ち合わせ後真っ先につれて行かれた場所で外側をとっかえひっかえされた。
やっと決まったものはとても高そうで、こんな高級なものを買えませんというとくれるという。
こんな高級なものを頂けませんというと、そこまで大したものではないと。
それを聞いて安堵した。
そう、安堵したのだ。
この方は今はここにいるけれど、堕ちてきたわけでなく、いずれはふさわしい場所に帰るのだと。
私が不幸にしてしまうことはないのだと。
なので、次の約束もした。一緒に居られることは未来が無いと分かってそれでも幸せだったから。
だからと言って毎回高いものをもらうことになっても困る。
普段は持て余すし、貢がせたい訳でもない。
だからあの日贈られた髪飾りは仕事の時でもつけた。
外で逢う時もいつももらった格好で、気にいってるんです似合いませんか? とそれ以上をもらうことを避けた。
そうやっていても恥はかかせていないと思いたい。
それでも小物が増えてきた頃。
あの方の見合いが決まったらしい。断れない相手なのだと。
一緒に逃げようと言われた。二人なら貧乏にも耐えてみせると。
やはりこの方は別の世界に住む人だと思った。
育ちから来る自覚のない傲慢さでは、曰くの貧乏生活には無理だろう。
確かにお金はないけれど、私がただ貧しさに耐え忍んでいるだけにしか見えないのなら、少なくとも一緒に幸せにはなれない。
勝手に私が応じたと思いこみ落ち合う場所と時間を言ってあの方は帰って行った。
きっと当日、私は遠くからその場所を見つめるのだろう。
その前に父親が乗り込んできたわけなのだけれど。
「別にお金の為に会っていた訳ではありません」
そこはそれでも譲れない。
男は笑顔のままだったが、鼻白んだのが分かった。
正直言って似ていない。息子とは言っていたけれど誰か身代わりを立てたのかもしれない。
「では金は一銭も要らないと?」
「いえ、少しは頂きます」
いやらしい笑みが一瞬だけ忌々しげに崩れる。
確かに普通ならば仕事をやめて引っ越しもしなければならないだろうのでいろいろと入用なのも事実だけれど。
「ご子息が引くための理由も必要でしょう?」
単に別れさせられただけならば出来事を美化して引っ込みがつかなくなる可能性も高い。
けれども金に目がくらんで無一文になる自分を捨てた女ならば失望するだけだろう。
その方がきっとまだ傷は少ない。
私はあの方を傷つけたい訳じゃない。
できるなら守りたい。
「気にいった」
男はもう一度いやらしく嗤う。
「どうだ、儂の妾にならんか?」
息子の嫁としてではないと分かっていたが、こう来るといっそすがすがしい。
「結構です」
もちろん断る。
「私はあの方のものです」
たとえ二度と会えないとしても。
「いい月ですね」
振り返りあの後ずっと後ろをつけていていた見知らぬ男に声をかける。
いきなり目の前に札束を積み上げてくる人間がろくなものではないくらい、この年齢まで生きれば無知な女給でも分かる。
たとえ全額受け取っても反対に何も受け取らなくても殺すつもりだったのだろう。
単純に目触りなのもあるだろうし、私が今後気を変えるかもしれない。
万一子でも孕んでいればさらにややこしいことになりかねない。
だからあの男は私を殺す。
延命したかったならばあそこで妾になることを受けるしかなかっただろう。
だから私は私を殺す。
私はあの方のものだし、あの方が自分の世界に帰るのを邪魔するものはたとえ自分自身でもその前からどける。
月光に光る刃を見て薄く微笑う女が気味悪かったのか、男が一歩下がる。
あの方を守りたい。
そのために世界が必要ならば世界ごと守ってみせる。
そのために私が不要ならば今すぐにでも消えてみせる。
だからどうか、どうか幸せに――。
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