幸せの日記

Yuki

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1章 「夏目涼香」

12月20日②

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「全員その場から動くな!」
 気がついたら声をあげていた。
「119番と110番を!この吐血量なら手遅れか…」
 席まで案内していたウェイトレスは呆気に取られていたため、つい仕切ってしまった。
「手で食べるものがないから、毒はコーヒーかコップか?元から服毒していたのか?」

 ぶつぶつ喋る遥希をよそに、涼香には違うものが見えていた。

「このコーヒーはドリンクバーですよね?」
「は、はい。」
「無差別か…?コーヒーを注いでくればわかるのか…。」
 そのとき、被害者に糸がついているのを見つけた。そしてその糸の先はすぐそばのウェイトレスに繋がっていた。
(これは…この人が犯人ってことか?)
 犯人がわかった状態で証拠を集める作業。さながら数学の証明のような挑戦が始まった。犯人の可能性が少し浮上したため、尋問から始めることにした。
「この方はいつからいましたか?」
「え、えぇと、1時間前くらいからですね。」
 他の人に聞けば証明できる。信用できる。
「さっき飲んでいたコーヒーもそこまで多くなかった。元から少なく注いでいたなら別だけど、何口か飲んでいるはず。コーヒーに即死の毒が入ってたわけではない…か。コップか?」
 なぜ自分が謎を解こうとしているのかわからなかった。数学の問題のような難問が前にあるから?犯人が自分だけにわかっているから?違う。この糸を解けるのは自分だけだと、使命感が襲う。自分が解かなかったら何かまずい結末になりそうな予感が。
 糸の様子で真相に近づいてるかがわかる。糸が絡まっていく。カップを疑うのは間違っているらしい。
「あなたはこの方とお知り合いですか?」
「い、いえ、。ただ、よく来られてそのようにパソコンで仕事をされています。」
「なるほど…。」
「あの…警察が来るのを待ちませんか?」
「あぁ、はい、もちろん。触れないし、私たちも動いてはダメです。証拠保存ってやつですね。」
「証拠って…。自殺ってことはないんですか?」
「まあ、それも含めて証拠保存ですね。」
(犯人がわかっていると全ての言動が嘘くさいな。)
「そのパソコンに何か証拠とかあったり…。」
「それもありますね。ただ、遺書とかはないと思いますよ?」
 否定的に答える。お前が犯人だからなという言葉を飲み込んだ。糸の様子を見る限り、疑いを強めるほど真相に近づいている。
(俺が解く必要があるのか。警察じゃ解けないということは、こいつ毒は所持していない…?人間関係を洗っても動機も出てこないということか?それとも警察が来るまでに隠滅できる証拠なのか?)
 ある1つの考えが浮かんだ。しかし、これでは証拠が掴めない。
(自白を取るしかないのか?)
「この方はよく店に来られてたんですよね。何か気になる癖とかありましたか?」
「そうですね…。いつも砂糖を入れるとかアイスコーヒーを飲まれてるとか、ですかね。ご飯は違うものを頼まれますし…。」
「なるほど…。ちなみに、ポケットが濡れてますが、何かこぼされました?」
「え…?ちゃんとビニールに…あっ!!」
 ウェイトレスはスカートの右手側のポケットに手を当てたときに気がついた。
「へぇ。ビニールに何を入れてたんですか?毒を包んだ氷?氷一個カップに入れても気付きませんもんね。店員のあなたならさっと入れることができたでしょう。トイレに立った時か、パソコンの画面に集中している時か。後からはコーヒーに毒を入れたように見えることから、警察は毒を入れていた瓶などをよく探す。この店のゴミ箱とかにあなたが使ったビニールとかが捨ててあるんですかね。でも毒の反応が出てこないから疑われることはない。毒の入手は判らないようにすれば証拠は無いってことか。でも今の自白じゃ弱いな…。
…………………………。もう自首しませんか?」
「な、なに言ってるんですか。全部憶測ですよね?ビニールに入れてた冷たい飲み物をポケットに入れてただけですよ!?」
