さよなら私の月の姫

こうやさい

文字の大きさ
上 下
1 / 1

さよなら私の月の姫

しおりを挟む
「女給程度では一生働いても目にすることはない大金だろう?」
 目の前のテーブルに下品にも札束を積み上げた男はそう言って人を見下したように、いいえ、見下して嗤う。
 確かに今まで頂いたお給金をすべて合わせたとしてもこれほどの金額にはならないだろう。
 今まで使った金額を合わせても足りないかもしれない。
 それくらい現実感のない光景だった。
「だから息子と手を切ってくれないかね?」

 このカフェーで見習いから女給を始めてそれなりの歳月の中。
 初めてお慕いする方ができた。
 その方は良く来るお客様だった。
 いかにも育ちがよさそうな殿方で、年上であろう方に言うには失礼だけどどこか危うく頼りなくて守ってあげたいような方だった。
 家でもっとおいしいものをいくらでも飲みなれているだろうのに、ここのコフィーは世界一美味いと、そんなお茶目なことをいう方だった。
 隅にいる女給にまで向けてくれる笑顔は優しかった。
 最初はご友人と来ていたのに、気がつくと一人で来ていることが多くなり、ある日、ここ以外でも逢いたいと告げられた。
 その時すでに気持ちは動いていたけれど、住む世界が違うのは分かっている。
 恋情は見ているだけで終わらせる決意をしていたので断るつもりだった。
 けれど上客を逃がしたくない店長が勝手に了承してしまい、気がつくと臨時休暇と待ち合わせの時間と場所が決まっていた。
 こちらに来て以来ずっと世話になっている店長に命令と言われ、すっぽかすことはできなくなった。

 けれど気は重かった。
 それでも好きな方に逢える喜びがないとは言わないけれど。
 横に並べるまともな格好も出来ない状況では憂鬱さの方が勝る。
 女給の姿がそれなりに見えるのは借り物を着ているからであり、仕事中でないなら同じようには出来ない。

 やはりこの見た目が耐えられなかったのか、待ち合わせ後真っ先につれて行かれた場所で外側をとっかえひっかえされた。
 やっと決まったものはとても高そうで、こんな高級なものを買えませんというとくれるという。
 こんな高級なものを頂けませんというと、そこまで大したものではないと。

 それを聞いて安堵した。
 そう、安堵したのだ。
 この方は今はここにいるけれど、堕ちてきたわけでなく、いずれはふさわしい場所に帰るのだと。
 私が不幸にしてしまうことはないのだと。
 なので、次の約束もした。一緒に居られることは未来が無いと分かってそれでも幸せだったから。

 だからと言って毎回高いものをもらうことになっても困る。
 普段は持て余すし、貢がせたい訳でもない。
 だからあの日贈られた髪飾りは仕事の時でもつけた。
 外で逢う時もいつももらった格好で、気にいってるんです似合いませんか? とそれ以上をもらうことを避けた。
 そうやっていても恥はかかせていないと思いたい。

 それでも小物が増えてきた頃。
 あの方の見合いが決まったらしい。断れない相手なのだと。
 一緒に逃げようと言われた。二人なら貧乏にも耐えてみせると。
 やはりこの方は別の世界に住む人だと思った。
 育ちから来る自覚のない傲慢さでは、曰くの貧乏生活には無理だろう。
 確かにお金はないけれど、私がただ貧しさに耐え忍んでいるだけにしか見えないのなら、少なくとも一緒に幸せにはなれない。
 勝手に私が応じたと思いこみ落ち合う場所と時間を言ってあの方は帰って行った。
 きっと当日、私は遠くからその場所を見つめるのだろう。

 その前に父親が乗り込んできたわけなのだけれど。

「別にお金の為に会っていた訳ではありません」
 そこはそれでも譲れない。
 男は笑顔のままだったが、鼻白んだのが分かった。
 正直言って似ていない。息子とは言っていたけれど誰か身代わりを立てたのかもしれない。
「では金は一銭も要らないと?」
「いえ、少しは頂きます」
 いやらしい笑みが一瞬だけ忌々しげに崩れる。
 確かに普通ならば仕事をやめて引っ越しもしなければならないだろうのでいろいろと入用なのも事実だけれど。
「ご子息が引くための理由も必要でしょう?」
 単に別れさせられただけならば出来事を美化して引っ込みがつかなくなる可能性も高い。
 けれども金に目がくらんで無一文になる自分を捨てた女ならば失望するだけだろう。
 その方がきっとまだ傷は少ない。
 私はあの方を傷つけたい訳じゃない。
 できるなら守りたい。

「気にいった」
 男はもう一度いやらしく嗤う。
「どうだ、儂の妾にならんか?」
 息子の嫁としてではないと分かっていたが、こう来るといっそすがすがしい。
「結構です」
 もちろん断る。
「私はあの方のものです」
 たとえ二度と会えないとしても。

「いい月ですね」
 振り返りあの後ずっと後ろをつけていていた見知らぬ男に声をかける。
 いきなり目の前に札束を積み上げてくる人間がろくなものではないくらい、この年齢としまで生きれば無知な女給でも分かる。
 たとえ全額受け取っても反対に何も受け取らなくても殺すつもりだったのだろう。
 単純に目触りなのもあるだろうし、私が今後気を変えるかもしれない。
 万一子でも孕んでいればさらにややこしいことになりかねない。
 だからあの男は私を殺す。
 延命したかったならばあそこで妾になることを受けるしかなかっただろう。
 だから私は私を殺す。
 私はあの方のものだし、あの方が自分の世界に帰るのを邪魔するものはたとえ自分自身でもその前からどける。

