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一章 女神と花冠の乙女
65 ドドン!とコソコソっと
しおりを挟むどうしよう!?どうすれば!?
ド、ド、ド、ドっと心臓が早鐘の如く動く。ああ、心音が耳にうるさい。
無常にも、時間をロスする訳にもいかず、ハルナイトとの距離は近づく。
その時、カチャ、と刀と金属の重なる音が私の耳を掠める。
もしやこのアンポンタンを探してる騎士がそばにいるのかも?!
そう思った私は思い切って、「私は通りすがりの悪戯好きの精霊さんです。オホホ、ごめん遊ばせ」作戦を決行する事に決めた。
如何にも人間には興味ありません、貴方の姿のは視界にありません!
という感じに、颯爽と素早く、速やかに、ハルナイトの横をすり抜ける。
そう、私はこの広い廊下のど真ん中で、迷惑千万にも立ち止まり、キョロっている不審人物の脇を距離を取って、すり抜けた。
ーーーー筈だったのに。
パシン、と音が鳴るくらいに力強く手首を掴まれた私は進行を一時停止に追い込まれた。
言い換えれば、ピンチに陥ったのである。
「ーーーー待て」
待ちません、急いでいるので。
私、勢い良く再起動。
私は握られた手首を勢いのまま引き抜いて立ち去ろうとしたけど、存外この男の力が強くて、逆にグンと手を引かれる。
無理に後ろへと引っ張られた肩が痛い。
そう言えば、とこの男の乱暴さを思い出す。
後宮女官だった頃、襟を捕まれてガックンガックンされたんだよね。アレはまだ春先の出来事だ。
思えば随分と境遇が変わったなぁ。
「待てといってる!女!」
ハルナイトの頭に中は一体どうなっているのか。
今の神殿内は一般観光客は入れない。
それに、舞殿のある宮なのだし、儀式の最中で神官以外は国の代表じゃないと入れない、もしくは身分立場の高い神殿関係者だと思い至りそうなものなんだけど•••••その物言い態度、何とかならないものですかね?
数人の足音がこちらへと近づく。
まずい、騎士にまで見つかったら私、保護されてしまうかも知れない。
イヤイヤイヤイヤ、それはーーーーかなりまずい、絶対まずい。
バナナは腐りかけ一歩手前が一番美味しいとか言うけれど、その一歩を間違えたら不味いって事でしょう?その一歩を間違えた選択並みに、マズイ。
そんな冒険おかせません。
私は仕方無くないハルナイトと対峙する。
ドハァーっと重い溜息を付きながら。
「迷っているなら、私に道を聞かずとも、もう直ぐ騎士がここへ来るでしょう。手を離して」
あろう事か、このお馬鹿様は空いている私の右手も掴んできた。しかもまたもや結構痛い。これ、青アザになったりしないかな。皆に見られたら大事になりそうで怖いんだけど。
私の周りの男性陣を思う。
力強く握っていそうで、それが安心感につながる、絶妙且つ痛くない、そんな力加減でいつも接してくれている。
あの強引マイウェイなラインハルトだって、私を引き寄せる力は強くても、痛みを伴う事は絶対に無い。
振り解けそうで解けない、でも本気で抵抗したら解ける、優しい力加減。
だから余計にハルナイトの粗暴さが際立って見えてしまうのは、仕方がないと思う。
その粗暴な男は目を瞠って私を凝視している。
ーーーーもしもし、私の言葉聞いてた?
「ほぅーーーー美しいな、女、俺の側室になる事を許そう。そーーーグギャーッ!」
バカバカしい!何とか穏便に、って思った私がアホみたいじゃない!?
私は必殺技、頭突きをハルナイトの顎に喰らわせて、握られている手の力が緩んだ隙に、引っこ抜いて廊下を一目散に駆け出した。
騎士も直ぐそこの曲がり角辺りまで来てたしね。
それにしても、おでこが痛いです。
ようやく舞殿に着いた私は、この場の熱気に圧倒される。
ドン、っと体中に叩き込まれる苛烈で鋭い気魄。
今、まさにーーーーティティが烈魄を放っているのだ。
ティティの、この強烈な気迫をフィリアナはどう迎えているのか。
返すフィリアナの気合はあれど、弱々しいが、まだ決定的では無く、しぶとくしがみついているようだった。
私はまだ間に合った安堵と、ティティの心配とが、ないまぜになりながらも、観覧席の後ろへとコソコソ移動する。
それから私は舞台後方に息を潜めて、合図を待つだけの姿勢でゆっくりと息を吐いた。
あの伝説の家政婦、そのスキルを習得出来なかった事が、今更ながらに悔やまれる。
周囲から寄せられて感じる、安堵と心配、遅かったね、何があったんだよコノヤロー的な、後で事情聴取な、と、それは様々な気配には、ひたすらすいませんごめんなさいを心の中で繰り返しておく。
ツツッと冷や汗だろうか、背筋に冷たい筋が下りる。
たった一人で取り残されたような心細さの中で、懸命動く心臓がやたらと存在を主張して、まるで耳に心臓が張り付いたみたいだ。
もうここまで来たら、時間なんて感じられない。
どれ位の時間がたったの?