「みたいな言い訳ができるんだよなぁ。もう少し喋らせるべきだったのか?ちなみにその入れてた飲み物はどこに?」
「控室の冷蔵庫にあります!」
「ですよね…。」
(八方塞がりだな。)
「な、なんで殺したんですか…?」
 不意に涼香が会話に参加した。
「私が?殺してないって言ってますよね?!」
「い、いえ、殺してます。彼に向ける目に心配の色がなかった…。なんていうか、侮蔑みたいな…。」
「はぁ?侮辱するのもいい加減に…」
「本性が出てきたな。長居することとか、なにか嫌な声かけをされたとかが動機かな。警察ならそんなこと、と通り過ぎる単純な出来事のはず。突き詰めれば、…邪魔だから殺した、とか。」
「何をバカなこと言ってるの!?証拠もなしにこれ以上は侮辱罪よ!」
「そうなんです。証拠がないんです。監視カメラも死角になるところで入れてるんでしょう。多分自殺の証拠も出てこないでしょう。」
「だったら…!」
「ただ、さっきので疑いは確信になりました。警察もあなたに絞って調べれば何か証拠を見つけるでしょう。たとえば、彼の口にある水の成分がここの氷とは違い、あなたの家の水道水と一致するとか。毒を中心に含んだ氷を作ったのは職場じゃないでしょう。」
「っ…!」
「彼が氷を食べる癖があることに気づいて思いついた作戦じゃないですか?他の従業員に聞けばわかりますが。さっき癖を聞いたときに答えなかったことからもあなたは犯人候補として有力なんですよ。」
「あーあ、もう無理か。せっかく完全犯罪いけたのに。」
「無理ですよ…。人殺しなんて…いつかバレます。」
「あぁ?人殺しダメなんて言うつもり?」
 ウェイトレスは涼香を睨みつける。
「どんな理由があれ、命を奪っていい理由にはなりません。」
 涼香は強い瞳で言い返す。しかし、俺が言いたい事とは少し違った。
「俺は命が重いとか言うつもりはないですよ。犯罪を取り締まるのも、判決を下すのも俺じゃない。別にあなたが悪人だって言うつもりもない。浅い動機で人を殺したことに軽蔑して口調が荒くなってしまいましたが。何か理由があったならこれから警察に話すこと。初めて会った俺には関係ない。」
「じゃあなんで首を突っ込んだ…」
「人の命を預かる気持ちは重すぎるから。人は簡単に死にます。刺しただけで、轢かれただけで、飛び降りただけで、毒を飲んだだけで。ただ、その簡単に終わる命の責任はめちゃくちゃ重い。あなたは人の命を奪った責任を抱えて生きていくんです。そのまま1人で抱えて生きるより、償う生き方の方が楽だと思っただけです。全ては俺のエゴ。」
「ふざけんな!てめぇの自分勝手で…」
 つい声を荒げて、遮って言い返してしまった。
「自分勝手で人が死ぬんだ!自分の運命を変えるのは自分だけじゃない。人によって簡単にひっくり返されるんだ。あなたが彼の運命をひっくり返したように、俺があなたの運命をひっくり返しただけですよ。黙っていることか、罪を償うことか、あなたにとってどっちが正解かなんて知らない。ただ俺には、黙っていることが窮屈そうに見えただけですよ。そんな窮屈な運命、見逃せない人間になってしまっただけ…。」
 遥希の目には、もうウェイトレスにきつく絡まる糸は無かった。解けた糸は、ウェイトレスに溶け込んでいく。
「命は簡単に落とされる。重たいのは残された人なんだ。遺族も友達も加害者も。どんな理由があっても命に向き合わないと残された重さにたくさんの人が潰れていくんだ。」
 それきり沈黙が落ちたファミレスに、サイレンが聞こえる。事情聴取まで終わった頃には夕方だった。歩いて帰りますと警官に告げ、2人家路に着いた。公園で、途中寄ったコンビニのご飯を2人で食べた。あんな事件の後で何を話すか、お互い探り合いながら。

【その事件で俺にはわかったことがある。俺は人が死ぬことにあまり抵抗がない。見ず知らずの人が死ぬことに、感じるものがあまりに少なかった。ただその分知っている人が、大事な人が傷つくことは耐えられない。涼香にも傷ついてほしくない。体だけの話じゃなく。そう思えたから公園で、本気で話すことができたんだろう。】
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