 月光に光る刃を見て薄く微笑う女が気味悪かったのか、男が一歩下がる。
 あの方を守りたい。
 そのために世界が必要ならば世界ごと守ってみせる。
 そのために私が不要ならば今すぐにでも消えてみせる。

 だからどうか、どうか幸せに――。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

外れギフト魔石抜き取りの奇跡!〜スライムからの黄金ルート!婚約破棄されましたのでもうお貴族様は嫌です〜

KeyBow
ファンタジー
 この世界では、数千年前に突如現れた魔物が人々の生活に脅威をもたらしている。中世を舞台にした典型的なファンタジー世界で、冒険者たちは剣と魔法を駆使してこれらの魔物と戦い、生計を立てている。  人々は15歳の誕生日に神々から加護を授かり、特別なギフトを受け取る。しかし、主人公ロイは【魔石操作】という、死んだ魔物から魔石を抜き取るという外れギフトを授かる。このギフトのために、彼は婚約者に見放され、父親に家を追放される。  運命に翻弄されながらも、ロイは冒険者ギルドの解体所部門で働き始める。そこで彼は、生きている魔物から魔石を抜き取る能力を発見し、これまでの外れギフトが実は隠された力を秘めていたことを知る。  ロイはこの新たな力を使い、自分の運命を切り開くことができるのか?外れギフトを当りギフトに変え、チートスキルを手に入れた彼の物語が始まる。

異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~

水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート! ***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!

優秀な姉の添え物でしかない私を必要としてくれたのは、優しい勇者様でした ~病弱だった少女は異世界で恩返しの旅に出る~

日之影ソラ
ファンタジー
前世では病弱で、生涯のほとんどを病室で過ごした少女がいた。彼女は死を迎える直前、神様に願った。 もしも来世があるのなら、今度は私が誰かを支えられるような人間になりたい。見知らぬ誰かの優しさが、病に苦しむ自分を支えてくれたように。 そして彼女は貴族の令嬢ミモザとして生まれ変わった。非凡な姉と比べられ、常に見下されながらも、自分にやれることを精一杯取り組み、他人を支えることに人生をかけた。 誰かのために生きたい。その想いに嘘はない。けれど……本当にこれでいいのか? そんな疑問に答えをくれたのは、平和な時代に生まれた勇者様だった。

これは姉のため

こうやさい
ファンタジー
 姉が選ぶ物はいつも子供っぽい。しょうがないから取り上げてわたくしのものと交換する。  単に姉が好きって話なだけなんだろうけど、訳が分からん。  てかこれ、現代物にした方が面倒が少ないような。主にカテゴリとか。  お久しぶりです。まだちょっと重い夏バテが治りきってないんだけど、下書き切れたもんで。  機械の方も停電とか入ったせいで微妙になってるんで、消えたら適当に察して下さい。  ただいま諸事情で出すべきか否か微妙なので棚上げしてたのとか自サイトの方に上げるべきかどうか悩んでたのとか大昔のとかを放出中です。見直しもあまり出来ないのでいつも以上に誤字脱字等も多いです。ご了承下さい。 URL of this novel:https://www.alphapolis.co.jp/novel/628331665/917678603

想ひ文

こうやさい
歴史・時代
 時は平安。女は男を待つことに疲れ始めていた――。  言うまでもなくなんちゃって平安です。  カテゴリは例の如くよく分からないのでとりあえず歴史・時代にしてみたけど……なんちゃってでそれは拙いですかね? 恋愛かファンタジーの方がいい? 逆に転生とか魔法とか恋愛とか特に絡まない現代以前の時代の話の場合架空歴史扱いなのか悩むこともある。もっとも描写少ないから具体的にどんな時代かわかんないのも多い(爆)。

輪廻転生はめんどくさい

こうやさい
ライト文芸
 あたしは時々死んだお婆ちゃんに心の中で話しかけている。  ジャンルよくわかんないし新ジャンルに興味あったのでこれにしてみました。途中で変えたらすみません。  ジャンルといえば最近『金田一耕助』はキャラ文芸になるって、そうなんですか?

婚約破棄を願われたなら

こうやさい
恋愛
 君の願いはどんなことでもすべて叶えてあげたかったけれど。  おにーさんが腹黒ヤンデレなわりにヘタレだという話です(おい)。出オチだよなこれ。  いや『禁句』書いてしばらくした後「お願いしてる以上破棄じゃなくて解消じゃね?」とちょっと思ったものの、あの話の場合解消だと騒ぎにならなくて子供まで噂が伝わらなさそうだから違うところに無理が出るし、別に間違いでもないだろとそのへん適当にしてるんだけど、その辺りから発想した話です。  ただいま諸事情で出すべきか否か微妙なので棚上げしてたのとか自サイトの方に上げるべきかどうか悩んでたのとか大昔のとかを放出中です。見直しもあまり出来ないのでいつも以上に誤字脱字等も多いです。ご了承下さい。

婚約破棄されて異世界トリップしたけど猫に囲まれてスローライフ満喫しています

葉柚
ファンタジー
婚約者の二股により婚約破棄をされた33才の真由は、突如異世界に飛ばされた。 そこはど田舎だった。 住む家と土地と可愛い3匹の猫をもらった真由は、猫たちに囲まれてストレスフリーなスローライフ生活を送る日常を送ることになった。 レコンティーニ王国は猫に優しい国です。 小説家になろう様にも掲載してます。

処理中です...