繰り返される笛の音は何回目?
一分にも一時間にも思える。
観覧席のどよめきが、一瞬大きくなる。
感嘆では無い。動揺?恐怖?あり得ないモノを見た、そんな驚きの声とざわめき。
誰かがポツリと零す。
「あの影の中は一体何だ!?」
私はその言葉で、フィリアナを覆う膜が剥がれているのだとわかった。
########
目が霞んでくる。周りも舞台も、もう良く見えない。
聞こえるのは自分の鼓動と微かな笛の音だけ。
腕も脚も感覚が無い。
辛うじて聞こえる笛の旋律に、それでも舞う。
この場に召喚された時のフィリアナの顔が思い浮かぶ。
憎々しげに歪められて、視線だけ殺されるかと思う程だった。
ーーーー何でアンタが!?
フィリアナがそう叫んだ後、ギリッっと奥歯を噛み締めたのであろう、口元も斜めに傾いて、グッと強張る。
しおらしさが剥がれて醜い素顔が一瞬で晒された事にレイティティアは嘲笑った。
ーーーーここは舞台。
そして自分の演じる役は悪役令嬢。
レイティティアは優雅に技芸神に対して礼をとる。
何処そこも白い舞台上の中で、異質な黒い衣装を纏って、黒鳥は舞い降りた。
腕を大袈裟に、しかしどこまでも優美に、大きな羽根をゆっくりと羽ばたき落す。
技芸神が鷹揚に頷く事でレイティティアを促した。
スゥッと立ち上がるレイティティアの所作はブレが無い。
高貴な威厳とも言うべき落ち着きは、気品に溢れ、観衆を感嘆させる。
舞台上を滑るように歩く。
長いドレスの裾が波を打つ様が、腕を上げて下げるその羽の如くが、湖水上を優雅に滑る黒鳥を思わせた。
フィリアナの数メートル手前で、動きを止める。
未だ跪いたままのフィリアナを睥睨して、レイティティアはこの場に君臨する女王のように、嫣然と微笑んだ。
フィリアナも立ち上がレイティティアを睨む。
大方ヒロインの試練だとでも思ったのだろう。どこまでも自分に都合の良い思考がおかしかった。
シャンっと鳴る鈴の音がレイティティアとずれた。
フィリアナの限界が近いのかも知れない。
驚愕を乗せたざわめきがレイティティアの肌に伝わる。
ーーーーここからが勝負だ。
ヒロインの邪魔をする悪役令嬢は、完膚無きまでに叩きのめす為に領巾を纏わせ、優雅に脚を振り上げた。
腕のひと振りに、レイティティアは優しい、それでいておっちょこちょいな少女神を思う。
あの麗しくも美しい顔を、悲しみに染めたくは無い。
同じ故郷を持つ、それだけでは無いのだろうが、直ぐに打ち解けられた切っ掛けに感謝する。
あの女神に出逢えた奇跡に感謝する。
でなければ、今のレイティティアはいない。
他の神々との交流は勿論、自分に出来うる事さえわからぬままに、死の谷で儚くなっていただろう。
レイティティアの祈りは続く。
ポタリと額から汗が落ちる。
喉の乾きもわからなくなって、今の笛は何巡目なのだろうか。
もう幾度目になるのか、黒鳥のグランフェッテに入る。
ーーーー脚を鞭打つように。
バレエの白鳥の湖からのアレンジだ。舞競いだからこそ出来る、技。
衣装に黒い羽根が着いているのを見て、取り入れてみたくなった。
怒涛の三十二回転とまでは残念ながらいかなかったが、技芸神も興奮してアレンジに加わって下さったのだ。
フィリアナの、ヒロインとしての想いなど、どれ程であろうともレイティティアはそれを上回るだけだ。
舞台上で、ドサリと音がした気がするが、今のレイティティアには些事過ぎて気にもならない
朦朧としてくる意識の中でレイティティアは想い焦がれる。
ーーーー最後に残る願いは何?
装い、綺麗に包装された願いなど、神には届かぬ。
それが例え嘘ではなくとも。
そう言ったのはどちらの神だったか。
一筋に願うはーーーー愚かに、純粋に只唯一の。
魂が裂け切れる程に叫べ、絶叫しろと神がいう。
喉が痛む程に乾いているのに涙は滲むのか。
極限の状態でレイティティアが望んだのは、会いたい、だった。
ぼんやりする脳裏に声が届く。
聞いた事のある、そうこれはフロース様だ。
『ーーーー誰に?』
決まっている。自分が会いたいのなんてたった一人だ。
ーーーー私は、アレクスト様に会いたい!
「その願い聞き届けよう」
今度はハッキリと聞こえた、声。
ぐっったりと、呼吸も荒く、伏せ倒れているフィリアナ。
優雅に舞をおさめたレイティティアの前に顕れた、宵にもストロベリーブロントが輝く花の神。
カーク神の炎の松明が一際大きく立ち昇った。
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